平成25年9月6日(金)
老朽化してきた広島医師会館の移転と新会館の建設が決まった。広島駅の北側、二葉の里に県、市町、広島大学、医師会等が連携して高精度放射線治療センター、地域医療総合支援センターとして建設することになった。駅のそばなので、全県から集まる会員や患者さんのためには便利になることだろう。問題は駅の北側の道路事情が悪いことである。高速5号線の計画はなかなか進まないし、5号線が完成したとてもバイパスではないので一層混雑することは明らかである。
広島空港の移転は近来まれにみる愚策であった。それまであった空港を海に延せば建設費用もかからず、今まで通り便利に使用できたのに、現空港のあまりの不便さに利用者は減る一方である。
また、広島大学の移転も信じられないことである。手狭になったのなら高層建築に替えればいい。わざわざ東広島に広大な土地を開発して、大金をかけて不便にすることはないだろう。学生がかわいそうである。
広島市民球場は先年移転して設備の整ったマツダスタジアムになった。今はお客も増え成功しているようだが、球場跡地をどうするのか決まらない。そういえば広島大学跡地は一部マンションになっている。なんたるムダ!
こうして見ると広島県政は移転が好きなようである。本当に必要があって移転するのならいいが、まず移転ありきの姿勢しか感じられないものが多い。医師会館の移転はうまくいってほしいものである。
カテゴリー 日誌
移転の好きな広島
最近の昼食
平成25年8月30日(金)
開業して16年、気にいった店には飽きもせず毎週1度は食べに行っている。かつて気にいって通っていたが、店主が高齢のため閉めたり、そのほかの理由で現在なくなった店などもあり時の流れを感じる。それでも多くの店はこの十数年変わらず、美味しい料理を提供してくれているのはありがたいことである。
偶然見つけた「こけもも」という店のビーフカツはいい肉を使って塩加減、焼き加減が好みにピッタリで毎週通うようになり、昼食のローテーションに入ってしまった。ここは1年前に若い夫婦のシェフが始めた小さな店だが、味がしっかりしているのでいつも満席である。奥さんシェフは広島の老舗洋食屋「広亭タナカ」の長女さんとのことで、さすがだと思ったことである。若い才能が出てくるのはすばらしいことで、このまま頑張っていってほしい。
井川 樹著「ひろしま本通物語」
平成25年8月22日(木)
本通りの近くに開業して16年、いつも身近に感じていた「本通り」の本が出版された。著者は広島に住んで30年、広島一、中四国一の商店街でもある「本通り」を愛する一市民、消費者として著したという。
「本通り」は旧山陽道「西國海道」にほぼ重なっており、現存する最も古い赤松薬局は、広島城が築かれた1615年に現在の場所に店を構えている。浅野家の広島入府に従って、和歌山から大勢の商人が追随した。とらや、みたや、てんぐ、永井紙店、おくもと、などがそうである。当時から商業地として栄えており、明治、大正、昭和と次第に現在のような商店街になってきた。原爆による壊滅にもかかわらず、関係者をはじめ多くの人の努力により復活し、週末ともなると1日10万人が繰り出す繁華街になっている。クリニックの近くにある「アンデルセン」は本通りのランドマークとして、買い物、食事、会合などに重宝している。
他にも「本通ヒルズ誕生の秘密」「ひろしま夢プラザはなぜ成功したか」「裏袋から見た本通り」などの章があるが、興味深いのは本通りの商店を克明に記した地図が、「被爆前」「昭和32年頃」「平成12年」「現在」と時代別に掲載されており、商店そのものの変遷が一望できることである。開業したばかりの頃足繁く立ち寄っていた「丸善」もずいぶん前になくなった(最近、天満屋の跡に復活しているが)。この店は3階まである本屋だったが、2階には紳士用品の店と本通りを眺めながらうまいコーヒーの飲める喫茶室あり、よく利用したものだった。こんなことを思い出すことができたのも、この本のおかげである。
お盆休み
平成25年8月17日(土)
今年の盆休みは次女の里帰り出産後と重なって、久しぶりに我が家にほぼ全員がそろっての宴会、その後の花火もできてにぎやかであった。いつも「乾杯」しているので、先日2歳になった次女の長男もすっかり覚えてしまって、「乾杯!」と言えば吸い口のついたお茶のボトルを持ってまねをするようになった。近くに住んでいる長女の子供たちと一緒に走り回って幼稚園のようである。皆が集まって楽しく過ごすことができるのは、本当にありがたいことである。でも、いずれこのような機会は持てなくなるだろう。とりあえず今、この時を大切にして日々過ごして行きたいと思う。
二院制の意味
平成25年8月8日(木)
参議院選挙が終わって感じたことは、またしても選ばれるべきでない人が当選したことである。前回もそうだった。
衆議院と参議院があるのは、衆愚政治にならないための知恵だったはずである。つまり、衆議院は国民の選挙で選ばれるのだから有権者の利益・人気などで決まるのは当然であり民主主義の基本であるが、そのことは同時に衆愚政治に陥る危険性がある。民主党が政権をとり、わが国に大きな損害を与えたのはついこの間のことである。
参議院は衆愚政治に陥らないよう設けられたはずであるが、いつの間にか衆議院と同じ人気投票になってしまった。これでは二院制の意味がない。参議院の本来の役割を取り戻すためには、選ばれる人の資格をきびしくするか、選挙以外の方法で選ぶかのどちらかしかないと思う。今のままではなにも変わらない。
病は気から
平成25年8月1日(木)
「病は気から」という言葉は昔からあることわざである。この1カ月、まさか自分がこれを実感するようになるとは思わなかった。
1か月前にある症状があり、泌尿器科の友人に相談したら「早く検査した方がいいぞ」とのことであった。木曜日の午後しか受診できない自分としては、その後は特に症状もなかったので心配ではあったが休診してまで検査に行く気にもならず、盆休みに友人の病院で検査してもらうことにした。問題はその後である。少しでもヒマがあると最悪の事態を考えてしまう。私は近藤誠医師の説に全面的に同意しているので、早期発見の意義を認めていない。とはいえ、日ごとに募る不安感はどうしようもなく、加えて左前立腺周辺の不快感があらわれてきた。イスに座ると不快感が増すので、診察の時以外は立つか横になるかしていたが、横になっても不快感がおきるようになったので盆を待たず受診することにした。
友人の病院は遠いので、出身大学の後輩が部長をしている広島市民病院で診てもらうことになった。結果、最悪の疑いは晴れたが彼が言うには「慢性の前立腺炎がある場合、または以前炎症があった場合、不安感などがトリガーとなって不快感・痛みを感じる神経回路ができ症状がおきるその典型です」とのこと。1週間、抗生剤などを処方されていたが、それも不要とのこと。以後、痛み不快感もなくなりもとの状態に戻った。
ありがたいことであるが、あの痛み・不快感はなんだったのか。実際、休診するか替わりの医師を頼もうとしていたのだから。思うに最悪の事態を考えて、意識が知らず知らずのうちに前立腺周辺に集中し、神経回路ができ症状がおきたのだろう。まさに「病は気から」のことわざどおりの貴重な体験であった。
広島県の軽井沢
平成25年7月25日(木)
猛暑の日曜日、思い立って生まれて3週間の孫も連れて皆で県北の「ファームノラ」へ行った。11時ぐらいに着いた時には1組しか客はいなかったがその涼しいこと!木立の中に作られた手造りのベンチに座ると爽やかな風が頬に心地よい。石窯前でのんびり座っている店主が「ここは軽井沢ですよ」とつぶやいたが、本当に気持ちの良い環境だった。この店は料理が出てくるのに時間がかかるので、早速注文してのんびり待つことにする。今日はいつものイヌたちはいなかったけれど、羊は囲いの中で草を食んでいた。
その後続々人が増え、あっという間にほぼ満席になった。ドッグランの場所もあるのでイヌを連れてくる人も多い。バイクツーリングの中高年のオジさんたち。皆のんびりとこの環境を楽しんでいる様子である。そのうち注文した料理ができていつものうまい石窯ピザや鴨の燻製、最近お気に入りのボルシチなどを堪能した。下界の暑さがウソのようなひと時であった。
南木佳士の著書
平成25年7月19日(金)
医師であり芥川賞作家、南木佳士の著作は、受賞作「ダイヤモンドダスト」以来、ほとんど読んでいる。群馬県の寒村で生まれ、3歳の時に母親を結核で亡くし祖母に育てられた。中学2年の時に東京郊外の再婚した父親のアパートで孤独な日々を送りながら医師を目指して受験したが、不合格。1浪して秋田大学の医学部に進学、卒業後は郷里に近い長野県の佐久総合病院に勤める傍ら著作を始める。独特の視点ときめの細かい文章で、一定のファンを獲得している。年齢は私より1歳上で、共感を覚える部分が多く、特に精神的に落ち込んでいる時に読むと慰められるやさしさがある。
これらの著作を読んでいていつも思うのだが、優れた作家は書きたいものがあり書かずにいられないのである。それにしても著作だけで生活していく作家は、職業として成立させるのは難しいだろう。特に活字離れの進んだ現代では稀有な存在になっているのではなかろうか。
鮮やかに生きた昭和の100人
平成25年7月11日(木)
表題の本は文芸春秋90周年記念に5月臨時増刊号として発刊された。昭和の時代に活躍し、現在は亡くなられた100人の写真と紹介文を1冊にまとめたものである。昭和天皇をはじめ、作家、政治家、芸能人、スポーツ選手、財界人などいずれも昭和を代表する人たちである。写真を見ながら文章を読んでいると、その当時の生活の日々が思い出されて感慨深いものがあった。
もちろん、この人たち以外に優れた人は大勢いただろうし、無名でもすばらしい生き方をした人はもっとたくさんいただろう。それらの人たちの中でたまたまスポットライトがあたった100人というわけである。写真を見て共通していると思ったのは、どの人も姿かたちが良く加えてたたずまいに魅力があるということである。やはりどの分野であれ「魅力がある」ことが一番だと思ったことである。
孫誕生と演奏会
平成25年7月4日(木)
お産のために里帰りしていた次女に無事男の子が生まれた。二人目なので大丈夫だろうと思っていたが、予定日が近づいても陣痛が来ないのでどうかいなと思っていたら予定日の朝、陣痛が来て入院2時間後に生まれた。早速、昼休みに病院へ。今回は私の勤務していた中電病院にお願いしていたので勝手知ったるところ、久しぶりに分娩室に入ったが感慨深いものがあった。母子ともに元気なことに感謝、これで孫は4人になった。
翌日は尺八の演奏会(発表会?)、今までは複数で吹いていたが今回は初めての単管(一人で吹くこと)である。三弦に合わせて地唄を吹くことになっていたが、なにしろ舞台では緊張するしちゃんと音が出るだろうかと心配していた。孫の誕生の勢いを借りてなんとか演奏できたのは幸いであった。私の拙い演奏を聴く人には申し訳ないが、舞台で吹くのは結構気持ちよいものである。やみつきになりそうだ。