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会合の復活

令和5年4月13日
コロナの5類感染症への移行に合わせて様々な会合が復活している。「広島の産婦人科を考える会」という元産婦人科医会会長を中心にした集まりがあり、年に数回集まって飲み食いしながら語り合っていたが、コロナのためにほとんど行われなくなっていた。この度久しぶりに行われたがやはりこのような会合は必要だと思ったことである。情報交換は必要だし何より顔を合わせて話すのは楽しいことである。
地区の会合も復活するようだし、今までと同じように直接コミュニケーションができるのはありがたいことである。昨年の日本人の過剰死者数は最大だったというが、ワクチンの副作用のせいだと言われ始めている。マスクに手洗い、三密を避けろというまったく意味のないことを提唱した「専門家」は反省し国民に謝罪すべきである。まして飲食店に「アルコール禁止」を言い出した某知事などは重罪である。厚労省はすべてきちんと検証して有用だったことと無効だったこと、間違っていたことを報告して今後に生かさねばならない。そうでなければ存在意義がないと思う。
マスクをして外を歩いているのは日本人だけで、最近いっぱい見かけるようになった外国人旅行者はみんなノーマスクである。恥ずかしいと思うのは自分だけだろうか。

朝晴れエッセー

令和5年4月6日
表題は産経新聞の一面に毎朝載っているエッセーで、一般読者からの作品であるがなかなか面白いのでいつも初めに読んでいる。600字くらいの文章に投稿者の人生が詰まっている内容のものがみられ、しみじみ考えさせられることが多い。
今日のエッセーは66歳の男性の書いた「お古」という題の作品で、三男に生まれた作者は小学1年から高校卒業まで新しい制服を買ってもらったことがなく、いつも兄たちのお古を着ていたという。中学生の制服もみなと並んでみると自分だけ色が剥げたようで、いやだったらしい。「お古」という言葉は自分にはトラウマのように響くという。自分も男ばかりの三男坊であるがあまりお古を着た記憶はないけれど、学校にあがる前の普段着はお古だったかもしれない。
別の日の「母の贈り物」は72歳の女性の作品で、自分たちの金婚式を祝って母が大きな花束を贈ってくれたことを母の人生をサラッとなぞりながら書いている。いずれも含蓄のある内容でこのコーナーの一層のファンになった。

桜満開

令和5年3月30日
暖かい日が続き桜満開になった。平和公園でも昼は弁当を広げて花見を楽しんでいる人が多く見られる。川沿いの桜も咲き誇って道行く人を楽しませている。比治山も黄金山も桜満開である。まことに我が国は春の訪れを桜で祝うことができてうれしいことである。桜をテーマにした歌は数多くあるが大抵はヒットしているようだ。森山直太朗の「さくら」福山雅治の「桜坂」スピッツの「チェリー」コブクロの「桜」ケツメイシの「さくら」などが人気の曲だそうだが、我々の世代ではやはり「さくら、さくら、やよいのそらは…」が懐かしい。
そういえばかつて大学入試の合格発表はキャンパスに番号を書いた紙が掲示されて、それを見ないと合否がわからなかった。だから地方から東京や京都の大学を受験した人は、合否を知らせてもらう学生アルバイトに頼んでいたものである。電報で知らせてもらうが合格なら「サクラサク…」という文言が多かったし、不合格なら「サクラチル…」だったようだ。桜は我が国にとってなくてはならないものになっている。

和を以て貴しとなす

令和5年3月23日
侍ジャパンがWBCでアメリカを破り優勝した。閉塞感のあった日本中が歓喜の雄たけびをあげたようだった。アメリカのチームはすごい選手ばかり揃えていて、少しでもスキを見せれば大量得点を与えてしまう布陣である。わが侍ジャパンは大谷選手をはじめみんなの素晴らしい活躍でメキシコには辛勝、アメリカにもわずかの差で勝つことができた。チームを見ていると皆自分よりもチームのため、相手を思いやる姿勢がみられて実にすがすがしく感じられた。まさに「和を以て貴しとなす」である。
我が国は聖徳太子の時代から孔子のこの言葉を国の根幹に置いていた。それを今に至るまで大事にしていることが確認できたのはうれしいことである。日本はこうして世界の中でも独自の発展を遂げてきた。それに対して儒教発祥の国は今や「力を持って貴しとなす」国になってしまっている。力は必要だけれどそれだけだと滅びることが歴史的にわかっているのに力を持った独裁者は同じ轍を踏んでしまうのである。我が国は「和を以て貴しとなす、礼も必要」をこのまま貫いていくことが大切である。

COVID19

令和5年2月17日
新型コロナ感染症はもう新型ではなくなったのでCOVID2019と呼ぶことにしたという。発生した場所をつけるのが普通だけれど、中国に気兼ねして「武漢コロナ」とは言わないらしい。「スペイン風邪」「エボラ出血熱」「日本脳炎」など発生地域の名前がつくのにおかしなことである。今年の5月には5類感染症に格下げされて、やっとインフルエンザ並みになるのは遅すぎるけれどよかった。そもそもは安倍元首相が退陣するときに「新型コロナは5類にする」と言っていたのに2類相当のままだったために膨大な予算と、人的被害が生じたのである。その間、厚労省は何をしたか、全数把握などという愚挙をいつまでもやって入院患者の見舞いもできないようにしてしまった。発生当初は仕方がないが、もっと早くリーダーシップをとって改めるべきだった。専門家と称する委員会に丸投げして、いつまでも対応を変えなかったが、これこそ事なかれ主義の典型である。効果のはっきりしない副作用の強いワクチンを打たせまくって、副作用で亡くなった人たちの責任をどのようにとるのだろうか。またしてもうやむやにしてしまうのだろうか。

Flute Method

令和5年1月19日
表題はフルート奏者、加藤克朗氏のフルート教本で、偶然丸善で見つけ購入したものである。それまで使っていたヤマハの教本がしっくりこなくて講師にお願いして加藤氏の教本を使ってもらうことにしたのである。クラシック中心の教本で、モーツアルトやハイドン、ショパンなど教科書に出ているような作曲家の曲が教材に使われている。1,985年初版発刊で2,015年第45刷だから優れたものなのだろう、自分も「これだ!」と思った。内容は系統的に必要なことをすべて織り込みながら徐々にレベルを上げていくようになっていて、気持よく習うことができた。
評判が良かったために初めの「基礎編」に続く「応用編」が2,013年に発売され2,019年7刷になっている。現在「応用編」を教わっているがなかなか難しく、マスターできずに進ませてもらいほぼ終わり近くまできている。いい音を出すことと指使いが正しくすることがどんなに難しいかを痛感している。尺八でも苦労したがフルートも多大の努力が必要と思われる。果たして気分よく吹けるようになるのだろうか。はなはだ不安である。

食事スタイル

令和5年1月12日
入院を機に食事のリズムが従来の、朝はコーヒーのみ、昼は外食、夜は家で食べるか外食から、朝はトーストと野菜サラダとハム、牛乳、昼は外食(量を減らす)、夜は従来通りにしたところ、どうもしっくりこない。長い間ほぼ朝食抜きの生活が定着していて体に合っていたのだと思う。以前は普通にごはんとみそ汁、焼き魚などの食事をしていたこともあるが、胃が重くなって調子が良くなくなるので朝を抜いたのである。
最近、元の通りに朝をコーヒーだけにしたら結構調子がいい。食事の後15時間空ければ体脂肪を消費するからいいのだという説をとりあえず信じて、このスタイルに戻したわけである。さすがに昼近くになると空腹を感じるので昼食が待ち遠しい。これは朝食を摂っていた時には感じられなかったことである。しばらくはこのスタイルでやっていくつもりだ。問題なのは体重が減るどころか増える傾向にあることである。やんぬるかな。

謹賀新年

令和5年1月4日
新年おめでとうございます。
今年は3が日ともいい天気で初詣も寒すぎないのが良かった。今年はよいことがありそうな予感がする。今日から診療開始であるが、ビルの他の科はまだ休みのようでなんとなく嬉しい気持である。一年の計は元旦にありというが、いつもと同じで診療の方針は変わらない。考えてみれば心構えは医師になってから全く変わっていない。できることとできないこと、どうにもならないことがあることを知ってしまってからは、医学の限界を見据えて患者さんにとって一番いいと思われることをやってきたつもりである。
今年も今までと同じように診療していくつもりです。よろしくお願いします。

令和4年をふり返って

令和4年12月29日
今日が今年最後の診療日である。同じビルの他の医療施設は昨日までで、今日から休診のようだ。自分の所だけが診療していると思うとなんだか楽しい。
今年1年をふり返ってみると、最も大きな出来事は自分が2月にコロナに感染して重症化し入院したことだろう。ICUに移って挿管されることになったときに家族に告げられたのは「生還は5割弱でしょう」だったという。本人はそれほどとは思っていなかったのだが…クリニックも1か月以上休診して患者さんやスタッフに迷惑をかけてしまったが、生と死は紙一重だと実感したことは大きかった。だれにでも必ず訪れる死を先取りして実感したようなもので、退院してから何か悟ったように感じる。本当にしたいことしかしないと決めたこともそうである。今行っている診療は患者さんのためになることなら何でもすることには変わりないが、日々の暮らしを淡々と行い、美味しいものを食べ楽しく過ごす、なんだか以前と同じようだけれど心の芯に一本筋が通ったような心持である。毎日の診療がすごく楽しいし、患者さんの笑顔を見るのはもっと楽しい。
今年1年ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

久しぶりの同門会

令和4年11月18日
毎年、岡山大学産婦人科出身の医師たちの同門会がそれぞれの地で行われていたが、コロナ騒動のためにほぼ3年近く開催が見合わせられていた。この度、会長の英断で広島での同門会が増山教授を迎えて開かれた。長いことお会いしていなかった先輩医師や後輩医師たちと歓談できたことはありがたいことであった。
最年長(96歳!)のD先生もあいさつをされ、その元気なお姿に驚嘆した次第である。31年前に中電病院に赴任した時は下のほうにあった自分の名簿の順番もいつの間にか上の方になってしまった。今は広島市民病院に同門の医師が多いので会がなりたっているけれど、市民病院の医師の多くは数年で別の病院に行く。定着しているのは開業医か病院の部長クラスである。開業しているのは自分が最後で後はいない。2世3世の医師はいるが新規はいないので会の存続が危ういわけである。
時代は大きく変わりつつあり県病院とJR病院と中電病院が統合されて二葉の里に1,000床の病院として誕生するという。逓信病院も民間の病院になってしまった。企業病院も存続が難しくなったのである。時代は変わることを目の当たりにしている今日この頃である。