令和2年11月20日
ほぼ1年ぶりに厳重な感染予防策のもとに上記の演題の講演が行われた。普段なら会場は一つで、それでも余裕があるのだが、4つに増やして一部屋当たりの人数を制限して行われた。第1会場のみ演者と座長がいて、他はリモートである。幸い第1会場に入れて直接講演を聞くことができた。高知大学医学部産婦人科教授、前田長正氏による講演で、子宮内膜症の原因、経過、治療への新しい視点でのアプローチをしたユニークで素晴らしい講演であった。
子宮内膜症は月経血の腹腔内への逆流が原因で起こるのがメインであるが、免疫応答の違いが発症の差になっていることを実際の映像を通して見せてくれた。基本に最近の第1子出産年齢の上昇と、出産回数の減少が大きな原因になっていることである。50年以上前は平均出産回数は5回で流産もあり、一生を通じて月経は50回だったが今は平均出産回数は2回、月経は450回だという。子宮内膜症が増えるわけである。
それならば月経の回数を減らせば防げるわけで、ピルを連続で内服して月経を起こさないようにすればいいのである。自分がいつも言っていることの整合性が一層強化されたと思った次第である。
カテゴリー 日誌
「子宮内膜症、その謎に迫る」
旅行中止
令和2年11月13日
秋は紅葉の季節、特に京都は紅葉の名所に事欠かない。今は外国人旅行者はほとんどいないのでチャンスとばかり、連休には京都に行こうと思った。紅葉を見るのが一番だが、京都大学博物館に一度行ってみたかったので申し込んだらOKだった。駅近くのホテルも予約できたし、夕食の店も確保できた。さらに帰りに京都伊勢丹で菱岩の弁当も予約できたので楽しみだった。帰宅して菱岩の弁当を肴に酒を飲むのは、旅行の楽しみをいっそう深めてくれる。実は以前菱岩まで行って弁当を買ったことがあるぐらいファンだった。
ところが最近、全国でコロナの感染が急増しているとの報道が流され、毎日のように危機感をあおっている。広島市でもまた感染者が増え始めている。ほとんどの人は軽症か無症状であるが。いずれにせよこの状況になったら京都旅行はやめざるを得ない。残念だがすべてキャンセルした。コロナは5類感染症にすべきではなかろうか。
深まる秋
令和2年11月6日
日中はそうでもないが朝夕は冷えこむようになり、自転車通勤の服装も冬支度になった。まことに季節は巡りくるもので、1年なんてあっという間である。過去の診療日誌、11月の項を読んでみると毎年、同じようなことを書いている。講演会や同門会、会食など最も多いのが11月で、話題に事欠かなかった。12月は忘年会はあるものの、会合はむしろ少ないのが最近の傾向だった。今年は武漢コロナのせいで一変している。講演会、同門会、会食はほぼゼロ、欧米では再び移動禁止措置がとられ始めている。日本はまだ抑制が効いているようで感染者、重症者共に少ない。早く元の状態に戻ってほしいが無理なようである。コロナ前と後で世界が変わるのではないか。それでも季節は巡り、過ぎて行く。これからは師走、正月、大寒、それから春と日々変わって行くことだろう。せめて季節を楽しんで行きたいものである。
「自粛バカ」
令和2年10月30日
表題は早稲田大学名誉教授、生物学者の池田清彦氏の著書である。武漢コロナウイルスによるパンデミックの結果、自粛要請を受けた人々は外出しなくなって世界経済は大打撃を受けている。さらに「自粛警察」と呼ばれる人間も出現し、不幸にして感染した人はバッシングされるようになった。特に我が国ではマスク着用は必須になっていて、それに逆らうと非難を浴びる。そうなる日本人の思考過程について考察し、もっと自分で考えて行動しようよと呼びかけている。本の帯に「養老孟司氏推薦」とあったので買ってしまったが、それほど目新しい内容ではなかった、もちろん賛同する部分は多かったけれど。
「リスクゼロ症候群という病」「クレーマーと無責任社会」「多数派という安全地帯」「事故家畜化する現代人」「空気を読まない人になるために」など刺激的な題のついた章からなる読み物である。コロナにうんざりしているのでつい買ってしまった。
広島の蕎麦屋
令和2年10月23日
そば打ちの高橋名人が町長の頼みで豊平に「雪花山房」というざるそばだけの店を作ってから広島の手打ちそばのレベルが上がった。今から20年ぐらい前のことである。今は高橋名人は九州に移り、店も閉まっているがそば打ちを教わった弟子たちの店が県内に沢山できている。いずれも名人の味を引き継いだ美味しいそばを食べさせてくれる。
「雪花山房」は豊平の山中にあり、非常にわかりにくい場所でこんなところに店があるのかと思うような立地だった。月に数回、土日しか営業していないので、開いている日をネットで調べて行ってみると、開店前からすでにたくさんの車が停まっていて店の前の広場には人があふれていた。メニューはざるそばだけでビールを頼めばそばみそを出してくれる。なにより水がうまい。山から湧き出る水は持ち帰りもできるのでありがたい。禅寺を思わせる凛としたたたずまいが一層味を引き立てたようだった。
今、自分がよく行く蕎麦屋で名人の流れをくむ店は「宮島達磨」「手打ちそば浅枝」「手打ちそばながお」最近は行ってないが「はっぴ」などで、どの店もそれぞれ特徴があり大変美味しい。最もよく行くのは名人とは別系統の「蕎麦切り吟」で、近いので行きやすく美味しいからである。一杯飲みたいときはそごうにある「やぶそば」、ここはつまみが充実しているのがいい。酒は「菊正宗」、ここのかき揚げは絶品である。考えてみると結構充実した蕎麦屋廻りができてありがたい。また行ってみよう。
不妊治療が保険診療になる
令和2年10月16日
菅総理の提案で不妊治療が保険診療になるらしい。もっとも普通の不妊治療は今までも保険診療だったし、当院も保険診療の不妊治療は行っているが、不妊専門施設で行っている体外受精、顕微授精など今までは保険外で自由診療だったものが保険になるという。
そもそも体外受精などの専門治療は、卵管不妊が原因の患者さんに行っていたもので、初めは手術室で全身麻酔のもと、腹腔鏡を使って卵子を採取し精子と混ぜ合わせて受精させ、子宮に戻して妊娠させていた。設備と人員など費用がかかるので患者さんの負担は大きかった。その後、経膣超音波装置による採卵技術が広まり、普通のクリニックで簡便にできるようになったが、費用はその頃のままで患者さんの負担はあまり変わらなかった。保険診療になれば費用はもっと安くなる上にその3割負担でいいので患者さんにとってはうれしいことだろう。
体外受精などの専門治療は本来、卵管不妊のためのものだった。それが今では原因不明の不妊(これが最も多い)にも適用されるようになっているのが現実である。かつては体外受精を行う場合は、病院内で倫理委員会を立ち上げ、命を作るような行為に対して本当に適応なのかと議論して決めたものである。今は昔の話ではあるが…
「氷心」
令和2年10月9日
表題は盛唐の詩人王昌齢の七言絶句の末尾にある言葉で、ひとかけらの氷のように澄みきった心という意味であるが、人と接する時には思い込みや偏見を持たずありのままの人となりを見るようにすれば世界が変わっていくだろう、という文章を読んで「これだ」と思ったことである。どうしても自分の目から見た偏見が入って、その人物を正しく判断してないことを反省することがちょくちょくあったからである。なるほどそういう目で他人を見ると少しずつ世界が変わっていくように感じた。
中国にはかつては素晴らしい人物がいて、今でも読まれている詩などの文化があった。漢詩の簡潔な表現が好きで、漢文の授業は音楽の次に好きだったが、遠い地に赴任して行く友を送る詩はことにいい。「氷心」の言葉のある詩も王昌齢が江寧(コウネイ:いまの南京)の副知事をしていた時、洛陽に旅立つ親友:辛漸への送別として作った詩
「芙蓉楼送辛漸(ふようろうにてしんぜんをおくる)」である。
寒雨連江夜入呉
寒雨(カンウ) 江(コウ)に連(つらな)って 夜 呉に入る。
冷たい雨が揚子江に降り続く中を、昨夜君を送って呉の地までやってきた
平明送客楚山孤
平明(ヘイメイ) 客を送れば 楚山(ソザン) 孤(コ)なり。
夜明け方、君を送れば、行く手に楚山が一つさびしく聳(そび)え立つ
洛陽親友如相問
洛陽(ラクヨウ)の 親友(シンユウ) 如(も)し 相(あひ)問(と)はば、
洛陽の親友たちが、もし私のことをたずねたら、
一片氷心在玉壺
一片の 氷心 玉壺(ギョクコ)に 在(あ)りと。
玉の壺に盛られた氷のように清らかな心、とそう答えてくれたまえ。
日本の妊婦コロナ感染
令和2年10月2日
日本の分娩施設2,185を対象に行われた調査(回収率65%)では6月までに72人の感染があり(分娩数30万人)家族内感染が57%だった。コロナ陽性妊婦の81%に症状がありその71%に発熱があった。死亡例は0で症状のある妊婦の17%に酸素投与、2%に人工呼吸器が必要だった。生まれた赤ちゃんへの感染は無かった。
以上の結果から見れば、インフルエンザの感染と比べてどちらが問題になるかわからない。フルは毎年全世界で発生し、ワクチンがあってもいっこうに減っていない。重症・死亡数もほとんど変わらない。コロナを2類感染症にしているが果たしてそれでいいのかという声もあがっている。日本の妊産婦のコロナ有病率は0.02%(5000人に1人)で決して高くないが、これは外出を控えたりマスク着用が徹底している我が国の国民性によるものも理由の一つだろう。フルもそうだけれど起きてしまったウイルス感染は無くすことはできない。他のウイルス感染症と同様に共存するしかないのである。時間が経てば実態も見えてくるので「あの時は騒ぎすぎた(マスコミに最大の責任がある)」ということになるのではないだろうか。
責任
令和2年9月25日
医療機関は患者さんに対してどこまで責任を持てばいいのだろうか。たとえば妊婦健診は妊娠中の様々な異常に対して対応する義務があるが、時間外に異常が発生することが多く、24時間対応できる体制でなければ難しい。お産をする病院は24時間受け入れているので、いつお産が始まっても大丈夫である。だから生まれるまでの期間も含めいつでも対応してもらえる。ただし、この体制を作るために医師はもちろんスタッフの確保、施設の整備など目に見えない多くの努力がある。個人で行うには限界があるので当院では妊婦健診を行わず、妊娠8週で予定日が確定した段階で分娩施設に紹介するようにしている。
時々、患者さんから「妊婦健診を受けている病院に予定外の受診を申し込んだら、予約が一杯だと断られた」といって当院を受診されることがあるが、症状を聞いたうえで急ぐ必要がないと判断してならいいが、そうでなければ?である。さらに「お産の後、乳腺炎のような症状で発熱して痛いのでお産した病院に問い合わせても対応してもらえなかった」という話を聞くと、これまた?を感じる。常識的にはそこまでは対応すべきではないだろうかと。普通はあり得ないことなので、たまたまそうなったのだろうが色々難しい問題をはらんでいる。当院もどこまで責任を持つべきなのか、常識で納得できるところまではと思うが、その常識にも幅があるだろうし。
「漱石先生」
令和2年9月18日
表題は寺田寅彦の夏目漱石にまつわるエッセイを編集し、小宮豊隆・松根東洋城との対談も加えた作品である。明治11年に生まれ、物理学者・随筆家として知られた寺田寅彦は、昭和10年に亡くなるまで東大物理学系の教授、地震研究所、航空研究所、理化学研究所などにも籍をおいて科学者の視点から独自の日常身辺のエッセイを著した。熊本の旧制第五高等学校時代に、英語の教師として赴任していた夏目漱石の知遇を得る。それ以来漱石を実の父親以上の師として慕い、漱石もまた弟子としてかわいがり強い師弟関係が結ばれていたようである。漱石との出会いもエッセイに詳しく書いてあるが、俳句を教わることから始まって正岡子規を紹介されたり、漱石のサロンに出入りして文士達と交流したりの日常風景が緻密かつ簡潔に書かれている。
漱石の「吾輩は猫である」に物理学者「水島寒月」として登場するのが寺田寅彦である。寺田寅彦は初めの結婚相手が男児を産んだ後早い時期に結核で亡くなるが、その頃のことも「猫」には直接ではないが描かれている。両者の著作を重ねると当時の情景が目に浮かぶように想像できるのは、描写が的確で文章が優れているからだろう。100年以上経って興味を持って文章を読む人間がいるのも、著書が現在まで残っているからである。文章の力は誠に強いものである。