カテゴリー 日々是好日

休日は新幹線

平成21年5月9日(土)
連休明けはさすがに忙しかったが今日はもう平常のペースだ。連休は一日岡山へ日帰りで行ったが、高速道路は混雑が予想されたので新幹線で往復したところ大正解だった。その日は高速道路が上下線共に事故があったのでかなり渋滞したとの報道があったからだ。もっとも友人宅で酒盛りをする予定だったので車では行けないのでちょうどよかった。
今回の連休の事故の多さは予想以上だったようだが、責任はすべて政府にある。マスコミはどうして政府のばかげた政策を批判しないのだろう。高速道路の通行費を安くしたために、かえって国民を苦しめてしまったのである。こんな単純なこともわからない指導者とそれに迎合するマスコミを思うと、この国がますます壊れていくようで怖いことである。

花見の季節

平成21年4月3日(金)
今週は桜も咲いて花見の時期になったがあいにくの雨と寒さであまり盛り上がってないようだ。昨日は午後からクリニックが休みなので、夕食を早めに済ましてカミさんと比治山に夜桜見物としゃれこんでみた。サティでアルコールを少し仕入れてスカイウオークで登り、広場へ行ってみたが、寒さのせいか花見客はちらほら。暗いし冷えるし、早めに切り上げてしまった。桜はやはり暖かい日に散り際を眺めるのが一番だと思う。今度の日曜日は天気が良ければ絶好の花見日和になるだろう。
今朝自宅近くのマンションで、今年入学したばかりの娘さんとその母親と思われる人が、今から大学の入学式に出るのだろう、きちんとスーツを着て写真を撮って、大学へ向かっていく場面を見た。娘さんのために新しくマンションを借りてやって、うれしさや心配などいろいろな思いがあるのだろう。新入学の娘さんも、合格した喜びとこれからの生活への期待と不安などが感じられて、いいなあ、これからいろいろなことがあるだろうけど頑張ってやと思ったことである。

卒業式の仰げば尊し

平成21年3月4日(水)
先日、息子の高校の卒業式にはじめて出席した。上の娘たちの卒業式は出たことがなかったので、まあ最後だし、と思って出てみたがなかなか良かった。校長先生の話もよかったが、送辞が素晴らしくさすがだと感心していたら、答辞はそれを上回るほどのものであった。はるか昔の自分の卒業式の様子はどうだったか思いだそうとしてみたが、あまり記憶にないところをみると感動的ではなかったのだろう。
久しぶりに「仰げば尊し」を一緒に歌ったが、いい歌だと思う。なにより歌詞がいい。文語で七五調の歌詞は文部省唱歌以来聞いたことがないが、「係り結び」など思い出して懐かしいことであった。かつては中国は日本にとって今の米国のようであったから、中国の文章を翻訳して使った訳文が文語だったのではないだろうか。もう今後復活することはないだろうが、子供たちの最後の卒業式だとの思いと重なってちょっとさびしく思ったことである。

WindowsVista

平成21年2月24日(火)
パソコンを買い替えたが慣れてないせいか使いにくくて困る。前はWindowsXPだったのだが、朝スイッチを入れて使えるようになるまでに15分はかかっていたので仕方なく新しいのを買ったのである。今度はWindousVistaでどこがいいのかよくわからない。メールもWindowsメールで以前のOutlookとやや勝手が違う。年をとるとこういうのに慣れるのが遅く困ったものである。
パソコンはMS-DOSの頃から一応使っているが、実際必要なのはワープロとメールにネットぐらいで、あとははっきりいってどうでもいいのである。今、そのように簡素化したパソコンを安く売っているそうだが、なかなかのアイデアだと思う。

幼児の記憶

平成21年2月13日(金)
人間の記憶はいつごろから残るものだろうか。自分の場合、近所の人に「○○ちゃん、年いくつ?」と聞かれて「満三っつ!」と誇らしげに答えていた鮮明な記憶がある。だから3歳ぐらいからなのかなと思う。
養老孟司氏は阿川佐和子氏との対談で、4歳の時に亡くなった大好きだった父親とのことに触れていたが、臨終のときに涙も出ず悲しいと思わなかった理由が40歳の時電車に乗っている時に突然わかって、急に涙があふれてきたという。
大好きな父親が亡くなることを認めたくなかったので、臨終の際、周りの人たちから「さよならをしなさい」と言われても言えなかったと分析している。そして、父親を早くに失ったことがその後の性格を変えたことも。氏は無意識のうちにずっとそのことを考えていたのだろう。40歳になって初めて父親の死を認めたのである。
作家の南木佳士氏も幼少時に母親を亡くしているが、そのことがどんなに大きなことだったかは、氏の作品からうかがえる。自分は幸いそういった辛いこともなく育ったので、実際のところはわからないが、人間にとって記憶は一筋縄ではいかないものだと思う。

整理すれば

平成21年2月5日(木)
2月になったが結構暖かい日が続いている。パソコンの買い替えを機会に机の上の整理をしてみたら、必要な書類や冊子が半分になってしまった。机に置いているものは特に必要ものだけにしているつもりだったが、実際にはもう必要なくなっているものや、別の場所に移しても構わないものが大半だった。
今、家のほうもリホームのための片づけをしているが、不要物の多いこと!押入れの中に入れているものの大半は、整理できることがわかった。
この機会にクリニックの書類などの整理をしてみよう。どれくらいの不要物が出てくるか怖いが、大いにすっきりすることだろう。

謹賀新年(平成21年)

平成21年1月5日(月)
謹賀新年。天気の良い日が続いた正月だった。今日から診療スタートである。
元旦はお屠蘇と雑煮で祝い、初詣は比治山神社で皆の健康を祈願し、甘酒(一杯200円!)を飲む。以前は破魔矢を買ったりしていたが、次の年に返しに行くのが面倒なので賽銭のみ。いつもお世話になっている、同じブロックの先生夫妻もお参りされていた。今年の目標といっても特別なものはなく、今までどおり淡々とやっていくだけである。尺八だけはもう少し上達したいが、なかなか思うようにいかないだろう。
なにはともあれ、今年もよろしくお願いします。

平成20年をふり返って

平成20年12月26日(金)
今年ももう残りわずかである。ふり返ってみれば色々なことがあったが、いい年だったと思う。初孫も生まれたし、なにより家族全員が健康で気持ちよく毎日が過ごせたことが一番だったと思う。人生には「流れ」「潮時」などがあり、良いときは大概のことがうまく行き、悪いときは何をやってもうまく行かないものだ。だから、いいときはそれをじっくり味わい、悪いときはじたばたせずひたすら身を低くして耐えて潮時が変わるのを待つのがいい。
時代の大きな流れと寿命は個人の力ではどうしようもないと思うが、日々の生活をできるだけ充実させて、身の丈に合わせて生きていけば大きな間違いはないだろう。「人生わずか五十年…」という言葉があるが、まことにそのとおりで、自分では50歳を過ぎたら余生だと思っていた。今もその考えは変わらないが、余生のほうが充実することもあって、そこが人生のなんともいえないテイストであろうか。

その日の前に

平成20年12月5日(金)
早いものでもう師走だ。
重松清原作の映画「その日の前に」についての大林監督と作者の対談が文芸春秋に載っていた。かなり面白そうな映画なので観たいと思って調べてみたら、広島では今から2週間某映画館でロードショーで上映することになっているようだ。歳の所為か涙腺が緩んでいるので、家で「風の谷のナウシカ」を観て眼を赤くしているのを子供に見られて、ちょっと恥ずかしかったが、この映画は絶対に泣けるようである。上映時間から日曜日しか観られないのが困るが何とか観たいものである。

今日は誕生日

平成20年11月10日(月)
アステールプラザでの尺八演奏会が終わってホッとしている。なにしろアガっている上にライトが強烈に暑く、汗が流れ落ちるのがわかるほどだった。何箇所も間違えて、こういう時に日頃の練習がいかに大切か思い知るのである。
今日は誕生日。家族から「おめでとう」の言葉とささやかなプレゼントがあり、クリニックに行くと、スタッフ達が花束をくれた。ありがとう。ストレスがなくなったので昼間はのんびり診療して、夜は会合。そのあとしっかり飲んで帰宅したときはハイテンションだったようだ。ぐっすり眠って翌朝は気持ちよく目覚めた。健康に感謝である。