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鹿児島から博多

平成25年5月2日(木)
連休の前半に、かねてより乗ってみたかった九州新幹線さくらで鹿児島へ行った。2時間半の旅であるが、車内は1列4席なのでゆったりとして快適である。維新ふるさと館で鹿児島の歴史を学んだ後、レンタカーで城山に登り市内から桜島を一望、フェリーで桜島へ。フェリーのうどんが美味いとの情報で1杯550円の天ぷらうどん、だしが効いてじつに美味であった。島内をドライブ、絶景ポイントがいくつもあったが、なんといっても噴煙を上げている桜島の姿は活火山だと実感させられる。
大隅半島経由で霧島神宮を訪れる。やたら若者のカップルが多いのが不思議だったが、九州一のパワースポットとのことで納得。夕刻本日の宿、妙見温泉「石原荘」に到着、早速温泉に入る。今回の鹿児島行きはこの宿の予約が取れたからでもあるが、天橋立の文殊荘とは違ったもてなしと美味しい料理であった。敷地内の山中に「熊襲の穴」と呼ばれる巨大な洞窟があり日本書紀に記載されているとか…
翌日は車で九州自動車道から阿蘇へ、火口まで行くことができたが、なるほど九州が「火の国」と呼ばれるわけである。夕方博多着、阪急デパートの地下で干物を仕入れてお薦めの居酒屋「ひろ家」で一杯飲んで新幹線、目が覚めると広島だった。気候もよく絶好の旅日和であった。また行こう。

木曜日の午後

平成25年4月26日(金)
木曜日の午後は休診にしているが、日曜・祝日以外での休診はここだけである。唯一の完全にフリーになれる時間。他院の受診や官公庁の用事などはこの時間でないとできない。いきおい、ちょこまかと忙しくなる。
昨日は午後1時に診療を終え、グランドタワーの「三嵋」で昼食、隣の部屋に大声でしゃべる初老の女性の集団が…あまりのうるささに部屋を変えてもらったが、同窓の集まりとか。その後ウオーキングシューズと服を買ってスポーツクラブでテニス。クラブの風呂に入り着替えてアステールプラザで尺八の練習、9時前に帰宅し晩酌兼夕食。もう一度入浴し、水割りをちびちび飲みながらGAORAでウイリアムス姉妹のテニスを見て12時就寝というやや動きの多い一日であった。
移動はすべて楽チャリで行ったが、電池の残量が少なくてやきもきした。結局、自宅まであと500メートルで電池切れ。急に重くなった自転車を漕いで帰宅、楽チャリは実に便利であると実感した。

保険の審査

平成25年4月19日(金)
国民健康保険(国保)の審査員を命じられて2期4年、来月でやっと任期が終了となる。うれしいというよりほっとしている。県内の医療機関より提出されるレセプトを毎月専門の係員が点検し、病名に適応のない治療・薬剤などが使用されていると減点するが、これらが適正に行われているかまた医療機関が適正な医療を行っているか審査する仕事である。広島県の産婦人科では国保の審査員は2名である。レセプト枚数は社会保険より少ないとはいえ、わずか2名で県内全医療機関の外来・入院の国保のレセプトを点検するわけで、正直しんどい仕事である。
それぞれの医療施設の医師が真剣に行っている治療に対して、自分ごときが審査することなどできるはずもないが、だれかがやらねばならないので仕方なく引き受けたわけであるが、毎月この数日は気が重かった。この4年間は毎月、レセプトの審査が終わるとほっとするけれど、あっという間に次の月の審査が巡ってくる。それも終わると思うと本当にせいせいしているのが本音である。
審査員をしていると、それぞれの医療機関の方針や医師の治療に対する考え方、治療の姿勢などがレセプトを通じて伝わってくる。さまざまなことを考えさせてくれた貴重な4年間であった。

吹雪の「ファーム・ノラ」

平成25年4月10日(水)
広島市内の桜は盛りを過ぎたので、県北の桜はどうかいなと休日に北へ向かうことにした。予報では市内は雨50%とのことだったが、出発時は晴れており天気予報ははずれたなと思っていた。191号線を、桜を愛でながら森のレストラン「ファーム・ノラ」を目指して北上した。ここは冬の間は雪に閉ざされているので営業せず、春になったらぼちぼち始める趣味のような手造りのファームレストランである。
戸河内インターから191号線に入った頃から小雨となり、三段峡あたりでは外気温も下がってきた。そのうちに小雨はみぞれに変わり、花街道から深入山にかけて雪となってきた。見ればまだ根雪が残っていて道は完全に雪道になっている。外気温は0℃~1℃、滑らないようにわだちの跡を慎重に運転し、やっと目指すレストランに着いた。まわりは一面雪景色で、営業はしていたが客は自分たちだけで、あまりの寒さに店主がストーブの他手かざしにと七輪に炭をおこしてテーブルに置いてくれた。この時期の雪は珍しいそうで、次々にかかってくる問い合わせの電話に対応していたが、さすがに来店を断念する人が多いようだった。
料理を待つ間も外は吹雪のように風が舞い、無事に帰れるだろうかと心配したことである。久しぶりの石窯ピザ、鴨の燻製、ボルシチなど美味しくいただき店を後にしたが、市内からわずか2時間でこれだけの気候の違いがあるのは面白い経験であった。

「解剖学はじめの一歩」

平成25年4月3日(水)
表題は東大医学部の超人気講座をそのまま本にしたもので、13章で構成されており実にわかりやすく簡潔にまとめられたすぐれものである。たまたま見つけて読んでみたがその面白さと内容の深さに脱帽した。
著者は坂井建雄教授で、あの養老孟司教授のあとを引きついで東大医学部健康総合科学科で解剖学を教えて18年、他学部の学生まで聴きに来る超人気講義となり、請われて講義を録音してそのまま本にしたものである。人体の仕組みを簡潔にまとめているが、その背景には膨大な知識と研究成果が感じられ、優れた人は難しいことをわかりやすく説明できるものだと思ったことである。遥か昔、学生時代の解剖学の講義にこのような講座があったら、ちっとも面白くなかった解剖学が好きになっていただろう。人体の関するさまざまな知識の断片がみごとにつながり、人体が動き出すようなそんな気持ちになったに違いない。医療職をめざす人だけでなくそれ以外の人でも必携の書物である。

年度末になると増える子宮がん検診

平成25年3月28日(木)
毎年のことであるが3月後半になると、子宮がん検診に来られる人が増える。特に無料クーポン券持参の人が大半を占める。クーポン券の期限が3月一杯なのであわてて来院されるのだろう。現在、無料クーポン券は5年ごとに配られているが、一部有料(千円)の検診のハガキは2年に1回となっている。検診の間隔は米国では3年に1回を推奨しているが、実際のところ何年毎に行うのがいいのかはまだわからない。わからないが、年に1回よりも間隔をあけていいと思う。
ハガキやクーポン券による検診は、子宮がんの発見には有効であるが、超音波による検査が入っていないので子宮がん以外の婦人科疾患を見つけにくいことが問題である。内診その他で異常を認める場合は、そのことを告げて詳しい検査を勧めるが、超音波検査の情報量には及びもつかない。
今のがん検診体制は、早期発見・早期治療によりがんで亡くなる人が減るという期待のもとに行われているが、今のところがんの発見は増えたけれど年齢調節死亡数は変わらないようである。本当に必要な検査は何か、真剣に議論しなければならないと思う。

増崎教授の講演

平成25年3月22日(金)
長崎大学の増崎教授による「いのちの起こりー発生・遺伝・倫理ー」と題した講演があった。ダーウインの進化論から始まって「いのち」についての考えと研究、山中教授のiPS細胞へとつづく流れを説いて面白かった。通常の講演は病気についての治療法が中心で、それはそれで有用なのだが同じような話が多いので食傷気味になる。今回の増崎教授の話は、科学の歴史を追いつつ自身の考えを加えたユニークなもので、ほとんど居眠りせず聞くことができた。
それぞれの時代での生命に関する新たな発見の話を紹介されたが、妊娠中の胎児のDNAが胎盤を介して母胎の血中に入り、母体に影響を与えるという話には驚いた。科学者にとっては常識なのだろうが、知らなかった自分としては生命の流れの不思議さを感じたものである。まだまだわからないことは一杯あるのだろうが、生き物は実にうまくできているものだと思う。何一つムダなものがない。研究すればするほど、巧妙なしくみが解明されることだろう。われわれ産婦人科医は、妊娠という生命の流れにかかわることができて幸せである。

冠山の梅林

平成25年3月13日(水)
日曜日は曇っていたけれど暖かかったので、山口県光市の冠山総合公園になごり梅を観に行った。この公園には中国地方では最多の100種類2000本の梅が植えられている。折しも梅まつりの最後の日でそこそこの人出が見られた。何といっても小高い丘の上から瀬戸内海が一望でき、紅梅白梅が咲き誇り散り始めている様は、わが国の四季の移ろいの風情を感じさせてくれて実によかった。四国には1万本以上の梅林がいくつかあるようだが、ここでも十分楽しめた。梅の次は桜、桃と順に咲いていくこの時期は、一年を通して最もよい季節だと思う。
帰路、岩国に近い国道188号線沿いの「力寿司」でジャンボ寿司・天ぷら・メバルの煮つけなどを食べる。メバルは信じられないくらい大きかったが、寿司ネタの大きいこと。ハマチなどは添えられている包丁で4等分して1人前の大きさである。ネタは新鮮、安くてうまいのでいつも大入り満員の店である。こんな店も楽しい。

クリニックの変遷

平成25年3月6日(水)
暖かい日が続いて、春が訪れたようだ。今日は特に暖かく、気持ちの良い一日である。
最近、広島市内の産婦人科施設が閉院した。閉院の理由はわからないが、ここ数年だけでも他に数か所の施設が閉院しており、世の中の変化を感じる。閉院の理由は色々あるだろうが、年齢や病気によるものが多いと思われる。いずれにせよ閉院する時の寂しさは本人にしかわからないだろう。今でも思い出すのは開院の時の「やるぞ!」という希望に満ちた気持ちと、うまくいかなかったらどうしようかという不安感であり、これらの気持ちが渦まいてなかなか平静にはなれなかったものだ。
新たに開院した施設も少なからずあるが、いずれにしてもいつかは閉院しなければならなくなる。その時に何を思うかはそれぞれの立場・年齢などで異なるだろうが、感慨深いものがあるに違いない。うららかな春の一日、ふとそう思ったことである。

自転車通勤6年目

平成25年2月28日(木)
自転車通勤を始めてもう6年になる。高血圧対策で運動のために始めたのだが、往復6キロと距離も頃合い、道路も広くて快適、気分転換にもよいのですっかりはまってしまった。近頃はカッコいいスポーツサイクルで通勤する人が増えているが、最も乗りやすく機能的な自転車はママチャリであるとの信念から、チョッピりカッコ悪かったが結構高価なママチャリを買って機嫌よく使っていた。
3年前、偶然アシスト自転車に乗る機会がありその楽なことを経験してしまうと、運動のためという最初の目的はどこへやら楽チャリが欲しくなってしまった。ちょうど下肢静脈瘤が悪化して力を入れてペダルを漕ぐのがしんどくなっていたし、近所の開業医も楽チャリで通勤しているのを知ったこともあって、パナソニックの楽チャリを買ってしまった。楽チャリを使いはじめたらあまりの快適さに、もう普通の自転車には乗れなくなってしまった。静脈瘤も手術して良くなったけれど楽チャリをやめる気持ちはない。雨の日を除いて毎日機嫌良く通勤している。会合なども極力楽チャリを使うので、タクシー代がおおいに節約できる。だいたい1年で元を取っているのではなかろうか。
今日も気持ち良く楽チャリ通勤、2月にしては暖かな1日であるが、季節を肌で感じられるのはいいものである。