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危機に直面する産婦人科医療

平成18年4月15日(土)
先日「危機に直面する産婦人科医療」と題した元広大産婦人科教授の講演があった。聞くほどに気持ちが沈んできた。産婦人科の将来は実に暗く、産科にかかわる医師は減少の一途をたどっているらしい。隠岐島の産科がなくなったニュースは耳新しい話であるが、広島周辺で産科を中止した病院はかなり見られる。産科はいつ生まれてもいいように24時間待機しなければならないし、お産で夜起こされても翌日は朝から通常医勤務が普通である。加えて訴訟の比率が最も多い科である。ではせめて報酬がいいかというと他科と変わらない。これでは新しく産婦人科を選ぼうとする医学生がいるはずがない。
最近も激務によるストレスの所為か脳出血や脳梗塞になった産婦人科医を何人か知っている。一生懸命頑張ってきた結果がこれでは浮かばれない。今必要な解決法はお産の費用を適正にすることである。適正ということは今より高くすることである。先進国の中で日本の分娩にかかわる費用はは安すぎる。いまどきホテルに3食付で1週間も泊まればいくらかかるだろう。お産はそれに加えていつ生まれてもいいように24時間待機して分娩に全責任をもち、生まれた後は母親と新生児の両方のケアをしてせいぜい40万円である。アメリカでは1日入院で100万円だそうでこれなら医師も3交代せめて2交代でできるし、麻酔科の医師と小児科の医師も立ち会って安全なお産ができるだろう。安全のためのコストを確保できるだろう。お産の数も今の半分以下にしてもやっていけるだろう。それでやっと他科の平均的な医師と同じ生活ができるようになるのである。今のままでは本当に産科はなくなってしまうかもしれない。

医師は神になれるのか?

平成18年3月28日(火)
すっかり暖かくなり今週末は桜が咲く。私にとって桜と春は同義語である。桜が咲いたら春が来たと実感できる。ちなみに桜の語源は「咲く」という動詞に名詞化する接尾語「ら」がつけられて「さくら」となったそうである。
このところ末期のがん患者の呼吸器をはずした医師のことが話題になっている。考えさせられることの多い事件である。回復する見込みがなく呼吸器をはずせば確実に死んでしまう状態の患者さんに対して家族から何とかして欲しいと要求があったらどうするかということである。
この命題は今回のケースとはやや異なっているかもしれないが、このように単純化して考えた場合「医師は神になれるか」ということである。第一に呼吸器その他により本来は亡くなっている人を生かすことは正しいのか?第二に生かしている状態が不合理だからといって止めさせられることができるのか?命を永らえさせたいと思うのは医師にとって最も必要なことであるが同時に癒そうとすることも同じく大切なことである。たとえ命が短くなったとしても癒しの方が大切なこともあるのではないか。さらに癒しは本人だけでなく周りの人にも必要なことが多い。
今回のケースは、命を永らえさせるよりも癒しの方が大切だと判断したのだと思う。問われるべきはこの判断が正しいのか、そもそも医師がこの判断をしていいのかということである。医師が神になれるかというのはこのことで、この判断ができるのは神だけだろう。実際は「神」は概念であり現実に目の前に二者択一を迫られている状況があった場合、まじめであればそれだけ今回のような選択をすることは十分考えられる。いちばん安易なのはなにもせず様子をみていくことで、家族から要求されようが意味のない延命だと思おうが、呼吸器をはずさず延命処置を続ければいいのだ。
今回の問題は非常に大切なことなので簡単に結論はでないだろうが、じっくり考えて皆が納得できるような指針ができればと思うし作らなければならないだろう。

診療報酬が下げられた

平成18年3月11日(土)
4月から診療報酬がまたも下げられ、改革に名を借りた医療報酬(特に医師)への締め付けが続く。さらに医療ミスということで各地で医療従事者の逮捕の報道が頻繁にみられる。逮捕されても仕方ないケースもあるが、どうみてもいいがかりのような医療者には気の毒なケースもある。昨今ほど医療が批判の対象になったことはないのではなかろうか。我が国の医療水準は世界でもトップクラスで、経済効率からも世界一と評価されているにもかかわらず、なぜかお上とマスコミからは改革をするように責められている。いったい何を改革すればいいのだろうか。どういじってもこれ以上総合的にみてよくなるとは思えない。もちろんこまかい問題はあるだろうが、国民皆保険により平等な負担で受診できて高水準を保った医療が受けられるのは、世界的にみてもすばらしいことであると思うのだが。

福島県立病院の医師が逮捕される

平成18年2月25日(土)
福島県立病院の産婦人科医師が逮捕されたという。前置胎盤に加えて癒着胎盤のために帝王切開の際の胎盤剥離が困難で多量の出血が起こり、輸血を始め子宮摘出などあらゆる手を尽くしたが患者さんが不幸にして亡くなったためである。事例の経過を見ると亡くなられた人は本当にお気の毒だと思うが、医師を責めるの はどう考えても酷である。県立病院といっても陸の孤島の如く辺鄙な場所にあり、しかも産婦人科医師は彼一人だけでその地域のお産を任せられていたそうである。
実は私もかつて高知県の安芸市にある県立病院に同じように一人産婦人科医として赴任し、年間500近くのお産を取り上げていたことがある。今ではこの数のお産を一人で行うことは、特に公的病院ではありえないだろうが、当時は大学から派遣されて泣く泣く頑張っていたのである。その頃の大変さを思い出して身につまされる思いがしたわけだ。県立安芸病院からNICUのある高知市まで1時間以上かかりおまけに当時は小児科がなかった。毎日がストレスのかたまりで、 何が起こってもおかしくないと思っていた。
今回の場合は前置胎盤に加えて癒着胎盤があり出血が止まらなかったようである。輸血の準備もしたうえで帝王切開を行っており、やれることは誠実に行っているようだが不幸な結果になっている。これを責めるなら外科を含めたすべての手術の際に不幸な結果になった場合は逐一その手術をした医師を逮捕しなければならなくなる。青戸病院の例とは全く異なっているのである。
お産には危険なことが必ずあり、どんなに設備の整った病院で腕のいい医師団が慎重に手術しても不幸な結果になることがあるのである。そしてそのことを広く知ってもらわないと、誠実に頑張っている医師は報われないと思う。

なぜケタミンを麻薬指定にするのか

平成18年2月22日(火)
ごく少数、場合によってはたった一人の不心得者のために、まともな多数の人が不利益をこうむることはよくあることである。たとえば池田小学校事件のようなごくまれな思いがけない出来事のために、全国の学校に不審者対策が必要になるような。
我々のことであるが、来年から麻酔薬として30年近く使ってきて安全性も効果もすぐれたケタミンという薬が、来年から「麻薬指定」になることが決まったそうである。なんでも六本木あたりで不良外国人が外国から手に入れた同じ成分の薬や他の違法ドラッグを使って死亡した事件があったので、簡単に使えないようにするためらし い。我々としてはまことに迷惑である。30年間安全に使用してなんら問題なかったのに、麻薬指定となると管理を含め今までのように手軽に使えなくなる。まさにごく少数の不心得者のために多数の人が不利益をこうむる典型例である。さらに言えば、「麻薬指定」にした国側もなんでいまさらなのか理解に苦しむ。事なかれ主義の典型であろう。

産婦人科医だけが減っている

平成17年11月18日(金)
今日の新聞に「全医師数は増加して27万人になったが、産婦人科医だけは過去最低の1万人に減った」との記事が載っていた。現在、産婦人科の医師はすべての医師の26人に1人しかいないのである。産婦人科を希望する医学生は非常に少ないうえに、最近はお産をする産婦人科医師もどんどん減っており、各病院から産婦人科の医師を求める悲鳴が聞こえてくる。このことは先日も書いたが実に深刻である。
当院がいつもお産を紹介していた病院も来年から産婦人科の医師数が半減して補充のあては今のところないという。産婦人科医のなり手がないのは、つまるところ「分娩費が安すぎる」のが最も大きな要因ではないか。米国などでは一日入院のみでお産をして100万円ぐらいとのことであるが日本では1週間入院で新生児のケアも行って40万円前後である。ホテルに泊まっても三食付ならかなりかかるだろうが、それらも含めてのこの値段ではどう考えても安すぎるのではないだろうか。だからたくさんのお産を引き受けないと採算があわないので、欧米の標準の2~3倍のお産を一人の医師が取り上げざるを得ない。必然的に医師は過重労働となり疲弊するが、追い討ちをかけるように少しでも母児に何かあれば訴訟が待っている。産婦人科医が減るのもむべなるかな、である。

医師の品性

平成17年11月15日(火)
来年の4月には診療報酬の減額をはじめさまざまな医療制度の改革が行われることはほぼ確実である。今の小泉首相に逆らえる人、団体はだれもいない。だからたとえそれがどんなに受診者にきびしくても行われると思う。まして医療施行側(医師会など)が何をいっても相手にしてもらえないだろう。そして一旦決まっ たことは変わらなくなってしまう。
実際のところ、むだで意味のない検査や治療はなくするべきだが、必要なことができなくなるのは受診者には不利益である。いったい何が無駄で何が必要なことかは十分議論する必要があるだろうが、要は医師の品性に尽きると思う。つまり、医師の品性がまともであれば患者のためにならないことは減るのではないか。 どんなに完璧な無駄をなくするマニュアルを作っても、抜け道を見つけようと思えばどうにでもなるのだから。

生活習慣病を成人病に

平成17年11月2日(水)
いよいよ11月である。体重を減らそうとする試みはみごとに失敗した。わずか1kg減ったのみだ。これから飲む機会が増えればダイエットはますます困難になることが予想される。
このところ生活習慣病と称してかつて成人病といわれた病気について、いろいろといわれているようだ。生活習慣病というとなにか不摂生をしたために病気になったようで、いまひとつしっくりこない。成人以降になれば必然的に一定の確率でおこる病気に対して、ちゃんとしていれば防げるかのような病名である。病気になったのは不摂生をしたお前のせいだ、というような病名である。不摂生をしなかったらほんとに防げるのかな?と考えるとどうも怪しい。やはり以前のように成人病という方が正しいように思う。

産婦人科の危機

平成17年10月31日(月)
全国的に産婦人科医師のなり手が減っている。特にお産をする医療施設が減り、広島でもすでに数施設がお産をやめてしまった。これは大変な問題である。さらに新しく医師になる若い人たちが産婦人科を選ばなくなっているそうだ。お産をやめてしまった自分が言うのも何だが、24時間待機していてうまくいってあたりまえ、もし何かあったら責任を追及されるという、お産が本質的に持っている危うさを、これから医師になってどの科を専門にしようかという若い人たちが本能的に感じているからではないか。
お産は、新しい生命の誕生にかかわることのできる本当に大切なやりがいのある仕事であるが、年齢とともに夜起こされることが億劫になり次の日の仕事に差し支えるようになると考えてしまうのだ。
現在我が国では毎年8千人ずつ新しい医師が増えていて、どの科の医師数もどんどん増えているそうだが、産婦人科だけ!は医師の数が減っているのだ。このままでは、お産する女性は妊娠したらできるだけ早くお産のできる施設を確保しないと、病院や医院でお産ができなくなるかもしれない。実は一部の地域ではすでにその徴候があるという。

子供が減った

平成17年10月7日(金)
高齢化が進み、医療費が増えていくことが予想されるために、政府はさらに診療報酬を下げる準備を始めたとのこと。確かに医療費の3~4割を75歳以上の高齢者が使い、この年齢の人が増えていくと大変だろう。当院の患者さんの平均年齢は25~30歳ぐらいなので、診療報酬だけ減るという仕組みになっている。 今後は労働人口が減りお年寄りを支えることが難しくなることは、はっきりしているので仕方がないかとは思う。でも、戦後人口が爆発的に増えた世代の端っこで成長してきた私としては、どうしてこんなに子供を生まなくなったのかわからない。理由をつければいろいろあるのだろうが、少なくとも我々が子供の頃に比べれば今は本当に豊かで恵まれている。もっと皆が普通に子供をつくればこんなに人口が減ることはないだろうに。
民族の衰退は人口の減少が指標になるとしたら、確実に日本は衰退の道を歩んでいるのではないか。なにしろ自分の国を守るための武装さえ戦争につながるからだめだ、というような意見が堂々と新聞に載るような国だから。