カテゴリー 思い出

天国に行った麻呂

平成21年8月5日(水)
我が家の愛犬「まろ」が腎不全で亡くなってそろそろひと月になる。息子は朝夕散歩に連れて行って、同志のようにかわいがっていたから、亡くなる1週間のあいだは本当につらそうで、ごはんがのどを通らない時もあった。カミさんは3キロやせた。娘も目を真っ赤にして悲しんだ。
亡くなって、仮住まいのリビングルームに遺骨を遺影とともに飾って朝夕偲んでいるうちに、皆だいぶ落ち着いてきたようだ。息子は今でも毎日、なにかお供えの菓子を買ってきて遺影に供え、翌日自分で食べているようである。私は院長室に飾っている「まろ」の小さい時の写真をときおり眺めている。
入院していた動物病院に会いに行くと、ふらふらになっても家へ帰りたがって、病院の出口のドアのところでじっと待っていた。我が家にすばらしい思い出と癒しをくれた「まろ」はきっと天国から家族を見ていて、リフォームが済んで皆が家に帰ったらいつも寝ていた玄関で迎えてくれるにちがいない。

久しぶりの引っ越し

平成21年7月1日(水)
家のリフォームのためにプチ引っ越しをすることになった。気が重いことである。広島に落ちつくまでに大学の医局の命令で、中四国のいくつもの病院に赴任させられさんざん引っ越しをしたが、最後に引っ越しをしたのは開業する直前だったから12年以上前になる。
若い頃は元気もいいし引っ越しはそれほど負担に感じなかったが、今回はリフォームのためなので必要なものだけ持って、近くのマンションに3か月だけの予定であるが実にイヤである。いちばん気になるのが愛犬「まろ」のこと。玄関につないでいるので、リフォームの間もそのままつないでおいて、朝晩散歩に連れて行く計画にしているが工事中に職人さんたちとうまくやっていってくれるだろうか大いに心配なのである。
「まろ」は最近食欲がなく、ドッグフードはほとんど食べないし好物の納豆やソーセージもしぶしぶ食べているようである。毎年夏になると食欲が落ちるので今年もそうなのかとは思うが、これから家に自分たちがいなくなり、見知らぬ職人さんたちが出入りするようになったらストレスで血を吐きはしないかと思う。リフォームで住みやすくなる喜びよりも、こっちの方が心配である。

夏休み

平成20年7月4日(金)
今日は朝から晴れていて、梅雨明け宣言はまだ出てないが、すっかり夏の日差しである。いつもこの季節になると田舎で川や池、たまには海に泳ぎに行った記憶がよみがえり、もうその元気はなくなったがなんとなくそわそわしてくる。
特に中学時代は夏休みには部活がなければ、ほぼ毎日裏山のため池に泳ぎに行ったものである。帰りには、卓球台を使わせてくれるお寺に寄って卓球をして帰る事が多かった。今から思えば元気なもので、体力は中学高校時代が最もあったと思う。今では2時間もテニスをすれば、もう充分運動した気になって早く冷えたビールが飲みたくなるという、なんとも情けないていたらくである。とはいえ、適当に体を動かして、うまい酒・食事ができるうちが花なので、当分はこのままで行きたいものである。

筍と梅

平成19年4月21日(土)
先日、田舎の父親から「たけのこがとり頃になったので帰ってこないか」という電話があった。ありがたいことである。
田舎にいた頃はこの季節になると日曜日には筍を裏山に掘りに行くのが慣わしだった。くわを持ち、ネコ車を押して山の畑のそばにある小さな竹やぶに行くと、あるわあるわ、地面からちょっとだけのぞいた竹の子がいっぱい見られた。鍬を筍より少し離れた地面に筍に向かって深く打ち込み、てこのように鍬の歯を起こすときれいに掘れる。慣れてくると一回の打ち込みで掘れるのであっという間にあたり一面筍だらけになる。筍を掘るのは楽しいが回収するのは大変である。あちらこちらにある掘ったばかりの土のついた筍を集めてまわるが、袋はすぐに一杯になるし、重い。その袋をネコ車のところまで運んでネコ車が一杯になったら山道を持ち帰るのである。持ち帰った後は米ぬかをまぜて茹でたりしていたようだが、毎日食卓には筍の料理が載っていていいかげん閉口した。
竹は繁殖力の強い植物で、油断していると周りの畑はすぐに竹やぶになってしまう。地下茎が伸びていっていつの間にか離れた畑から竹が生えてくるのである。中学時代には、竹やぶのそばに使っていない畑があったので、父親に「梅の木を植えてもいいか」と頼んで承諾してもらい、6本ばかり植えて育てたことがある。将来は梅林にして梅を収穫し、大儲けしようとたくらんだのである。幸い?うまくいかなかったが、梅の木は残った。でも今はその畑はすっかり竹やぶになってしまい、梅の木は枯れてなくなってしまっている。

なつかしい歌

平成19年3月7日(水)
小さい頃に聞いた歌や音楽は記憶にしっかり刻み込まれているようで、いつ聞いても妙になつかしく感じる。小学校時代に聞いた記憶のある「文部省唱歌」はとくに郷愁を誘う。
「蛍の光」「夕焼け小焼け」「われは海の子」「箱根八里」「荒城の月」「叱られて」他にもたくさんあるが、もしこれらの曲を今始めて聞いたらどうだろう。はたして今ほど感動するだろうか。もちろんいい曲は、国境を越え時代を越えて人を感動させるが、やはり小さい頃に習った時の思い出がこれらの曲の味付けになっていることは否めないだろう。NHKでこれらの曲のコンサートを放送することがあるが、つい見入ってしまう。映された会場を見れば観客はほとんど同年代かそれ以上ばかりで、やはり小さいときの刷り込みは大きいと思う。

日本酒はおいしい

平成19年1月23日(火)
このところ晩酌はビールと日本酒である。最近日本酒をうまいと感じるようになってからは、いろいろ銘柄を試してだんだんと好みが決まってきている。それまではビールのあとはウイスキーの水割りが定番だったが、今は日本酒が一番いい。
日本酒については嫌な思い出があり、今まで飲みたいと思ったことはほとんどなかった。それは忘れもしない大学一年生のヨット部の初合宿の夜、広間に上級生達がずらりと車座になっているところを、我々新入生は一人ずつ献杯して回ることになっていた。何しろ酒をちゃんと飲んだことがない上にアルコールにどのくらい弱いかもわからないのである。一升瓶をかかえている先輩達の前に座り、コップを出して献杯の応酬をするのである。先輩が30人いれば30杯のコップ酒を飲まなければならない。途中でこれはヤバイと感じて、飲んだふりをしていたが遅かった。トイレに行く途中で倒れて気付いたのは翌日の昼、合宿所に一人で寝ていた。ほかの連中はすでに海に練習に出ていて誰もいなかったのである。頭は痛いし気分は悪いし、これが初めての二日酔いだった。その上、外にはげろを吐いた布団が干してあり、練習から帰ってきた同僚達に「トイレに行って倒れたので、みんなで布団に寝かせといたら、夜中に突然起き上がってワシの布団に吐いたんだぞ」と言われる始末。それからは日本酒を見るのも嫌になった次第である。でも今は実にうまい。

凍結した道路

平成17年12月2日(金)
早いものでもう師走である。今年はまだあまり寒くないが、例年だとコートが必要になる頃だ。ちなみに昨年の日誌を見ると、寒くなったのは12月の後半以降なので本当はいつもこんなものかもしれない。同じ広島県でも北部と南部ではかなり気温の差があり、やはり旧市内は温暖である。
研修医の頃、姫路市内の病院にいたことがあるが、市の北端に位置するその病院は実に寒いところで、市内南部より気温が数度は低く同じ市内とは思われなかっ た。また、神戸市北区の病院に勤務していた頃は、なにしろ六甲山の北側ゆえ道路が凍結して車の運転はもとより歩くのさえ危ないことがあった。その時にはじめて凍結した道路を歩くための長靴があることを知ったのである。

体重オーバー

平成17年11月25日(金)
ダイエットが必要なぐらい体重がオーバーしてしまっている。減量をしなければならないが、どうもうまくいかない。そんなに本気でしようと思っていないからでもあるが、食い意地が張っていて意思が弱いからだろう。ここ二ヶ月というもの体重が全く変わらない。腰にもよくないし第一不経済である。
ちなみに体重の変遷をあげると、20歳で67キロ、30歳で77キロ、40歳で80キロ、50歳で85キロと順調に成長している。20歳から30歳にかけて10キロ増えているのは、仕事の激務によるストレスで食べ過ぎたからではないかと言い訳しているが、その頃はほぼ毎日夕方から2時間ぐらい病院のすぐそばのコートでテニスをしていたので運動不足とはいえないだろう。だからそこまで増えたのが不思議なことではある。この時は一念発起して2ヶ月で10キロの減量に成功している。今は自分ではカロリー摂取は控えめにしているつもりだが客観的にみれば取りすぎなのだろう。アルコールをあまり飲んでいない時代にも確実に体重が増えていたことを考えれば、現在ややオーバーなアルコール摂取のせいにもできない。

ハイボールの復活

平成17年11月8日(火)
最近、ハイボールが復活してきたそうだ。ハイボールとは戦後から60年代まで流行ったウイスキーのソーダ割りのことである。我々が大学生の頃はまだトリスバーが残っていて、そこでは国産ウイスキー「トリス」「レッド」(二級酒である)をソーダで割ってレモンをたらして飲むハイボールがあった。田舎の高校生の頃雑誌などの小説を読むと、しばしばハイボールを飲むシーンがありどんなものかと思っていたので試してみたが、あまりうまいものではなかった。その後経済の成長にあわせるかのように急速にすたれてきて、ウイスキーの「水割り」が主流をしめるようになった。ウイスキーも高級なものになってきたので炭酸でごまかす必要がなくなったのだろう。
ところが一旦すたれたハイボールが復活してきているという。思うに今や最大の勢力を誇る団塊の世代が、かつての青春期を懐かしく思って復活させているのではないだろうか。実は自分も先日家で飲む水割りをハイボールにしてみたが、遠い昔の青春期の思い出と重なって懐かしくもほろ苦い味がした。

稲刈りと秋祭り

平成17年9月27日(火)
朝夕は結構涼しくなり秋も深まってきたようだ。これからしばらくは最もいい季節になる。天高く馬肥ゆる秋、スポーツの秋、祭りの季節。
田舎育ちの私はこの季節になると稲刈りと秋祭りを思い出す。家が農家なので中学3年までは稲刈りを手伝っていたがその後は機械での取り入れになって手伝わなくてよくなったのはありがたいことであった。稲は鎌を使って刈っていたが結構しんどい仕事である。刈り方は3列並んだ畝を同時に刈りながら進んでゆく。刈り取ってできた場所に稲を置き、ちょうど一束になるようにしておく。それをわらしべを使って結んでいくのは大人の仕事である。全部刈り取ると稲を乾かすために杭を打ち込んで太く長い竹ざおを渡して稲を掛けてゆく。朝から仕事を始めて待ち遠しいのが昼飯である。いま刈り取ったばかりの稲に座って握り飯を食べ沢庵をつまむ。卵焼きや鶏のから揚げなどもあったがこれが実にうまかった。普段は家に帰って食べるのだが時には田んぼで食べることもあったのだ。
取入れが終わると秋祭りである。小さいながら神輿が村をまわり神社には屋台が出る。子供の頃はここで玩具や菓子を買うのが大きな楽しみであった。もっとも祭りも次第に尻すぼみになって今ではどうなっているのやら。