カテゴリー 日誌

久しぶりの引っ越し

平成21年7月1日(水)
家のリフォームのためにプチ引っ越しをすることになった。気が重いことである。広島に落ちつくまでに大学の医局の命令で、中四国のいくつもの病院に赴任させられさんざん引っ越しをしたが、最後に引っ越しをしたのは開業する直前だったから12年以上前になる。
若い頃は元気もいいし引っ越しはそれほど負担に感じなかったが、今回はリフォームのためなので必要なものだけ持って、近くのマンションに3か月だけの予定であるが実にイヤである。いちばん気になるのが愛犬「まろ」のこと。玄関につないでいるので、リフォームの間もそのままつないでおいて、朝晩散歩に連れて行く計画にしているが工事中に職人さんたちとうまくやっていってくれるだろうか大いに心配なのである。
「まろ」は最近食欲がなく、ドッグフードはほとんど食べないし好物の納豆やソーセージもしぶしぶ食べているようである。毎年夏になると食欲が落ちるので今年もそうなのかとは思うが、これから家に自分たちがいなくなり、見知らぬ職人さんたちが出入りするようになったらストレスで血を吐きはしないかと思う。リフォームで住みやすくなる喜びよりも、こっちの方が心配である。

使いたくない言葉

平成21年6月26日(金)
違和感を持ったり使いたくない言葉はそれぞれの人にあると思う。自分の場合、職業柄よく聞く言葉では「看護師」という言葉と「患者様」という呼び方に違和感を覚える。明治時代(もっと前かも)以降百年以上定着していた「看護婦さん」を今の言葉に変える必要があるのだろうか。「患者様」は今までどおり「様」と言わず「さん」と言えばいいのだが、「看護師」は言葉自体を変えてしまったのでどうしようもない。
自分が病院を受診したとして、医師や看護師、受付の人から「○○様」と呼ばれたらぞっとする。銀行や高級サロンではあるまいし、やはり「○○さん」がいちばんしっくりする。また「看護婦さん」という呼び方には、病んだ心身を癒してもらえるような安心感があるが、「看護師さん」ではよそよそしさを感じるのである。こんな呼び方にわざわざ変えた人たちの見識を疑う。

臓器移植法案

平成21年6月20日(土)
臓器移植の法案が衆議院で可決された。脳死をヒトの死と認めることを多数決で決めたことになる。
以前にも書いたが、ヒトの死という根源的な問題を国会議員に多数決で決めてほしくない。臓器移植をするために仕方なく決めたと思われるが、そもそも医療は個人的なものである。臓器移植にせよ借り腹問題にせよ他人がとやかく言う問題ではない。お互いが納得できていればいいと思う。
犯罪や金儲けは絶対にできないように監視することは必要だが、日本人の死生観からはこれらの行為がエスカレートするとは思えない。もっと議論を深めて、脳死をヒトの死とわざわざ言わなくても可能な方法もあるだろう。真理は多数決とはもっとも遠いところにあると思う。

サイモンとガーファンクル

平成21年6月10日(水)
サイモンとガーファンクルが来日して大阪でコンサートをするそうだ。同世代の友人知人が何人も行くそうである。高校時代にはじめて聞いた「サウンドオブサイレンス」は衝撃的であった。以来、彼らの創り出すメッセージを含めた高い音楽性の曲たちは、我々を魅了し続けた。そういう人たちでコンサート会場は埋め尽くされることだろう。
青春期に影響を受けた音楽は、いつまでもその人にとって魅力を持ち続けるものである。最近よしだたくろうが復活しているし、矢沢栄吉も健在である。一方、かつてファンだった歌手が年をとって衰え、声が思うように出なくなったのにテレビのリバイバル番組で歌うのを見るのは無残である。大切にしていた思い出が壊されるようで、きっとその歌手も自分の衰えがわかっていると思われ、お互いにつらいことだ。サイモンとガーファンクルはどうなのだろうか。

5年日記

平成21年6月3日(水)
朝から雨が降っていて、6月になったばかりなのに梅雨を思わせるような天気である。昨年の今頃は何をしていたか思い出せないので、そのような場合はこの診療日誌を見ることにしている。細かいことは思い出せないが、その頃の心境や雰囲気は伝わってくるからだ。ついでに一昨年、その前の年の日誌なども見ると毎年同じようなことをやっていることがわかる。
私の父親は今86歳になるが以前は5年日記なるものをつけていた。この日記帳は、同じページが5段に区切られていてそれぞれの段毎に年が変えてあるので、前の年は何をしていたかすぐわかるようになっている。今は3年日記にしているようであるが、毎日書くのは大変ではないかと思うが習慣になっているのだろう。
一日一日の積み重ねで時が過ぎて行くのだから、これから先もあまり変わり映えしないことだろう。でも、平穏な日々が続くことがなによりのことだと思う。

ウオーキング

平成21年5月30日(土)
最近久しくやっていなかったウオーキングを復活させた。開業してから運動不足の解消のため、夜食事の後カミさんと近所を歩くようにしていたが、いつの間にか晩酌と食事の後はそのまま寝るようになってしまっていたのである。
クリニックまではできるだけ自転車で通うようにしてはいるが、運動不足は解消できない。少しでもじっとしていると、体を動かしたくなる。かといって激しい運動はもうできそうにない。だから音楽を聞きながら、話をしながら歩くのが一番無理がなく長続きしそうなのだ。新球場あたりまで往復するとちょうどいい距離である。いつまで続くかわからないが、しばらくはやってみるつもりだ。

おいしい昼食

平成21年5月23日(土)
年のせいか昔と比べて食べる量が減っている。それにもかかわらず体重が減らないのはどうしたことか。ずいぶん前から朝はコーヒーのみ。昼と夜はふつうに食べるようにしている。もっとも夜は晩酌するので、ご飯は茶碗半分ぐらいであとはつまみばかりである。つまみは肉と魚を適当におりまぜて多種用意してビールと冷酒で食べる。だから昼飯は最も普通の食事となる。以前朝食を食べると昼が欲しくなくなるので朝食をやめて以来、このスタイルを続けている。
昼食はクリニックの近くで食べるが、おいしい店がたくさんあるのでどこにしようか考えるのも楽しい。うどん、そば、てんぷら、すし、カレー、串焼き、とんかつ、ピザ、焼き飯、ラーメン、小料理などそれぞれ行く店は決まっていて注文するものも店ごとにほぼ同じである。我ながら保守的だと思うが、好みはそんなに変わるものではないので仕方ない。でもどの店もじつにおいしいし、レベルが高いと思う。このあたりは広島でも最も飲食店の集中しているところなので、選べることはありがたいことである。

脳死はヒトの死か

平成21年5月16日(土)
脳死についての新たな取り決めが検討されている。脳死は人の死か、という問題である。
ヒトの死とは心臓停止、呼吸の停止、瞳孔散大が不可逆的におこった状態をいうことが今までの常識であった。でも、臓器移植のためには脳死のみで死と確定しないと移植できないことがわかったので、脳死をヒトの死と決めて臓器移植をしているのが欧米の国々である。わが国では死生観が欧米と異なっているために、脳死をヒトの死と認めるには違和感があり、さらに臓器移植に対しても同様の気持ちがあった。だからこれだけ時間をかけて議論しても先へ進まない。
わが国の死生観は欧米とは異なっているが、長い歴史に基づいてできたものであるから、我々の心情に即している。このままでいいと思うのである。

休日は新幹線

平成21年5月9日(土)
連休明けはさすがに忙しかったが今日はもう平常のペースだ。連休は一日岡山へ日帰りで行ったが、高速道路は混雑が予想されたので新幹線で往復したところ大正解だった。その日は高速道路が上下線共に事故があったのでかなり渋滞したとの報道があったからだ。もっとも友人宅で酒盛りをする予定だったので車では行けないのでちょうどよかった。
今回の連休の事故の多さは予想以上だったようだが、責任はすべて政府にある。マスコミはどうして政府のばかげた政策を批判しないのだろう。高速道路の通行費を安くしたために、かえって国民を苦しめてしまったのである。こんな単純なこともわからない指導者とそれに迎合するマスコミを思うと、この国がますます壊れていくようで怖いことである。

高速道路無料化に思う

5月2日(土)
大型連休が始まったが、当院は祝祭日以外は開院しているので本日もいつもと同じである。
今年は、高速道路はETCがあれば土日祝日は1000円というふざけたことを始めたせいで、混みまくることは必然である。この前の日曜日でも志和・広島間が20Kmの渋滞となっていた。まったく政府は国民を舐めきっているとしかおもえない政策を次々と打ち出してくる。とはいえ、国民はこの程度の政策で政府与党に投票しようとするだろうか。もちろん1,2000円はありがたく頂くし、ETCも付けたいと思う。でも今乗っている車は実に快適で気に入っているが、もう10年も乗っているのでそろそろ買い替えの時期になっている。だから今ETCをつけても困ることになるのでETCは付けない。高速道路を正規のお金を払って利用するのは損した気分になるので使いたくないのが本音であるが、どうしても必要なこともある。
連休の間はあまり遠くに行かず、近場でのんびりするのがいい。もっといえば仕事をしているのが一番賢いのかもしれない。そして混んでない普通の時にゆっくり休んで旅行すれば快適だろう。現実では無理な話だけれど。