カテゴリー 思い出

夜桜の記憶

平成17年4月4日(月)
桜の季節になった。開花宣言も出て、昨日は雨模様で肌寒かったが桜のつぼみもふくらみかけていたようだ。今週の後半あたりから花見には最適の状態になると思われる。花見といえば思い出すのは、最初の研修病院の姫路で病棟の看護婦さんたちと行った夜桜花見である。とにかく寒かった。当時は酒量も少なかったのでひたすら食べて話をして寒さをこらえていた。その時の印象が強かったためか花見というと寒さを連想してしまう。その後の経験から花見は散り頃に行くのが一番だと思っている。4月の初旬の咲き始めのころはまだ肌寒い日もあるが、桜の散る4月後半は結構暖かくなる。さらに、日本の美学からも桜は散り際こそ最も美しい。花吹雪の舞うなかで杯を傾けるのもおつなものである。もっとも飲んでしまえば桜などどうでもよくなってしまうが。

冷や汗三斗

平成17年2月15日(火)
思い出すと冷や汗三斗のようなことはだれにでもあると思う。たとえばその分野の権威の人に、それと知らずに自分の聞きかじったその分野の知識を披露するような。たとえばその時は何かをしてもらってもあまり感謝の気持ちを感じなかったのが、ずっと後になって人生経験を積んではじめてそのことは思いやりのあるすごいことであったことがわかったこととか。私の場合は結構たくさんあり、たまに思い出すと時間を戻して訂正したくなる。そしてその度に自分はなんてつま らない人間だろうと思うのである。自分がその立場に立たなければわからないことはいっぱいあるが、本能的にそれがわかる人はちゃんとした行いができるのだ。
これからは後悔するようにはしたくないと思っているが、どうせ何年かたってみるとまたしまったと思っているにちがいない。これはセンスの問題であるか。

忘年会シーズン

平成16年11月25日(木)
いよいよ忘年会のシーズンである。忘年会というより、なんだかんだと理由をつけて飲み会をするというのが本音だろうが。スケジュールが埋まっていくのはうれしいのだが、元来アルコールに弱いくせに好きなもので、いかに体をいたわるかが問題である。ポイントは、①毎日は飲まない②量を減らしてゆっくり飲む③つまみはしっかり取る、ぐらいだろうか。困ったことに体重が完全に増えてしまってカロリー制限が必要になったのでつまみをひかえなければならない。中年に なると同じような悩みをかかえたオジさんたちも多いと思うが、忘年会に限らず他国ではどうなっているのだろうか。
スペインではバル(居酒屋)がたくさんありピンチョス(串にさしてつまめる料理、いろんな種類がある)をつまんではビールかワインを一杯飲んで次の店に行き、またその店の自慢の串をつまんで一杯、わいわいしゃべりながらこれをくりかえすという。なるほど飲みすぎず体にも負担が少なそうだ。昔スペインに行っ たときに何軒かバルへ行ったことがあったが、確かにそんな雰囲気だった。夜の12時頃はまだ皆結構飲んでいたようだった。休日などは家族連れでバルへ行き 楽しく食べたり飲んだりするが、その間子供はその辺を走り回っていても皆気にしないそうだ。スペインは全部が家族みたいなものだかららしい。壇一雄がスペ イン、ポルトガルあたりが大好きで何年も滞在したのもわかる気がする。
いずれにせよ飲み過ぎないように注意しようと思う。

天気の話はあいさつのマクラ

平成16年11月15日(月)
朝は雨模様であったが昼にはすっかり晴れていい日和になった。
初めに天気のことをよく書いているような気がしてふりかえってみると、11月だけで今日を含めて3回書いている。なんと5割である。田舎育ちの私は小さい頃、自分の家も含めまわりの家がほぼすべて農家であり、行きかう人たちはいつも「きょうはええ日和じゃのう」とか「寒うなってきたのう」とか、あいさつのはじめにかならず天気の言葉が入るのを聞いていて、天気など見ればわかるだろうにわざわざ言わなくても、と感じていた。農業には天候がごく重要なので天気のことを言うのかと思っていたが、どうもそれだけでもないようである。あいさつはコミュニケーションで大切だが、話題で最もあたりさわりのないのが天気の話である。農家にとっては天気は関心事でありなおかつだれをも傷つけない。天気は毎日変わるのでそれに応じて話題に変化をつけることができる。これほどすばらしい話題があるだろうか。
というわけで天気の書き出しの言い訳をしているが、今後はなるべく減らすようにするつもりである。今日は月曜日にしてはのんびりした日であった。腰痛が少し復活してきたようだ。

休日の患者さんへの対応

平成16年10月12日(火)
休み明けは体がすぐには仕事モードに適応せずいささかしんどい。当院は土曜日も夕方まで開けているので、連休は日曜と祝日が続く時だけである。もっとも最近はこの連休(月曜の振り替え休日をハッピーマンデイというらしい)がちょくちょくあるが。この貴重な連休の時はたまに広島を離れることがある。今回も広島を離れていたのであるが、一人心配な患者さんがいたので、もし何かあればいつでも病院を紹介できるように、紹介状と検査データを持参していた。幸い何もなかったのでほっとしている。
当院は分娩を扱っていないのでいいのだが、もしお産をしていれば広島を離れることは不可能で、そうしたいなら代わりの医師を当直に頼んでからでないとどこにも行けないのである。以前、小豆島の病院に勤務していた時は島から出るのは代わりの医師が来てくれた時だけであった。一度だけ、夕方から高松市で会合があり最終の船に乗り遅れてあせりまくって、島内で開業されている大先輩に何かあったらよろしくと連絡して快諾をいただいたことがあったが、日頃恐れ多くて普通ならそんなことを頼めるなんてできるはずもない大先輩に意を決してお願いしてしまった。あの時は、高松市内に泊まったのだが朝までよく寝られず、朝一番の船で島に帰ったが大いに反省した。
今はこのようなことはないので、精神衛生上おおいによろしい。ありがたいことである。

禁煙

平成16年10月2日(土)
タバコをやめてもう4年を過ぎた。はじめはやめる気は全くなかったのだが、鼻ポリープのため呼吸が苦しくなり止めざるを得なくなったのだ。ある日それまで 吸っていたタバコを「止めた!」と言って捨ててから、一本も吸っていない。家にもクリニックの自室にも、封を切ったマイルドセブンと灰皿、ライターがいつでも吸えるように置いてある。はじめの頃は時々横目で見ていたが、そのうち気にならなくなった。
その後時々、タバコを吸っている夢を見ることがあった。タバコを吸っている自分に気がつき、「しまった」と思って目がさめるのである。まさにニコチン中毒である。だいたい体に悪いものや、してはいけないことに限って味わい深いものが多いのも事実である。タバコなどは合法的なぎりぎりの、体には悪いが味のあるものであろう。他にもこれに似たことやモノはそこそこあるが、それらを味わえない人生は味気ないと思う。せいぜい体と相談してぎりぎりで味わっていきたいものだ。

休みに対する気持ちの変化

平成16年9月13日(月)
9月は休みの多い月だ。勤務医時代は休みは貴重で、休みの日は産直でなければ必ずどこかへ遊びに出かけていた。家にじっとしているのがもったいなくて、ゴルフに行ったり、家族でどこかに行ったりしていた。
ちなみに産直とは、産科の日直当直のことで、その日は24時間待機していることである。朝病棟で回診などを行い、お産が入っていれば状態を診て指示を出す。もちろんお産になれば赤ちゃんをとりあげるし、必要があれば緊急帝王切開も行う。夜中でも容赦なく呼び出される。全然寝てなくても翌日はいつもと同じ勤務である。これが2~3日ごとにある。勤務していた病院はお産が多かったので、しょっちゅう起こされていた。産科医の宿命とはいえ、さすがに40代になると起きるのがしんどくなり、このまま続けていくことに不安を感じ始めていたのである。
その後縁あって開業してからは、夜起こされることがなくなって生き返った心地であるが、反面、休日が以前のように待ち焦がれるものではなくなった。ぜいたくな話であるが、もう休みかと思ってしまう。あのしんどかった日々は忘却の彼方となっている。ありがたいことである。

男声合唱曲はすばらしい

平成16年9月6日(月)
誰でも好きな音楽があり、何回聞いても飽きない曲があると思うが、私の場合は飽きない音楽の一つに男声合唱曲がある。合唱曲などどこが面白いのかと思っていたのだが、学生時代にはまってしまった。当時(今でも)最高のレベルであった慶応大学ワグネルソサエティー、関西学院グリークラブなどのファンでもあった。その後しばらく聞く機会がなかったのが、40代になってから無性に聞きたくなり、これらの合唱団のCDを手に入れてからは何度聞いても飽きない。日本のものなら多田武彦の作品がいい。外国のものならメロディーの美しいものが好きであるが、黒人霊歌やロシア民謡も聞いていて飽きが来ない。ロバートショウ合唱団は40年ぐらい前に、ほんの短期間だけ結成され、録音が少し残っているだけであるがまさに最高の合唱団だったと思う。今でもCDが売れつづけている。惜しむらくはもっとたくさんの曲を残しておいて欲しかったことである。
これらの曲を聞く度に、こんないいものに出会えてよかったと思う。

いい本だと思ったらすぐに買う

平成16年8月25日(水)
あの時あの本を買っておけばよかったと思うことがある。本が発売されている時はいつでも買えると思っているうちに、いつのまにか絶版となりいくら探しても入手できなくなるのだ。
欲しくなるのは自分の中で再評価された本であり、発売当時はそれほどいいと思わなかったのが次第に読みたくなって探すが、もうないのである。たとえば、1980年代 に学習研究社から出版された「山本七平対話集」。全部で10巻以上あったと思うのだが、1巻だけ買ってあとはいつでも買えると思っているうちに絶版となっ た。今読んでも当時の旬の人達との対話が面白く、ひとかどの人物は時代を超えて素晴らしいと思う反面、後になって評価に値しないことがわかった人物もいて面白い。
半村良の「太陽の世界」も確か18巻まで発売ごとに第1刷本を買っていたのだが、やや冗長になった感じがありやめていたらいつのまにか絶版になっていた。もっとも調べてみたら18巻までしかなく、未完のままだそうなのでいつかは続きが出るだろうと思っていたら、作者が亡くなってしまった。もともとストー リーテラーとしてすばらしい作品を多く書いており、「太陽の世界」は全100巻の構想であったというから期待していたのだが。
1970年頃に「サラリーマン丸儲け自伝」を書いた岡部寛之の本も、見当たらない。人生を徹底的に合理的に生きて、株でひと財産つくり株指南の本など多くの著書があったがどうなったのだろう。「70歳を過ぎたらヨーロッパなどに放浪の旅に出て、そのまま野垂れ死にするつもりである」と書いていたからそうなっているのかもしれない。なにしろ生きていれば90近いはずである。
他にも欲しかった本がなくなった経験から、今は欲しいと思ったらできるだけ躊躇せずに買うようにしている。おかげで本の置き場所に苦労する。

かわいい「まろ」

平成16年8月7日(土)
我が家には「まろ」という名のラブラドールが1/4入った雑種の犬がいる。今3歳だが、人なつっこくて少し抜けているところが大いに受けていて、皆にかわいがられている。ちょっと目には怖そうだがいたって友好的で、すぐにすり寄ってきてなでてやるとゴロンと横になり前足をまげて後ろ足を開く。「おいおい、お前はメスなんだから足を開くのはやめなさい」と言っても聞く耳を持たない。なでるのをやめると前足をのばしてもっとなでてくれと要求する。甘えきっているのだ。
玄関の近くにつないでいるので、夜遅く帰って来る時はあいそをしてくれる。口からアルコールのにおいがするからか、前に座ると両前足を私の肩にかけて私を動けないようにして、顔中をペロペロと舐めまわしてくる。しっぽはちぎれるほど振っている。酔っている時は思わずこちらも舐め返してやるといやそうな顔をする。充分舐めまわしたからもういいだろうと家へ入ると、「ガブッガブッ」と水を飲む音がする。いつもそうする。きっと私の顔が塩辛いのだろう。塩分補給の意味もあるのかもしれない。
私が「まろ」をかまうのは主にこの時だけであるが、うちでは家族全員大いに「まろ」に癒されているのである。