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産婦人科医に必要な性同一性障害の基礎知識

平成29年3月10日(金)
岡山大学の中塚幹也教授による上記の演題の講演があった。中塚教授はわが母校岡大の後輩で、入局時から優秀で人望も厚くちょっとおちゃめなところもあるが俳優の伊吹吾郎似のナイスガイである。1998年から岡大にジェンダークリニックを立ち上げ、今や我が国のこの分野では第一人者である。初めに公的に性転換手術を行ったのは埼玉医大であり、現在もこの2つの大学が中心になって診療をおこなっている。
性同一性障害は特にデリケートな対処が必要で、1997年に開業した頃は精神科の医師の診断を得たうえで治療を開始するようにしていた。治療といっても性ホルモンを注射するぐらいであるが、SRS(性転換手術)は我が国では当時は埼玉医大のみで、患者さんの多くは東南アジアで行っていたようである。岡大が診療を始めてくれたのでまず岡大に行くように勧め、その後ホルモン注射のみ当院で行うようになりずいぶん楽になった。ただSRSにしても性ホルモン注射にしても保険がきかないので全額実費である。「性同一性障害」という病名があり、診療については保険がきくのにホルモン薬は適応外という理由で保険外になるのはおかしい。薬剤の保険適応病名を増やせばいいだけなのであるが、適応病名を増やすためには大変な時間とお金がかかるので、製薬会社も簡単には申請できないようである。中塚教授もSRSを保険適応にするよう申請しているがなかなか許可されないとのことである。
性の問題は生物・ヒトにとって非常に大切なことで、日常の診療で関わりの深い産婦人科は特に心してかからねばならないと改めて思った。

鳥集徹著「がん検診を信じるな」

平成29年3月3日(金)
上記の著者・鳥集(とりだまり)氏は医療問題を中心に活動しているジャーナリストで、タミフル寄付問題やインプラント使い回し疑惑などをスクープしてきた。現在も週刊文春などに多数の記事を書いているが、20年近くがん医療の現場を取材し数多くの専門家の意見を聞き、諸外国のデータなども検討した結果、現在日本で行われているがん検診が有用ではなくむしろムダな検査や治療をしてしまう恐れがあることを訴えている。特に芸能人ががんになりがん検診が必要だと訴えると、多数の人が安易に健診を受けてしまいかえって不利益を被ると警鐘を鳴らしている。これは20年以上前から「患者よ、がんと闘うな」「健康診断は百害あって一利なし」と主張している近藤誠医師とほぼ同じ意見であるが、著書の中では近藤氏に対しては一部批判もしていて氏とは別の方向からこの結論に達したと述べている。
いずれにせよこれだけきちんとデータを出しての主張だと反論は難しく、欧米諸国の医療の流れから見てもがん検診や健康診断は止めて希望者のみの任意にするべきだろう。がん撲滅をめざして朝日新聞社が支援して設立された「日本対がん協会」などにも転換期が来ているのではないだろうか。

三寒四温

平成29年2月24日(金)
厳寒の時期は過ぎて暖かい日と寒い日が交互にやってくる今日この頃である。三寒四温という言葉がぴったりくるようだけれど、この言葉は中国北東部から朝鮮半島北部の冬の気候をあらわしたものだそうである。我が国では春先になるとこのような気温の変化がおきるので、今では早春を表す言葉になっている。
それにしても今年の冬は特別寒い日は少なかったように思う。自転車通勤をしていると外気の変化に敏感になるのは当然なことで、寒い日は防寒具を着て自転車に乗らないと困る。4段階ぐらいの防寒対策のうち特Aの防寒具を着たのは今年はほんの数日だった。例年なら1か月ぐらいは特Aが必要で、ホテルなどで会合があると困惑したことである。いずれにせよ次第に暖かくなるのはいいものである。まさに「春よ来い」の心境である。

禁・長期処方

平成29年2月17日(金)
厚労省は昨年4月から、30日を超える薬の長期処方を制限すると通達を出していた。それまでは患者さんのためには長期処方を推奨していたにも関わらず何を思ったか一転、制限に移ったのである。もっと前は2~4週間処方しかできず、薬だけ取りに来られる患者さんが気の毒だったのが、長期処方が可能になってよかったと思っていた矢先の通達である。それでもすぐに締め付けることはないだろうと、少しでも長く処方するようにしていたのだがとうとう査定されてしまった。当院での長期処方は更年期のホルモン補充療法が主なもので、子宮内膜症に対するホルモン処方などもあるが、これらは毎月来院してもらって診察しなければならないものではないので長期処方していたのである。査定されると、薬局に薬の代金、調剤料その他全額を当院が負担しなければならない。当院は、患者さんに負担をかけまいとできるだけ来院回数を減らすために長期処方をするのだがこれでは完全に赤字である。これなら薬を自分で仕入れて患者さんにタダで配った方がマシである。
薬局は査定されても全額、処方した医療機関が保証することになっているので何の痛みもない。毎月薬局に通ってくれた方が売り上げは増えるわけである。こんな決定をする厚労省は本当に国民のことを考えているのだろうか。あまりにもアホらしくて頭に血がのぼったが、どう対処していこうかと思っている次第である。

きたやまおさむ著「コブのない駱駝」

平成29年2月10日(金)
上記の著者は伝説のグループ、ザ・フォーク・クルセダーズで一世を風靡し、その後精神科医となり診療所を開業、九州大学の教授も務めた北山修氏が、専門の精神分析を駆使して著した自伝である。京都駅前の開業医の長男として生まれた著者の心の軌跡を余すところなく述べていて、フォーク全盛だった当時の空気を思い出して懐かしく、共感できる部分も多かったがそれ以上に北山氏の懐の深さに尊敬の念を覚えた。
自分より6歳年上の北山氏が大学生の時に結成したグループによる「帰って来たヨッパライ」が深夜放送を中心に若者に受け大ヒットしたのは自分が中学から高校生になる多感な頃であった。当時はラジオの深夜放送「ヤンリク」「ヤンタン」「パックインミュージック」などを聴くのが日常生活の一部になるほどで、自分たちの音楽を自分たちで作り演奏することが最高だと思っていた。北山氏の詩集は共感する内容が多く、いくつかの詩に勝手に曲を付けて歌っていた記憶がある。
北山氏と加藤氏は2002年に期間限定でフォークルを再結成、坂崎幸之助氏を加えて演奏会を開いたが、大阪での演奏会のチケットを手に入れることができ実に懐かしく十分楽しませてもらった。会場で売っていた二度と手に入れることができないこの演奏会のCD「新結成記念・解散音楽會」は私の宝物である。

楽器としての尺八

平成29年2月3日(金)
尺八を始めて結構時間が経っているがなかなか上達しないので、この楽器は自分に向いていないのだろうと思っている今日この頃である。その恨みも込めて尺八という楽器が世界中に広がらない理由を考えてみた。
最も原始的な楽器?は口笛である。音程も自在に出せるし、上手い人の口笛は他人を楽しませることができる。次いで指笛があるがこれはある程度熟練を要する。さらに草笛から竹笛、篳篥(ひちりき)、横笛、尺八へと進んでいくが、これらはすべていい音、正確な音、大きな音を出すための工夫である。西洋楽器はここからさらに正確な音が出せるように工夫がなされ、フルート、オーボエ、トランペット、サキソフォンなど、だれが吹いてもほぼ同じ音が出せるように発達してきた。一方和楽器はここから進歩しなかったので、大勢で吹く場合の音程の調整が難しく、早いパッセージの演奏は困難を極めるし大きな音を出すのも難しい。調を変えるためには尺八の長さをいちいち変えなくてはならない場合もある。確かに上手い人の演奏は聴く人を感動させるし、西洋楽器にない魅力を感じさせるがほんの一握りの人にしかできないパフォーマンスである。
小さい頃からハーモニカ、縦笛、小太鼓、ギターなど結構自在にこなしていたので尺八も自分で楽しめるぐらいには上達するだろうと思っていたが、音そのものがうまく出せないのはやはり向いてないのだろう。悩ましいところである。

昼食サイクルの異変

平成29年1月27日(金)
昨年の後半ごろからそれまで快適に楽しんできた昼食ライフが微妙に変わってきた。ある店は値段が段階的に高くなり、自分の中のリーゾナブル感が?となったので足が遠のいた。別の店は店主側の健康上の理由で、しばらくは昼食提供が難しくなってしまった。別の店は重要なスタッフが辞めた。20年もたてば色々な変化はあると思うが、行きつけの店が変わるのを見るのはなんだかなあ感があるものである。それぞれの店にはそれぞれの歴史があり、この激戦区で生き残っているわけだからいいものを持っているのは間違いないし、自分も気に行って通っていたわけである。それでも時間が経つうちに微妙にあるいは大きく変わることもあることを、改めて感じたわけである。
気に入っている行きつけの店はまだいくつかあるので、それらを起点に好みの店を徐々に増やしていきたいものであるが、なんといっても今まで長く楽しませてもらった店には思いが残っている。どうなっているか時々様子を見に行って、復活していればまた通いたいと思う。

「人はどうして老いるのか」

平成29年1月20日(金)
表題は京都大学教授などを歴任された動物行動学者、日高敏隆氏の著書である。副題が「遺伝子のたくらみ」でヒトがなぜ老いるのか、老いとはどういうことなのかを遺伝子を基にして考察している。氏は以前から興味深い著作を多数出されているが、どれも面白いものばかりである。「チョウはなぜ飛ぶか」、ローレンツ著「ソロモンの指輪」の翻訳など、すでに古典的名著となっているものも多い。
動物たちはそれぞれの個体が自分の遺伝子を持った個体を多く残すことを「目指して」生きている。ヒトも例外ではなく適応度が高いほど多くの子孫を残せるが、適応度が高いことは「多産」であっても長生きできることとは別であるという。遺伝子集団は自分たちが生き残れるように、進化の途上で周到なプログラムを組み立ててきた。それぞれの個体はプログラムどおりに成長し、子孫を残して死んでいくが、このプログラムは固定的なものではなく「選択」によって変化するため最終到達点までいかないこともある。これについて氏はロールプレイングゲームを例にとってわかりやすく説明している。ゲームはすべてプログラミングされていて、個々のプレーヤーの選択によっては最後まで進めないことがしばしばみられるが、遺伝子のプログラミングもこれと同じだという。
実にわかりやすい説明で、すべて遺伝子集団のプログラムどおりなら「老い」はどうしようもないことである。もっとも、難しく考えなくても昔から皆あたりまえのことと思っていることではあるが。

恩師の通夜

平成29年1月13日(金)
私が産婦人科の医師として一人前になるよう指導していただいた大恩ある岡山大学名誉教授のS先生が亡くなられ、お通夜に行ってきた。会場には懐かしい顔が多数みられ、長いこと医局に無沙汰していることをあらためて思った。
S先生は私が医学生の時に教授に就任され、卒業後医局に入った時には名実ともに名教授でおられた。手術の腕は超一流で、国内はもとより他国からも見学に来るほどであった。医局制度は充実しており、皆が公平に修練できるように配慮されていた。教授回診は週に2回あり、ちょうどドラマ「白い巨塔」と同じで主治医は受け持ちの患者さんの回診が終わるとほっとしたものである。当時は中国・四国のほぼすべての県に関連病院があり、そこへ医局員を派遣していた。それぞれの県の主要な病院はたいてい関連病院だったので、私も四国は徳島県以外はすべて赴任したし、中国地方は鳥取・島根以外は在職した経験がある。S先生は研究もされたが臨床を最も大切にされていたように思う。だから、私のように研究にはあまり興味がなく臨床が一番と思っている医局員にもやさしく接してくださったのだと思う。いずれにせよ今があるのはS先生と岡大医局のおかげであり、そのことを一層感じさせられたひと時であった。最後にS先生のご尊顔を拝見したが本当にきれいだった。享年92。合掌。

謹賀新年

平成29年1月6日(金)
明けましておめでとうございます。
早いもので平成9年にこの地でクリニックを開いて20年目を迎えた。20年というと長いようだが、実感では本当にあっという間だった。時間は矢のように過ぎてゆくので、この調子でいくと瞬きする間に人生の終わりが来るのだろう。元旦、初詣の護国神社でひいたおみくじは小吉。そういえば去年某所で凶のおみくじを引いて、珍しいのでかえって喜んだことを思い出した。何はともあれ健康で毎日過ごせることが一番ありがたいことである。今年も一日一日を大切にして一期一会の気持ちで診療していきたいと思っている。
今年もよろしくお願いします。