月別記事一覧 2005年5月

流産手術

平成17年5月31日(火)
ここのところ書き込みをサボってしまっていた。しばらく放置しておいたら何を書いていいかわからなくなった。やはりあまり間をおかないようにしないとよくないと痛感する。
五月も終わりになりいよいよ明日からは六月、水無月(みなづき)で季語は夏、実際には梅雨の季節となる。我が国は四季があるので、めりはりがあっていい。 そのかわり服装も季節に応じて変えていかなければならないので面倒だが、かえって気分転換になっていいのかもしれない。これからの季節は和服がいいと思う が、まさか診察を甚平でするわけにはいかない。でもケーシースタイルの白衣は甚平に似ているので、結構いいのではないだろうか。なによりも涼しそうだ。
今日は流産手術が2件あった。妊娠の2割近くは必ず流産するので仕方がないが、次はうまくいって欲しいと思いながら手術を終えた。

故郷のU先生

平成17年5月25日(火)
私の故郷の村には2軒の医院があった。今では1軒は廃業しており、もう1軒は息子さんがあとを継いでいるとか。息子さんが跡を継いでいる医院のU先生はもう90歳ぐらいになっておられると思う。子供の頃から何かあると診てもらいに行った。祖母は心臓が悪かったのでいつも往診してもらっていた。まさに地域に根付いた大切な医院であった。今から考えると思慮が足りなかったと思うのだが、医学生の頃はそういう先生を田舎医者だと考えて、今自分たちが学んでいる最新の医学が優れているなどと不遜にも思っていた。
今になると、最新の医学を知ろうが知るまいが人間の寿命に大差はなく、病める人にやさしくできる人が医者になるべきだとわかる。きっとU先生はやさしい先生だったのだろう。もし機会があればお会いしてお話を聞いてみたいと思う。

過剰な検査は患者さんの負担になる

平成17年5月24日(火)
患者さんから「これこれの検査をしなくていいのですか、母親が検査してもらわなくていいのかと言っています」と言われることがある。たいていはまだ信頼関係がしっかりとできてない時にこのような質問を受けることが多い。
こういう時はいつもどのように説明しようかと思うのであるが、検査の中には①絶対に必要な検査、②しておいた方が良い検査、③参考どまりの検査、④保険上は認められているがなくても診断できる検査、があり、①の検査は患者さんを説得してでも行う、②は「~しておいた方が良いですよ」と言ってできるだけ行うようにするが患者さんが拒否すれば無理には行わない、③④は原則として行わないことをお話する。そして問題はこの二つなのだ。これら③④は患者さんの経済的身体的負担がふえるわりに有用性が少なく、患者さんに不利益になる(医院には利益になる)と思うのでしたくないのだ。
でも一般的には行われている検査なので、患者さんがどこかで聞いてきたり、本で読んだりして「これこれの検査をしたほうが良いと聞いたのですが」と言われて真意を説明するのだが、わかってもらえないこともある。かえって不信感を持つ人もおられるかもしれない。そういう場合はめんどうなので求められるとおりに検査しようと思うこともあるが、やはり性分なので説得しようとしてしまう。十分信頼感関係ができている場合は、検査をしないのは③か④だからだとわかってくれているので問題ないが、そうでない場合は結構大変なのである。
実は治療についても全く同じことがあるのだが、それはまたの機会に。

内診台の修理

平成17年5月19日(木)
昼前に内診台の受け皿の具合が悪くなり、とりあえず普段は手術の時に使う予備の内診台を使用したが、このままではいつも使っている内診台は使えない。幸い木曜日は午後休診なのでメーカーに連絡して来てもらい、修理してことなきを得た。この頃はどこのメーカーも人手不足で、こういう際の対応は集中することも あり大変のようである。
当院のような小規模クリニックでは特に、何かあった時にすぐに対応してもらえるような体制でなければ困る。トラブルというものは、いくら定期的にきちんと点検していても必ず起きるものである。だから実際に起きた時にどのように対応できるかが大切である。こういうことは開業するまではあまり考えたことはなかったが、今では最も必要なことだと認識するようになった。
ところで先日神戸のそごうで買った「子持ち鮎の甘露煮」が実に美味で久々のヒットと思ったので、広島で手に入るのか聞いてみたが、横浜そごうと神戸そごう の他は新宿伊勢丹ぐらいしか扱っていないとのことだった。でも直接神戸そごうの店に頼めば送ってくれるそうである。店の名前は「魚谷清兵衛商店」というがここには他にもいいものがありそうである。

意見不一致

平成17年5月16日(月)
明け方はやや冷えるようだが日中は暑いぐらいである。いい季節になった。
先日中絶を希望する夫婦が来院されたが、話を聞いてみるとどうも意見が一致していないようだ。もう何人も子供がいるから経済的にも中絶したいという意見 と、せっかくできたのだから生みたいという気持ちとがせめぎあっていた。とにかくご夫婦の意見が一致してからということにしたが、なかなか一致するのは難 しそうである。経験から言うと、女性の意思のとおりになることが多いようだ。少子化のおりから子供は多い方が良いのだろうが、それぞれ事情があるので必要 なことだけを説明するが、あとは二人で決めてもらうしかない。
避妊にはピルが一番いいと思うのだが我が国ではなかなか普及しない。なぜだかわからないが、日本にはピルを拒否する伝統的思考があるのだろうか。

運命についての考察

平成17年5月13日(金)
固体発生は系統発生をくり返すというが、個人はどんなに高名な人物でも自分の育った環境から逃れることはできないようだ。この場合の環境とは、生まれた時代、場所、親子関係、周囲の状況、本人の資質などである。これらは自分ではどうすることもできない。それゆえ、運命なのである。
はじめにそう思ったのは「次郎物語」を読んだ時だった。作者の下村湖人は教育者として、思想家としてすばらしい仕事を積み重ねて来ており、さまざまな困難を乗り越えてきた「巨人」というのにふさわしい人物で、次郎物語を書き始めた時はもう六十を過ぎていたが、自分の生い立ちを通しての人間形成の過程を克明に物語の形で語ったのがこの物語である。その中で本人の性格を含め、生い立ちに必然的にまつわる処々の状況にどう対処し成長していったかを、小説の形で詳 しく記している。自分の分身である次郎が運命である環境をどう考え対処し、どのように苦闘しつつ幼年期、少年期、青年期を過ごしていったかを真摯な文章で記しているのである。
最近南木佳士の作品を読み、改めて人は生まれた環境、運命を死ぬまで引きずって生きていくのだと思ったことである。一人の人間の物語はその人にしかなく、 一人ひとりが物語を一つ描けるだけなのだ。これを神のような視点から見れば、一人ひとりが同じようなところで悩み、同じように成長して、同じように死んでいくと思えるのかもしれない。人間からアリの群れを見るとどのアリも同じようにしか見えない。一人の人間の成長も神の視点からは、系統発生のようなものでわずかな違いがあるだけではないだろうか。たとえそうであったとしても、人間の喜怒哀楽はそのわずかの違いの中にあると思うし、日々のささいなことから幸せを感じたりすることも事実で、人間はいとおしい存在だと思うのである。

人と人とのつながり

平成17年5月9日(月)
7、8日は友人の娘さんの結婚式に出席するために神戸へ行った。祝辞を頼まれたのだが緊張して噛むんじゃないかと思っていたら、やはり噛んでしまった。でもいい結婚式だった。同じ年頃の娘がいるので友人に対して共感を覚えて、最後はもらい泣きしそうになってしまった。近頃年のせいか涙腺がゆるくなって困る。
今日からいつもの診療が始まったが、先週一日おきに開けていたので休み明けの感覚はない。用事もありいつもより早めにクリニックに行ったらまだ従業員が来てないのに、患者さんとそのパートナーが来院された。とりあえず待ってもらっているうちに、皆来て掃除して9時より診療を開始した。昼頃に、研修医の時の病院で一緒に助産婦として仕事をしていた人が(助産師、看護師などとは呼びたくないものだ。だれがこんな呼び方に変えたのだろう)、親戚の人を連れて来てくれた。かれこれ20年ぶりだろうか。実になつかしかった。やはり人と人とのつながりが大切だと思ったことである。

当番医の振り替え休日

平成17年5月6日(金)
連休もほぼ終わりになった。広島恒例のFFは天気も良く盛況のようで関係者はホッとしたことだろう。当院は5月4日は当番医であったがいつになく患者さんが多くて、これまたお役に立てて良かったと思った次第である。もっとも、緊急避妊薬の希望なども多かったのではあるが。
今日は一転して雨である。暑い日が続いたのでちょうど良かった。休み明けでさすがに患者さんが多いが、当院は明日は休みの予定である。暦以外に休みをとるのはなんだか患者さんに悪いような気がするが、当番医の振り替え休日である。従業員の人たちも休んでリフレッシュしてもらいたいから。いつも皆一生懸命 やってくれているので。

二日酔い

平成17年5月2日(月)
昨日の雨から一転して初夏を思わせる日差しの一日であった。田舎の父親によれば今年は筍はあまりよくないとのこと。でも昨日の雨で「雨後の筍」のごとく生えてくるのではないか。
土曜日は飲みだったのでつい飲み過ぎてしまい、二日酔いで昼頃まで気分が悪かった。したがって日曜は休肝日となった。アルコールは弱いくせに好きなのでつい飲んでしまうのである。困ったものだ。でもおいしく飲めるうちが花である。無理せず長く楽しみたいものである。