カテゴリー 好きなもの

ハーレムゴスペルクワイアのコンサート

平成16年12月11日(土)
昨夜はハーレムゴスペルクワイアのコンサートに行った。このグループは15年の歴史を持ち、アメリカゴスペルの代表といわれているそうであるが、その迫力には圧倒された。声量がすごい、低音から高音、高音から低音への移行のスムーズなこと、生来持っているスイングのうまさ、パフォーマンスの巧みさ、どれをとっても超一流であった。一人一人がすばらしいシンガーである。さすがに世界に通用するグループはすごいと感心した。
家へ帰ってテレビを見ると、70年代80年代のフォークなどの映像が映されていたがあまりの違いに驚いた。以前は結構好きだったし今も嫌いではないのだが、あんなすごいのを経験すると日本のものがアマチュアかと感じるぐらいに違う。どう考えても世界には通用しないだろうと思った。もし通用するものがあるとしたら、日本に古くからある民謡ぐらいだろうか。むこうの真似をしても日本の国内以外では通用しそうにない。DNAが違うとしか言いようがない。そう思わせるぐらいすごかった。
今日は土曜日であるが朝からばたばたと忙しく、夕方になってやっと落ち着いているところである。

「縁」という言葉

平成16年11月22日(月)
「縁」という言葉は非常に深い意味を持った日本語である。おもに男女の間をはじめ人間関係で使われるが、就職活動でめざす会社に入れなかった場合でもその会社に縁がなかった、というふうに使われるし、そのほか色々な場面で使われてぴったりする言葉である。どんなに愛し合ったカップルでも別れてしまえば「縁」がなかったということだし、社内で頑張って上のポストを狙っても本人の力とは関係ない理由でだめなこともあり、こういう運も含めたもろもろの現象をまとめて「縁」というのである。もともとは仏教の言葉で、原因によって結果を生じるがその原因を助成するさまざまな要因のことを「縁」といったようだ。
なにげなく使っている言葉であるが、考えてみると実に深い意味があるものだと改めて思った次第である。

深井克則のジャズライブ

平成16年11月8日(月)
今日は暑からず寒からずいい日和である。土曜日には深井克則のジャズライブがあり、がらにもなく聴きに行ったがなかなかよかった。また機会があれば聴きに行こうと思う。なにしろ男声合唱からクラシック、演歌、フォーク(古い!)、中島みゆき、ジャズ、尺八に至るまで音楽の好みにまるで節操がないのである。 節操はないが好みは年齢と共に徐々に変わってくるようである。
最近は休憩時間はジャズか尺八ばかり聴いている。今のところこの組み合わせが一番である。

嚢中の錐

平成16年11月4日(木)
好きな言葉に「嚢中の錐」というのがある。この言葉をはじめて知ったときはあまり気に止めなかったが、年をとるにつれて味わい深い言葉だと思うようになった。中国の史記に出てくる故事からの言葉だそうであるが、すぐれた者や実力のある者は必ず頭角を現すというほどのことだ。実際今までの経験では、この言葉はまことに真理だと思うことが多いのである。問題は頭角を現した後であるが、成功するために大切なのは、運・鈍・根でいえば根ではないだろうか。若い頃は才能こそすべてだと思っていたが、経験を重ねいろいろな人物を見てくると見方が変わってくる。人生はマラソンのようなもので根が大切だとしみじみ思う のである。
今日は診療日誌らしからぬことを書いてしまった。

藤城誠治のレフグラフ

平成16年11月1日(月)
今日から11月だ。昨日は昼から雨が降り、テニスが雨天中止になった。もっとも午前中に3試合はできたが。午後からは下関に行ったときに見つけていた藤城清治のレフグラフが届いたので、クリニックの診察室に掛け替えておくことにした。前の絵は開業したときに同業の先生から頂いてずっと掛けていたのだが、気分一新のためである。さすがに気に入って手に入れただけあって、診察室の雰囲気が違うように感じる。今日は朝から時々絵をながめてニタッとしている。事情を知らない人はいささか不気味かもしれない。影絵で有名な藤城清治の作品は小さいころから教科書でも見たことがあったが、レフグラフという技法でたくさん作られるようになったのである。原画などとても手が出ないがレフグラフならちょうど良い。もう一枚ぐらいあってもいいかと思っている。
芸術の秋である。音楽はもともと好きであったが、絵画はあまりよくわからなかった。ところが年をとるにつれて絵もいいと思うようになってきた。フェルメー ルの絵などは写真でしか見たことはないが、一度実物を見たいと思う。時々日本でも展覧会をやっているようであるが、なかなか行く機会がないのが現実である。がんばって行けるように仕事をしよう。

かけす

平成16年9月8日(水)
台風一過、昨日の風雨がうそのようなおだやかな日となった。もうすっかり秋だ。尾崎喜八という詩人の作品に「かけす」という詩があるが、その一節に「山国の空のあんな高いところを/二羽三羽 五羽六羽と/かけすの鳥のとんでいくのがじつに秋だ」というくだりがあるが、窓から空を見上げていると思わずその詩を口ずさみたくなる。
このままおだやかな日が続いてくれることを願って一日を終えよう。

男声合唱曲はすばらしい

平成16年9月6日(月)
誰でも好きな音楽があり、何回聞いても飽きない曲があると思うが、私の場合は飽きない音楽の一つに男声合唱曲がある。合唱曲などどこが面白いのかと思っていたのだが、学生時代にはまってしまった。当時(今でも)最高のレベルであった慶応大学ワグネルソサエティー、関西学院グリークラブなどのファンでもあった。その後しばらく聞く機会がなかったのが、40代になってから無性に聞きたくなり、これらの合唱団のCDを手に入れてからは何度聞いても飽きない。日本のものなら多田武彦の作品がいい。外国のものならメロディーの美しいものが好きであるが、黒人霊歌やロシア民謡も聞いていて飽きが来ない。ロバートショウ合唱団は40年ぐらい前に、ほんの短期間だけ結成され、録音が少し残っているだけであるがまさに最高の合唱団だったと思う。今でもCDが売れつづけている。惜しむらくはもっとたくさんの曲を残しておいて欲しかったことである。
これらの曲を聞く度に、こんないいものに出会えてよかったと思う。

北山修のコンサート

平成16年5月6日(木)
連休が終わってしまった。大阪でのコンサートはなかなかよかった。さすが北山修である。長崎や愛媛など全国から50台~60台のおじさんやおばさんが集まっていた。団塊の世代がほとんどだろう。かく言う私もそのはじっこにいるのだ。最近はこれらの世代の人達がいやに目立っている。さすがに人数の最も多い世代で、きびしい生存競争をくぐりぬけてきた人だけに、そのパワーには目を見張るものがある。
今日は半日なのだが、患者さんが多かった。深刻な話はなく、ごく普通の日常にもどったという感じである。