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桃の節句

平成19年3月3日(土)
今日は桃の節句。旧暦の3月3日は実際は今の3月27日だそうで、桃の花もそろそろ咲く頃になっていると思われる。やはり旧暦の方が使いやすいし季節とのずれがなくて風情がある。
わが国の暦は歴史のある旧暦にもどして新聞、テレビなどもそのように表現したらどうだろう。もちろん世界との一致のために西暦の併用はするけれど。度量衡の単位について言えば、フランスではメートル原器を作って世界中に広めたが、実際は伝統的な別の基準を使っている。アメリカも時速はマイルだしガソリンはガロンだ。日本だけが○○の一つ覚えみたいに律儀にメートル、キログラムを使い伝統的な単位をなくしてしまった。尺貫法が最も実用的だったのに。今でも土地の広さは坪が最もわかりやすく、平米で表されてもなかなか広さのイメージがわかないのである。

妊娠・出産に関するアンケート

平成19年2月27日(火)
厚労省委託のアンケートに答えを書いていていろいろ考えさせられた。
妊娠・出産に関するアンケートで、不妊治療や代理出産、育児に対する考え方などたくさんの設問があり、それらに対して専門家としてどう思うのかという問いである。さらに、それらの設問に続いて「あなたが当事者ならどう思いどうするか」と問いかけており、それが前の同じ設問の答えと違っていることに気がつき複雑な思いをしたのである。
たとえば妊娠を望むカップルのうちの男性が無精子症で妊娠させる能力がない場合、他人の精子を使った人工授精は認めるか、という設問には当然「認める」と答えたが、「それではあなた自身がその立場ならどうするか」との設問にはたと考えてしまった。実際にその立場になってみないとわからないが、自分ではそこまでして子供が欲しいとは思わない。子供がいないのも一つの生き方だと思うからだ。でも、もしパートナーが強く希望していたらどうだろう、あるいは代々続く名家の唯一の跡取りだったら自分の代で途絶えるのは先祖に申し訳ないと悩むだろうし、自分だけの判断では決めかねる場合があるだろう。
専門家としての考えと自分ならどうしたいかとの齟齬を感じたことであった。

正しいコレステロール値は?

平成19年2月23日(金)
最近の知見によれば、50歳以上の女性のコレステロールは280mg/mlまでは治療の必要はないという。これは米国の研究と日本のきちんとしたデータに基づいたもので、信頼できる報告である。さらに、特別な場合を除いて35歳未満の男性と45歳未満の女性にはコレステロールの検査そのものが必要ないとのことである。
以前からコレステロールの正常値が下げられたのを不思議に思っていたが、やはり意味のないことだったかと改めて思ったが、それまで高コレステロールはよくないからと恐れさせられて、高価なスタチン製剤を服用させられていた人はどうなるのだろうか。本来、このような結果がでるだろうということはプロである医師であれば予測がついて、世間・マスコミ・権威者がなんと言おうと患者さんを無駄な検査・治療から守るべきものなのに、その医師が率先して検査しまくり薬を出してどうするのか。スタチン製剤は高価なだけでそれほど副作用はないことが救いだが、エイズの時の血液製剤はとりかえしのつかない損害を与えてしまっている。
健康診断・ドックが意味がないことがわかってきたのなら広く知らせて、その膨大な費用を介護にまわせばどれほどいいことか。検査と違って介護はお金をかければそれだけよくなるのだから。

医療崩壊

平成19年2月19日(月)
「医療崩壊」を読むと、近年病院に勤務する外科系の医師がその責任の重さと勤務の過酷さ、さらにそれに対する報酬の少なさのために辞めて開業したり、もっと楽なところへ行ってしまう傾向があるという。
他科のことはわからないが、産婦人科について言えば間違いなくそうなっているし、そもそも新人が来ない科になっている。かつては東大でも成績の良い学生が産婦人科を選択した時代もあったという。その頃は産婦人科は収入もよく、尊敬もされていてやりがいがあったようである。今は、収入は他科と変わらず勤務体制ははるかに過酷で、母子に何かあればたとえ責任がなくても非難されるご時勢である。この10年間で見ても、すべての科の医師は増えているか悪くても横ばいであるが、産婦人科だけは減っているのである。だれが産婦人科を選ぶというのか。女性医師は増えているが自身のお産や育児などクリアしなければならない問題も多く、なにより一生分娩に携わることが難しい現実がある。これからどうなっていくのかわからない、というのが実感である。

睡眠時無呼吸症候群

平成19年2月15日(木)
夜講演会のあとでアルコールを少し多めに飲んだせいか、朝の目覚めがよくない。二日酔いではなく、睡眠時無呼吸症候群によるものと思われる。仰向けに寝ると舌根沈下がおこり呼吸が止まるらしい。横向きだといいようだが、あいにく昔から仰向けに寝るのが好きなのだ。普段はそうでもないが、風邪気味の時とアルコールが過ぎた時がよくないようである。最近日本酒ばかり飲むようになったのも影響があるのだろうか。少し節制した方がいいかもしれない。

旅行は国内

平成19年2月9日(金)
若い頃は旅行といえば、まだ行ったことのない所を訪れることが第一の動機だった。だから珍しいところならどこでも行ってみたいと思っていた。子供が小さい頃は、子供の喜びそうなところを考えて旅先を決めたものだった。
今は、なんといっても「美味しいものがあること」と「歴史を感じることのできる名所・旧跡があること」さらに「時間を取られずに行けるところ」が大切である。だから、行ってみたくなるのはその条件を満たす所ということになる。そうでなければわざわざ行かなくてよいのである。だから海外にはあまり行きたいと思わない。ヨーロッパは歴史もあり条件は合っているがなにしろ遠すぎる。行きと帰りにあの狭い飛行機の中でそれぞれ半日以上費やすのは、なんともうんざりする。それだけ時間をかけて往復するのなら、ある程度長く滞在しなければもったいない。せめてアジアぐらいの距離なら行ってみたいが、まとまった休みがとれない。結局、国内旅行ということになるのである。さらに、今は和食がいちばんおいしいと思うし、世界中の食を取り入れた日本の食文化はすばらしく、いながらにしてなんでも食べられるのでわざわざ時間とお金をかけて海外へ行く必要がないのである。

茶番劇

平成19年2月6日(火)
「女性は産む機械」との柳澤大臣の発言が話題になっている。「機械」という部分だけをとりあげれば確かに問題だろうが、前後の文脈から特に女性蔑視の意図は感じられず、むしろ言葉のプロである政治家にしては発言が拙いという印象である。それに対して鬼の首でも取ったように声高に非難するマスコミ、女性議員の態度はどうもいただけない。少子化が進んでいるのは事実だし、それに対する有効な対策が立てられていないのも事実であるから、有効な対策を立てるよう精一杯の努力をして欲しいのであって、言葉尻をとらえてしつこく攻撃するのは正直言ってうんざりする。この茶番劇を醜いと思っている人は多いのではないだろうか。

雪が少ない

平成19年2月2日(金)
2月になって全国的にやっと雪が降ってきたようだ。島根県で毎年行われていた雪合戦の予選も、雪がないためにお手玉で行ったとか。それらも含めて暑い季節は暑く、寒い季節は寒い方が良い。今回の雪でスキー場は喜んでいるそうだが、これも短時間でおしまいになりそうである。世界的に暖冬なのは今だけなのか、これからも続くのか。去年も書いたが、旧暦では今が正月である。やはり旧暦の方が風情があると思われる。

藤原正彦氏のエッセイ

平成19年1月31日(水)
数学者藤原正彦氏がエッセイに書いていたが、大きな紙に等間隔で平行の線を何本も引き、そこへ平行線の間隔の半分の長さの棒を落とした場合に、棒と平行線が触れる確率はπ分の1だそうである。それに対して読者から実際に実験して調べたら、ほぼそのとおりだったという便りがあったという。その人はなんと、大きな紙に等間隔の平行線を引き、コップに入れた5本の楊枝を2,000回落としてみたところ誤差が1%で正しかったという。さらにコンピューターで試行実験をしたところ、π分の1との誤差は1億回で0.02%、3,000億回で0.0006%になったとのこと。
世の中にはヒマな人もいるものだが、真理はきれいな数字になるものである。そしてそんな一見ムダだと思われるようなことを考えることは、必要なことなのだと思う。

福島県立大野病院の事件

平成19年1月27日(土)
相変わらず暖かい日が続く。1月の終わりとは思えない毎日である。スキー場は雪が降らず営業できなくて困っているらしい。
昨日、福島県立大野病院の産婦人科医師の公判が行われた。新聞によると、医師は無罪を訴えているそうである。癒着胎盤によって亡くなられた患者さんは本当にお気の毒である。今回のケースは、通常の産婦人科医ならほとんど経験したことがないぐらい稀で困難な手術であり、その場にいても自信を持って救命できるといえる医師が何人いるだろう。さらに、救命できなかったからといって、警察が逮捕するのはおかしいと思う。それなら、全国すべての病院で癌の手術、心臓の手術、脳外科の手術をはじめいかなる手術でも、不幸にして患者さんが亡くなったらすべて逮捕しないと公平を欠くことになる。きちんと説明をして納得してもらうようにすることは不可欠であるが、警察が関与するのは筋違いで事件性があるとは思えない。
お産は安全だと思っている人が多いが、お産に深く関わってきた産婦人科医ならば、一つでも悪い方にいけば亡くなってもおかしくないぐらい危険と隣りあわせだということを実感しているのである。