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休日当番医

平成28年1月10日(日)
今日は休日当番医のため日曜日なのに診療している。広島市では日曜・祝日には医療機関が休みになるため、持ち回りで各診療科が診療することになっている。内科は患者さんが多いので数施設が開いているが、産婦人科・眼科・耳鼻科・皮膚科などは1施設のみ開く。ほぼ半年に一回順番が回ってくるので、開業以来40回近く当番をしていることになる。
産婦人科の場合、妊娠関係の患者さんの受診が最も多いと思われるが、ほとんどの妊婦さんはお産する病院に通院しているので、何かあってもその病院が対応することになるから、当番医に来られる妊娠関係の人は意外に少ない。それでも10年以上前までは妊娠が最も多かったがここ5~6年は緊急避妊ピルを希望してくる人が増えている。
緊急避妊ピルは排卵を遅らせることによって妊娠率を下げるということであるが、効果はそれほど強いものではない。やはり低用量ピルを毎日内服すること以上に確実な避妊法はないと言ってもいい。いつもそれを説明するようにしているが、実際に低用量ピルを飲み始める人はあまり多くはないようである。

謹賀新年(平成28年)

平成28年1月4日(月)
明けましておめでとうございます。
毎年、4日より診療開始することにしているが今年はたまたま月曜日なのできりがいい。ただし、同じビルにある内科は明日から、耳鼻科はあさってから開始のようである。
元旦にはお屠蘇と雑煮、このところおせちを取り寄せているが家族の評判はいまいちである。それでもめげずに今年は今までで一番よかった「古串屋」から取り寄せた。ここのおせちは日本酒に合うのがいい。護国神社まで歩いて初詣、喪中のため年賀状は少なかったけれど、礼を失さないように返信を確認する数が少ないのは結構楽だと思った次第である。夜は長女一家と一瞬帰っていた長男と自宅で鍋を囲む。今年も平穏な一年であればいいと思ったことである。

仕事納めの日

平成27年12月28日(月)
今日は今年最後の診療日、他の産婦人科クリニックは半分くらいは休みに入っているようだが、当院は例年どおり今日までである。今年一年間、診療に関して特に問題なく終えられたのはありがたいことである。ここ数年は新患が増えていて、ネットを見てこられる人と口コミで来られる人が大半なのはネット社会を反映しているのだろう。患者さんの負担をなるべく少なくし、何度も通わなくてすむようにしているのは開業当初から変わらない当クリニックの方針であるが、18年間この方針が貫いてこれたのは本当によかった。今後もこのままでやって行きたい。
今年は郷里の父が診療開始日の1月5日に他界し、父の飼っていたぶさいく犬「福太郎」を引き取ったけれど6月に後を追うように死んだ。昨日郷里で父の一周忌の法要をおこなったが、墓地の片隅に埋めてやっている「福太郎」も今頃はあの世で父母と一緒にいることだろう。

超音波検査は聴診器のようなもの

平成27年12月24日(木)
朝、クリニックに到着したらスタッフから「超音波の画面が出ません」とのこと。すぐに調べてみたら本体のスイッチはオンになっているのにモニター画面にはなにも映っていない。これは大変だと調べてみたがわからない。産婦人科にとっての経膣超音波検査はかつての内科の聴診器のようなもので、なくてはならぬものになっている。超音波検査自体は他の科でも行われているが、重要度が産婦人科で特に増したのは経膣超音波検査ができるようになってからである。腹壁から調べる場合は、超音波の減衰が大きいため細かいことはわかりにくいが経膣エコーなら子宮・卵巣は細かいところまでわかる。特に妊娠初期の胎児の状態は侵襲のない経膣超音波検査に勝るものはないといっていい。
以前にも書いたが、かつては内診技術は産婦人科医の最も大切な習得すべきもので、まさに職人芸といううべき先人たちの技術が受け継がれてきたのである。それが経膣エコーのおかげで誰にでも当時の名人芸をしのぐほどわかるようになったのは、まさに革命といってもいいのではないだろうか。そのエコーの画面が映らないとは!幸い電源スイッチのオン・オフで事なきを得たが、早速エコーを増設すべく検討することにした。

冬らしくなった

平成27年12月18日(金)
12月になっても暖かい日が続き、自転車通勤の防寒対策は例年になく軽めだったが、今週に入ってやっと冬らしくなった。久しぶりに薄めのダウンのコートを着て自転車に乗ったが、まだ最強の服装ではない。最も寒い日は厚手のダウンジャケットにスキー用の手袋、マフラーに帽子であるが、昨年はそんな日は数えるほどしかなかった。今年は暖冬のようなので最重装備は必要ないかもしれない。
昨年の今頃は英語の特訓連続30日というのをやっていたので、寒い中暮れも正月もなく毎日クリニックに通って課題を解いていたが、今になって振り返ってみると英語力はちっともついていないようである。やはり実践で鍛えないとダメなことがよく分かった。でもこの年になって一時的にとはいえ結構熱中できたのは、楽しかったしいい経験になったと思う。
アシスト自転車で通勤を始めて6年を過ぎた。パナソニックの自転車は頑丈に作られているので調子がいいのだが、以前雨の日に滑って自転車が横倒しになった時、スポークが2本折れていたのを気づかずに乗っていたため、後輪が少しよれているようである。とりあえず修理してもらうことにしたが、そろそろ買い替えかなと思っている。

日本語の特異性

平成27年12月11日(金)
「ことば」は人類に特有のものであるが、それが脳の中でどのように成り立ってきたのかは、興味深いことである。養老孟司氏の脳に関する一連の著書を読むと、難しいのだけれどわかりやすく解説しておられるので、なんとなくわかった気持ちになるのが不思議である。視覚からの情報と聴覚からの情報を統合させる脳の分野に言語が発生するが、視覚は絵画の、聴覚は音楽の領域にある。漢字は象形文字からできたもので絵画の領域に属するが、平仮名はアルファベットと同じ領域に属していて、日本語は両方同時に働かせることによって成立する世界でも珍しい言葉である。
他の国の言葉は聴覚の領域がメインで、聞いて話す、話して聞く、の繰り返しで成立していくが、日本語は漢字という準絵画を使うことによって読む(視覚)ことが話すこと以上に重要になっている。そして漢字の読み方には音読み、訓読みなど何通りもの読み方があり、それらを習得しなければ日本語を読むことができない。昔から「読み書きそろばん」と言われていたのはそのことを象徴している。日本では漫画がよく読まれているが、吹き出しの部分がすべて平仮名であったらこれほど普及していただろうか。日本の漫画は日本語の音訓読みを利用したものであるというのは納得できる。脳の働きは実に不思議であり汲めども尽きせぬ面白さがある。

¥1円の古本

平成27年12月4日(金)
突然、半村良の「妖星伝」を読みたくなったので家の書棚を探してみたが、全6巻(後で第7巻が追加された)揃えていたはずなのに第1巻しか見当たらない。そうなると第2巻以降をいっそう読みたくなりブックオフで探してみた。20年~30年前頃ベストセラー作家だった半村良の作品は当時、本屋の文庫本の棚に一杯並んでいたが、今では古本屋でも探すことが難しいことがわかった。アカデミー書店他、数か所回ってみたけれどせいぜい1冊ぐらいしかなかった。ついでに西村寿行、高木彬光の本も探してみたがほとんどなかった。確か西村寿行は作家の長者番付で1位になったぐらいの流行作家だったはずである。
アマゾンで調べてみると、古書で出ているので注文してみた。なんと!1冊1円で出品されていた(中には91円というのもあった)が、信じられない値段である。ただし送料が257円かかるという。月曜日に注文したら木曜日には1冊だけは届いた。トレッシングペーパーのカバーがかけてあり、出品者「いちょう企画」の仕事には好感が持てた。それにしても便利になったものであるが、流行作家の賞味期間はなんと短いことかと思ったことである。

再び和歌山へ

平成27年11月26日(木)
連休を利用して和歌山へ行ってきた。メインの目的は軽音楽部でピアノを担当していた息子の大学最後の定期演奏会を聴きに行くことであるが、ついでに前回行けなかったところも訪れてみよう、美味しいものも食べてみようと思ったからである。大学内の講堂での演奏会は満席・立ち見の盛況で、1ステージ6曲を3ステージ、全部で18曲をほぼ3時間かけて演奏するものだった。いずれも迫力のあるレベルの高い演奏で、しっかり楽しませてもらった。2年間バンドマスターを務めた息子はなんと半分の9曲に出演し、すべて楽譜なしで演奏しており、プログラムの「ピアノばかり弾いていたらいつの間にか6年経ちました」は真実だと思った次第である。卒業生たちの感動的な場面もあり、定期演奏会は初めてだったが来てよかった。
前から行ってみたかった「オテル・ド・ヨシノ」でひさびさのフランス料理、いいものが少しずつ出され堪能した。翌日はレンタカーで紀州東照宮、和歌浦天満宮、番所庭園、風土記の丘、県立博物館などを巡って特急くろしおで大阪へ。法善寺横丁の串揚げ「wasabi」で夕食、以前行ったことのある黒門市場の「六覺燈」も良かったが、また違った工夫が見事であった。翌日は京都へ寄ってみたがあまりの人の多さにげんなり、市街を散策し「まえはら」でうなぎ、辻留の弁当を仕入れて帰広、食べるばかりしているようだがそうなのである。でもいい息抜きになった。

立川談春著「赤めだか」

平成27年11月19日(木)
本屋に行った時にたいてい寄るコーナーの一つに、落語関係の本が収められている棚がある。以前、上田文世著「笑わせて笑わせて桂枝雀」を見つけたのもその棚で、たまに名著・珍著に出会うので見逃せない。
「赤めだか」は、著者が高校卒業直前の17歳で立川談志に入門して、前座から二つ目になるまでのあれこれを書いた、立川談春の青春記である。昔から「青春記」が好きで、いろいろな人の著書を読んだが、この本は著者の素直な気持ちを淡々と表した文章が心地よく、一気に読み終えた。立川談志に関する書籍、落語のCD、DVDなどは多数出版されていて結構持っているが、この本は弟子の立場から書いた出色の著書である。
「赤めだか」とは、その頃談志の家で飼っていた金魚のことを、弟子たちが餌をやってもちっとも大きくならないのでそう呼んでいたところから、一人前になろうとしてもなかなかなれない自分たちになぞらえての題名だろうが、的を射た言葉である。まだ何者にもなれない、なれるかどうかもわからない世に出る前の不安と、一方では漠然とした根拠ない自信の間で揺れ動く心境こそが青春時代なのだろう。

産婦人科同門会

平成27年11月13日(金)
毎年恒例のわが母校、岡山大学産婦人科教室広島支部同門会が平松教授臨席のもと、メルパルク広島で行われた。昨年はシェラトンホテルで行ったのだが、予算不足のため今年はメルパルクにしたのである。現在、同門会の人数は29人、うち21人の出席であった。24年前、中電病院に赴任した頃はもっと同門の人数が多く、会合の場所も今はなき料亭「新月」で豪華に行われていた。毎年配られる名簿は入局順になっていて当時、自分の位置は大体下から3分の1ぐらいのところだった。現在の位置は24年たっているのにまだ真ん中よりわずかに下である。これは新しい人が入らないのと先輩の人たちがお元気だということであるが、平均年齢はかなり高くなっていると思われる。
どの組織でも同じだと思うが、新しい人が入らないと組織は衰退して行く。産婦人科医、特にお産をする医師が減っている現状では仕方ないことかもしれないが、このままでは全国的にお産難民が増えて行くだろう。