カテゴリー 日誌

稲刈りと秋祭り

平成17年9月27日(火)
朝夕は結構涼しくなり秋も深まってきたようだ。これからしばらくは最もいい季節になる。天高く馬肥ゆる秋、スポーツの秋、祭りの季節。
田舎育ちの私はこの季節になると稲刈りと秋祭りを思い出す。家が農家なので中学3年までは稲刈りを手伝っていたがその後は機械での取り入れになって手伝わなくてよくなったのはありがたいことであった。稲は鎌を使って刈っていたが結構しんどい仕事である。刈り方は3列並んだ畝を同時に刈りながら進んでゆく。刈り取ってできた場所に稲を置き、ちょうど一束になるようにしておく。それをわらしべを使って結んでいくのは大人の仕事である。全部刈り取ると稲を乾かすために杭を打ち込んで太く長い竹ざおを渡して稲を掛けてゆく。朝から仕事を始めて待ち遠しいのが昼飯である。いま刈り取ったばかりの稲に座って握り飯を食べ沢庵をつまむ。卵焼きや鶏のから揚げなどもあったがこれが実にうまかった。普段は家に帰って食べるのだが時には田んぼで食べることもあったのだ。
取入れが終わると秋祭りである。小さいながら神輿が村をまわり神社には屋台が出る。子供の頃はここで玩具や菓子を買うのが大きな楽しみであった。もっとも祭りも次第に尻すぼみになって今ではどうなっているのやら。

緊急避妊薬について

平成17年9月20日(火)
緊急避妊薬を希望して来院する人が結構おられる。Yuzpe法といってアメリカンジャーナルにその避妊効果についての論文が載っていたが、かなりの確率で避妊できるようだ。中用量のピルを1回2錠、12時間後にもう2錠飲めばいいのだが嘔気などの副作用があり、飲めない人もときに見られる。短期間に何度も来院するリピーターもいて、何回も使うぐらいなら低用量ピルを毎日飲んだ方がいいとすすめたくなる人もいる。以前はそんなに多くなかったが、最近増えているのはネットからの情報のせいだろうか。わからないことがあればネット検索でいろいろな情報が得られるので利用している人は多い。
ピルに関する情報も豊富でそれらを見てよく知っている患者さんも多い。その場合は説明が早くて実にいい。ピルというと何か恐いものという先入観があって、説明に時間がかかるのだが安全性、副作用共にある程度わかっているので必要なことだけ話せばよいのだ。ネットは有用であり、なくてはならないものになっている。

やせ過ぎはよくない

平成17年9月16日(金)
最近生まれる赤ちゃんの体重が減ってきている。この20年間で平均200グラム減っているそうだ。胎児の体重が減るということは胎内環境がよくないことであり、その原因の多くは最近とみに激しくなっている「ダイエット」だそうである。我が国では女性の「やせ願望」が強く、BMIで「やせ」の範疇の20代の女性の割合は20年前の2倍になっている。30代の女性も同様にほぼ2倍になっている。加えて我々産婦人科医のなかにも妊婦健診の際に、体重が増えると怒りまくる医師もいると聞く。
成人病胎児期発症説といって、高血圧・糖尿病などの成人病は胎児期にその素因がつくられるのだという説が提唱されており、世界中で注目されているそうである。それが正しいかどうかはこれからのことだが最近の「やせていれば美しい」という風潮はなんとも不自然である。せめて我々はやせすぎに対して警鐘を鳴らしていかなければならないと思う。

医師は本当のことを言え

平成17年9月13日(火)
「胃がん(スキルス)の発見が3ヶ月遅れたために適切な治療を受ける機会が遅れた」との訴えに対して最高裁は「相当な理由がある」と判断したという。こういった判断が出るのは、医師が長年にわたって「早期発見、早期治療ががん死を減らす」ということを言い続けてきたからだ。
ところががん検診により早期がんは多く見つかるようになっても死亡数はあまり減っていないという現実があり、ことは単純ではないとわかってきた。特に肺がんでは検診の有効性は否定されており、他のがんもおそらく同様になるのではないだろうか。つまりホスト(宿主)側の遺伝子の問題で「治る人は治るが、治らない人は治らない」という、検診を推進する医療側にはきびしい現実が見られるのである。さらに昔から医師は、治るかもしれないからという理由で大きなダメージをあたえる手術、抗がん剤治療を行ってきた。医師も患者も共に、治らないかもしれないということは認めたくないので何とかしようとする。でも実際には治る人は治るがそうでない人は、きびしい治療のダメージだけ残り苦しむのは本人である。
ではどうすればいいのだろうか。一つは治療の有効性、治療に伴う副作用、治療をしてもしなくても予後が変わらないのであればそのことをはっきり公開する、などをすべてきちんとおこなうことである。そのうえで、痛みや不快感など不自由に対する対症療法をいっそうきちんと行えるようにして、同時に精神的な支援を充実させることが必要だと思う。

人生50年があたりまえ

平成17年9月9日(金)
生物学者本川達雄氏によれば、平均寿命が80年になったのは人類600万年の歴史でわずかここ30年のことだそうである。なるほど自分が子供の頃は還暦は祝うべきめでたい比較的まれなことだったように思う。それが今では70歳でも元気なのがあたりまえになってしまった。こういう経験は人類には今までなかったわけで、どうしてよいかわからないのはあたりまえである。
生物は年を取ればそれだけ体にガタがくるので、永遠をめざすためには自分の複製である子供をつくって次につなげるしかないのだ。そして多くの生物は子を作ったら生を終える。哺乳類は親が子供を一人前にしてから死ぬので、子が自力でエサを取れるようになるまでは生きている必要があるが、子供が一人前になればお役御免でその後の生はもうけものであった。昔からそれがあたりまえであり、それ以外の選択はなかった。むしろ、子を産み一人前にできればめでたいことで、それ以上を望むのはぜいたくであったと思われる。
それが今はどうかというと、50歳からの30年の健康と生きがいを求めなければならないのである。この余分な30年は生物としては不自然な大量のエネルギーを使うことによって成立しているそうである。こんな状態が長続きするはずがない。アフリカなどは今でも平均寿命は30~40歳の国もある。いずれは我々も元の寿命に戻るかもしれない。

思いがけない薬の効用

平成17年9月6日(火)
高脂血症の薬が肝細胞がんに有効であるとの論文が報道された。最も有効だったのはシンバスタチンだという。もし各研究者による追試で正しいことが証明されればすばらしいことである。元来、高脂血症薬は本当に必要な人以外に使われすぎていると思っていたのである。ブームとは恐ろしいもので、コレステロール悪玉論はずいぶん長く通用していてコレステロールの値に一喜一憂している人が多かったが、最近ではあまりいわなくなった。いいことである。
薬については当初の目的とは違った疾患に有効なことがわかって使われだしたものも結構ある。かつては喘息の治療薬が早産防止に使われた。この時は早産には経験的に有効とわかっていてもたてまえでは使えなかったのは、その薬が喘息治療薬としてしか保険適応になっていなかったからである。ずいぶん後になって現在使われている薬が保険適応になったが、その成分は喘息治療薬の兄弟分のようなものである。また、我が国の妊婦さんが薬を恐がるようになった大きな原因のサリドマイドは、骨髄腫に効くことがわかり再評価されている。このように薬でも長い目で見なければ評価が定まらないことがあるが、人間ではそれ以上だろう。
本日は台風接近のため午後3時にクリニックを閉めた。次第に風雨が強くなっている。明日は大丈夫だろうか。

贅肉落とし

平成17年9月2日(金)
9月になってしまった。去年はどんなことをしていたか診療日誌を見たら、どうもよく飲みに行っていたようである。最近は週一がせいぜいで、飲みすぎた翌日はいささかしんどいことがある。それよりも気候がいいので体を動かした方がいいだろう。今月の目標は「贅肉落し」と決定。さて一ヵ月後の結果やいかに。

階前の梧葉すでに秋聲

平成17年8月30日(火)
8月も残すところあと一日である。照りつける日差しもやわらかくなりいつのまにか秋の気配を感じさせるようで、人の一生にたとえると三十台の終わりから四十台の初めといったところか。以前にも書いたが昔から、盛りの時は短くすぐに過ぎてゆきそのことに気付くのは老いてからだと言われている。まさに「階前の梧葉すでに秋聲」である。たいていの場合、時間が大切だと気付いた時はもうあまりその人の持ち時間がなくなっているという。おそらく有史以来ヒトは一生を通じて同じようなことを感じて生きていったのだろう。

健康診断は無効(厚労省研究班)

平成17年8月26日(金)
先日のニュースで、「厚労省の研究班によれば、健康診断にはほとんど意味がないので見直しが必要である」との報道があった。現在行われている健康診断24項目のうち有効なのはなんと!血圧測定と飲酒・喫煙の問診だけだそうである(有効というのはその検査によって本人の寿命が延びる可能性があるという意味である)。飲酒と喫煙は本人の自覚の問題であるからせいぜい「アルコールはほどほどに、タバコはやめましょう」と言うだけであれば本人がその気にならないかぎり意味がない。そうすると「血圧」だけが意味があることになり、血圧は今は簡単に家でも測れるようになっているので「健康診断は必要ない」といっていることになる。
欧米では健康診断などはやってないようで我が国だけの慣例のようである。以前から、この類のことはあまり意味がないからその時間とお金があれば信頼できるかかりつけの医療機関を決めておいて、なにかあればそこに相談して意見を聞いたほうがはるかにいいといつも言っていたのだが、世の中がその方向へ向かうのであれば実にいいことである。そもそも毎日を元気で過ごしている人は医療機関には行かなくて良いのである。どこか具合が悪ければそこで初めて行けばいいのだ。そして信頼できる医師に相談してその人にとって最もいいと思われる医療機関・医師を紹介してもらうか、医師が自分のところで治療した方がその人のために良いと判断したらそうするだろうし無駄なくフォローしてもらえる。かくして患者ーかかりつけ医院ー信頼できる他の医療機関という「良性サイクル」ができあがる。これが逆の方向へ行けばその人にとっては悲惨なことになるだろう。
問題はそのような医者をどうやって見つけるかだが、こればかりは評判を聞いたりして自分で行ってみるしかない。相性もあるのですぐには見つからないかもしれないが、そのつもりでいればいつかは必ず見つかると思う。

当院のスタイル

平成17年8月23日(火)
お盆明けの忙しさが過ぎて今日はヒマである。生来の貧乏性で何かしていないと落ち着かない。こういう時はカルテ整理が一番いいが、整理の仕事がはかどるのもかえってイヤなような複雑な気持ちだ。ここまで書いてふと以前の記述を見たら結構ヒマという言葉がある。よく流行っているところは別として、当院のようなごく普通のクリニックはこんなものだろうがヒマよりは忙しいほうがいいに決まっている。その施設の評価は患者さんがしてくれるので、精進するしかないのである。
当院に来られた患者さんは、少なくとも受診してよかったと思ってクリニックを出てもらわないと困る。できるだけ少ない回数で、検査は必要最小限、薬は意味のあるものだけ、を基本にしているが、時に患者さんから「○○の検査はしなくていいのですか」と聞かれることがある。「ご希望ならいたしますが、その検査はしなくてももう診断はついているし参考程度の検査なのであなたの負担が増えると思って私はしておりません。」と答えると、ほとんどの人は「それならいいです」とおっしゃる。これが当院のスタイルなのである。