カテゴリー 思い出

夏休み

平成28年7月23日(土)
先日届いた広島市医師会だよりに「夏休み」をテーマにした随筆が載っていた。このコーナーは月毎にテーマを決め、会員の医師たちが指名により寄稿することになっているが、お題によっては原稿の集まりが少ないときもある。今回のお題はさすがに皆思い出が多かったと見えて10編の随筆が集まった。
なんといっても多かったのは、子供時代に祖父母の田舎の家で過ごした思い出を綴ったもので、読んでいると「となりのトトロ」を思わせる内容で、宮崎駿監督のアニメにノスタルジーを覚えるのは、あの世界こそが我々日本人の原風景だと思っている人が多いからだと感じた次第である。私自身は田舎育ちなので自然の良さは十分認識しているけれど、生活の不便なことや大変さがわかっているので短期間の滞在なら十分楽しめるだろうが、ずっと住めと言われるともろ手を挙げて賛成というわけにはいかない。
昭和30年代の当時、トイレは水洗ではないし冷蔵庫がないので食べ物の保存が難しかった。家の土間にはカマドがあり煮炊きはカマドと七輪で行っていた。風呂は薪で沸かす五右衛門風呂、クーラーは当然どの家にもなく、夜は暑いので窓を開けて虫が入らないように明かりを消して蚊帳をつって寝る生活である。昼間は農家なので仕事はたくさんあり、いかに手伝いをせずに遊びに行くかが子供にとっては最大の関心事であった。トマト、キュウリ、ナス、スイカなどは庭の畑に植えているので、いつでも新鮮なものが食べられる。川や池で水遊びができるし裏山に行けばセミやトンボ、カブトムシなどはいくらでもいる。「トトロの世界」は半分はそのとおりだったと納得する随筆であった。

梅雨

平成28年6月24日(金)
このところ雨の日が続き市内でも避難警報が何度も出るようになった。今週になって二日間、深夜にスマートフォンのけたたましい音に快適な眠りを中断されたが、増水による河川の氾濫を警戒したものであった。この時期は雨が降るのはあたりまえだが、それにしても降り過ぎである。
梅雨時になると思い出すのは小学生の頃の「田植え」である。自分を含め同級生はほぼ全員農家の子供だったので、梅雨になると一斉に田植えを行う。今のような田植えの機械はないので、近所同士が手伝いあって一株ずつ手で植えて行くのである。小学生といえども貴重な働き手であるから、小学校は農繁休暇ということで何日間か休みになる。田んぼの泥の中にくるぶしまで埋まりながら田植えをするのは結構つらいことだった。いつの間にかヒルに血を吸われていることも多く、数少ない農家以外の子供がうらやましかったものだ。さすがに中学時代は農繁休暇はなかったが、稲刈りは手伝っていた。当時はあまりうれしいことではなかったが、今では四季を体で感じることのできた貴重な子供時代だったと思う。

再び和歌山へ

平成27年11月26日(木)
連休を利用して和歌山へ行ってきた。メインの目的は軽音楽部でピアノを担当していた息子の大学最後の定期演奏会を聴きに行くことであるが、ついでに前回行けなかったところも訪れてみよう、美味しいものも食べてみようと思ったからである。大学内の講堂での演奏会は満席・立ち見の盛況で、1ステージ6曲を3ステージ、全部で18曲をほぼ3時間かけて演奏するものだった。いずれも迫力のあるレベルの高い演奏で、しっかり楽しませてもらった。2年間バンドマスターを務めた息子はなんと半分の9曲に出演し、すべて楽譜なしで演奏しており、プログラムの「ピアノばかり弾いていたらいつの間にか6年経ちました」は真実だと思った次第である。卒業生たちの感動的な場面もあり、定期演奏会は初めてだったが来てよかった。
前から行ってみたかった「オテル・ド・ヨシノ」でひさびさのフランス料理、いいものが少しずつ出され堪能した。翌日はレンタカーで紀州東照宮、和歌浦天満宮、番所庭園、風土記の丘、県立博物館などを巡って特急くろしおで大阪へ。法善寺横丁の串揚げ「wasabi」で夕食、以前行ったことのある黒門市場の「六覺燈」も良かったが、また違った工夫が見事であった。翌日は京都へ寄ってみたがあまりの人の多さにげんなり、市街を散策し「まえはら」でうなぎ、辻留の弁当を仕入れて帰広、食べるばかりしているようだがそうなのである。でもいい息抜きになった。

十の詩曲

平成27年10月23日(金)
偶然、YouTubeで早稲田大学グリークラブの演奏する「六つの男声合唱曲」を見つけ、その演奏の素晴らしさと曲にまつわるあれこれを思い出し、何とも言えない気持ちになった。この曲は、ショスタコービッチ作曲の無伴奏混声合唱曲「十の詩曲」から、合唱指揮に造詣の深い今は亡き福永陽一郎氏が6曲を選んで男声合唱曲に編曲し、歌詞も原曲のロシア語の詩を日本語に自分で意訳したものを1970年代に東西四連で演奏したのが初めだと思うが、その時に大阪まで聴きに行った合唱団の仲間がテープレコーダーに録音したものを聞いたとき思わず「これだ!」と叫んだ。ちなみに「東西四連」とは早稲田、慶応、関学、同志社の東西4大学の男声合唱団の合同演奏会のことで、東京と関西で毎年開かれていて、そのレベルの高さに一般の大学合唱団はあこがれを抱いていたものである。
当時、大学男声合唱団の学生指揮をするように先任の優れた先輩から言われ、能力もないのに若気の至りで引き受けてしまい大いに皆に迷惑をかけてしまった。合唱コンクールに出場することになり、自由曲を何にするか迷っていた時にこの曲を聴きこれに決めたのである。ただ、曲自体が非常に難しい上に、指揮者の能力がないため散々な出来で、いまだにメンバーに悪かったと反省している。
今回聴いたのは2010年、京都で行われた第59回東西四連の演奏会で、福永氏のお孫さんにあたる小久保氏の指揮による早稲田大学グリークラブの演奏である。その素晴らしさに陶然となり思わず書いてしまった。

美しい姫路城

平成27年10月16日(金)
天守閣の修復が完成した姫路城に休日を利用して訪れた。以前から新幹線で姫路を通過する時お城を見ようと思っても、ずいぶん長い間覆いがかけられて見ることができなかったが、晴れて修復が終わったと聞き行ってみる気になったのである。姫路は医師になって初めて研修医として赴任した地で、病院の看護婦さんたちと姫路城の広場で夜桜酒盛りをした思い出があるが、あの時は寒かった。当時は世界遺産などという厚化粧もなく、ひたすら美しいお城で春は花見客でにぎわい、天守閣に登るのも簡単であった。今回訪れて驚いたことは、観光客の多さである。お城に入るのに90分待ちで、入った後も通過するだけでゆっくり見る暇はなかった。せっかく昔を思い出しながらしみじみ歩いてみようと思っていたが、残念だった。
姫路での昼食はネットで調べて予約しておいた広東・四川料理「避風塘ふじた」に行った。小さな店だが地元の人が勧めるだけあって実に美味しく、丁寧に作られた料理(飲茶)をリーゾナブルな値段でいただいた。接客も良く大いに満足した。次に訪れる時には観光客の少ない平日に姫路城を見て、この店で夕食を食べてみたい。

「福太郎」の衰弱

平成27年6月12日(金)
このところ朝夕の散歩のとき、ぶさいく犬「福太郎」はしばしば足を止めて動かなくなっていた。それでもしばらくするとまた普通に歩きだして、公園の中の草花のにおいをかいだりマーキングにいそがしそうだった。ところが4~5日前から少し歩いてもしんどそうで、今まで通っていた公園にはもう行くことができなくなった。そこで近所の小さな公園をぐるっと回ることにしたが、それもできなくなってしまった。
推定年齢14歳なので仕方ないと思うが腹水がたまっているらしく、何も食べず水を少し飲んでじっとしている。今朝は玄関を開けるといつもの散歩を思い出したのだろうか、よろけながら立って尻尾を振っているがそれ以上は動けないようだった。かわいそうだが見守るしかない。苦しんでいるようには見えないのがせめてもの慰めである。亡くなったら骨の一部を田舎の父の墓の近くに埋めてやろうと思っている。父が10年以上飼って一人暮らしの時期も支えあっていた愛犬だったから。

先輩の送別会

平成27年5月23日(土)
古巣である中電病院のH先輩が定年のため病院を退職することになり、病院産婦人科の送別会にO.B.として出席した。先輩は私が病院を辞めて開業する1年前、今から約19年前に赴任して来られた。誰に対しても態度を変えない、誠実でフレンドリー、実力のある人物で、開業後ずいぶん助けていただいた。すぐに入院が必要な患者さんや、診断の難しい患者さんなど困った時に先輩であるH先生に相談すると、快く引き受けてもらって実にありがたかった。
現部長が企画して開いたこの送別会は心のこもった素晴らしい会であった。病院のスタッフにH先輩がいかに頼りにされ慕われていたかが感じられて、気持ちよかった。
周辺の病院から一人またひとりと先輩たちが定年で退職して行く。これで各病院の部長は同期か年下になってしまった。開業してもう18年になろうとしているのだから皆年を取るのも無理ないことである。
年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず

あの世へ旅立った父

平成27年1月9日(金)
仕事始めの5日、郷里のホームに入所していた父が亡くなった。92歳の誕生日を目前にした大往生であった。9年前に母が亡くなった後、元気に一人暮らししていたが、昨年の6月頃から次第に衰弱してきて11月には入院、どこも悪くはないが食が細くなってこのような結果になった。長兄が喪主となって、親族と近所の人たちだけの小さな葬式をしたが、その土地に生まれ、育ち、農業で自分たち兄弟を育ててくれた実直な父にはふさわしいのではないかと思った。近所の人、特に親族の人たちの助けは本当にありがたかった。
父の飼っていたぶさいく犬「福太郎」は元気で、殉ずる様子は皆無である。合掌。

奈良国立博物館

平成26年7月25日(金)
久しぶりの移動可能な連休だったので、奈良国立博物館の特別展「醍醐寺のすべて」を見に行くということで計画を立てた。まず和歌山にいる息子のところを訪ねてから夕方、奈良に行くことにした。彼の入学以来、紀三井寺を訪れるのは5年ぶりである。大学と附属病院を案内してもらい、おすすめの店でおいしい昼食、和歌山城見学まで付き合ってくれた。夕食は奈良唯一の三ツ星「和やまむら」が偶然予約できたのでカウンターで食したが、胃の調子があまり良くなく日本酒が飲めなかったのは残念だった。
翌日は涼しいうちに春日大社を散策し奈良国立博物館へ。特別展は、国宝と重要文化財がこれでもかというほど展示されており、世界文化遺産にも指定されている醍醐寺の歴史に圧倒された。三条通りを歩いていると「うなぎ川はら」ののれんが見つかり、久しぶりのうなぎに舌つづみ。あまりに暑いので奈良公園の木陰で一休みしたが、風がよく通って心地よく思わず眠ってしまった。夕方、京都伊勢丹で菱岩の弁当を受け取り新幹線で帰広。弁当は菱岩が群を抜いていると思う。このところ予約すらできなかったのが、久しぶりに手に入ったので日本酒とともにおいしくいただいた。いい旅であった。

賑やかな一日

平成26年5月2日(金)
日曜日、岡山の友人夫妻が娘さん夫婦と孫2人を連れて我が家へ遊びに来てくれた。友人家族とは子供たちが小さい頃から毎年のように家族旅行をしていたので親戚のようなものである。次女が孫2人をつれて久しぶりに里帰りをしているので、皆で集まって旧交を温めようという算段である。近くに住む長女夫婦も2人の孫を連れてきて親・子・孫総勢15人、広くもない我が家は満杯である。6畳の和室2部屋のふすまを取っ払って子供や孫たちの宴会場所に。我々はダイニングルームでビール、ワイン、日本酒、昼前から夕方まで延々と談論風発。時々孫たちが歓声を上げて走りこんできたり、賑やかなひとときを過ごした。
友人一家と初めて一緒に旅行に行った時には子供たちはまだ小学生にもなっていなかったのに今は結婚してその当時と同じくらいの子供がいて宴会をしている。人生はくり返しくり返し過ぎていくというが、まさにそう思えるような感慨深い一日であった。