月別記事一覧 2005年3月

うららかな春の一日

平成17年3月31日(木)
早いもので今日で3月も終わりである。以前にも書いたが、月日の経つのが本当に早い。もっとゆっくりさせてくれと言っても容赦なく過ぎ去っていく。青春期に漢詩が好きで、その硬質の語り口を味わって喜んでいたが、あっという間に年を取るというような詩も多かった。その頃はあまり実感はなかったが今になってみると全くその通りと思うのである。こういう感覚は昔の中国の詩人も同じようなので、洋の東西を問わず人間の普遍的なものなのかもしれない。
今日は本当にうららかな春の一日であった。

演歌が結構好き

3月26日(土)
実は演歌が結構好きである。「別れの一本杉」「王将」「風雪流れ旅」「兄弟船」好きな曲は他にもあるが、これらはすべて船村徹という作曲家の作品である。 最近その自伝を読んだのだが、まさに巨人だ。才能もすごいが、その人間的魅力スケールの大きさなど実に面白い。歌謡界で押しも押されもせぬ地位にいるにもかかわらず、40台後半でフリーになってギター片手に全国を回ろうとしたのはすごいことだ。頂点にいるにもかかわらず、自分を振り出しに戻せる柔軟さはただものではない。そういう姿勢が数々の名曲を生み出したのだろう。才能やスケールはどうしようもないが、私もその姿勢は見習いたいものである。

何が起きるか

平成17年3月29日(火)
昨日は患者さんが少なく、クリニックを7年もやっているとめったなことでは驚かない私も、いささか焦ってしまった。7年ぐらいになるとたいていのことは経験しているが、それでもときに「これは初めての経験だ」ということがおこる。芸予地震の時もそうだった。診察中にビルが大きく揺れ思わず机にしがみついた。幸い患者さんにも怪我はなかったが、器具を入れているガラスの戸棚が倒れてガラスが割れて中のものが散乱した。また壁に何箇所もひびが入り修理が大変だった。今後もまた新しい経験をすることだろうが、できればややこしくないことであって欲しい。

風邪?

平成17年3月23日(水)
昨日今日と二日続けて雨である。「春雨じゃ、ぬれて行こう」というせりふを聞いたことがあるが、少し肌寒いだけですっかり春の気候になった。今までの経験からもう一度だけ寒い日があり、あとは暖かい春になると思う。こういう時がかえって風邪をひきやすいので注意が必要である。当院の看護婦さんも風邪をひいてしまった。私も気のせいか喉の奥がムズムズするがここで踏みとどまって頑張らねば。
思い起こせば開業して最初の冬にインフルエンザにかかってしまった。あの時はまず看護婦さんがかかって、私がかかりカミさんがかかった。アレルギーがある ため解熱剤が使えず、ひたすらアイスノンで冷やしながら凌いだ。これに懲りてその後は毎年ワクチンを接種するようにしているが、どの程度有効なのかわからない。風邪を防ぐにはしっかり栄養をとってゆっくり休むことが肝要かと思う。

乳がんのオープンカンファレンス

平成17年3月18日(金)
外科主催の乳がんのオープンカンファレンスに出席してみた。最近マンモグラフィーを撮るように厚労省がさかんに言っているので、検査法の精度が良くなったのかなど知りたかったからである。実際のところは某新聞の乳がんキャンペーン記事にあおられた厚労省が、対策を立てていることを示すためもあってマンモグラフィーが必要だと言い出したらしい。確かにマンモグラフィーは役に立つ検査法には違いないが以前からある検査法であり、急に有用性が増したわけではなくマイナス面もある。
乳がんの専門家の意見では、昔から行われている視触診法は熟練した医師が行えば見逃すことは少なく有用とのことである。なによりこの方法は検査するための 機械が必要ないからコストがかからない上に、マンモグラフィーのように患者さんが放射線を被爆しなくてすむ。ならば視触診だけでよいのかというと、実際には見逃しもあるために超音波検査やマンモグラフィーも必要なのである。ただし異常を感じた時にすればいいので、私はいつも自己検診法を教えて「乳房の管理 は自己責任ですよ」ということにしている。自己検診でいつもと違うと思ったら受診するようにすれば、むだなコストも省けるし早く見つかるようになる。厚労省も同じ予算を使うなら、自己検診を新聞テレビなどで広めたらどうだろう。その方が本当の意味で効果があり女性のためになると思うのだが。

運動不足

平成17年3月15日(火)
先日久しぶりにテニスをしたら風が強かったこともあり、足がついていかず足がもつれて転んでしまった。とっさに柔道の受身をしたので怪我はなかったが実にカッコ悪かった。日頃の運動不足と体重増加と年のせいだろうが、大いに反省した。年をとることはどうにもならないが、前の二つは努力次第でコントロールできるはずである。怠惰と飽食のつけがまわってきたようである。
ここ数日はまた寒さがぶり返してきた。コートが必要になってしまったが、コートが必要なのはこれが最後になってほしいと思う。

邦楽も大切に

平成17年3月11日(金)
最近ようやく少しだけ音が出るようになった。何の音かといえば尺八のことである。なにしろはじめはいくら吹いても音そのものが出ないし、出ても不安定でとても曲など演奏できなかったのだがここにきてようやく薄明かりが見えてきたように思う。今までいくつかの楽器を経験したが尺八は最も音を出すのが難しい楽 器の一つだと思う。ただし、音が出るようになればこれほど複雑玄妙な音の出せる楽器も少ないのではないか。
日本は明治維新の時に西洋に追いつくために、法律から産業、髪型から衣服に至るまでそれまでのやりかたをすべて変えてしまった。音楽も西洋の音楽を目標にして教育してきた。その結果、邦楽はマイナーになってしまい、和楽器に接することもなくなってしまった。現在では邦楽の演奏会は、趣味の人だけが細々とやっているだけである。ただ、このところ津軽三味線や篳篥(ひちりき)などで頑張っている才能ある若い人たちが出てきて、心強い。
そもそも日本はいつも極端で、西洋音楽がいいとなったらそれまでの歴史と伝統のある音楽をやめてしまう。学校でも和楽器に触れさせるようにすれば、ここまでマイナーになることはなかったのではないか。なにしろ西洋クラシック音楽の方が高級であるかのようにもてはやされていた時代があったのである。それぞれの国にはそれぞれの音楽があり、たとえばスペインにはフラメンコ、ポルトガルにはファドがある。バリ島にはケチャがありアメリカにはジャズがある。いずれもその音楽が発生して発展してきた歴史があるわけである。日本には和楽器を中心にした音楽があったのに、それに見向きもしなくなってしまった。好き嫌いでそうなったのならしかたがないが、国の政策として西洋音楽を一段上に置き学校で教え、伝統の音楽を古臭いものとして遠ざけてしまったのである。その結果邦楽は現在トキかと思われるようになっている。興味を示す人が少なければ、すぐれた才能も出てこない。消えてしまうことはないだろうが、いいものなので少しでも後の世代に残せるようにしていきたいものである。

病気の予後

平成17年3月7日(月)
我々は明日のことはわからないから毎日平穏に暮らしているが、もしどうなるかわかってしまったら心穏やかではいられないだろう。医者は、患者さんの病気の予後がかなりわかるので、予後不良の場合はどのように対処しようかと悩むのである。患者の立場から言えば、がんを宣告されたときの衝撃はすごいものがあるだろうが、いくら想像しても実際のところは本人以外には本当のところはわからないと思われる。
流産の場合も、初期で胎児(胎芽)の心臓の拍動が確認できても近いうちにだめになることが予測できる場合がある。超音波検査で診断できるのであるが、どのように話そうかといつも悩む。衝撃をできるだけ緩和するように努めているつもりであるが、実際のところつらさは本人にしかわからないだろう。医者は予後を知ってしまうが故に悩みも深まるのである。

春の詩

平成17年3月3日(木)
弥生三月である。ここのところ毎日の気温差が激しいようだ。それでも確実に春が近づいているという実感がある。「春はあけぼの」「千里鶯鳴いて緑紅に映ず」「春になればしがこも融けて」「春高楼の花の宴」「春風そよ吹く空を見れば」「春よ来い早く来い」「さくらさくら弥生のそらは」「やがて遠い地平から輝く春が」「みずはぬるみみずはひかり」「ふもとには桃や桜やあんず咲き」思いつくままの春を並べてみたが、長い冬が過ぎ希望に満ちた季節が春であり、我が国では卒業と入学も春である。日本人にとって春は特別なのだと思う。
今日は午後からは休みなので、今度辞めることになった受付の人の送別昼食会をした。いい人なので残念だが仕方がない。食事は愛宕のレディース鉄板焼き、要予約だがなかなか良かった。