月別記事一覧 2004年11月

風邪の初期症状

平成16年11月29日(月)
土曜日に忘年会があり、ワインがおいしかったので飲みすぎてしまい、その後濃いウイスキーも飲んだためか、まだのどが痛い。元来耳鼻科系が弱いので、アルコールはのどに良くないのだろう。昨日は休肝日にしたが、今日も休肝日にするつもりだ。
今日は暖かいいい日和である。昼間は上着なしでもいいぐらいだった。今年はいつまでも気温が高いので、12月になって雪が降るのか心配になる。スキーが好きなわけではないが、ワンシーズン2~3回はよたよたと滑ってみたいので。
夕方になってのどが痛くて肩がこってきた。少し熱っぽい感じもある。どうも風邪の初期症状のようだ。今日は早く帰って寝よう。

忘年会シーズン

平成16年11月25日(木)
いよいよ忘年会のシーズンである。忘年会というより、なんだかんだと理由をつけて飲み会をするというのが本音だろうが。スケジュールが埋まっていくのはうれしいのだが、元来アルコールに弱いくせに好きなもので、いかに体をいたわるかが問題である。ポイントは、①毎日は飲まない②量を減らしてゆっくり飲む③つまみはしっかり取る、ぐらいだろうか。困ったことに体重が完全に増えてしまってカロリー制限が必要になったのでつまみをひかえなければならない。中年に なると同じような悩みをかかえたオジさんたちも多いと思うが、忘年会に限らず他国ではどうなっているのだろうか。
スペインではバル(居酒屋)がたくさんありピンチョス(串にさしてつまめる料理、いろんな種類がある)をつまんではビールかワインを一杯飲んで次の店に行き、またその店の自慢の串をつまんで一杯、わいわいしゃべりながらこれをくりかえすという。なるほど飲みすぎず体にも負担が少なそうだ。昔スペインに行っ たときに何軒かバルへ行ったことがあったが、確かにそんな雰囲気だった。夜の12時頃はまだ皆結構飲んでいたようだった。休日などは家族連れでバルへ行き 楽しく食べたり飲んだりするが、その間子供はその辺を走り回っていても皆気にしないそうだ。スペインは全部が家族みたいなものだかららしい。壇一雄がスペ イン、ポルトガルあたりが大好きで何年も滞在したのもわかる気がする。
いずれにせよ飲み過ぎないように注意しようと思う。

「縁」という言葉

平成16年11月22日(月)
「縁」という言葉は非常に深い意味を持った日本語である。おもに男女の間をはじめ人間関係で使われるが、就職活動でめざす会社に入れなかった場合でもその会社に縁がなかった、というふうに使われるし、そのほか色々な場面で使われてぴったりする言葉である。どんなに愛し合ったカップルでも別れてしまえば「縁」がなかったということだし、社内で頑張って上のポストを狙っても本人の力とは関係ない理由でだめなこともあり、こういう運も含めたもろもろの現象をまとめて「縁」というのである。もともとは仏教の言葉で、原因によって結果を生じるがその原因を助成するさまざまな要因のことを「縁」といったようだ。
なにげなく使っている言葉であるが、考えてみると実に深い意味があるものだと改めて思った次第である。

少子高齢化は必要悪?

平成16年11月20日(土)
産婦人科の医師の高齢化が進んでいるという。特に山間部ではお産をする施設がどんどんなくなっている。このままでは、都心以外に住んでいる人はお産できな くなってしまうかもしれない。少子高齢化が進めば当然のことで、お産をする人がいなければ本来の意味での産婦人科は必要なくなる。でもこれは由々しき問題で、次の世代が少なくなれば民族としては先細りになってしまう。生物の特徴は増殖することであるとすれば増えるのが正しいのだろうが、生きるために必要な資源には限りがある。がんと同じで増えすぎると宿主を死なせてしまう。そのバランスを本能的に保つとしたら、厚生労働省の予測のように人口が減ってしまうことはないだろうし、いいところに落ち着くのだろう。日本人は戦後から着実に人口を増やしてきて、このままではよくないと本能的に気がついたのかもしれな い。

流産を告げるとき

平成16年11月17日(水)
朝から流産手術2件。いつもながら流産の事実を告げるのは気が重い。特にやっとできたはじめての妊娠の場合は、どのように話そうかと思う。できるだけ衝撃を緩和するように反応をみながら話すのだが、つらい事実には変わりなく心の動きが手に取るようにわかる。納得するのに時間がかかるので、緊急を要するとき以外は流産手術をすることの同意を何日でも待つようにしている。そして、次の妊娠への希望を持ってもらえるように話すのである。
当院ではがんや致命的な病気の治療は行っていないが、そういう病気を本人に告げるのは大変であろう。治る可能性があればいいが、ほとんどない場合は本人の衝撃はすごいものだろう。「世界が変わる」という。それを告げてさらに本人の驚き、怒り、恐怖などもろもろの感情を受けとめるのは、大変なことと思う。よほど強い意志と深い愛情がないとできないのではないか。そういう立場の医師は大変だろうが、現在の私はそうでなくてほっとしている部分もある。勤務医の頃は多くはないがそういう立場になることがあり、自分の無力さを痛感することがあったのである。

天気の話はあいさつのマクラ

平成16年11月15日(月)
朝は雨模様であったが昼にはすっかり晴れていい日和になった。
初めに天気のことをよく書いているような気がしてふりかえってみると、11月だけで今日を含めて3回書いている。なんと5割である。田舎育ちの私は小さい頃、自分の家も含めまわりの家がほぼすべて農家であり、行きかう人たちはいつも「きょうはええ日和じゃのう」とか「寒うなってきたのう」とか、あいさつのはじめにかならず天気の言葉が入るのを聞いていて、天気など見ればわかるだろうにわざわざ言わなくても、と感じていた。農業には天候がごく重要なので天気のことを言うのかと思っていたが、どうもそれだけでもないようである。あいさつはコミュニケーションで大切だが、話題で最もあたりさわりのないのが天気の話である。農家にとっては天気は関心事でありなおかつだれをも傷つけない。天気は毎日変わるのでそれに応じて話題に変化をつけることができる。これほどすばらしい話題があるだろうか。
というわけで天気の書き出しの言い訳をしているが、今後はなるべく減らすようにするつもりである。今日は月曜日にしてはのんびりした日であった。腰痛が少し復活してきたようだ。

国民衛生の動向

平成16年11月13日(土)
「国民衛生の動向」という本がある。厚生統計協会から毎年この季節に刊行されるのだがこれが実にすぐれもので、保健医療や生活環境などがよくわかる。たとえば「戦後における平均寿命の推移」という欄をみると、昭和22年の平均寿命は男50,06女53,96で10年後にはそれぞれ63,24と67,06さ らに10年後の昭和42年には68,91と74,15とすばらしい伸びを示している。前回書いた「人生わずか50年」はつい50年前までの話だったのである。ほかに離婚率の国際比較だとか人口動態職業別総覧だとか、よくぞここまでというほどなんでも統計を出している。手元に置いておくと結構便利だ。
土曜日なので夕方5時までであるが結構疲れた。まっすぐ帰ることにする。

50歳以降は余生?

平成16年11月10日(水)
忘れていたが、今日は私の誕生日である。診察中に日付印を見て思い出した。またひとつ年を取ってしまった。10代は早く大人になりたくて、20代は年のことなど考えもせず、30代はたまに年のことを思い出し、40代は年を取ったことを自覚するけれど猛烈に抵抗し、50になればもうあきらめの境地に達するのである。
つい100年前までは「人生わずか50年」といわれていたことを思えば、50歳以降はもう余生である。長く生きればいいというものではなく、短くてもそれなりに充実していればいい。もちろん長く充実しているのがいいのだろうが、それはぜいたくというものだ。寿命は自分で決められるものではないので、一日一日を大切にしていくしかないのだろう。

深井克則のジャズライブ

平成16年11月8日(月)
今日は暑からず寒からずいい日和である。土曜日には深井克則のジャズライブがあり、がらにもなく聴きに行ったがなかなかよかった。また機会があれば聴きに行こうと思う。なにしろ男声合唱からクラシック、演歌、フォーク(古い!)、中島みゆき、ジャズ、尺八に至るまで音楽の好みにまるで節操がないのである。 節操はないが好みは年齢と共に徐々に変わってくるようである。
最近は休憩時間はジャズか尺八ばかり聴いている。今のところこの組み合わせが一番である。

嚢中の錐

平成16年11月4日(木)
好きな言葉に「嚢中の錐」というのがある。この言葉をはじめて知ったときはあまり気に止めなかったが、年をとるにつれて味わい深い言葉だと思うようになった。中国の史記に出てくる故事からの言葉だそうであるが、すぐれた者や実力のある者は必ず頭角を現すというほどのことだ。実際今までの経験では、この言葉はまことに真理だと思うことが多いのである。問題は頭角を現した後であるが、成功するために大切なのは、運・鈍・根でいえば根ではないだろうか。若い頃は才能こそすべてだと思っていたが、経験を重ねいろいろな人物を見てくると見方が変わってくる。人生はマラソンのようなもので根が大切だとしみじみ思う のである。
今日は診療日誌らしからぬことを書いてしまった。