令和8男2月6日
いよいよ緊急避妊薬が薬局で販売されるようになった。いいことなのだろうが問題は一杯ある。
まず、我が国で売られているノルレボは避妊効果はそれほど強くなく、排卵前に飲むことで排卵を遅らせるか、少し抑制することによって避妊できるか、というものである。射精した精子は1時間もあれば卵管に到達している。その後5日間くらいは受精能力がある。緊急避妊ピルを飲む前に排卵していたら受精している可能性があり、その後で飲んでも意味がない。
排卵しているかどうかは婦人科できちんと確認しなければわからない。受診時に排卵が済んでいれば飲む意味がないのである。薬局での値段が1錠7,480円だという。薬局では排卵の有無はわからないので結局は全員が飲むことになる。無駄な内服が増えると思われる。
欧米では緊急避妊薬はUPAが第一選択になっている。この薬はプロゲステロンの受容体に作用するので受精したばかりでも効果がある。ただし、胎毒性があるので妊娠がはっきりしている場合は使えない。この薬なら薬局で出しても有効だと思うが、全員に妊娠検査薬を使って妊娠していないことの確認が必要になるだろう。
全てを考案すれば、やはりきちんと診察できる婦人科で求めるほうがよいと思う。
カテゴリー news
緊急避妊薬がOTC化された
中絶について
令和8年1月30日
最近、患者さんから「先生の所は人工妊娠中絶の値段が一番安いですね」といわれる。当院では1,998年からおこなっているが、はじめは9万円、その後徐々に上がって現在は10万円でおこなっているが決して安いとは思わない。いままでに数千件を超えているが、毎回緊張して行っている。お産もそうだけれど何が起きるかわからないから常にあらゆることに気を配りながら行うので、気力がなくなったら手術は止めようと思っている。
薬による中絶も日本で解禁されたが、おこなう施設はごくわずかである。いつ痛みが始まって出血がおこり、どれくらいの時間がかかるのかわからないから24時間対処できる施設でないと薬の処方ができないからだ。さらに完全に中絶できず残る場合もあり、その時は中絶術を行わないとダメだから、患者さんには二重に負担がかかることになる。
我々の仕事は、妊娠して子供が欲しい人と、どうしても産めない人の両方をみることで、どちらもその人にとっては真実なのだ。そのことを心して診療する日々である。
同門会
令和8年1月23日
岡山大学医局の広島東部地区現地同門会が教授ご出席のもと、開かれた。現在の在籍数は27名、ほとんどが広島市民病院の医師であるが、現在の最長老はD先生で、なんと「白寿」を迎えられた。ご自分で歩いて出席されて乾杯の音頭を取られた。しかも現在も某病院の名誉院長で出勤されているとか。こんな先輩がおられるとまだまだ自分も頑張らねばと思う。このところテニスもできなくなったし尺八もフルートも吹いていない。毎日気持ちよく過ごしているが、体重を減らしアルコールを控え、もっと体を動かさなければ、と思うがなかなか心底から思わなければできそうにない。それにしても出席された方々はみな元気そうで、日々の生活態度が大切だと思った次第である。
謹賀新年(令和8年)
令和8年1月5日
新年おめでとうございます。
今年の正月休みはカレンダーの関係で8連休になった。こんなに長い休みなら海外にでも行けばいいのだろうが、疲れるだけなので毎日ごろごろしていた。院長室の本の整理をして段ボール箱2箱をブックオフに持っていったら11,100円になった。勢いで自宅の本も整理したらまたもや段ボール箱で3箱の不要な本が出た。それでも愛着のある本は残しておきたいのでぎりぎりの選択である。
元旦には長女一家と長男一家が来て昼から宴会、行きつけの料理屋から取り寄せたおせちとバラ鮨で乾杯、長男の子供の初めてのお泊り、近場の神社にお参りとごく普通の正月風景だった。
今日から普段通りの診療開始である。たくさんの患者さんが来院され、正月休み気分はあっという間になくなって鉢巻を締めなおしているところである。今年もよろしくお願いします。
一年をふり返って
令和7年12月26日
年の瀬も迫ってきて寒さも厳しくなってきた。雪も少し降ってきて年末にふさわしい情景である。
今年を振り返ってみると、診療はいつもと同じで皆さんが少しでも良くなるようにと願ってやってきたが、そのようにできたのではないかと思っている。患者さんにできるだけ負担をかけないように、検査結果などは電話で聞けばいいよ、と言っている。だから電話が多いので受付の人は大変だろうが、患者さんがわざわざ来院することを思えばこれでいいのだ。
新しい知識を取り入れるようにしているが、講演などで「そうだったのか」と思うこともある。年を取ると考え方が固まりやすいので、柔軟に対処しないとダメである。
コロナ感染で重症になって以来、第二の人生だと思っているが、今年もいい年だった。食事はうまいしアルコールもいい。日常生活では、自転車通勤がしんどくなったので今はカミさんに送ってもらうかバス通勤である。非常に楽である。それまでの自転車通勤は何だったのだろうと思うが、一旦楽をするようになったらもう戻れないのだろう。そのようにして老いていくのだと思う。頑張ることはしないけれどおだやかに丁寧に仕事をしていきたいと思う。皆さんに感謝です。来年もよろしく!
「医者が言わないこと」
令和7年12月19日
表題は故・近藤誠氏の著書である。偶然本屋で見つけたので読んでみた。内容は氏が一貫して説いていたことなので、特に目新しいものはなかったが、発行日は2,022年7月5日である。氏が仕事場に出勤途中に心筋梗塞のために亡くなったのは、その年の8月13日である。最後まで氏は医療による患者の不利益を無くすことに身をささげているように思われたが、氏を慕って集まってくる患者のために残された人が、H.P.を更新して患者さんの命を支えるよすがとなっている。
氏と共著も出している和田秀樹医師もほぼ同じスタンスで、多くの出版とネット配信をしている。週刊新潮にコラムを連載している里見清一氏は腫瘍内科医師で、氏のコラムは面白いのでいつも読ませてもらっているが、近藤氏へのスタンスは「初めの頃はよかったが、支持者に祭り上げられて現代医療の否定者になってしまった」「現実との乖離が見られるようになった」と否定的である。
現代の医療を俯瞰すると、がんの治療と老化への治療は本質的に難しいので、ベースの考え方は近藤理論であるが、必要な対処は有効なものは行ったほうがいいと思う。これは永遠の課題なのかもしれない。
伊藤公資料館
令和7年12月12日
休日にドライブをしていたら偶然「伊藤公資料館」の案内板があった。早速行ってみたら旧伊藤博文邸に隣接して資料館があり、駐車場には10台くらい車が停まっていた。広い敷地には明治43年に建てられた邸宅(平成16年大規模な補修工事が行われた)があり、公開されていたので中に入ってみた。和洋折衷の建物で、伊藤公みずから設計したというが、大勢の人を集めて法要を行うこともできる造りであった。
隣の記念館はシアタールームなども備わっていて、コンパクトだけれども内容の濃い展示室があり、充分楽しむことができた。手紙なども展示されていたが、さすがに達筆であったが我々には何が書いてあるのか読めなかった。敷地の裏は小高い丘になっていて伊藤公の銅像があり、わき道を抜けると小さな児童公園が備わっていた。
伊藤公は明治42年ハルピン駅で狙撃され、邸の完成を見ないまま生涯を終えたが、果たした仕事は明治維新に名を遺している。氏のような人物が我々日本人の先祖にいることはありがたいことである。いいものを見させてもらった。
ハイボール
令和7年12月5日
「ハイボール」という言葉を初めて知ったのは小学時代で、白黒テレビの寿屋(現サントリー)トリスのコマーシャルからである。父親はアルコールが全く飲めず家にはビールも日本酒もなかったが、地区の集まりなどで大人たちがうまそうに酒を飲む姿を見て自分も飲んでみたいと思っていた。たまにその機会があった時に酒を口に含んでみたが、ちっともうまくなくて「ワタナベのジュースの素(古い!)」の方が甘くていいと思っていた。
大学時代はビール、ウイスキーの水割り、たまに日本酒を好んだがなにしろ遺伝でアルコールに弱く、少しの量で満足していたがアルコールはうまいと思っていた。焼酎を好んだ頃もあったがこのところウイスキーの炭酸割「ハイボール」がメインになり、ほぼ毎晩飲んでいる。つまみはやや甘めのもので、ちびちび飲(や)りながら貯めていたテレビの番組を観るのは至福の時である。ビールもそうだけれどウイスキーは刺身以外のほとんどのつまみに合うので実にいいのである。3~4年前からこのスタイルであるが、しばらく続きそうだ。
「日本史を暴く」
令和7年11月27日
表題は歴史学者の磯田道史氏が読売新聞に連載した「古今をちこち」をまとめたもので、歴史オタクを自認する氏が新たに見つけた古文書を紹介したり、地震・コロナ騒動などその時々に起きたこともふまえて、かつて同じことが起きた時、人々はどう対処していたかなど記していて、面白く読ませてもらった。
広島に講演に来た時に終了後「お好み焼きでも食べようか」と思って平和公園から本通りの方に歩いていた時に見つけた骨董屋で、店番の奥さんが出してきた古い文書はなんと「浅野内匠頭長矩」の出した年賀状だった。頂いたばかりの講演料で買い求め、赤穂市に問い合わせ本人の筆跡と一致したという。思わぬところで貴重な史料が見つかったのである。
他にも吉良上野介の首を打ち取った四十七士が、墓前で行った儀式の様子が新たに発見された史料から初めて分かった。今後は忠臣蔵のドラマの最後も変わることになるだろう。さらに「孝明天皇の病床記録」の古文書を手に入れた。孝明天皇は1,867年に疱瘡で亡くなられたというが、毒殺説もささやかれていた。もし孝明天皇が生きていれば大政奉還はなかったと言われているためである。史料によると天皇がお召しになった食べ物のすべてと、排泄物すべてが克明に書かれていて、それによれば症状は山を越えて快方に向かう様子が見て取れる。それが突然おかしくなりそのまま崩御された様子が書いてある。これも新たな発見である。
興味深い記述が多く、充分楽しませてもらった。
八天堂でバーベキュー
令和7年5月9日
連休に松本に嫁いでいる次女が子供を連れて帰ってきたので、息子夫婦、長女夫婦とその子供たち全員で広島空港のそばにある八天堂でバーべキューをすることにした。飲みもの以外は全部そろえてくれるので楽であるが、野菜を切ったり肉を焼いたり切り分けたり結構大変である。総勢14人で行ったが予約できたのは午後1時30分だったので、それまで八天堂のパン作りを孫たちに体験させた。自分で焼いたパンを喜んで食べるのを見るのはうれしいものだ。牛肉の塊3個、鶏肉の塊沢山、ソーセージ、野菜色々を焼きながら飲み食いするのは楽しいものだ。孫たちが一堂に会することはめったのないことなので、このような機会の恵まれたのは実に幸運なことだった。
次女たちは2泊して松本に帰っていったが、長女の子供たちも我が家へ来て次女の子供たちと遊んでくれた。まことに仲良きことはいいことだとしみじみ思った。思い出に残るいい連休になった。



