カテゴリー 日誌

少子高齢化は必要悪?

平成16年11月20日(土)
産婦人科の医師の高齢化が進んでいるという。特に山間部ではお産をする施設がどんどんなくなっている。このままでは、都心以外に住んでいる人はお産できな くなってしまうかもしれない。少子高齢化が進めば当然のことで、お産をする人がいなければ本来の意味での産婦人科は必要なくなる。でもこれは由々しき問題で、次の世代が少なくなれば民族としては先細りになってしまう。生物の特徴は増殖することであるとすれば増えるのが正しいのだろうが、生きるために必要な資源には限りがある。がんと同じで増えすぎると宿主を死なせてしまう。そのバランスを本能的に保つとしたら、厚生労働省の予測のように人口が減ってしまうことはないだろうし、いいところに落ち着くのだろう。日本人は戦後から着実に人口を増やしてきて、このままではよくないと本能的に気がついたのかもしれな い。

流産を告げるとき

平成16年11月17日(水)
朝から流産手術2件。いつもながら流産の事実を告げるのは気が重い。特にやっとできたはじめての妊娠の場合は、どのように話そうかと思う。できるだけ衝撃を緩和するように反応をみながら話すのだが、つらい事実には変わりなく心の動きが手に取るようにわかる。納得するのに時間がかかるので、緊急を要するとき以外は流産手術をすることの同意を何日でも待つようにしている。そして、次の妊娠への希望を持ってもらえるように話すのである。
当院ではがんや致命的な病気の治療は行っていないが、そういう病気を本人に告げるのは大変であろう。治る可能性があればいいが、ほとんどない場合は本人の衝撃はすごいものだろう。「世界が変わる」という。それを告げてさらに本人の驚き、怒り、恐怖などもろもろの感情を受けとめるのは、大変なことと思う。よほど強い意志と深い愛情がないとできないのではないか。そういう立場の医師は大変だろうが、現在の私はそうでなくてほっとしている部分もある。勤務医の頃は多くはないがそういう立場になることがあり、自分の無力さを痛感することがあったのである。

天気の話はあいさつのマクラ

平成16年11月15日(月)
朝は雨模様であったが昼にはすっかり晴れていい日和になった。
初めに天気のことをよく書いているような気がしてふりかえってみると、11月だけで今日を含めて3回書いている。なんと5割である。田舎育ちの私は小さい頃、自分の家も含めまわりの家がほぼすべて農家であり、行きかう人たちはいつも「きょうはええ日和じゃのう」とか「寒うなってきたのう」とか、あいさつのはじめにかならず天気の言葉が入るのを聞いていて、天気など見ればわかるだろうにわざわざ言わなくても、と感じていた。農業には天候がごく重要なので天気のことを言うのかと思っていたが、どうもそれだけでもないようである。あいさつはコミュニケーションで大切だが、話題で最もあたりさわりのないのが天気の話である。農家にとっては天気は関心事でありなおかつだれをも傷つけない。天気は毎日変わるのでそれに応じて話題に変化をつけることができる。これほどすばらしい話題があるだろうか。
というわけで天気の書き出しの言い訳をしているが、今後はなるべく減らすようにするつもりである。今日は月曜日にしてはのんびりした日であった。腰痛が少し復活してきたようだ。

国民衛生の動向

平成16年11月13日(土)
「国民衛生の動向」という本がある。厚生統計協会から毎年この季節に刊行されるのだがこれが実にすぐれもので、保健医療や生活環境などがよくわかる。たとえば「戦後における平均寿命の推移」という欄をみると、昭和22年の平均寿命は男50,06女53,96で10年後にはそれぞれ63,24と67,06さ らに10年後の昭和42年には68,91と74,15とすばらしい伸びを示している。前回書いた「人生わずか50年」はつい50年前までの話だったのである。ほかに離婚率の国際比較だとか人口動態職業別総覧だとか、よくぞここまでというほどなんでも統計を出している。手元に置いておくと結構便利だ。
土曜日なので夕方5時までであるが結構疲れた。まっすぐ帰ることにする。

50歳以降は余生?

平成16年11月10日(水)
忘れていたが、今日は私の誕生日である。診察中に日付印を見て思い出した。またひとつ年を取ってしまった。10代は早く大人になりたくて、20代は年のことなど考えもせず、30代はたまに年のことを思い出し、40代は年を取ったことを自覚するけれど猛烈に抵抗し、50になればもうあきらめの境地に達するのである。
つい100年前までは「人生わずか50年」といわれていたことを思えば、50歳以降はもう余生である。長く生きればいいというものではなく、短くてもそれなりに充実していればいい。もちろん長く充実しているのがいいのだろうが、それはぜいたくというものだ。寿命は自分で決められるものではないので、一日一日を大切にしていくしかないのだろう。

深井克則のジャズライブ

平成16年11月8日(月)
今日は暑からず寒からずいい日和である。土曜日には深井克則のジャズライブがあり、がらにもなく聴きに行ったがなかなかよかった。また機会があれば聴きに行こうと思う。なにしろ男声合唱からクラシック、演歌、フォーク(古い!)、中島みゆき、ジャズ、尺八に至るまで音楽の好みにまるで節操がないのである。 節操はないが好みは年齢と共に徐々に変わってくるようである。
最近は休憩時間はジャズか尺八ばかり聴いている。今のところこの組み合わせが一番である。

嚢中の錐

平成16年11月4日(木)
好きな言葉に「嚢中の錐」というのがある。この言葉をはじめて知ったときはあまり気に止めなかったが、年をとるにつれて味わい深い言葉だと思うようになった。中国の史記に出てくる故事からの言葉だそうであるが、すぐれた者や実力のある者は必ず頭角を現すというほどのことだ。実際今までの経験では、この言葉はまことに真理だと思うことが多いのである。問題は頭角を現した後であるが、成功するために大切なのは、運・鈍・根でいえば根ではないだろうか。若い頃は才能こそすべてだと思っていたが、経験を重ねいろいろな人物を見てくると見方が変わってくる。人生はマラソンのようなもので根が大切だとしみじみ思う のである。
今日は診療日誌らしからぬことを書いてしまった。

藤城誠治のレフグラフ

平成16年11月1日(月)
今日から11月だ。昨日は昼から雨が降り、テニスが雨天中止になった。もっとも午前中に3試合はできたが。午後からは下関に行ったときに見つけていた藤城清治のレフグラフが届いたので、クリニックの診察室に掛け替えておくことにした。前の絵は開業したときに同業の先生から頂いてずっと掛けていたのだが、気分一新のためである。さすがに気に入って手に入れただけあって、診察室の雰囲気が違うように感じる。今日は朝から時々絵をながめてニタッとしている。事情を知らない人はいささか不気味かもしれない。影絵で有名な藤城清治の作品は小さいころから教科書でも見たことがあったが、レフグラフという技法でたくさん作られるようになったのである。原画などとても手が出ないがレフグラフならちょうど良い。もう一枚ぐらいあってもいいかと思っている。
芸術の秋である。音楽はもともと好きであったが、絵画はあまりよくわからなかった。ところが年をとるにつれて絵もいいと思うようになってきた。フェルメー ルの絵などは写真でしか見たことはないが、一度実物を見たいと思う。時々日本でも展覧会をやっているようであるが、なかなか行く機会がないのが現実である。がんばって行けるように仕事をしよう。

「患者様」より患者さん

平成16年10月27日(水)
近頃病院で患者さんを呼ぶときに、「○○様」という言い方をよく聞く。以前はどこでも「○○さん」であったのがほとんどこの言い方になってしまった。医者や看護婦(看護師に呼び方が変わったようだが)はほとんどの場合「○○さん」と言っているようであるが、受付では「様」と呼ぶことが多くなっている。年配の人が新聞の読者投稿欄に、病院で「様」と呼ばれたらわざとらしく、違和感を覚えてイヤである、と書いていたがまさにそのとおりである。私自身が病院へ 行って受付で呼ばれるならまだしも、医者や看護婦から「様」と言われたら、この病院はうしろめたいことでもあるんじゃないかと思ってしまうだろう。学校の先生に生徒が「様」と言われたり、寿司屋のオヤジに客が「様」と呼ばれたりするようなもので、違和感を覚えるに違いない。
言葉は時代と共に変わって行き、皆が違和感を感じなくなればその言葉は定着したことになるので、将来は「様」になるかもしれないが、今は自分で違和感を感じない言葉を使いたいと思う。

いつもと同じ

平成16年10月25日(月)
昨日は広島市の当番医だったので一日中クリニックを開けていた。患者さんは普段より少ないため半分の人数で対応したが、非常に暇だった。いつも当番医のときは患者さんが少なく、広島市全体で平均1日10人だそうである。他の科は平均40~50人位だそうである。産婦人科の患者さんは、行きつけのところに行く傾向がつよく、妊娠関係はお産する病院がフォローするので当番医は必要ないのではないかと思う。
本日はいつもと同じでいいペースある。夕方交換前のパソコンのデータの入れ替えが終わり、ホームページの更新もできるようになった。とりあえず更新しておくことにする。