平成29年9月15日(金)
子宮内膜症についての講演が2日続けてあった。倉敷平成病院の太田郁子先生と東大産婦人科准教授の甲賀かをり先生である。それぞれ別の切り口からの話で興味深い内容であった。子宮内膜症については診断、治療法の変遷に長い歴史があり、その積み重ねによってかなり克服できるようになったがまだまだ難しいところも多く、さらに努力が続けられている。特に子宮腺筋症は難しい部分があるので、最近東大の大学病院に「子宮腺筋症外来」を開設して難しい症例をフォローしているそうである。
子宮内膜症に最も有効なのはピルだと言われているが、実際に内膜症の有無にかかわらず多くの女性の生理痛の緩和に役立っている。それでもピルを使っているにもかかわらず症状が進行する人もいて、それに対して新しく開発された薬や新たな手術が試みられている。妊娠できる状態を維持することが究極の目的であるが、実はこれが最も難しいのである。
子宮内膜症は子宮内膜が月経時に腹腔内に逆流する、あるいは子宮筋層内に入り込むことが原因といわれているが、妊娠するためには排卵、月経が必須である。月経そのものが内膜症を引き起こし増悪させるわけだから、排卵を止めない限り難しいわけである。早いうちに妊娠、出産を終えてしまえば不妊症のために高い治療費を払わなくてもいいし、内膜症に対する治療も難しくない。そもそも内膜症になる率も減るし一番いいのだけれどなかなかそうはいかないのだろう。難しいところである。
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子宮内膜症の講演
「うなぎ」浅田次郎編
平成29年9月8日(金)
カープの対阪神3連戦はすべて逆転勝利となって、今日は雨も上がりさわやかな秋晴れで気持ちがいい。
表題は10人の作家、歌人による「うなぎ」をモチ-フにした作品集である。歌人の斎藤茂吉は特別にうなぎ好きだったそうで、息子の北杜夫も茂吉のうなぎ好きについてエッセイで紹介している。ちなみに茂吉が生涯に食べた蒲焼きの回数を調べて書いた書物(文献 茂吉とうなぎ)まであるほどで、1万8千首の歌を詠んだ大歌人はうなぎについての歌をいくつも詠んでいる。他にも井伏鱒二をはじめそれぞれの作家のうなぎに対する思い入れが文章から感じられ、読んでいて大いに共感を覚えうなぎが食べたくなった。
うなぎの蒲焼きは米飯とまことに相性が良く、日本人の食文化の結晶といっても過言ではないと思う。ふるさと納税の返礼品ではうなぎのかば焼きは上位の人気である。自分は「うなぎ屋たむろ」の蒲焼きが好きで手軽に食べられるので重宝している。最近、食べログで東区光町に新しくできたうなぎ屋を見つけた。かつてそごうにあった「伊勢定」に勤めていた人が広島に帰って開いた店だそうで早速行ってみた。この店「うなぎ川誠」は伊勢定をほうふつとさせるふわっとした食感と焼き加減で、たれも甘すぎない実に結構なうなぎだった。また行こうと思う。
秋は最高の季節
平成29年9月1日(金)
今日から9月、昼間はまだ日差しが強いけれど、朝夕は涼しくなって秋を感じさせるようになった。1年の3分の2が終わり今年はあと4ヶ月になったわけである。まことに月日の経つのは早いもので、新年を祝ったのはついこの間だったような気がする。
以前にも書いたが、この季節になると盛りの夏が終わってしまったものがなしさを感じる。そして「階前の梧葉已に秋声」と思わず口ずさんでしまう。けれど、そのうちに暑からず寒からずの最高の季節、豊穣の秋を迎える喜びに「天高く馬肥ゆる秋」と唱えることになる。これは自分にとって毎年行われる行事のようなものだが、7月後半ごろからの胃部不快感もなくなりアルコールもいっそうおいしくなった。うどんをメインにしていた昼食も従来のサイクルに戻し始めているが、油断は禁物である。すぐに飲み過ぎ食べ過ぎで胃をやられるのはいつものことだから。
なにはともあれ秋を楽しんでいきたいものである。
同門会名簿
平成29年8月25日(金)
母校の岡山大学産婦人科同門会の名簿が毎年送られてくるが、10年単位で見ていると会員の動向が良くわかる。現在400名以上の会員が在籍しているが、医師になって3年目の会員から高齢の大先輩まで多数の会員が卒業入局年度が古い順に載っている。
物故会員も毎年増えているが、明治27年卒業の先生が最も古く、昭和63年卒業の先生が最も若い。いずれ自分もこの欄に載るようになるのだろうが、若い人が載っているのを見るのはいい気がしない。もっと人生を全うしたかっただろうと思いをはせるのである。
開業している先生方を除いては10年も経つと勤務先もずいぶん変わっていて、定年退職した先輩たちもみられる。10年前と最も違ってきたのは、医局を辞めてしまった元会員数が29人から53人に増えたことである。以前はよほどのことがなければ医局を辞めることはなかったのだが、昨今はそうでもないようだ。医局制度そのものが衰退してきているのだろう。諸行無常である。
お盆明けは忙しい
平成29年8月18日(金)
当院は8月16日から診療を再開したが16日まで休みの医療機関もあり、中には今週一杯休みのところもあるので新規の患者さんがことのほか多かった。当院は希望者以外は予約なしでいつでも受け付けているので、問い合わせの患者さんから「予約しないでいいのですか?」とよく聞かれる。
あらかじめ食材の準備が必要な高級レストランではあるまいし、今困っている人を見るのが仕事なので時間内に来院された人は全員診察するようにしている。また、必要以上に再診しなくてもいいように、いつでも遠慮なく電話をかけてもらうように話している。検査の結果はもちろんのこと、ピルなど内服中に出血が起きたときなどにも問い合わせてもらえばいいのである。話を聞いてみて電話ですむことであればそれでよいし、来院が必要なら来ていただくが、実際には電話だけですむことが多い。患者さんも来院しなくてすむから楽だし、今すぐに診察・治療が必要な患者さんをそれだけ多く診ることができる。
このスタイルでずっとやってきているがこれからもこのままで行くつもりである。
明日から盆休み
平成29年8月10日(木)
明日11日は山の日で祝日なので、今年の盆休みは11日から15日までの5日間になった。1日は墓参りに田舎に行くが、あと4日では遠くに行けない。海外旅行にはあまり興味がないので、長期休みをとって海外に行こうというモチベーションがない。ヨーロッパは行ってみたいけれどなにしろ遠すぎる。せめて半日ぐらいの距離なら行ってみたいと思うのだが、往復にかかる時間を思うとなかなかその気にならない。そこで今年は東北地方に行くつもりである。
かつて一度だけ学会のついでに訪れた瑞巌寺の佇まいに感激して以来ぜひ松島・瑞巌寺を再訪したかったし、平泉・中尊寺にも行ってみたい。季節が秋なら岩手県の遠野から三陸海岸も訪れたいところである。さすがに十和田湖や太宰治記念館に行くのは無理だろうが、東北地方を少しでも体験したい。久しぶりの遠出で楽しみである。
猛暑が続く
平成29年8月4日(金)
一年のうちで一番暑い日が続くのは7月下旬から8月上旬の頃だと実感しているが、今まさにその時期で本当に暑い日が続く。相変わらず朝夕、自転車で通勤しているが涼しいクリニックに着くとほっとする。一番暑い時が今なら最も寒いのは2月の初め頃だろうか、まことにわが国は四季がはっきりしていてメリハリがあって面白い。最もいい季節は春と秋だろうが、それもこの暑い夏と寒い冬があってこそ快いのである。この季節の移り変わりが我が国独特の文化を生む大きな要因になっていると思う。
俳句はわずか十七文字の中に季語を入れて季節を示したうえで、情景に託した心境をあらわして文学になっている。新聞の俳句・短歌の欄には読者からの投稿がいつも満載で、感心しながら見ている。自分には俳句や短歌、川柳などをつくる(詠む)力はないが、いいものを読むのは好きである。自転車通勤の途中で頭に浮かんだ有名な句や歌などを味わいながら走るのも乙なものである。セミも今を盛りと鳴いていてまさに盛夏である。
男女の妊娠適齢期と生殖補助医療
平成29年7月28日(金)
国立成育医療研究センターの斎藤英和副センター長による表題の講演があった。女性の結婚年齢は20代前半の場合が最も子供を持ちやすく、結婚年齢が高くなるほど難しくなる。20代前半の生涯不妊率は5%であるが、30~34歳で15%、35~39歳で30%、40~44歳で64%にもなる。また、女性の妊娠しやすさは22歳を1とすると30歳で0,9、35歳で0,6、41歳で0,2である。さらに妊娠に至るまでの期間も20代で6か月、30代で10ヶ月かかり、挙児を希望した時点での男性の年齢も若い方が早い。ヒトは男女とも加齢に伴い妊娠する能力が減弱し、また妊娠中や分娩時のリスク、出生時のリスクが増加するので、妊娠・出産・育児は20代が適している。
日本は不妊大国で体外受精などの治療が急増しており、人口比で米国の4倍の数になっている。また治療の高齢化が著しく進んでいて40歳以上の患者さんが半数近くを占めている。さらに1児を出生するためにかかる不妊治療の費用も高額になり1治療30万円として40歳で370万円、45歳で3780万円、47歳で2億3千万円かかるという。卵子や卵巣の保存であるが、母体の生理的老化・病気のため無駄になる可能性があること、初期採卵・凍結で100万円かかり卵1個の年間管理料1万円で多数の卵の保存が必要なための経済的負担が大きいこと、子育てが高齢までかかり老後破産の心配があることなどの問題があることを話された。
いずれにせよ早く結婚するしかないのだが実はこれが一番難しいのである。我が国には昔から「お見合い」というすばらしい制度があり、年頃になれば自然に見合いして結婚していたが今はほとんどなくなってしまった。少子化を防ぐにはこの制度を復活させるのが最良ではないだろうか。
「科学者とあたま」
平成29年7月21日(金)
表題は物理学者で随筆家、寺田寅彦の著書で偶然丸善で見つけた。寺田寅彦といえば「天災は忘れた頃にやって来る」という警句で知られている明治11年生まれの今から言えばはるか昔の人である。なぜ興味があったかといえば夏目漱石の「吾輩は猫である」の主人公苦沙弥先生の愛弟子、水島寒月のモデルが寺田寅彦だということで、作品に描かれている寒月氏の不思議な味のある人柄が面白かったからである。
随筆の内容は「手首の問題」「科学者とあたま」「自画像」「線香花火」「烏瓜の花と蛾」などそれぞれ日常生活、手近なことから始まって、深い知識と音楽・美術を愛する姿勢、緻密な頭脳から紡ぎだされる思考が見事な厚みのある作品になっていて、これほど内容の濃い随筆はこのところ読んだことがない。中でも「津波と人間」は著者55歳の時の作品で、昭和8年3月3日の早朝、東北日本の太平洋海岸に津波が押し寄せて多くの人命が失われたことについてリアルタイムで書いている。物理学者である氏は、その27年前、明治29年に起きた三陸大津波とほぼ同じ規模の自然現象がくりかえされたのも考慮して、昔から何度も繰り返して起きているのであれば住民は備えなければならないはずであるが、実際はなかなかそうならないと書いている。発生時は記念碑を建てて警告していても、いつの間にか忘れてしまうことについてなぜそうなるのかを考えている。まるで3,11東日本大震災による津波とその被害を予言しているかのようで驚いたことである。
いずれにしても寺田寅彦というすばらしい先人がいたことに気づいたので、氏についてもっと著書を集めてみようと思った次第である。
産婦人科開業地図の変遷
平成29年7月14日(金)
袋町に産婦人科クリニックを開業して20年になるが、その間に周辺の開業地図にかなりの変化があった。高齢のため廃業した施設、開業を止め再び勤務医になった先生、病気のためやむなく閉院した施設、継承者がいなくて廃業した施設など、なくなった施設もあったがそれ以上に新たにできた施設が多かった。新規のお産をする施設はごくわずかで、増えているのはお産をしないビルクリニックばかりである。広島市とその周辺でざっと10以上の新規開業があり現在も増えている。個人でお産の施設を開業するのはじつに大変で、膨大な初期投資を回収するためにはたくさんのお産をしなければならないが、そうなると24時間休む暇がなくなるのでよほど精神的肉体的にタフでないとできない。
自分が病院に勤めていた時は夜お産で起こされるのがつらく、翌日は睡眠不足のために忙しい外来や手術をこなすのが大変だった。若く元気だったからできたのだが40歳を過ぎた頃からこのままでは体がもたなくなるだろうと思うようになった。幸い縁あってこの地にビル診を開業させてもらって夜お産で起こされることがなくなった。今もお産をされている施設には本当に感謝しているが、新規開業される先生方もきっと同じ思いなのだろう。この先どのような変化があるかわからないが、お産をする施設は最も大切なのだけれど過酷なため増えることは期待できないと思う。大切にしなければならない。