平成22年12月29日(水)
今年最後の診療日である。市内の産婦人科の半分以上はもう休みに入っているようだ。仕事おさめを終えた多くの人たちは新年を迎える準備や、休みを利用した旅行、遊びなどに余念がないように思われる。今日はこの一年を振り返りながら診療をしていこうと思う。
この一年は今までで最も色々なことがおこった年だった。いいことも悪いことも…つくづく思うのは人生は振り子のようなもので、振幅が大きければ大きな良いことと悪いことがおこり、振幅が小さければ小さなそれらがおこるのではないか。もっとも、良いこと悪いことはその人から見たことで、他人から見たらあるいは神の眼から見たら異なるかもしれないが。それでも他人から見たら些細なことでも、本人にとっては重大なことは一杯ある。
毎年、こうした思いを繰り返しながら年老いて行き、消えて行くのだと思う。それでも、その小さな喜びや悲しみの中に人生の味わいがあるのだろう。今年一年、ありがとうございました。
カテゴリー 日々是好日
一年をふり返って
チェロリサイタル
平成22年12月2日(木)
もう師走である。時間が矢のように過ぎて行く。
昨夜は知人の奥様のチェロリサイタルに招待されてカミさんと行ってきた。会場が満席で座る場所を探すのに苦労するぐらいであることに驚いたが、演奏を聴いてそのすごさに一層驚き納得した。すべての曲を暗譜で演奏されたが、音の美しさ、なめらかさ、抑揚、どれをとっても完璧な演奏であった。プログラムが終わってもだれ一人席を立とうとせず、アンコールを何曲も演奏することになったが、すごい人がいるものだと思ったことである。
いい音楽は誰が聴いても心を惹かれる。以前音楽をされていたとは聞いていたが、知人の主婦という認識しかなかったことを恥じた次第である。世界は広い。
アシスト自転車
平成22年10月8日(金)
雨の日を除いて相変わらず自転車で通勤しているが、最近カミさんの自転車が壊れたので、カミさんはあまり乗り気ではなかったようだが説得してオシャレなアシスト自転車を買ってしまった。ハンドルは一文字で色は赤、ちょっと見にはアシスト自転車に見えない。今使っているのより軽いし、バッテリーも長持ちしそうである。
朝、その日の気分で適当に使い分けているが、なかなかいいものである。アシストに乗りはじめたら、もう普通に自転車に乗りたくなくなる。こんなに楽をしていいのだろうかと思わないでもないが、もう年だしまあよかろうと無理やり納得している。
高野山
平成22年9月24日(金)
昨日の秋分の日を境に突然涼しくなった。今朝などは寒くて目が覚めた。前日まではクーラーをつけることもあったというのに。
先日、連休を利用して弘法大師の高野山へ行ってきた。実家の菩提寺は真言宗で、その総本山のある高野山は一度は行ってみたいと思っていた。標高1000メートルの盆地のようなところに一大宗教都市があり、世界遺産にもなっているが、ケーブルカーで急斜面を登るときはさすがに怖い思いがした。奥の院にある弘法大師の廟の前には灯明と線香が絶えることがなく、額づいてお経をあげる人の姿も見られた。廟の前に佇むと敬虔な祈りを捧げたくなり、大いなるものへすべてをゆだねたくなったことである。
翌日は例によって京都に泊まり、観光と食を満喫できたことはありがたいことであった。
畳の生活
平成22年9月1日(水)
立春から数えて二百十日、そろそろ台風が発生する時期になった。まだまだ日差しは強いけれど、雲を見れば秋になったと感じられる。寝室の障子が明るくなって朝になるが、その時間が遅くなっている。四季を感じるには、畳と障子は欠かせない。
農家で育ったからなのか、畳のある生活が一番落ち着く。スリッパをはいてソファーでくつろぐより、畳に座ったり寝転んだりできる方がいい。さらに尺八を吹くのでまさに江戸時代の日本人である。気質というものは簡単に変わるものではないので、自分の中に脈々と続いている先祖からの血がさせることなのだろう。明治以降、欧米から大きな刺激を受けてきたわが国であるが、色々な考え方を取り入れた上で、結局わが国独自の考え方、やり方でいくしかないし、それが一番いいと思う。
夏の終わり
平成22年8月18日(水)
お盆も過ぎて心なしか日差しが柔らかくなったように感じるが、暑さは一層きびしくなっている。夏の終わりはもう始まっていて、秋の気配があることを本能が教えてくれている。子どもの頃、夏休みの終わりに感じていた物悲しさがよみがえってきたようだ。
数学者藤原正彦氏の対談集「日本人の矜持」を読んで、あまりに面白かったので「若き数学者のアメリカ」「遥かなるケンブリッジ」を読み返しているところである。これらを読むと、やはり日本に生まれて本当によかったと思う。昨今のわが国の自信のなさや、首相をはじめ政府首脳の近隣諸国への卑屈なまでの態度に怒りを超えて悲しみさえ覚えていたが、少しほっとしたところである。
二日酔い
平成22年8月12日(木)
今日の診療は午前中のみで、13日(金)14日(土)は盆休みである。木曜日の午後の休診は実に貴重で、歯医者に行くのも銀行や公的機関などに行くのも、この時である。今は歯科と内科と外科にかかっているが、加齢により体にガタがくるのは仕方がないとはいえ困ったものである。
まあ、外科は静脈瘤の手術も終わり、そろそろ運動もできそうだし、歯もほとんど終わった。あとは高血圧だが、これはしばらくは薬を飲まざるを得ないだろう。そういいながら夜は飲み会で大酒を飲んでしまった。久しぶりの二日酔いである。まだまだ大丈夫か?
静脈瘤の手術
平成22年8月10日(火)
手術も無事に終わりすっきりした気分で診療している。逓信病院のS医師は母校の後輩であり腕のいい外科医である。ながいこと困っていた静脈瘤が一挙に改善され、しかも手術の翌日には尺八の練習会にも参加できるほど痛みもなかった。こんなことならもっと早く治療してもらうのだった。
どの分野でもエキスパートになれば病める人を救うことができる。医師の仕事も色々わかれているが、この分野ならまかせてくれ、という技術を持つことは大切である。そういう医師でなければ、患者さんも自分の体を託せるはずがない。幸い今までも、今も、かかってきた医師はエキスパートばかりでありがたいことだと思っている。
暑い日が続く
平成22年8月4日(水)
それにしても暑い日が続く。クーラーがなかったらとても我慢できないだろう。とくに街中はクーラーの排気熱も多く、いっそう暑い。
名古屋市長の河村たかし氏の「この国は議員にいくら使うのか」という本によれば、わが国の議員がいかに優遇されているかよくわかる。それを変えようと現在、名古屋市で孤軍奮闘している氏の様子が少し前にみのもんたの「朝ズバ」で報道されていた。議員にしてみれば収入を減らす法案には強硬に反対するだろうから、文字通り孤立無援のように見える。
河村市長には大いに頑張ってもらいたいが、正しいこと・合理的なことを貫くのは本当に難しいことだろう。健闘を祈りたい。
手術日が近づく
平成22年7月31日(土)
7月も今日で終わりである。スタッフから「手術の日が近づきましたね」と言われ、来る8月6日の下肢静脈瘤の手術のことを思い出してしまった。
去年ごろから悪化していよいよ手術しか改善の方法はないことが分かっているので、仕方がないとはいえあまり愉快なことではない。まあ術後には気持ちよく走り回れることを望みにして手術に臨もうと思う。年をとれば体の色々なところにガタが来るのは仕方がない。というわけで8月6日と7日は休診です。今のうちにおいしいものを食べておかなくては。