平成17年6月29日(水)
才能と努力の二つを兼ね備えた人物はどの分野にもいて、世のため人のためになり世に知られるようになる。しかし、世の中の多くの人は両方ともないか、片方 だけしかもそれほど傑出していないのが普通である。努力は才能のない我々凡人には最も大切なことで、努力しなければろくなことにならないのは世人の認める ところである。
一方、才能に関しては生まれつきのもので努力だけではどうしようもないものが多い。たとえばスポーツなどでははっきりしていて、百メートルを早く走れる人 は最初から早いのであり、練習したから16秒かかっていたのが11秒になるわけではない。せいぜい2秒早くなる程度だろう。音楽の才能もやはり天賦のもの で、楽器の演奏などはうまい人は初めからうまい上に、一層努力するからさらに技術に磨きがかかる。才能があるから努力できるわけで、もし全然なければはじ めから努力しようという発想がないだろう。
なぜこんなことを云うかというと、尺八がうまくならないからである。少し音が出るようになったと感じたのは幻想であったことに気付いてしまったのだ。師匠 の主催するおさらい会の課題曲「六段」を琴と合わせて練習したのだが、録音した音を聞いてがっくりきた。琴はすばらしいのだが、尺八のひどいこと。そもそ も音が出ていない。もともと音そのものを出すのが難しい楽器ではあるのだが、それにしてもである。こういうのは努力だけではどうしようもないのだろうか。
月別記事一覧 2005年6月
才能と努力
「相対性理論の大嘘」
平成17年6月25日(土)
暑い日が続く。先日、入梅したのに雨が降らないと書いたが、一足飛びに夏になった感がある。水不足の地域もあると聞くが、野菜は安くなっているそうでなんのこっちゃ。
最近読んで面白かったのは「相対性理論の大嘘」というなんとも夢(?)のある本である。夜空にまたたく星は本当に何万光年も前の光なのかと疑問を呈し、も しそうなら我々はいつも過去の世界しか見られないことになり夢のない話ではないかというところからの考えである。ちょうど相対性理論発表百周年とのことで それを狙った意味もあるだろうが、直感的には思わず納得させられる内容であった。主観と客観の違いも突き詰めて考えればよくわからないし、時間が一定とは どうしても思えないなど色々と考えていた昔を思い出してしまった。
ウマに食わせるほどの薬
平成17年6月22日(水)
当院をはじめて受診した患者さんの、今までに処方された薬の種類と量のあまりの多さに驚くことがある。こんなに飲んだらご飯が食べられなくなるのではと思 わず心配してしまうような。さらに、同じ種類の薬がダブル、トリプルで重なって出されていることもある。これらは院外薬局なら薬剤師のチェックが入るので 防げるかもしれないが、やはり処方する医師が気をつけないとだめだろう。日本人は薬が好きで、病院に行っても薬を出してもらえなければそこへは行かなくな るという。だから本当は薬が必要ないと思っていても、患者さんに要求されたら仕方なく出すこともあるだろう。幸い当院は薬を出す患者さん自体が2割~3割 ぐらいしかいないので、これらの葛藤がないのがありがたいことである。
田植えの頃
平成17年6月18日(土)
梅雨に入ったはずなのに雨が降らない。これでは田植えができないのではないだろうか。
私は実家が農家なので、中学までは田植えや稲刈りは必ずしなければならない仕事だった。なにしろ小学校では「農繁休暇」が年に二回、田植えの時期と稲刈り の時期にあったのだから。周囲は皆農家ばかりなので違和感はなかったが、たまに勤め人の家の子供は手伝わなくても良いので、遊んでいるのがなんともうらや ましかった。こんな純農家出身の医者は少ないようで、私自身ほとんど見たことがない。わずかに先輩に一人、実家に田があるという話を聞いたことがあるぐら いである。したがって貴重なトキのような存在ではなかろうか。もっとも今は、田植えも稲刈りも機械でするようになったので、子供が手伝うことはなくなった のだろうが。
そういえば学生時代、半農半医の先生を見たことがある。アルバイトで薬の使用のアンケートをお願いしていた関係で二ヶ月ごとに訪ねていたが、地方の大きな旧い家で、 「○○醫院」と墨書された古びた看板のある医院用の入り口と、農家用の門が別々にある土塀の屋敷であった。訪ねると先生はたいてい畑仕事の格好で、あらか じめ記入した調査用紙を渡してくれたが、患者さんの姿を見たことはほとんどなかった。今から思うとあの先生は達人の生き方をされていたのかもしれない。 もっと話を聞いておけばよかった。
気分転換に歩く
平成17年6月15日(水)
運動不足の折からできるだけ歩いて帰るようにしている。
クリニックから自宅まで3キロぐらいなので、歩くにはちょうど良い距離である。季節では春と秋が一番いいが、雨さえ降らなければ今も十分気持ちがいい。その日の気分によっていくつかのコースを変えて歩く。たいていは平和大通り沿いに鶴見橋まで歩いて、そこで橋を渡らずに川沿いを下るか渡って比治山トンネルを通るか考えるのである。歩いていると季節の変化や普段は見つけられない街の姿が見えて、結構楽しい。竹屋町の果物屋の前を通る時は、おいしそうなのでつい寄って買ってしまう。今ならスイカ、びわ、桃などがいい。本来のコースではないのだが、うまい果物を発作的に食べたくなった時に少し回り道して通る。比治山トンネルを通る時はサティの近くにある酒屋でウイスキーなどを買うこともある。
天気がよくて、あまり遅くならずに帰れる時には、歩くのは実にいい気分転換になるのである。
「三」にまつわることわざ
平成17年6月10日(金)
「三」という数字にまつわることわざは多く、けっこう真実をついていると思うことがある。
時間については「三日坊主」「坊主と乞食は三日やったらやめられない」「桃栗三年柿八年」「櫓三年に棹八年」などがあり、数については「三人寄れば文殊の知恵」「毛利元就の三本の矢の話」「三顧の礼」「三度目の正直」「仏の顔も三度」など多数ある。
新しいことを始める時は、まず三日やってみてどうかと考え、つぎは三ヶ月、そして三年やれば一区切りだろう。いずれにしても「三」にまつわってそれぞれ目安がつく期間である。「石の上にも三年」と言うではないか。
私事ではあるが尺八を習い始めた時、あまりに音が出ないので何度もやめようかと思ったが、とりあえず三年はやってみようと決めて練習してきた。それがなん とあと半年で三年になる。今はもう少しやってみようと思うようになっている。つまり少しは音が出るようになったということだ。やはりことわざは正しいよう である。
カルテ庫の整理
平成17年6月6日(月)
今日は朝から初夏のような日差しである。月曜日なのに結構ヒマだったのでカルテ庫の整理をすることにした。他の開業医の先生方は皆カルテをどのように整理しているのかいろいろと工夫されていると思うが、長くやればそれだけカルテも増えて難しくなる。
当院ではとりあえず最近2年間に来られた新患のカルテとそれ以前の患者さんで最近1年以内に来られた人のカルテはすぐに出せるようにしているが、カルテ庫の許容枚数は5千枚ぐらいなので、それ以外は別の場所に保管している。新患のカルテが千枚になると、それ以前のカルテで最近1年来られていない人のカルテを整理(別の場所に移す)しなければならない。全員で手作業で行うが、私はすべてのカルテに目を通して仕分けするので、つい「この人はしばらく来られてな いがどうなっているのかな」などと改めて思ったりする。カルテ庫の整理は何日かに分けてするが、面倒ではあるが同時に楽しい面もあるいつもの行事なのであ る。
医事紛争の本
平成17年6月3日(金)
今日から「とうかさん」である。去年もこの欄に書いたのでもう一年経ったことになる。はやいものだ。天気もいいし人出が多いことだろう。こんな時は流川周辺には飲みに出ない方が無難だろう。
最近手に入れた産婦人科の医事紛争の本によると、大阪府の例であるが半分はお産と新生児にまつわることだそうである。お産は多くは普通に進行して無事に生 まれるが、同時に何が起こるかわからないのも事実である。以前お産をしていた時は、何度も怖い思いを経験した。最初からハイリスクとわかっている場合はそのつもりで準備して対処するが、何も問題なく順調に進行している時は、安心して経過を見ている。そういう時に限って突然危険なことが起こるのだ。一旦危険 なことが起きると母体と胎児の両者の命がかかっている。すばやく的確に対処することが求められる。
中絶に関しての紛争は15%とのこと。いつも注意深く行っているが、危険は常にあると思っている。どんなに安全だといわれている薬でも100%確かものは ないのだ。たとえ百万分の一の確率でも危険が起きる可能性はあるのである。そうは言ってもあまり気にすると何もできなくなるので、今までどおり丁寧にやっ ていくしかないと思う。