平成16年12月20日(月)
このところ太り気味なので、運動しなくてはと思うのであるがなかなか難しい。以前は一日3~4Km位のウオーキングをしていたのだが、とんとご無沙汰している。昨日は久しぶりにテニスをして、夕食後に3Kmぐらい歩いた。やはり体を動かすと気持ちがいい。ただし、運動するとビールを飲みたくなるので困る。せっかく運動しても消費カロリー以上のものを飲んだり食べたりしてしまうので、なんにもならぬ裏の柿の木である。後戻りができるうちにせいぜい頑張ってみようとは思っているが。忘年会シーズンもそろそろ終わるのでいい機会ではある。
カテゴリー 日々是好日
運動は気持ちがいい
開業が増えた
平成16年12月4日(土)
暮れに配られてくる今年の産婦人科同門会の名簿を見て驚いたのだが、新たに開業した先生の多いこと。今までで最高ではないだろうか。大学の医局制度がなくなることと関係あるのだろうか。医者が増え病院のポストが限られていることも原因だろうが、他の業種と同様生存競争がきびしくなっているようだ。もっと も、日本はまだまだ米国と同様栄耀栄華を誇っている部分があるので大丈夫とは思うが、落ちるときは早いので注意が肝要だ。
日本の歴史が教えてくれているように「平家物語」しかり、藤原道長の栄華しかり、思いがけないことが起こるのが浮世というものである。一人の人間の歴史でさえ、病気をはじめ何が起こるかわからない。とりあえずそういうつもりで一日一日を丁寧に過ごすしかないのだろうが、どうしようもない時もあるという覚悟は必要だろう。
思い立ったらすぐに
平成16年12月1日(水)
12月になったというのに妙に暖かい。風邪も、初期症状のみでひどくならずにすんだのはありがたいことであった。先日、豊平のそばの店「雪花山房」に久しぶりに行ってみたが、途中の路にまで車が止められていてとても行けそうになく、引き返してしまった。もともと知る人ぞ知る店であったのだが、こんなに多いのは初めてだった。テレビの情熱大陸で紹介されてかららしい。なにしろ店が開いているのは土日ぐらいで、それも毎週というわけではないので無理もないだろう。もうここの店のそばは食べられないかもしれない。前に何回か行っておいてよかった。
そばに限らず、なんでもそのときそうしておけば良かったと思うことはよくある。若いうちはいつでも取り返せると思っているが、だんだん取り返せないかもしれないと思うようになる。経験をつんできたからなのか、残りの人生が少なくなってきたせいなのかはわからないが、今は何でも思い立ったらすぐにするように している。
風邪の初期症状
平成16年11月29日(月)
土曜日に忘年会があり、ワインがおいしかったので飲みすぎてしまい、その後濃いウイスキーも飲んだためか、まだのどが痛い。元来耳鼻科系が弱いので、アルコールはのどに良くないのだろう。昨日は休肝日にしたが、今日も休肝日にするつもりだ。
今日は暖かいいい日和である。昼間は上着なしでもいいぐらいだった。今年はいつまでも気温が高いので、12月になって雪が降るのか心配になる。スキーが好きなわけではないが、ワンシーズン2~3回はよたよたと滑ってみたいので。
夕方になってのどが痛くて肩がこってきた。少し熱っぽい感じもある。どうも風邪の初期症状のようだ。今日は早く帰って寝よう。
忘年会シーズン
平成16年11月25日(木)
いよいよ忘年会のシーズンである。忘年会というより、なんだかんだと理由をつけて飲み会をするというのが本音だろうが。スケジュールが埋まっていくのはうれしいのだが、元来アルコールに弱いくせに好きなもので、いかに体をいたわるかが問題である。ポイントは、①毎日は飲まない②量を減らしてゆっくり飲む③つまみはしっかり取る、ぐらいだろうか。困ったことに体重が完全に増えてしまってカロリー制限が必要になったのでつまみをひかえなければならない。中年に なると同じような悩みをかかえたオジさんたちも多いと思うが、忘年会に限らず他国ではどうなっているのだろうか。
スペインではバル(居酒屋)がたくさんありピンチョス(串にさしてつまめる料理、いろんな種類がある)をつまんではビールかワインを一杯飲んで次の店に行き、またその店の自慢の串をつまんで一杯、わいわいしゃべりながらこれをくりかえすという。なるほど飲みすぎず体にも負担が少なそうだ。昔スペインに行っ たときに何軒かバルへ行ったことがあったが、確かにそんな雰囲気だった。夜の12時頃はまだ皆結構飲んでいたようだった。休日などは家族連れでバルへ行き 楽しく食べたり飲んだりするが、その間子供はその辺を走り回っていても皆気にしないそうだ。スペインは全部が家族みたいなものだかららしい。壇一雄がスペ イン、ポルトガルあたりが大好きで何年も滞在したのもわかる気がする。
いずれにせよ飲み過ぎないように注意しようと思う。
天気の話はあいさつのマクラ
平成16年11月15日(月)
朝は雨模様であったが昼にはすっかり晴れていい日和になった。
初めに天気のことをよく書いているような気がしてふりかえってみると、11月だけで今日を含めて3回書いている。なんと5割である。田舎育ちの私は小さい頃、自分の家も含めまわりの家がほぼすべて農家であり、行きかう人たちはいつも「きょうはええ日和じゃのう」とか「寒うなってきたのう」とか、あいさつのはじめにかならず天気の言葉が入るのを聞いていて、天気など見ればわかるだろうにわざわざ言わなくても、と感じていた。農業には天候がごく重要なので天気のことを言うのかと思っていたが、どうもそれだけでもないようである。あいさつはコミュニケーションで大切だが、話題で最もあたりさわりのないのが天気の話である。農家にとっては天気は関心事でありなおかつだれをも傷つけない。天気は毎日変わるのでそれに応じて話題に変化をつけることができる。これほどすばらしい話題があるだろうか。
というわけで天気の書き出しの言い訳をしているが、今後はなるべく減らすようにするつもりである。今日は月曜日にしてはのんびりした日であった。腰痛が少し復活してきたようだ。
50歳以降は余生?
平成16年11月10日(水)
忘れていたが、今日は私の誕生日である。診察中に日付印を見て思い出した。またひとつ年を取ってしまった。10代は早く大人になりたくて、20代は年のことなど考えもせず、30代はたまに年のことを思い出し、40代は年を取ったことを自覚するけれど猛烈に抵抗し、50になればもうあきらめの境地に達するのである。
つい100年前までは「人生わずか50年」といわれていたことを思えば、50歳以降はもう余生である。長く生きればいいというものではなく、短くてもそれなりに充実していればいい。もちろん長く充実しているのがいいのだろうが、それはぜいたくというものだ。寿命は自分で決められるものではないので、一日一日を大切にしていくしかないのだろう。
嚢中の錐
平成16年11月4日(木)
好きな言葉に「嚢中の錐」というのがある。この言葉をはじめて知ったときはあまり気に止めなかったが、年をとるにつれて味わい深い言葉だと思うようになった。中国の史記に出てくる故事からの言葉だそうであるが、すぐれた者や実力のある者は必ず頭角を現すというほどのことだ。実際今までの経験では、この言葉はまことに真理だと思うことが多いのである。問題は頭角を現した後であるが、成功するために大切なのは、運・鈍・根でいえば根ではないだろうか。若い頃は才能こそすべてだと思っていたが、経験を重ねいろいろな人物を見てくると見方が変わってくる。人生はマラソンのようなもので根が大切だとしみじみ思う のである。
今日は診療日誌らしからぬことを書いてしまった。
ピル使用者の減少?
平成16年10月16日(土)
あっという間に一週間が終わってしまった。近頃の時間の速さはどうしたことだろう。つい先日も時間が早く過ぎることを書いたが、それにしても、である。どこか神経の回路がおかしいのだろうか。自分としては特別変わった事はなく、いつもと同じようにしているつもりなのだが。まあ、あまり深く考えないようにしよう。
最近ピルの使用の伸びが落ちているように感じる。当院は広島でもピルの処方が多い方なのであるが、いっときほどの増加はなくなりむしろ微減の印象がある。なぜだかわからないが。
光陰矢の如し
平成16年10月6日(水)
一日の長さ、一年の長さは、それまで生きてきた長さに反比例して感じるらしい。つまり、3歳の幼児にとっての一年はそれまで生きてきた長さの3分の1であるが、50歳の人では一年は50分の1にすぎない。一年が早いわけである。だから歳を取るごとに一年が早くなると感じるのもむべなるかなである。
時間は常に一定の速度でながれていると思われていたが、そうではないとの理論を明らかにしたのはアインシュタインであった。さらに別の理論では、時間は物質の変化のスピードによって決まり、変化の激しい所では時間が早く進み、ほとんど変化のないところでは時間が止まっているに等しいという。都会では時間が過ぎるのが早く、田舎では遅いと感じるのはそのせいなのかもしれない。
本当の所、時間は実際に感じる感覚と現実に過ぎて行く速さの両方で変化するものだと思うが、このところ一年が早すぎる。困ったものだ。