カテゴリー 意見

名前のこと

平成18年11月11日(土)
来院される患者さんの名前はさまざまで、珍しものやなんと読むのかわからない姓もあって興味深い。うら若き女性の姓にはふさわしくない姓もあるし、字数の 多いものや簡単な一文字だけの姓もある。姓は先祖から受け継がれてきた歴史があるので、それぞれ愛着があると思われるが、難しくて人に読んでもらえないよ うなものは困るだろう。
私についていえば、「木山」という姓は字が単純すぎて名前にやや画数の多い文字を入れないとバランスがわるい。だからわが子に名前をつけるときには字画の やや多い字を選んでバランスをとるようにした。姓は先祖からのものでどうしようもないが、名前はその子だけが一生使うものだから①読みやすく②読み違えの ない③美しい④良い意味を持つ文字をつけてやりたいと思ったものである。
我が国の姓に使われる漢字で一番多いのは「田」で1300万人いるそうである。確かに「田」のつく姓はよく目にするが、わが国の基礎である稲作のための 「田」の文字が使われてきたのはもっともだと思われる。次に多いのは「藤」で700万人、以下「山」「野」「川」「木」「村」「大」「井」などがよく使わ れているようで、やはり我われのルーツは自然=農村であると再認識させられる。

根津医師の勇気

平成18年10月16日(月)
諏訪マタニティークリニックの根津院長が、子宮を摘出して子供が生めなくなった娘の代わりに50歳を過ぎた母親が娘夫婦の受精卵を自分の子宮で育てて出産 したことを明らかにした。色々な意見はあるだろうが、すばらしいことである。根津氏の愛情に満ちた信念の行動にはいつも敬服しているが、今回もまことに理 にかなった問題提起でその勇気には頭が下がる。
根津氏は以前にも患者さんのために必要な医療を行った際、産婦人科学会から除名処分になったが、どう考えても産婦人科学会の裁定に問題があるように思え た。今回の問題提起も、かつて想像もつかないような「代理出産」が現実になったときに、従来の法整備ではだめであり変えなければならないのに、だれも変え ようとしないことが問題なのである。法は人の幸せを助けるためにあるのだから、現実にあわせて変えていかなければならない。すべてはその一点にあり、その 本質を見抜いて起こしている氏の勇気に満腔の賛意を表したい。

健康診断の義務をなくせ!

平成18年10月2日(月)
職場の健康診断で検尿に異常があるので、医療機関でくわしく検査するようにいわれて来院された人が今日もいた。その健康診断が行われたのはじつに1ヶ月!前で、本人は自覚症状はなにもないという。調べたところ尿も正常で何も問題ない。
こういうケースは実に多く、たとえ軽い膀胱炎でも自然に治ることもあれば、悪化することもある。前者なら放置しておけばよいし後者ならすぐに抗生物質を処 方しないと腎盂炎になりかねない。健康診断の結果が本人に知らされるのはおよそ1ヶ月くらい後だろうから、急性の病気には意味がなく、治っているものには 更に意味がない。時間とお金のむだである。
そもそも健康診断(人間ドックを含めて)に意味があると思われたのは学校や職場での結核を防ぐという意味においてであり、現在のような健康診断が意味があ るという証拠はいまだにないのである。厚労省は健康診断には血圧の測定ぐらいしか意味がなく、健康の増進および病気の悪化を防ぐ証拠はないとの報告書を出 したというのに、いまだに職場の健康診断が法律で義務付けられているのはどういうことだろうか。全国で行われているこれらの健康診断に要する費用を介護に まわしたら、介護の内容がどれだけよくなることだろう。早く気付いてほしいものである。

本末転倒の内診問題

平成18年9月12日(火)
看護協会が「内診は助産師に限ることを徹底する」との声明を出したとのことである。なぜそんなにかたくななのだろうか。看護職は医師の介助をするのではな く、看護計画に基づいた正しい看護をするのが仕事だというのだろうか、それなら看護師による血圧測定も採血もICUのモニターもできないことになる。
「内診」は特別なことではない。きちんと指導すればだれでも所見がとれる行為である。所見の判断は医師が責任を持ってすればよいのである。さらに現在の助産師の数では日本中のお産をカバーすることができないこともわかっているのに。なんのために医療を目指したのか考えてほしい。患者さんを良くしてあげた い、そのために医師も看護師も技師も薬剤師も協力し合っていくのではないのか。
看護職を専門化していってもミニドクターが増えるだけで、患者さんのそばにいて励ましたり話を聞いたり便の世話をするという最も大切なことを担う人がいな くなる。患者さんが本当に癒されるのは看護師のこれらの行為である。医療者はそれぞれの役割分担のなかでできることをやればよいのである。内診を看護師が したからといって医療の質が落ちるわけではない。はじめに戻って「患者さんのためにどうしたら一番いいのだろうか」と常に考えているなら、このようなこと にはなっていないのではないだろうか。

なぜ警察が

平成18年8月26日(土)
一昨日、年間3千件もお産のある横浜の個人病院に警察が捜査に入ったとのニュースがあった。なんでも助産師以外の看護師、準看護師にお産の介助をさせてい たとのことである。お産の直接介助は助産師でなければならないので、もし直接介助させていたのなら改めるべきであるが、内診など経過観察をおこなっただけ なら医師の監督責任のもとであればなんら問題ない。そもそもこの程度の問題で見せしめの如く警察が介入することが信じられないことである。
考えればわかると思うが、人の体に針を刺して行う採血は看護師が行ってよいのに、内診はダメだというのは整合性を欠くことである。今まで何十年と行われて きたことが、数年前に厚労省の一役人(元助産師?)がダメだと言ったことから産婦人科全体を揺るがす問題になってしまったのである。本当に患者さんのこと を考えれば、何が一番よいことかわかりそうなものである。生半可な考えほど恐いものはない。このままではお産をする施設がなくなってしまうだろう。そう なって困るのは国民(妊婦)である。

薬害C型肝炎

平成18年6月24日(土)
先日フィブリノーゲンによるC型肝炎の判決が出た。被害者救済はなによりも迅速に行わなければならないが、血液製剤による感染の問題は将来も起こり得ると思う。
エイズにしてもC型肝炎にしてもウイルスの存在そのものがわからない時期があった。その後それらのウイルスの存在と血液を介して感染することがわかったと きには遅かったのである。厚労省や製薬会社の対応が遅かったのは問題であるが、どんなに早く対応しても100%は防げなかっただろう。むろんエイズウイル スの感染をひきおこした非加熱製剤の問題は決して許されるべきでなく、慾と金のからんだ犯罪と同等であるがそうではなく誠心誠意治療していて知らずに感染 させていることがあるかもしれないのえある。たとえば私が小学生の頃はツベルクリンテストで一本の注射器を何人もの生徒に使いまわしていた。確率は低くて もウイルスの感染が起こっていたかもしれないが、当時はその可能性を考えたこともなかっただろう。
今我々ができることは、歴史に耐えていない薬や血液製剤を使うときはその製剤について常に新しい情報を取り入れ、絶対必要でないかぎり軽々しく使わないようにすることである。

アンケート(仕事と育児)

平成18年6月19日(月)
ここ数日は夏を思わせるような日差しである。梅雨明け宣言が出てもいいような天気が続いている。今年は季節の変わり目が短いように感じる。
最近、出身の医局から産婦人科の女性医師が増えているが仕事と育児の両立についてどう思うかとのアンケートを求める書簡が来た。男性医師に対して行われた もので、夫婦の間で育児をどのように分担しているか、家事その他はどうか、お産で夜呼ばれた場合どうするのか、などていねいな調査である。この問題は医師 に限らず全世界の女性にかかわる問題であり、育児の負担をいかに仕事に及ばないようにするかということである。基本的には子供が乳幼児のときは母親がより 必要だし、思春期以降の男の子には独立心をうながす意味でも父親の存在はより大切だろう。かつて一般的だった祖父母、両親、子供が同居していた時代には、 昼間はおばあちゃんが孫の面倒をみてその間母親は農業などで働き夜になると育児をした。おそらくこれがいちばん自然で無理のない方法だと思うが、今の核家 族では難しいだろう。なかなかうまい方法がないというのが現実ではなかろうか。

W杯は代理戦争

平成18年6月10日(土)
W杯が始まった。こういった世界の大会の時になるといつも日本と他の国の違いを感じてしまう。
オリンピックにしても「参加することに意義がある」などの言葉を半分以上まじめに考えているのは日本ぐらいなものではないだろうか。そもそもオリンピック が、国家間の争いがあまりにも多いので少しでも緩和させようとして創られたいわば国家間のガス抜きであることは常識である。だからお祭り的な要素は大きい が同時に国家間の代理戦争の面があるのも否めない。かつてのソ連をはじめ東欧諸国はメダルを多く取るために国家を挙げてあらゆることをした。代理戦争の面 があるのだから勝たねばならないから当然のことである。今でも世界の国々や選手はそういう意識で戦っているのではないだろうか。ドーピングチェックがあれ ほどきびしいのもそれだけどんなことをしても勝とうとする選手、コーチが多いということである。
わが国ではおそらく親睦第一でメダルがとれたらうれしいが頑張ったんだからいいぐらいの意識ではないだろうか。W杯にしても他国の応援のすごさはまさに代理戦争であることを感じさせる。「和をもって貴しとなす」わが国としてはどうしても代理戦争であると意識できないのは当然である。

病気になった時に

平成18年6月7日(水)
人は病気になったとき、それが悪いものや治りにくい場合は特に、いい医師に見てもらいたいと思うのは当然である。たとえ信頼している医師からその病気につ いてのエキスパートを紹介されてもその医師の腕は本当にいいのか、人柄はどうか、自分のことをきちんと診てくれて過不足のない最良の治療をしてくれるのか など、不安はつきない。さらにその病気の予後はどうなのか、一般的には5年生存率は○○%というが自分についてはどうなのか、手術をすることになったら失 敗しないだろうかなど、不安は雲のように広がる。
私自身も以前手術を受けたことがありその時にいろいろ考えることがあったから、その気持ちはよくわかる。でも医師の側から見ると誰に対しても全力で治療をするし、紹介状があるから、付け届けがあったから、知り合いにたのまれたから、などの理由で差をつけることは絶対にない。医師は人の体を診るプロであり、 職人的な要素を持っていて、職人の部分では特に目の前の仕事は絶対に手を抜かずに全力でいい仕事をしようとする性(さが)があるので、相手がたとえ犯罪者であったとしても同じように手を尽くしてしまうのである。私の知る限り、まともな医師は全員そうだと思う。
ところが、日頃からそう思っている自分がいざ手術される立場になると、前記のような不安を感じるのであるから普通の人が不安を抱くのは当然のことだろう。だからこそ強調しておきたい、まともな医師は情実で差をつけないしつけられるはずもないことを。

メーデーに思う

平成18年5月1日(月)
今日はメーデーなので、診察室の窓をほんの少し開けると、風に乗ってスピーカーからの演説の声が聞こえてきた。
元来、共産主義、社会主義は資本家や独裁者にしいたげられた人々への平等な富の分配のために考えられた思想であった。主にインテリ層が中心となって信奉してきた。問題は、この思想が一個人の頭脳から興ったものであり、自然発生ではなかったことである。人間観察、人間理解が足りなかったというしかないが、世界中でその思想は破綻した。わずかに残っているその世界は、一党独裁で人々を武力で抑えることによって存続しているにすぎない。人々を幸せにするために考えられた思想が、その思想に反対する多数の人々を粛清しなければならないとはなんと不幸なことであろうか。それこそが、その思想の致命的な欠陥というべきであろう。さらに、粛清して権力を得た人もいつのまにか私利私欲に走るようになる。歴史を見れば必ずそうなっている。だからそういうこともすべて織り込ん でどういう社会にしていくのかまで考えて作らないと、結局世の中を不幸にする。社会制度は一朝一夕にできるものではないし、それぞれの民族の歴史の延長に あるものだからだれかがどうかしたからといって変えられるものではない。
ありがたいことに我が国には共産主義も、独裁主義も根付かなかった。元来、合議によって政治が行われてきた世界でもまれな安全でレベルの高い国だったので、すんなりと議会制民主主義が根付いたのである。もちろん欧米のそれとは少し異なり日本風にアレンジしてあるが。じつにすばらしいことである。