平成18年10月20日(金)
このところニュースに産婦人科の話題が多い。今度は、奈良で妊婦さんが分娩中に脳出血で亡くなられたとのことである。主治医は子癇と思ってCT検査をしな かったことと、受け入れ病院がなく8時間後にやっと病院がみつかったものの赤ちゃんは無事だったが母親は死亡したという。
ことの詳細は追ってわかってくるだろうが、お産に関して世間と我われ産婦人科医との間にある認識の違いがいつも問題になる。つまり、お産は無事に生まれて あたりまえ、何かあったら医師にミスがあったのではないかとの風潮がある。確かにお産の8割は何もしなくても、自然に生まれる。さらにいえば正常妊娠・分 娩には妊婦健診すら必要ない。なぜなら分娩は哺乳類の自然現象であり、人類発生の昔から医療の介入なしで連綿と続いてきたことであるから。問題は、正常に 生まれる8割以外のお産である。昔からお産で死亡する妊婦さんは実に多く、我が国の統計では西暦1900年(明治33年)には250のお産で1人が亡く なっていた。戦後になって減りはじめとはいえ1950年(昭和25年)で約600のお産で1人とまだ多かったが、現在では約20000のお産に1人となり 世界のトップになっている。いうまでもなくこの統計は新生児の死亡ではなく妊産婦の死亡である。
どんなに完璧に経過を診て治療しても不幸にして亡くなることは残念ながらある。それでも万一亡くなったら、ミスではないかと警察まで介入するのはやりすぎ ではないだろうか。原因がわかった後ではなんとでも言える。分娩時に異常がおきた時の主治医の心境が察せられるので、やりきれない思いがするのである。
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分娩中に脳出血で死亡
根津医師の勇気
平成18年10月16日(月)
諏訪マタニティークリニックの根津院長が、子宮を摘出して子供が生めなくなった娘の代わりに50歳を過ぎた母親が娘夫婦の受精卵を自分の子宮で育てて出産 したことを明らかにした。色々な意見はあるだろうが、すばらしいことである。根津氏の愛情に満ちた信念の行動にはいつも敬服しているが、今回もまことに理 にかなった問題提起でその勇気には頭が下がる。
根津氏は以前にも患者さんのために必要な医療を行った際、産婦人科学会から除名処分になったが、どう考えても産婦人科学会の裁定に問題があるように思え た。今回の問題提起も、かつて想像もつかないような「代理出産」が現実になったときに、従来の法整備ではだめであり変えなければならないのに、だれも変え ようとしないことが問題なのである。法は人の幸せを助けるためにあるのだから、現実にあわせて変えていかなければならない。すべてはその一点にあり、その 本質を見抜いて起こしている氏の勇気に満腔の賛意を表したい。
本末転倒の内診問題
平成18年9月12日(火)
看護協会が「内診は助産師に限ることを徹底する」との声明を出したとのことである。なぜそんなにかたくななのだろうか。看護職は医師の介助をするのではな く、看護計画に基づいた正しい看護をするのが仕事だというのだろうか、それなら看護師による血圧測定も採血もICUのモニターもできないことになる。
「内診」は特別なことではない。きちんと指導すればだれでも所見がとれる行為である。所見の判断は医師が責任を持ってすればよいのである。さらに現在の助産師の数では日本中のお産をカバーすることができないこともわかっているのに。なんのために医療を目指したのか考えてほしい。患者さんを良くしてあげた い、そのために医師も看護師も技師も薬剤師も協力し合っていくのではないのか。
看護職を専門化していってもミニドクターが増えるだけで、患者さんのそばにいて励ましたり話を聞いたり便の世話をするという最も大切なことを担う人がいな くなる。患者さんが本当に癒されるのは看護師のこれらの行為である。医療者はそれぞれの役割分担のなかでできることをやればよいのである。内診を看護師が したからといって医療の質が落ちるわけではない。はじめに戻って「患者さんのためにどうしたら一番いいのだろうか」と常に考えているなら、このようなこと にはなっていないのではないだろうか。
妊娠と薬
平成18年9月8日(金)
妊娠初期に内服した薬が気になるという人は実に多い。これはかつてサリドマイドによる薬害の記憶がもたらしたもので、皆さんすごく心配される。実際のとこ ろは薬の影響による奇形はほとんどなく、自然発生の奇形のみと考えてもいいのである。新生児の奇形率はあとからわかるものを含めれば3~4%あるといわれ ている。それを上回るにはよほど催奇形性の強い薬剤を多く使用しないとありえないと思われる。
サリドマイド薬害の原因は厚労省(旧厚生省)の無策である。なぜすばやい対応ができるような機構にしないのだろう。さらに薬害エイズ、血液製剤によるC型 肝炎の問題など何度でも同じ過ちをくりかえす。人は過ちをおかすのだという前提にたって、そうならないようなシステムを考えなければダメだろう。日本でも 優秀な人たちが集まっているのだからそういうシステムぐらいすぐにできそうなものだと思うが。
我々医師ができることは、むやみに薬を使わないことと、いつも海外も含めて新しい情報に注意して厚労省が認めた薬であれ検査・治療法であれ鵜呑みにしない ことであろう。あとになってあれは意味のない検査・治療だったとか効果のない薬だったので中止になったことは、数限りなくあったし今もあるのだから。
なぜ警察が
平成18年8月26日(土)
一昨日、年間3千件もお産のある横浜の個人病院に警察が捜査に入ったとのニュースがあった。なんでも助産師以外の看護師、準看護師にお産の介助をさせてい たとのことである。お産の直接介助は助産師でなければならないので、もし直接介助させていたのなら改めるべきであるが、内診など経過観察をおこなっただけ なら医師の監督責任のもとであればなんら問題ない。そもそもこの程度の問題で見せしめの如く警察が介入することが信じられないことである。
考えればわかると思うが、人の体に針を刺して行う採血は看護師が行ってよいのに、内診はダメだというのは整合性を欠くことである。今まで何十年と行われて きたことが、数年前に厚労省の一役人(元助産師?)がダメだと言ったことから産婦人科全体を揺るがす問題になってしまったのである。本当に患者さんのこと を考えれば、何が一番よいことかわかりそうなものである。生半可な考えほど恐いものはない。このままではお産をする施設がなくなってしまうだろう。そう なって困るのは国民(妊婦)である。
治療法の変遷
平成18年7月29日(土)
医療にも流行があり、当時はやっていた治療法だったけれども効果がないことがわかったり、もっと優れた治療法ができたためにすたれてしまったものも数多く見られる。
たとえば子宮後屈に行われていたアレキサンダー手術。かつては生理痛、腰痛の原因は子宮後屈にあるといって後屈を治す(子宮を支えている靱帯を引っぱりあ げるだけであるが)手術を行っていた。私が医者になった頃はまだ少しは行われていたが、後屈と腰痛は無関係と言われるようになってからは、あっという間に だれもこの手術をしなくなった。ではそれまでに手術をされてしまった患者さんはどうなのだろうか。後遺症などの実害はほとんどない手術とはいえ、そのため に入院した時間および手術をうけるストレスおよびお金はむだになったのである。
無論、当時は世界的にその治療法が正しいと信じられていて、欧米へ留学して彼の地で行われている治療法を学んで帰った優秀な先人が我が国に紹介し、広まっ ていったのだろう。そのことをあしざまに言うことは決してできない。なぜなら現在正しいと思われて行われている治療の中には将来になって無駄、あるいは間違った治療法であることがわかってやめてしまうものが必ずあると思われるからである。だからといって目の前に苦しんでいる人がいても、なにもせず手をこま ねいているわけにはいかない。だからいつも心がけておくことは、この検査は本当に必要なのか、この薬は出さなくても良くなるのではないのか、本当に手術を した方があらゆる点から得なのか、などを常に自問しながら謙虚に治療することである。
薬害C型肝炎
平成18年6月24日(土)
先日フィブリノーゲンによるC型肝炎の判決が出た。被害者救済はなによりも迅速に行わなければならないが、血液製剤による感染の問題は将来も起こり得ると思う。
エイズにしてもC型肝炎にしてもウイルスの存在そのものがわからない時期があった。その後それらのウイルスの存在と血液を介して感染することがわかったと きには遅かったのである。厚労省や製薬会社の対応が遅かったのは問題であるが、どんなに早く対応しても100%は防げなかっただろう。むろんエイズウイル スの感染をひきおこした非加熱製剤の問題は決して許されるべきでなく、慾と金のからんだ犯罪と同等であるがそうではなく誠心誠意治療していて知らずに感染 させていることがあるかもしれないのえある。たとえば私が小学生の頃はツベルクリンテストで一本の注射器を何人もの生徒に使いまわしていた。確率は低くて もウイルスの感染が起こっていたかもしれないが、当時はその可能性を考えたこともなかっただろう。
今我々ができることは、歴史に耐えていない薬や血液製剤を使うときはその製剤について常に新しい情報を取り入れ、絶対必要でないかぎり軽々しく使わないようにすることである。
病気になった時に
平成18年6月7日(水)
人は病気になったとき、それが悪いものや治りにくい場合は特に、いい医師に見てもらいたいと思うのは当然である。たとえ信頼している医師からその病気につ いてのエキスパートを紹介されてもその医師の腕は本当にいいのか、人柄はどうか、自分のことをきちんと診てくれて過不足のない最良の治療をしてくれるのか など、不安はつきない。さらにその病気の予後はどうなのか、一般的には5年生存率は○○%というが自分についてはどうなのか、手術をすることになったら失 敗しないだろうかなど、不安は雲のように広がる。
私自身も以前手術を受けたことがありその時にいろいろ考えることがあったから、その気持ちはよくわかる。でも医師の側から見ると誰に対しても全力で治療をするし、紹介状があるから、付け届けがあったから、知り合いにたのまれたから、などの理由で差をつけることは絶対にない。医師は人の体を診るプロであり、 職人的な要素を持っていて、職人の部分では特に目の前の仕事は絶対に手を抜かずに全力でいい仕事をしようとする性(さが)があるので、相手がたとえ犯罪者であったとしても同じように手を尽くしてしまうのである。私の知る限り、まともな医師は全員そうだと思う。
ところが、日頃からそう思っている自分がいざ手術される立場になると、前記のような不安を感じるのであるから普通の人が不安を抱くのは当然のことだろう。だからこそ強調しておきたい、まともな医師は情実で差をつけないしつけられるはずもないことを。
岩波明著「狂気の偽装」
平成18年5月31日(水)
早いものでもう5月も今日で終わりである。一ヶ月など瞬く間に過ぎ去ってゆく。
精神科医の書いた「狂気の偽装」という本によれば、「多重人格」「アダルトチルドレン」などの概念は北米を中心とした医学会の説であり、欧州では否定的見解も多いとのことである。さらに、PTSDは唱えられだした当初は「心的外傷症候群」だったのがいつのまにか「外傷症候群」と「心的」が抜けて本来の意味 からはずれたものをマスコミが使っていることなどを書いていて、なかなか興味深く読むことができた。また、フロイトの学説は疑問点が多いにもかかわらず、 いまだに精神医学の世界では影響力があることも述べられており、納得することが多かった。精神の領域は数値化も映像化もできないので、解明が難しい分野で ある。むしろ機械文明のない昔の方が精神については今よりもよくわかっていたのではないだろうか。
危機に直面する産婦人科医療
平成18年4月15日(土)
先日「危機に直面する産婦人科医療」と題した元広大産婦人科教授の講演があった。聞くほどに気持ちが沈んできた。産婦人科の将来は実に暗く、産科にかかわる医師は減少の一途をたどっているらしい。隠岐島の産科がなくなったニュースは耳新しい話であるが、広島周辺で産科を中止した病院はかなり見られる。産科はいつ生まれてもいいように24時間待機しなければならないし、お産で夜起こされても翌日は朝から通常医勤務が普通である。加えて訴訟の比率が最も多い科である。ではせめて報酬がいいかというと他科と変わらない。これでは新しく産婦人科を選ぼうとする医学生がいるはずがない。
最近も激務によるストレスの所為か脳出血や脳梗塞になった産婦人科医を何人か知っている。一生懸命頑張ってきた結果がこれでは浮かばれない。今必要な解決法はお産の費用を適正にすることである。適正ということは今より高くすることである。先進国の中で日本の分娩にかかわる費用はは安すぎる。いまどきホテルに3食付で1週間も泊まればいくらかかるだろう。お産はそれに加えていつ生まれてもいいように24時間待機して分娩に全責任をもち、生まれた後は母親と新生児の両方のケアをしてせいぜい40万円である。アメリカでは1日入院で100万円だそうでこれなら医師も3交代せめて2交代でできるし、麻酔科の医師と小児科の医師も立ち会って安全なお産ができるだろう。安全のためのコストを確保できるだろう。お産の数も今の半分以下にしてもやっていけるだろう。それでやっと他科の平均的な医師と同じ生活ができるようになるのである。今のままでは本当に産科はなくなってしまうかもしれない。