平成20年8月18日(月)
お盆休みが終わり今日から診療開始である。休みの間はちょうどオリンピックと重なったので、ビールを飲みながらのテレビ観戦はなによりの娯楽となった。スポーツは勝ち負けがわかりやすいので、観ていて面白い。ただし、判定などで決まる競技はかえってストレスが溜まることがある。やはり基本は早く泳いだり走ったり、飛んだり投げたり、誰にでも結果がわかるものがいい。
でも若くして頂点を極めてしまったら、後の生き方が結構大変だろうと思う。オリンピックで勝つこと以上の達成感を得られることは、その後の人生でそう簡単に見つけられるとも思えない。地道に一生掛けてやることを見つけてそれを実行していくことはすばらしいことではあるが、栄光を一旦味わってしまうと気持ちを切り替えるのは大変なことだろうと思う。
スポーツの世界でそのまま生きていく人もいれば、まったく別の世界で一生懸命頑張って、一定の地位を得る人もいる。オリンピックとは異なるけれど、かつて「帰ってきたヨッパライ」で一世を風靡したフォーク・クルセダーズの北山修氏は、グループ解散後は医師になり現在九州大学の精神神経科の教授である。これがどんなに難しく稀なことか想像できるだけに、北山氏は実にカッコいいと思う。才能ととらわれない精神、地道な努力の賜物であろうか。
カテゴリー 意見
お盆休み明け
岡田正彦著「がん検診の大罪」
平成20年7月30日(水)
新潟大学医学部教授の岡田正彦氏による「がん検診の大罪」という著書がある。この中で氏は、がん、高血圧、糖尿病など死因の最も多い病気について、正しい統計的手法を用いて、現在行われている検診、治療がほとんど無意味であると提言している。
内容は正確で反論のしようがなく、逆にそれらの検診や治療を勧める側に分がないと思われる。これらのことは以前より慶応大学放射線科講師の近藤誠氏が縷々述べていることと一致しており、まじめに医療に取り組んでいる医師たちの中にも賛同者は増えていると感じられる。斯く言う私もその一人である。
医師の仕事は患者さんを癒すことであり、わずかに寿命が延びたとしても、それが耐え難い苦痛の末に得られるものであれば、すべてを患者さんに話して治療を受けるかどうか自分で選んでもらうべきものであろう。少なくとも自分について言えば、検診は受けたくないし、むだな治療もしたくない。
根拠のないメタボ健診についても言及しており、どうしてこんな無意味な、医療機関だけが利するようなことをするのか理解しかねる。間違いがないのは、医者にかかるのは体の調子が悪い時だけにして、薬もできるだけ使わないようにすることである。
国内産うなぎ?
平成20年7月25日(金)
昨日は土用の丑の日。例年なら暑い夏を乗り切るために、うなぎを食べることになるが、今年はその気になれない。
新聞によれば、国内産うなぎとして全国で昨年1年間に売られたうなぎの総トン数は、業者が申告した国内産うなぎの総トン数の倍近い量だという。つまり、「国内産うなぎ」と称して売られたうなぎの半数は中国その他からの輸入品なのだ。
「国内産」を名乗るには次のような取り決めがある。つまり、外国から輸入したうなぎでも、外国で育った日数以上に国内で育てられれば「国内産」を標榜できるのである。この取り決めすら守らない業者が多いのである。
「国内産」なら高く売れるから偽装するのだろうが、我々消費者が求めているのは、安全で質のよいものである。決して「国内産」にこだわっているわけではない。最近の中国産の食材に大いに問題があるのは報道でも明らかであり、中国の業者に質のいいものを提供してくれる誠実さがあるなら「中国産」のほうがより求められるだろうに。
研修医制度の功罪
平成20年7月11日(金)
新聞によれば、小児科の研修医が大都市に集中し、地方には一人もいない県もあるという。現在の研修医制度が、厚労省の主導でできたときからこうなるのはあたりまえだと思っていた。
研修医は早く一人前の医師になりたい気持ちが強いので、最も勉強するし修練を積みたいと思っており、そのための最適の施設のある大都市の病院に集中するのは当然であろう。一体だれが、僻地の設備の少ない、充実していない施設を希望するだろうか。
今の研修制度ができるまでは、研修医の大多数は大学病院の自分の目指す科に入局してキャリアを積んでいた。歴史ある大学はいずれも研修制度が充実しており、何年間かかけてその人物に適した研修を行う。その大学が責任を持って派遣する病院が、大都市から地方までたくさんあり、それらの施設を過不足なくまわらせることによって、さまざまな経験をつませ、医師としてのバックボーンをつくるようにするのである。
明治以降、わが国に最も合うように長い時間をかけて作り上げられたこの大学医局制度を、厚労省は壊してしまった。小泉改革という名のもとに、アメリカの真似そのものの研修医制度を無理やり作ったのである。今になってあわてて医師を増やすとか、僻地に行くための医師を養成するとか、できもしないことを言っているが、もとの大学医局制度に戻せばいいのである。今ならまだ医局制度を経験した医師が大学にいるし、すぐに以前のようにできるだろう。でも、あと10年もすれば戻すことすらできなくなってしまう。厚労省は今こそ決断してほしい。
今も昔も
平成20年2月27日(水)
かつては「お国のため」に、個人の権利よりも国益が重視され、成人男子には徴兵制があり兵役は義務であった。国益の前には個人の権利は矮小化され正しい意見も通らないことが往々にしてあったという。戦争になってからは、マスコミは戦意高揚記事を書き続け、「平和」を唱える人は「非国民」として袋叩きにあった。袋叩きにする急先鋒はマスコミであった。
戦後は一変して、国益よりも個人の権利を尊重する風潮ができて、徴兵制もなくなった。そして「平和」を唱えなければこれまた非難されることになった。これも戦前と同じでマスコミ主導である。言っている事はちょうど裏返しで、構造は同じである。いずれにしても本当のことを言うと袋叩きに合うのである。
徴兵制がいいとは言わないが、日本がここまで骨抜きになったのは戦勝国であるアメリカによって二度と日本が逆らわないように教育された結果である。アラブなどはいくらやられても最後まで抵抗しているが、わが国はアメリカを旦那様ではなく友人だと錯覚している節がありいまだに忠犬ハチ公をして世界中から(米国からも)バカにされている。自国民を守る気概のない国は、国としての体をなしてないと思う。今の状態がおかしいと考えないのは、アメリカ主導の戦後教育の結果とマック制のもとに温存され優秀な宣撫班となったマスコミの所為なのだろうか。
モラルなき大国
平成20年2月2日(土)
中国で作った餃子による農薬中毒が話題になっている。
以前からモラルの点で問題があると思っていたが、ことは食にまつわることで重大である。最近では輸入うなぎに大量の抗生物質が含まれていたという。米国では中国製の玩具に、禁止されている鉛が使われていて回収されたという。また、中国で製造された医薬品のRU486に、含まれていてはいけない白血病薬が含まれていて、健康被害があったとか。
これらはすべてモラルの問題である。製造業者は、安全な製品を誠実に作らなければならない。少々インチキをしてもわからなければいいだろうとか、売れれば後は知らないでは信用がなくなる。そういえば、昨年はわが国にもミートホープをはじめ色々な事件があったが、同根だろう。わが国の方がはるかに少ないとはいえ、情けないことである。
どんなに経済が発展しても武力があっても、モラルがなければいずれ滅びるのは歴史が証明している。彼の国のモラルの低さを見るにつけ、わが国もいっそう襟を正さなければならないと思う。人の振り見て我が振り直せ。
産科医の危機
平成20年1月21日(月)
東京都は公立病院の産科のドクターの給料を年間300万円上げることにしたそうである。今のままではだれも産科医にならず、安全にお産ができなくなることに危機感を持ったためである。まことに泥縄政策で、今からではもう遅すぎるのではなかろうか。
私の場合は、10年前開業するにあたってお産をしないことを選択したのは、20年以上前からまさに現在の産科医のおかれた状況を体で受けとめていて、10年前にはこのまま産科医を続けると遠からぬうちに体をこわすだろうと本能的に感じたことが大きい。
私は大学の医局から、30歳の時に年間480のお産のある僻地の公立病院に赴任を命ぜられた。産婦人科の医師は私一人だけである。しかも小児科はなかった。一番近い県立病院は車で1時間の距離にある。赴任した最初の日曜日に、陣痛で入院していた患者さんの胎児の心拍数が下がってきたため、緊急帝王切開を行った。何しろまだ院内の状況がよくわからないため、自分で麻酔をかけ、たまたま病院に居合わせた耳鼻科のドクターに立ち会ってもらって赤ちゃんを取り上げた。幸い赤ちゃんは無事で事なきを得たが、羊水はかなり混濁しておりもう少しタイミングが遅かったらと思うとぞっとしたものである。
初めからストレスフルな状態であったが、夜は遠慮なく起こされ、昼は忙しくよく体がもったと思う。年間480のお産がある病院の産婦人科医師の数は、今なら4人が適正だといわれている。それをたった一人でよくやったものだと思う。当時は現在のように、うまくいかなかったらすぐ結果責任を追及される時代ではなかったからよかった。だからのびのびと自分の信じる医療ができた。そしてその方が、結果的に患者さんのためになったのである。
スキル習得には1万時間
平成19年11月27日(火)
プロといわれるようなスキルを身につけるためには、それに1万時間かけることがひとつの目安だそうだ。確かにどんなことでもそれぐらい時間をかければ一人前になれるだろう。逆にいえばそれぐらい時間をかけてやっと一人前になれる最低条件が満たされたということである。
昔から区切りの期間として3年、10年という単位がよく使われている。1日10時間そのことにたずさわるとして1年330日で3千3百時間、3年で1万時間になる。「石の上にも三年」というが、なるほどぴったりである。3年も修業すればある程度の目安ができて、そこからさらに続けるかどうか決めることができるのである。そして、10年修業すれば熟練しているといえるだろう。芸術系の場合は才能の有無が大きいからいちがいにはいえないが、それでも1万時間かければ形にはなると思う。さて自分にとっての尺八の演奏はどうなのだろうか。
混合診療の是非
平成19年11月9日(金)
混合診療は違法だとの厚労省の判断に対して違法ではないという司法の判断がでた。
混合診療禁止というのは、保険診療しているときに健康保険で認められていない検査や薬を使ったら、それまで行ってきた診療の費用がすべて保険外になり全額負担しなければならない、という従来の厚労省の解釈である。今回訴えた男性は、がんの治療のため保険診療に加えてほんの少しだけ保険外の薬を使ったために、すべてを自己負担とされてしまった。そこで弁護士に相談したところ国に勝てるはずがないと断られ、自分だけで書類を作成して訴えて勝訴したものである。これはすばらしいことだ。
国民皆保険制度は世界に誇れる制度で、わが国の医療がWHOで世界一と評価される大きな要因である。だからルールは必要であり厚労省と医師会の混合診療禁止の考えはわかるが、制度を守ろうとするあまり硬直化してはダメである。国民の健康を守るための制度が、逆に国民に過度の負担を与えてどうするのか。ものごとはシンプルに考えればよい。その人の健康を守るためにいちばん良いことは何かと考えて、もし混合診療が必要ならそうすればいい。そして、それを悪用する者に対してはきびしく対処すればいいのである。
どんなに完璧な制度を作っても、制度を悪用するの者はかならずあらわれる。今の制度でも、保険上認められているからとの理由で、必要以上の検査や投薬をしているケースもあるのだ。
根津医師のヒューマニズム
平成19年11月5日(月)
諏訪マタニティークリニックの根津八紘医師は、病気などで子宮を失った女性の借り腹出産の手助けをしたと公表した。それに対して、産婦人科学会と弁護士会から非難の決議が出された。その理由は生まれてくる子供の福祉に責任が持てないことと、替わりに産む女性の健康不安があるからだという。
笑止の沙汰である。
医師の使命は目の前の苦しんでいる人を癒すことである。病気などで子宮を失ったが本人の卵子はあり、替わりに出産してもいいという女性がいて医学的にその技術があるなら、いったい誰がその希望を止められるというのか。今も生まれている子供たちすべての福祉を保証できる人などいないし、妊婦さんが100%安全などとだれも保証できないけれど、日々出産は行われている。医療はなべて個人的なことであり、犯罪でない限り納得しあって良識に基づいて行うべきである。当事者でもないのにえらそうに非難の決議を出すべきではない。その点、根津医師の真のヒューマニズムに裏打ちされた勇気ある行動には、心から敬意を表するし、こういう人がいるということはまだまだ人間も捨てたものではないという意を強くする。
無論、産まないという選択をするのも自由であるが、産みたいと思う人の希望を妨げるべきでない。もし、その過程でなんらかの不備がおこったらその時点で検討すればよいのである。親子関係にしてもDNAによる親子鑑定ができる世の中になったのだから、法律もそれに合わせて変えるべきでいつまでも過去の判例にしがみついてはいけない。司法の目的は人々の幸福のためではなかったのか。