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「麻呂」は愛いやつ

平成17年8月20日(土)
我が家では愛犬「麻呂」号を暑さしのぎのために玄関の中に入れてやっていたが、三和土(たたき)から上にはあがってこない。外に出すと中へ入れてくれと玄関の戸に体当たりをするので、入れてやると満足している。愛(う)いやつだと安心していたら、先日勝手にうえに上がり、気がつけば二階から階段を降りてくるではないか。麻呂は自分も家族の一員(人)だと思っているので皆と同じようにあがってきたのだろう。かわいそうだが叱りつけて元の玄関先に戻してしまうと、初めはいやがっていたがじきにあきらめておとなしくなった。あきらめが早くやはり愛いやつである。
今日は午前中は忙しかったが午後はのんびりしていたので、紹介状の返事など書類がゆっくり書けてよかった。

夏は元気のない「麻呂」

平成17年7月20日(水)
梅雨明け宣言が出て本格的な夏になった。毎年この時期は我が家の愛犬「麻呂」はぐったりとして元気がなくなる。今年は数日前から下痢しておりいっそうだるそうである。ビオフェルミンを飲ませてみたり、抗生物質の投与を考えたりしているがこの暑さでは仕方がないのかもしれない。室内ならクーラーが効いて快適だろうがあいにく屋外犬である。玄関脇で庇とビーチパラソルで十分日陰になるようにしているが分厚い毛皮は暑さには敵となるのだろう。打ち水をしたり水を入れたバケツをおいたり、家族は色々と気を使っているようだ。なにしろたいていの犬好きの人からは「性格のいい犬だ」といわれて喜んでいる我が家の癒し犬なのである。はやく元気になって欲しいものである。

田植えの頃

平成17年6月18日(土)
梅雨に入ったはずなのに雨が降らない。これでは田植えができないのではないだろうか。
私は実家が農家なので、中学までは田植えや稲刈りは必ずしなければならない仕事だった。なにしろ小学校では「農繁休暇」が年に二回、田植えの時期と稲刈り の時期にあったのだから。周囲は皆農家ばかりなので違和感はなかったが、たまに勤め人の家の子供は手伝わなくても良いので、遊んでいるのがなんともうらや ましかった。こんな純農家出身の医者は少ないようで、私自身ほとんど見たことがない。わずかに先輩に一人、実家に田があるという話を聞いたことがあるぐら いである。したがって貴重なトキのような存在ではなかろうか。もっとも今は、田植えも稲刈りも機械でするようになったので、子供が手伝うことはなくなった のだろうが。
そういえば学生時代、半農半医の先生を見たことがある。アルバイトで薬の使用のアンケートをお願いしていた関係で二ヶ月ごとに訪ねていたが、地方の大きな旧い家で、 「○○醫院」と墨書された古びた看板のある医院用の入り口と、農家用の門が別々にある土塀の屋敷であった。訪ねると先生はたいてい畑仕事の格好で、あらか じめ記入した調査用紙を渡してくれたが、患者さんの姿を見たことはほとんどなかった。今から思うとあの先生は達人の生き方をされていたのかもしれない。 もっと話を聞いておけばよかった。

故郷のU先生

平成17年5月25日(火)
私の故郷の村には2軒の医院があった。今では1軒は廃業しており、もう1軒は息子さんがあとを継いでいるとか。息子さんが跡を継いでいる医院のU先生はもう90歳ぐらいになっておられると思う。子供の頃から何かあると診てもらいに行った。祖母は心臓が悪かったのでいつも往診してもらっていた。まさに地域に根付いた大切な医院であった。今から考えると思慮が足りなかったと思うのだが、医学生の頃はそういう先生を田舎医者だと考えて、今自分たちが学んでいる最新の医学が優れているなどと不遜にも思っていた。
今になると、最新の医学を知ろうが知るまいが人間の寿命に大差はなく、病める人にやさしくできる人が医者になるべきだとわかる。きっとU先生はやさしい先生だったのだろう。もし機会があればお会いしてお話を聞いてみたいと思う。

夜桜の記憶

平成17年4月4日(月)
桜の季節になった。開花宣言も出て、昨日は雨模様で肌寒かったが桜のつぼみもふくらみかけていたようだ。今週の後半あたりから花見には最適の状態になると思われる。花見といえば思い出すのは、最初の研修病院の姫路で病棟の看護婦さんたちと行った夜桜花見である。とにかく寒かった。当時は酒量も少なかったのでひたすら食べて話をして寒さをこらえていた。その時の印象が強かったためか花見というと寒さを連想してしまう。その後の経験から花見は散り頃に行くのが一番だと思っている。4月の初旬の咲き始めのころはまだ肌寒い日もあるが、桜の散る4月後半は結構暖かくなる。さらに、日本の美学からも桜は散り際こそ最も美しい。花吹雪の舞うなかで杯を傾けるのもおつなものである。もっとも飲んでしまえば桜などどうでもよくなってしまうが。

冷や汗三斗

平成17年2月15日(火)
思い出すと冷や汗三斗のようなことはだれにでもあると思う。たとえばその分野の権威の人に、それと知らずに自分の聞きかじったその分野の知識を披露するような。たとえばその時は何かをしてもらってもあまり感謝の気持ちを感じなかったのが、ずっと後になって人生経験を積んではじめてそのことは思いやりのあるすごいことであったことがわかったこととか。私の場合は結構たくさんあり、たまに思い出すと時間を戻して訂正したくなる。そしてその度に自分はなんてつま らない人間だろうと思うのである。自分がその立場に立たなければわからないことはいっぱいあるが、本能的にそれがわかる人はちゃんとした行いができるのだ。
これからは後悔するようにはしたくないと思っているが、どうせ何年かたってみるとまたしまったと思っているにちがいない。これはセンスの問題であるか。

忘年会シーズン

平成16年11月25日(木)
いよいよ忘年会のシーズンである。忘年会というより、なんだかんだと理由をつけて飲み会をするというのが本音だろうが。スケジュールが埋まっていくのはうれしいのだが、元来アルコールに弱いくせに好きなもので、いかに体をいたわるかが問題である。ポイントは、①毎日は飲まない②量を減らしてゆっくり飲む③つまみはしっかり取る、ぐらいだろうか。困ったことに体重が完全に増えてしまってカロリー制限が必要になったのでつまみをひかえなければならない。中年に なると同じような悩みをかかえたオジさんたちも多いと思うが、忘年会に限らず他国ではどうなっているのだろうか。
スペインではバル(居酒屋)がたくさんありピンチョス(串にさしてつまめる料理、いろんな種類がある)をつまんではビールかワインを一杯飲んで次の店に行き、またその店の自慢の串をつまんで一杯、わいわいしゃべりながらこれをくりかえすという。なるほど飲みすぎず体にも負担が少なそうだ。昔スペインに行っ たときに何軒かバルへ行ったことがあったが、確かにそんな雰囲気だった。夜の12時頃はまだ皆結構飲んでいたようだった。休日などは家族連れでバルへ行き 楽しく食べたり飲んだりするが、その間子供はその辺を走り回っていても皆気にしないそうだ。スペインは全部が家族みたいなものだかららしい。壇一雄がスペ イン、ポルトガルあたりが大好きで何年も滞在したのもわかる気がする。
いずれにせよ飲み過ぎないように注意しようと思う。

天気の話はあいさつのマクラ

平成16年11月15日(月)
朝は雨模様であったが昼にはすっかり晴れていい日和になった。
初めに天気のことをよく書いているような気がしてふりかえってみると、11月だけで今日を含めて3回書いている。なんと5割である。田舎育ちの私は小さい頃、自分の家も含めまわりの家がほぼすべて農家であり、行きかう人たちはいつも「きょうはええ日和じゃのう」とか「寒うなってきたのう」とか、あいさつのはじめにかならず天気の言葉が入るのを聞いていて、天気など見ればわかるだろうにわざわざ言わなくても、と感じていた。農業には天候がごく重要なので天気のことを言うのかと思っていたが、どうもそれだけでもないようである。あいさつはコミュニケーションで大切だが、話題で最もあたりさわりのないのが天気の話である。農家にとっては天気は関心事でありなおかつだれをも傷つけない。天気は毎日変わるのでそれに応じて話題に変化をつけることができる。これほどすばらしい話題があるだろうか。
というわけで天気の書き出しの言い訳をしているが、今後はなるべく減らすようにするつもりである。今日は月曜日にしてはのんびりした日であった。腰痛が少し復活してきたようだ。

休日の患者さんへの対応

平成16年10月12日(火)
休み明けは体がすぐには仕事モードに適応せずいささかしんどい。当院は土曜日も夕方まで開けているので、連休は日曜と祝日が続く時だけである。もっとも最近はこの連休(月曜の振り替え休日をハッピーマンデイというらしい)がちょくちょくあるが。この貴重な連休の時はたまに広島を離れることがある。今回も広島を離れていたのであるが、一人心配な患者さんがいたので、もし何かあればいつでも病院を紹介できるように、紹介状と検査データを持参していた。幸い何もなかったのでほっとしている。
当院は分娩を扱っていないのでいいのだが、もしお産をしていれば広島を離れることは不可能で、そうしたいなら代わりの医師を当直に頼んでからでないとどこにも行けないのである。以前、小豆島の病院に勤務していた時は島から出るのは代わりの医師が来てくれた時だけであった。一度だけ、夕方から高松市で会合があり最終の船に乗り遅れてあせりまくって、島内で開業されている大先輩に何かあったらよろしくと連絡して快諾をいただいたことがあったが、日頃恐れ多くて普通ならそんなことを頼めるなんてできるはずもない大先輩に意を決してお願いしてしまった。あの時は、高松市内に泊まったのだが朝までよく寝られず、朝一番の船で島に帰ったが大いに反省した。
今はこのようなことはないので、精神衛生上おおいによろしい。ありがたいことである。

禁煙

平成16年10月2日(土)
タバコをやめてもう4年を過ぎた。はじめはやめる気は全くなかったのだが、鼻ポリープのため呼吸が苦しくなり止めざるを得なくなったのだ。ある日それまで 吸っていたタバコを「止めた!」と言って捨ててから、一本も吸っていない。家にもクリニックの自室にも、封を切ったマイルドセブンと灰皿、ライターがいつでも吸えるように置いてある。はじめの頃は時々横目で見ていたが、そのうち気にならなくなった。
その後時々、タバコを吸っている夢を見ることがあった。タバコを吸っている自分に気がつき、「しまった」と思って目がさめるのである。まさにニコチン中毒である。だいたい体に悪いものや、してはいけないことに限って味わい深いものが多いのも事実である。タバコなどは合法的なぎりぎりの、体には悪いが味のあるものであろう。他にもこれに似たことやモノはそこそこあるが、それらを味わえない人生は味気ないと思う。せいぜい体と相談してぎりぎりで味わっていきたいものだ。