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受診者にも問題あり

平成19年10月31日(水)
救急でのお産の患者さんの受け入れ病院たらいまわしが問題になっている。
報道によれば救急で受け入れを5回以上断られた妊婦さんが増えているというが、実際のところは1回だけ断られたケースは増えていない。問題にすべきなのはなぜ5回以上断られたのかである。妊婦さんの救急でいちばん大切な情報は妊娠週数である。もし妊娠週数が若くまだ10ヶ月になっていないのなら未熟児医療のできる施設(NICU)でないと新生児に対処できない。だから、妊娠週数さえはっきりしていれば受け入れる病院はもっと増えるだろう。
報道のケースは妊娠7ヶ月になっていたのに一度も産婦人科を受診していない。真夜中に市街地で遊んでいて異常がおきたため、男友達が119番に電話したのが午前2時44分で、救急車が到着したのはわずか8分後の2時52分だそうである。これはすばらしいことである。そして妊娠週数がわかっていればもっと早く受け入れ病院を探すことができたと思われる。そこのところをきちんと報道しないと有効な対策はたてられないと思う。

地球温暖化

平成19年10月18日(木)
秋も深まってきて朝夕に肌寒さを感じるようになった。今年はいつまでも暑く、いつになったら涼しくなるのかと思っていたが、あっという間の季節の変化である。地球温暖化が進み、北極圏の氷も大幅に解けているというが、いったいどうなっていくのだろうか。
地球全体でみると温暖化の時代には恐竜が繁殖し、第四期氷河期の後で人類が誕生して地上にはびこって現在に至っているそうだが、今後どうなるかは気候次第というところである。地球温暖化を防ぐ努力をしよう!とかオゾン層の破壊をくい止めよう!とか世界中で運動が起こっているが、自然の変化の前では何をしてもどうしようもないと思われる。
わが国では昔から怖いものとして「地震、雷、火事、親父」という言葉があるが、初めの二つは自然現象であり、三つ目も一旦起きてしまえばどうしようもないこと、最後のは理不尽なことの代表というほどの意味だろう。自然現象こそ理不尽の塊である。だから人間がいかに智恵をふるって立ち向かってもむだであるという先人の思想である。じたばたせず、なるようにしかならないと思うほかはないようである。

広島の不思議

平成19年9月8日(土)
広島に住んで16年になるが、どうしてもわからないことが三つある。
一つは広島空港が本郷に移ったことである。ビジネスも含め、最も必要とするのは広島市内の人である。空港が狭いのなら沖へ伸ばせばはるかに少ない費用でできるし、広島の発展のためになったはずだ。本郷に空港ができたとき、週刊新潮に「天下の奇港」という揶揄した記事が載り、心底そう思ったことである。発展する都市は近くに空港を持っている。神戸などはわざわざ新しく海上に造ったのに、広島はせっかくあったものをなにを血迷ったのか山奥へ移転してしまった。本当に広島のことを考える人間なら絶対に湧いてこない発想である。
二つ目は広島大学を東広島に移転させ、跡地利用に困ってなんと!マンションが建つということである。今までの場所が手狭なら、建物を高くすればよいしそのほうがはるかに安くできたのに。その都市を代表するような大学は少なくとも中心都市にあったほうがいいのは常識である。
三つ目は現在進行していることだが、広島市民球場の移転である。われわれ素人には移転する理由がわからない。ヤード跡地を利用するためというが、今の場所で補強して使うことも可能という専門家の意見もある。これもまず初めに移転ありきということか。球場の移転はまだご愛嬌という部分もあるが、前の二つは将来にわたって広島のためにならないと思うのである。

議員の人相

平成19年8月28日(火)
昔から手相、人相などの占いを信用していなかった。でも、いつの頃からか手相はともかく、人相はその人物を表していると思うようになった。特に人は中年以降になるとそれまでの生きてきた内容が顔に表れてくる。だからどんなに取り繕っても、しばらく話をするとその人となりがわかってしまう。さらにいえば、直接話をしなくても表情や話し方からでもある程度のことはわかると思う。
今回の参議院選挙で当選した議員の中には、どうみても国会議員にふさわしいとは思えない人もいた。もちろん会ったことも話したこともないけれど、マスコミに露出することの多い人なのでテレビに映る人相からそう感じたわけである。多分多くの人もそう感じたと思うが、選挙では知名度が高ければそれだけで当選するという民主主義(自由選挙)の最大の欠点があらわになったということである。民主主義はともすれば衆愚政治に陥りやすいが、独裁政治よりはましである。多少間違った選択をしても、時が解決してくれることだろう。

横綱朝青龍に見る文化の違い

平成19年8月6日(月)
産経新聞に石原慎太郎氏が「日本よ!」と題したエッセイを月一回載せているが、その中で今回の横綱朝青龍の仮病ーサッカー問題を、外国との文明の衝突であると書いていたが、まことにその通りであると思う。
相撲は日本の国技であり地位が上がれば上がるほど「品格」が求められるという日本古来の伝統がある。対して横綱の故国では別の伝統的基準があり、その基準ではおそらく今回のことは問題ないのだと思う。だから故国でのインタビュウーでは、その国の人々は今回の横綱に対する相撲協会の処分に強い非難のメッセージを寄せたのは当然だろう。国技に外国人を入れた時から、このような問題が起こるのは避けられないことが予見できたと思うが、相撲人気の衰えや新弟子不足から協会も背に腹は代えられずに外国人力士を入れたのだろう。
たとえ日本人であっても、日本独自の伝統的な考えからはみだす行動をとれば袋叩きに逢い、それに従わない限り抹殺される。まして外国人であれば初めは黙って見ていても、日本人の考えの基準にそぐわない行動が目に余るようになれば排除されるだろう。そしてこれらのことをだれもおかしいと思わず、当然であると心から考えるのは、それだけわが国の伝統的考え方が強固であることを証明しているのである。

健診大国日本!

平成19年7月10日(火)
日本は定期健康診断大国で、職場健診は5千万人、住民健診は1千万人、人間ドックも2百万人以上の人が毎年健診を受けている。問題なのは定期健診を受けていても健康になったり寿命が延びるデータ的根拠がないことである。定期健診が有効かどうか確かめるためにはくじ引き試験が必要だが、残念ながら日本では行っていない。そこで、他国の試験を参考にしたらどうなるだろうか。
米国で1万人以上の35~54歳の男女を集め、無作為に二つのグループに分け、一方は日本の人間ドックとほぼ同じ健診を毎年受けるようにし、他方は何もせず放置したところ、7年間の両者の死亡数に統計的有意差はなかった。英国でも7千人規模で同様の試験を9年間行ったが、健診群と放置群の死亡数に差がなかった。その結果、健康診断には有効性がないと結論され、英国では日本のような定期健診は行われていない。
さらに、ライフスタイルを改善すると長生きできるのかというくじ引き試験がフィンランドで行われた。40~55歳の会社の管理職の男性で、みたところ健康だがコレステロール値が高いとか血圧がやや高いとかタバコを吸うとか何らかの問題のある1200人を選び、くじを引いて2つのグループに分け一方は何もせず放置するが、他方は医者がライフスタイルに介入した。介入グループには4ヶ月ごとに医者が面談し、食事指導、運動量を増やすためのプログラムをわたす、禁煙の指導をする、必要あれば降圧剤などの薬を出すなど、5年間にわたってフォローし、さらに10年間両グループの生死を調査した。その結果、心臓死は介入群の方が多く、がん死は介入群が少なく、総死亡数では統計的有意差はないものの介入群!の方が多かった。
これらの結果をみると、医師は健診などは極力ひかえ、症状のある人の治療に全力をあげるべきである。医師の本来の役目は病んでいる人を癒すことである。病む前に見つけた方がよいのではないかという予測で始まった健診が、実は意味がないことが次第に明らかになってきた以上、その事実を広く知らせて健診などにまわす人手があるのなら今病気で苦しんでいる人に集中する方がいい。行政や企業も健診に出すお金を介護に回せば今よりもはるかに人のためになるのである。

小学校から和楽器を

平成19年7月6日(金)
尺八を始めるまでは、この伝統芸能にいろいろな流派がありその流派がまた細かく分かれているなどとはつゆ思わなかった。細かく分かれているわりには全体の人数は少なく、それでは発展のためには不利だと思うのだがそうなる理由があるのだろう。
尺八自体はすばらしい楽器であり歴史を経た芸能であるのにどういうわけか人気がない。西洋楽器と比べると手軽でないことと、音が出しにくいことがあるが、なんといっても明治の初めに教育音楽から和楽器・和楽(民謡を含む)をなくして、西洋音楽を取り入れたために親しみがないことが大きいだろう。かくいう私も和楽のよさがわかったのは最近のことで、小さい頃から西洋音楽一辺倒だったから和楽のどこがいいのだろうと思う気持ちはよくわかる。小さい頃から親しんでないととわからないのは当然で、やはり初等教育に取り入れるべきだと思う。

稲作の大切さ

平成19年6月26日(火)
先日、久しぶりに実家に帰ってみたら、家の周囲の田には水が湛えられ整然と稲の苗が植えられていて、昔からなじんだ風景が広がっていていいものだった。
多くの食物を輸入にたよっている我が国で、自給できる農作物といえばなんといっても米である。世界中で主食となっている穀物は、小麦、米、とうもろこし、いも、などがあるが、総合的に見て米が一番だと思う。稲は高温多湿の日本に適した植物であり、稲作を通じてわが国特有の共同体が確立してきたのである。問題は米の値段が安すぎて、米を作ってもほとんど利益がないことである。加えて田舎には農業を継承する若者が少なく、稲作をすることが難しくなっている。だからといって手入れをせず田を放置すると、雑草などのため周囲の田に迷惑がかかる。稲作がなくなることはないだろうが、かなり難しい状況になっているようである。

サッカーくじのテラ銭

平成19年5月21日(月)
サッカーくじで1等5億数千万円が7本出たそうである。当選した人はまことにめでたいが、お金の流れを聞くといまさらながら腹立たしい。
サッカーくじも自治体等が行う宝くじと同じで、売上金の半分はスポーツ振興などの名目でお上がとりあげてしまい、還付金は半分しかない。どこの世界に買った時点で半額になるギャンブルがあるというのか。競馬でも7割5分が還付されるというのに。主催者にとってはこんな割のいい集金システムはないだろう。なにしろ半分しか返ってこないのに皆喜んでお金を払うのだから。もっとこのからくりを広く知らしめて、せめて競馬並みに7割5分は還付するように要求しないと、庶民は搾取されるばかりである。くじの経費は競馬や競輪と比べればほとんどただみたいなものだから9割返しても大儲けである。庶民が黙っていることをいいことにしてこの不公平なくじを平然と続けていることには断固反対すべきである。

フレンチパラドックス

平成19年4月14日(土)
フランス人は食いしん坊が多く、他の先進国と比べて破格に多くの塩分と脂肪、アルコールを摂取しているにもかかわらず成人病の罹患率が低いそうである。しかも喫煙率も高いという。従来の考え方からいえば通説と反対のために、世界中の学者が説明に苦慮して「フレンチパラドックス」という言葉が生まれ、赤ワインが健康に良いという説もここから出たそうである。
確かに「健康」という概念からは、美味しいものもアルコールも刺激的な生活も排除されるべきものであろう。でもそうなれば生きているだけということになって、なんのテイストもない人生ということになってしまう。「健康」という概念と、実際の健康とは別のものである。やはり美味しいものを食べ、面白いこと、楽しいことをしたほうがいいに決まっている。健康はすばらしいことだが「健康」という概念からは離れた方がいい。