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DNAで日本文化の起源がわかった

平成27年3月20日(金)
表題は文芸春秋4月号に掲載された立正大学教授、三浦祐之氏と国立科学博物館人類研究部長、篠田謙一氏の対談である。北陸新幹線の工事の際に見つかった富山県の小竹貝塚遺跡からそれまで全部で80体しか発見されていなかった縄文前期の人骨が91体も見つかり、そのDNAを分析することにより縄文時代から弥生時代にわが国がどのように変化していったかがより詳しくわかってきた。
縄文人も実は千島、樺太、朝鮮半島、沖縄などのルートから入ってきた人たちによる混血によって成り立っていて、そこに稲作農耕民である弥生人が入ってきたというのが真相らしい。普通、あとから来た征服者は先住民をほぼ根絶やしにするのが通例であるが、わが国ではゆったりとした融合が行われてきたことがY染色体の分析からわかるという。
これらの科学的分析と古事記の伝承とを重ね合わせてみると、どのようにしてわが国ができてきたの見えてきて、まことに興味深い。伝承と遺跡などの証拠から真実にせまるのは実に面白く、読んでいて飽きないことである。

京 哲 教授の講演

平成27年3月13日(金)
島根大学教授による子宮頸癌手術についての講演があった。以前はこの手術は大きく開腹して行っていたが、最近では腹腔鏡手術で行うことも多くなっており侵襲が以前に比べて格段に少なくなっているようである。リンパ節の郭清に伴う膀胱麻痺や下肢のむくみもかなり改善しているという。技術の進歩と研鑽を積むことは大切なことである。ただ欧米では子宮がんの治療は初期のケース以外は原則として放射線で治療しているという。
放射線治療の方が後遺症は少ないと思われるが、治療成績が同じなら後遺症は少ない方がいい。ただ、手術の技術を磨いておかないと、いざというときに何もできないことになる。わが国は以前から高い技術で子宮癌手術を行ってきた。世界の中でもトップレベルである。ただこれからは縮小手術、放射線治療と、侵襲の少ない治療が主体になっていくと思われる。なかなか難しい問題である。

またも宮脇檀

平成27年3月6日(金)
先日、平成10年に62歳で亡くなった建築家、宮脇檀氏の住宅設計の考えを弟子たちが改めてまとめた本が出た。生前の著書「それでも建てたい家」で氏のファンになり、以後折に触れ注目していたが、なんといっても亡くなる直前に刊行された「最後の昼餐」は偶然本屋で見つけて買ったが、手に入れておいてよかったと思う。
氏は最後まで住宅設計を好み、奇をてらうのではなく、「家」というものの意味を考えたレベルの高い普通の住宅を数多く残している。氏の事務所にいた人たちや、大学の教え子たちも氏を慕いしっかり志を受け継いでいると思われる。その証拠が今年発刊された「宮脇檀の住宅設計」である。この中では氏の住宅設計の「キモ」ともいうべきディテールが紹介されているだけでなく、氏と親交のあった人たちや教え子たちの氏に対する思いも記されていて、氏がいかに多くの人たちから愛され慕われていたかが伝わってくる。
もし新たに家を建てるなら、そして経済的に余裕があるなら、氏は最高の住宅設計家の一人だったと思う。

三寒四温

平成27年2月27日(金)
ここ数日は暖かく、日中は少しだけれど汗ばむようになった。寒い日と暖かい日が数日ごとに繰り返される。三寒四温とはよく言ったものである。わが国には四季の区別があり、それぞれの時期に対応した美しい言葉がある。
二月の別名は、如月、梅見月、雪消月、初花月などがあるが、いずれもなるほどと思わせる風情が感じられる言葉である。手紙の言葉も季節に応じており、二月であれば「晩冬の候、余寒の候、春寒の候、残寒の候」などが使われる。実際の気候と微妙に異なるのは明治5年まで旧暦を使っていたためで、旧暦では季節は24に分けられていた。その24節気の一つが大寒(1月20日頃)で最も寒い頃である。それから立春(2月4日頃)、雨水(2月19日頃)、啓蟄(3月6日頃)と徐々に暖かくなる。
「春を待つ」のは万人の共通の思いだろうが、三寒四温を繰り返しながら暖かくなっていくのはまことに風情がある。

スパルタ英語塾 再び

平成27年2月20日(金)
性懲りもなくまたメルマガ英語塾の受講を始めた。今度は45日連続の猛特訓である。始めるまではイジイジしていたが、始まってしまうと結構面白くてはまるものである。メーリングリストを通じて他の参加者の文章が読めるのと、毎日締切があるのが励みになっているのだろう。
他の人の文章を読んでいるとそれぞれ特徴があって興味深い。ある人は平明でわかりやすい文章を書き、ある人は粘っこい文章を書く。きっと日本語で書く文章も同じだろうと想像できる。言葉の使い方は一人ひとり違うがその言葉を使って文章を作り、それを売って生活している作家は、まさに言葉のプロである。他人がその本を買いたくなるような魅力的な内容がなければ成立しない職業である。改めて作家のすごさを思った次第である。

行方昭夫著「英会話不要論」

平成27年2月13日(金)
著者は東京大学名誉教授で英語精読の第一人者であるが、昨今の英会話重視の風潮に異をとなえてこの本を著した。文章は平明でわかりやすく、何より言葉の後ろに深い考察と経験が感じられる名著である。最近の文科省の小学生から英語を始める方針に真っ向から異を唱えている。そして、英語ができるようになるのは簡単ではなく、やはり一定の時間と努力が必要であると具体例をあげて説く。どの分野でもそうだがショートカットなどあるはずもなく、王道しかないのである。
面白かったのは、社会人になった東大時代の同級生から「海外へ行くことになったので英語ができるようになるにはどうすればいいか」と聞かれることが多く、彼らは一様に「読むことと書くことはできるのだが、聞くことと話すことができない」と言う。そこで実際に簡単なテストを用意してみると、多くは読むことすらもそれほどできないことがわかるという。東大出身でそうなら一般人は絶望的だろう。
それでも、本当に英語が必要で強い熱意があれば上達も可能であることもわかり、興味深く読ませてもらった。

えっ どうして?

平成27年2月6日(金)
世界のニュースや日本の出来事をテレビや新聞で見て、表題のように思うことはよくあることである。次から次へいろいろなことが起こり、その度に「世の中なんでもありだな」と思う。クリニックに来院される患者さんの話を聞いていて、他科あるいは他院の治療内容に表題のように感じることがある。本当は医療機関と患者さんの双方の話を聞いて判断するべきだろうが、どうしても患者さん寄りになるのでそう思うことが多い。
自分のところで行っている治療についても、他の医療機関で同様に思う場合もあるのかもしれないので軽々に判断はできないが、世の中には色々な考え方があるのだなと思う。十分時間を置いて設定を変えてエッセイにするのもいいかもしれない。

堀江貴文著「我が闘争」

平成27年1月30日(金)
伝記を読むのは結構好きで、特に若者が自己実現していく様子を見るのは実に興味がある。最近、幻冬舎から出た表記の著書は、堀江貴文という個性の強い青年の来し方を飾らない書き方で記していて興味深く読んだ。
生い立ちから両親とのかかわり、彼が持っているものと持っていないもの、東大に入学後会社を創って世間で話題になり逮捕、受刑、その後の日々など実に面白かった。堀江氏が物心ついた時から闘ってきたのは「情」というか「情」という言葉に含まれる日本人的なもろもろの考え方である。氏の能力は素晴らしいもので、理論性・合理性・行動力・発言力、どれも一流であるが「情」の部分が不得意のように思え、結局それが彼の足を引っ張ったのではないだろうか。実際、氏は結果的に部下の罪を社長という立場ゆえ思いがけずかぶらされたとしか思えない。
実際、今でも氏は自分を有罪だとは思っていないだろうし、これからも興味のあることを休みなくやっていくだろう。「情」を無視せずにやらないと痛い思いをするという教訓を込めて。

尺八の再開

平成27年1月23日(金)
この正月はいろいろなことがあってほとんど尺八を吹くヒマがなかった。まだすべてが落ち着いたわけではないけれど、気分転換もかねてまた練習を始めようと思う。一旦吹き出せば結構熱中するので、心配事などが一時でも忘れられる。まず久本玄智の「春の恵」から始めようか。
久本玄智は作曲家、ピアノ、筝の演奏家で、邦楽の曲も多く作曲している。明治生まれ、5歳で失明して東京盲学校卒業、後に東京教育大学の教授も務め、幅広く活躍した音楽家である。曲は洋楽を取り入れた独特のもので、根強い人気があり現在でもよく演奏されている。早速吹いてみよう。

いい日旅立ち

平成27年1月16日(金)
正月を挟んで30日間連続スパルタ英語講座が昨日で終わった。ふう。途中、物理的に無理で課題の提出ができない日があったが、なんとかやり遂げた。メーリングリストで自分の回答を公開するので、必死になってやらざるを得ないところが良かったと思う。
最も時間がかかったのは英作文で、毎日テーマが与えられ、それについての意見などを書くことが課題であるが、日本語でも難しいのに本当に苦労した。聞き書きも世界中のいろいろな人の演説や会話などがあり、興味深いことであった。
最後の日の課題はいつもの英作文、聞き書きに続いて山口百恵の「いい日旅立ち」の歌詞を英訳せよで、これも結構時間がかかった。提出して他の人たちの回答を見ると、うまいなあ、と思う人が多くやっぱり英語は難しいと思った次第である。