平成16年11月10日(水)
忘れていたが、今日は私の誕生日である。診察中に日付印を見て思い出した。またひとつ年を取ってしまった。10代は早く大人になりたくて、20代は年のことなど考えもせず、30代はたまに年のことを思い出し、40代は年を取ったことを自覚するけれど猛烈に抵抗し、50になればもうあきらめの境地に達するのである。
つい100年前までは「人生わずか50年」といわれていたことを思えば、50歳以降はもう余生である。長く生きればいいというものではなく、短くてもそれなりに充実していればいい。もちろん長く充実しているのがいいのだろうが、それはぜいたくというものだ。寿命は自分で決められるものではないので、一日一日を大切にしていくしかないのだろう。
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50歳以降は余生?
嚢中の錐
平成16年11月4日(木)
好きな言葉に「嚢中の錐」というのがある。この言葉をはじめて知ったときはあまり気に止めなかったが、年をとるにつれて味わい深い言葉だと思うようになった。中国の史記に出てくる故事からの言葉だそうであるが、すぐれた者や実力のある者は必ず頭角を現すというほどのことだ。実際今までの経験では、この言葉はまことに真理だと思うことが多いのである。問題は頭角を現した後であるが、成功するために大切なのは、運・鈍・根でいえば根ではないだろうか。若い頃は才能こそすべてだと思っていたが、経験を重ねいろいろな人物を見てくると見方が変わってくる。人生はマラソンのようなもので根が大切だとしみじみ思う のである。
今日は診療日誌らしからぬことを書いてしまった。
ピル使用者の減少?
平成16年10月16日(土)
あっという間に一週間が終わってしまった。近頃の時間の速さはどうしたことだろう。つい先日も時間が早く過ぎることを書いたが、それにしても、である。どこか神経の回路がおかしいのだろうか。自分としては特別変わった事はなく、いつもと同じようにしているつもりなのだが。まあ、あまり深く考えないようにしよう。
最近ピルの使用の伸びが落ちているように感じる。当院は広島でもピルの処方が多い方なのであるが、いっときほどの増加はなくなりむしろ微減の印象がある。なぜだかわからないが。
光陰矢の如し
平成16年10月6日(水)
一日の長さ、一年の長さは、それまで生きてきた長さに反比例して感じるらしい。つまり、3歳の幼児にとっての一年はそれまで生きてきた長さの3分の1であるが、50歳の人では一年は50分の1にすぎない。一年が早いわけである。だから歳を取るごとに一年が早くなると感じるのもむべなるかなである。
時間は常に一定の速度でながれていると思われていたが、そうではないとの理論を明らかにしたのはアインシュタインであった。さらに別の理論では、時間は物質の変化のスピードによって決まり、変化の激しい所では時間が早く進み、ほとんど変化のないところでは時間が止まっているに等しいという。都会では時間が過ぎるのが早く、田舎では遅いと感じるのはそのせいなのかもしれない。
本当の所、時間は実際に感じる感覚と現実に過ぎて行く速さの両方で変化するものだと思うが、このところ一年が早すぎる。困ったものだ。
秋晴れの日
平成16年10月4日(月)
久しぶりに秋晴れでいい天気である。やっと秋らしくなった。こんな日は仕事を休んで野山を散策してみたくなる。私の場合は散策などというものではなく、弁当とビールが必要であるが。きれいな湧水があればコーヒーを淹れてもいい。奥深い谷川のほとりで尺八を吹いてもいいし、寝転んで文庫本を読んでもいい。じつに気持ちの良い一日となるだろう。
現実には仕事を休むなどとんでもないことで、野山を散策するような気持ちの余裕もない。それでもそうしたいと思わせるような秋の日であった。
禁煙
平成16年10月2日(土)
タバコをやめてもう4年を過ぎた。はじめはやめる気は全くなかったのだが、鼻ポリープのため呼吸が苦しくなり止めざるを得なくなったのだ。ある日それまで 吸っていたタバコを「止めた!」と言って捨ててから、一本も吸っていない。家にもクリニックの自室にも、封を切ったマイルドセブンと灰皿、ライターがいつでも吸えるように置いてある。はじめの頃は時々横目で見ていたが、そのうち気にならなくなった。
その後時々、タバコを吸っている夢を見ることがあった。タバコを吸っている自分に気がつき、「しまった」と思って目がさめるのである。まさにニコチン中毒である。だいたい体に悪いものや、してはいけないことに限って味わい深いものが多いのも事実である。タバコなどは合法的なぎりぎりの、体には悪いが味のあるものであろう。他にもこれに似たことやモノはそこそこあるが、それらを味わえない人生は味気ないと思う。せいぜい体と相談してぎりぎりで味わっていきたいものだ。
台風がまた上陸
平成16年9月29日(水)
朝から雨でいやな天気だ。また台風が九州に上陸したとのこと。午後からはビルがきしむ音がした。しっかりとした造りのビルなので心配はないのだが、音がすると気持ちが良くない。今年は台風が日本に上陸した回数が、過去最高とのことである。過去最高ということは、今まではどうであれいつも何が起こるかわからないということである。
我々の日常診療でも何が起こるかわからない。今まで起こったこともないようなことがおきるかもしれない。そのときにあわてないようにしようといつも思っているのだが、実際におきたらうろたえるだろう。以前、地震の時は診療中であったが腰がひけてしまった。幸い医療器具を入れておく戸棚が倒れてガラスが割れただけで人的被害がなかったのでよかったが。いくら「備えあれば憂いなし」といっても、「天災は忘れた頃にやってくる」のでどうしようもないだろうが。
疲れ気味
平成16年9月25日(土)
ここのところ飲む機会が続いていささか疲れ気味である。それなら飲みに行かなければ良いのだろうが好きなもので、つい出かけてしまうのだ。来週は少し控えようと思っている。
今日は朝からばたばたと忙しく、二日酔い気味でいっそうしんどかったのであるが、昼はしっかりと鍋焼きうどんを食べてしまった。最近では飲んだ翌日の昼はこればっかりである。食欲が落ちることは、まずないのがこわい。疲れたので早く帰ってER(ビデオ)でも見てゆっくりしよう。
食いたい放題
平成16年9月22日(火)
天高く馬肥ゆる秋である。ごはんがおいしい。体重の心配さえなければ飯をぐいぐい食ってみたい。現実には、ごはんにたどりつくまでにビールとつまみで八割方腹一杯になっている。そこで、茶漬けで一杯、漬物で一杯、いくらでも食べたいと思うがもう入らないのが実にくやしい。
色川武大という作家の著書に「食いたい放題」という秀逸な作品があったが、これを読むとこの作家は本当に食べることが好きなのだと思う。そして、その考えに共感する部分が多く、自分も同じ体質だと改めて思う。食いしん坊にとっては昼食は夕食を何にするか考えながら食べるので、その内容もそれによって決ま る。間食などすると夕ごはんが美味しくなくなるので、しない。当然体重が増えるだろうが秋である。美味しく食べられるうちが花だと思っている。
休みに対する気持ちの変化
平成16年9月13日(月)
9月は休みの多い月だ。勤務医時代は休みは貴重で、休みの日は産直でなければ必ずどこかへ遊びに出かけていた。家にじっとしているのがもったいなくて、ゴルフに行ったり、家族でどこかに行ったりしていた。
ちなみに産直とは、産科の日直当直のことで、その日は24時間待機していることである。朝病棟で回診などを行い、お産が入っていれば状態を診て指示を出す。もちろんお産になれば赤ちゃんをとりあげるし、必要があれば緊急帝王切開も行う。夜中でも容赦なく呼び出される。全然寝てなくても翌日はいつもと同じ勤務である。これが2~3日ごとにある。勤務していた病院はお産が多かったので、しょっちゅう起こされていた。産科医の宿命とはいえ、さすがに40代になると起きるのがしんどくなり、このまま続けていくことに不安を感じ始めていたのである。
その後縁あって開業してからは、夜起こされることがなくなって生き返った心地であるが、反面、休日が以前のように待ち焦がれるものではなくなった。ぜいたくな話であるが、もう休みかと思ってしまう。あのしんどかった日々は忘却の彼方となっている。ありがたいことである。