平成23年10月25日(火)
医学部の同窓会報を見ていたら、1学年上の先輩が「松岡良明賞」を受賞したという記事があった。この賞は山陽新聞社会事業団より、がん撲滅に貢献した個人または団体に年間1組与えられるという。受賞したT先輩は卒業後医局に入らず、自身の痔の手術をしてもらった病院の門を叩き、尊敬する院長のもとで30数年間、痔の手術と大腸内視鏡をひたすら行ってきたそうである。
岡山県北の農家の三男として生まれ、親族には医療関係者は一人もいなくて医師の何たるかも知らず、朝9時出勤し夕方6時に帰宅するのが当たり前と思っていたところ、尊敬する院長から「T君、臨床の医者というものは、そういうことではいけんじゃろうが」とぼそりと言われた言葉が天啓となって以後、元日以外は年中無休で仕事をしてきたそうである。
自分もT先輩と同じく農家の三男として生まれ、親族に医療関係者はいないところまでは同じで、親しみを感じるが、その後の彼のぶれない生き方と努力には頭の下がる思いがする。
学生時代、マージャン牌の正しい(美しい)ツモり方を教えてくれたT先輩、おめでとうございました。
カテゴリー 日誌
先輩の受賞
ファームノラ
平成23年10月17日(月)
昨日はクリニックの内装を完成することになっていたので待機するつもりでいたが、夕方までかかるということで天気もいいし津和野方面にドライブに出かけることにした。津和野は何度か訪れたことがあるが、この日は山口大学オーケストラの部員が5名来て野外ライブでバッハ、モーツアルトの4重奏などを演奏していた。考えてみれば息子と同じ年頃の学生たちが一生懸命演奏しているのである。思わず「よかったよ、これからも頑張って」と声をかけたが実際いい演奏であった。惜しむらくは駐車場の管理をしているオッサンが、手打ちそばの店を紹介したので行ってみたが最悪だったことである。これ以上まずくは作れないという代物だった。
帰りに191号線沿いにある「ファームノラ」というユニークなレストラン?で美味いピザとカレーを堪能して、まずいそばの仕返しをした。ここは自然のままの林の中に、手作りの丸太小屋のような建物をいくつか建て、屋外でも食べられるようになっている。結婚式も行われるそうである。入口で2匹の犬が友好的に迎えてくれるのも気持ちがいい。立木の間にロープでブランコがぶら下がっていて、ハイジのブランコのようだった。また行ってみたいと思ったことである。
回文
平成23年10月11日(火)
日本語は漢字、ひらがな、カタカナを自由に使って表現できる、習得は難しいけれど世界で最もすぐれた言葉だと思う。日本語の言葉遊びに、上から読んでも下から読んでも同じという「回文」がある。「たけやぶやけた」「談志が死んだ」などはよく聞くが、今まで聞いた中で傑作だと思う回文は「酢豚作りもりもり食ったブス(すぶたつくりもりもりくつたぶす)」である。文章がなめらかで無理がなく意味もはっきりしている。週刊誌で読者からの回文投稿のコーナーの作品を見ることがあるが、これをしのぐ回文を見たことがない。
高校時代、息子のクラスメートに岡君と長岡君がいたそうである。ある時クラスの一人が「できた!」と叫んで披露したのが「岡の顔が長岡の顔(おかのかおがながおかのかお)」という回文であった。実在の人物を使ったこの作品も傑作だと思うが、日本語はこういう言葉遊びもできるすばらしい言語である。
心ない言葉
平成22年10月2日(日)
当院でピルを処方している患者さんが、職場の婦人科健診のために健診施設を受診したところ、異常を指摘されたと不安そうに来院された。担当の医師が「腹水がたまっているので詳しい検査が必要だ」、「あなたの卵巣は小さいから妊娠は難しいかもしれない」と言ったという。本人は驚いて「かかりつけの病院があるので」と、あわてて当院に来られたわけである。
分娩歴もあり、婦人科の異常はないことを確認していたので、おかしいと思いながら診察したところ、確かにダグラス窩に少量の腹水は認められた。でも、後屈子宮では構造的に腹水の存在がわかりやすくなるだけで、異常とはいえない。また、卵巣についてもピルを使用していると排卵が抑制されるのでやや小さくなることはあるが、ピルを中止すればすぐに元にもどる。その旨お話したら安心されたのでほっとしたが、こんなことで患者さんを不安にさせた医師に対して思うことがあった。
医療の目的は治療を含めた「癒し」だと思うが、これが本当に難しいことは日々感じることである。それでも少なくとも、患者さんが不安な気持ちになるような言葉は慎んでもらいたい、と強く思ったことである。
クリニックの内装
平成23年9月27日(火)
クリニックの床とクロスの張り替えを行った。一見、それほど劣化していないように見えるので一年、また一年と延ばしていたが、これ以上は無理だと思って業者と相談して日曜日に一日で強行することにした。結局7割しかできず残りは後日になったがとりあえずはこれでよし。
開業4年足らずの平成13年(2001年)3月24日土曜日午後3時27分、マグニチュード6,7の芸予地震が発生した。瀬戸内海広島沖、安芸灘直下が震源地で、県内の最大震度6弱、広島市は震度5弱だったそうである。ちょうど外来診察中で患者さんが診察台から下りたところで大きな揺れが起こり、机にしがみついたがこのまま揺れが続いたら建物が崩壊するのではないかと実に怖かった。幸い揺れはじきにおさまり患者さんにもスタッフにも怪我はなかったが、医療器具を収納している重いスチール製の戸棚が倒れ、器具は散乱しガラスは破れ、後片づけが大変だった。困ったのが壁のクロスに破れが生じたことである。少しずつ何か所もあり全面交換するほどでもないが、気になるので業者に頼んで応急処置をしてもらったけれどそこに目がいくたびに不快であった。
震度5弱でもこの被害である。あらためて東日本大震災の規模の大きさと被害の深刻さを思ったことである。
秋分の日
平成23年9月24日(土)
秋分の日の昨日、秋晴れの爽やかな一日に岡山から友人夫婦が次女の孫を見に我が家に来てくれた。友人の次男夫婦とその子供も伴って。娘たちにとっても、小さい頃から家族ぐるみで旅行に行ったりしているので親戚のようなものである。長女も娘を連れてきて大人9人、孫3人の宴会となった。
子供たちの年も同じくらいで同じ頃に結婚しているのでいっそう親しみが増すようである。友人の持参したワインを飲みながらわれわれジジババたちが談笑している間、子供たちや孫たちの笑い声が絶えなかった。一緒に旅行に行きはじめた20年前に、このような日が訪れることなど誰が予想できただろうか。うれしい一日であった。
伊勢・志摩
平成23年9月20日(火)
久しぶりの連休なので伊勢参りを兼ねて伊勢・志摩に行ってきた。伊勢参りは江戸時代より「おかげ参り」といわれ、めでたいことがあったことのお礼の意味で行われていたという。最盛期には年間450万人、当時の人口からいうと5人に1人がお参りしたほどのブームだったそうである。孫も無事に生まれたし、一度は行っておきたかったので思い立ったわけである。幸い、宿は前から泊まってみたいと思っていた志摩観光ホテルが予約できた。
伊勢神宮には外宮の豊受大神宮と内宮の皇大神宮の二つの神様が祭ってあり、御祭神は天照大神で御神体は三種の神器のひとつ、八咫鏡(やたのかがみ)である。参拝者は思ったよりもはるかに多く、特に内宮の門前町を擬したおかげ横丁は人また人で、まっすぐには歩けないくらいであった。内宮は山全体が聖地になっていて、苔むした木々の間を歩いていると、聖なる霊気に触れるような思いがする。わが国は仏教も強く根付いているが、古事記にもあるように大本は神々の国である。初詣に神社にお参りして祈るのは、我々の生活の一部になっている。その大本ともいうべき伊勢の聖地を訪ねることができたのはありがたいことであった。
ロバート・ショウ合唱団
平成23年9月12日(月)
久しぶりにロバート・ショウ合唱団のCDを聞いてみた。曲は黒人霊歌、フォスターの作品、シーシャンテなどであるが実にいい。ロバート・ショウ合唱団は、1949年アメリカで設立され、またたく間に全米屈指の合唱団として評判になり、その演奏のすばらしさをトスカニーニに認められたそうである。活動期間は短かったが、その時に録音した音源はいまでもCDとして売られ、根強い人気がある。
大学時代にこの合唱団のレコードを聞いてそのすばらしさにしびれていたが、その後も折に触れて聞くたびに、上記の曲をこれほどすばらしく演奏できる合唱団はもう二度と出ないのではないかと思ってしまう。人間の声ほど魅力のある楽器はないと思うが、その声を使ってこれほどすばらしい演奏を行ったのは奇跡に近いことだと思うのである。
人工妊娠中絶術について
平成23年9月5日(月)
人工妊娠中絶術と流産の手術は開業後多件数行っているが、毎回特に注意力を集中して行う手術である。一番大切なのは子宮頸部と子宮腔をわん曲に合わせて拡張するところであるが、この時に注意しないと穿孔の危険がある。さらに内容を排出させる場合、組織が残ってはダメだしかといって必要以上に掃爬しても子宮内膜が薄くなるので、この加減が難しい。鈍匙の指先に伝わる感覚が大切である。麻酔薬の量も人それぞれ微妙に効き方が違うので、その時の状態に合わせて量を調節している。手術を終えたら超音波で確認して終了とするが、それでも組織の一部が遺残することがある。ほとんどの場合は自然に排出されるが、時間がかかる場合はお話して再掃爬させていただく。
この手技は産婦人科医にとっては基礎の中の基礎ともいうべきものであり、ベテランの医師にとってはありふれた手術である。だからこそ30年間この手術をやってきた自分でも、いつも初めての時と同じように気持ちを引き締めて行うのである。
セブンイレブンの撤収
平成23年8月30日(火)
昼休みに食事に出たら驚いたことに、筋向いにあったセブンイレブンの撤収作業をしていた。たしか昨日までは営業していたはずである。よく店が入れ替わること。店のあった場所はこの14年でミスタードーナッツ→スターバックス→セブンイレブンと替わってきた。クリニックを開業した頃に作ったパンフレットやホームページに、場所を示す目印として使っていたので、なんども変えるのはかなわないと思っていた。セブンなら簡単には替わらないだろうと思っていたが甘かった。次には何ができるのか知らないが、もう目印に使うのはやめよう。
もっとも、いちばん大きく変わったのはダイエーがあった場所である。ダイエーがなくなってデオデオになり、今は駐車場(グランドパーキング本通)になっていることをだれが予想できただろうか。広島の中心で最も変わりやすい場所とはいえすごいことである。