12月24日(土)
一年の終わりの月を師走というが文字通りあわただしい月で、なんだかんだバタバタしているうちにもうクリスマスである。寒さもいっそう増して北部では大雪だという。今年も残るところあと1週間で、はて今年は何をしていたのだろうとふり返るがなかなか思い出せない。来週1週間かけて来し方を振り返り、行く末を想ってみよう。まさに光陰矢の如しである。
カテゴリー 日々是好日
もうクリスマス
またも孫誕生!
平成23年12月9日(金)
8月に次女に男の子が生まれたが、今度は長女に2人目の女の子が生まれた。さすがに2人目となると、本人も我々夫婦も初めての子の時ほど心配はしていなかったが、予定日が近づくと早く産まれてほしいと思っていた。生まれたのは予定日を一日過ぎた、ちょうど地区医師会の忘年会の最中だったので、その場で出席した会員の人たちに披露できたのはありがたいことであった。
昨日は病院で祝い膳が供されることになっていて、病室で一人で食べるのも味気ないだろうと我々夫婦と預かっている上の子を連れて相伴することにした。個室なのでビールとワインを持ち込んで、もちろん娘は水で乾杯して祝い膳を味わった。実は上の子の時も一緒に食べたのだが、その時は食堂でアルコールもなかったので今回は持ち込んだわけである。何にしてもこれから先、目出度いことはそんなにはないだろうから、今のこの時を大いに喜び家路についたことである。
飲み過ぎた
平成23年11月28日(月)
今年も滝口ビルの忘年会がイタリア料理店「アル・マンドリーノ」を借り切って行われた。この忘年会はクリニックの入っているビルのオーナーの滝口耳鼻科と内田(内科)クリニック、すずらん薬局が合同で20年前から行っている会である。私の所も開業以来メンバーに加えていただいているので今回がもう15回目の参加になる。毎年の節目として意義ある会であり、同じビルで働いていてもなかなか顔を合わせることの少ない人たちとの交流の場でもある。
滝口耳鼻科とすずらん薬局のスタッフは初めから多かったが、すずらん薬局は店の数も増えそれに伴って人員も増えて大所帯になっている。今回の滝口ビル忘年会は全部で62名という大人数になった。滝口先生とすずらん薬局の協力で恒例の大ビンゴゲームが行われ、美味しいワインがふるまわれ楽しい時を過ごすことができた。問題はその後である。普段はもっぱら日本酒でワインはあまり飲まないのだが、じつに美味しいワインだったので知らないうちにかなり飲んでしまったらしい。締めのあいさつの途中でろれつが回らなくなったらしく、最後まではしゃべれなかったようだ。後で記憶がよみがえってきたが、恥ずかしくて穴があったら入りたい心境である。こんなことはこの15年間で初めてである。まだまだ飲み会はあるのでこれからは気をつけようと深く心に誓った次第である。
競争
平成23年11月23日(水)
寒くなってきたがあいかわらず自転車通勤している。もっともアシスト自転車なので、普通に走っていても他の自転車を抜いてしまうのでいささかうしろめたいような気がするが。でも中には負けん気を出して必死に漕いで抜き返していく自転車もある。抜かれたことで競争心が湧いて抜き返すのだろう。生物はこの「競争」があることで生き延びてきたのだと思う。
ヒトは一回の射精で億単位の精子を放出するが、これらの精子は先を争って卵子に殺到し、そのうちの1匹が卵子の中に入ることで受精が成立する。まさに数億分の1の確率である。これも競争によって勝ち残った強い精子と合体することで、より強い子孫を残すという生き延びるための仕組みなのであろう。
先輩の受賞
平成23年10月25日(火)
医学部の同窓会報を見ていたら、1学年上の先輩が「松岡良明賞」を受賞したという記事があった。この賞は山陽新聞社会事業団より、がん撲滅に貢献した個人または団体に年間1組与えられるという。受賞したT先輩は卒業後医局に入らず、自身の痔の手術をしてもらった病院の門を叩き、尊敬する院長のもとで30数年間、痔の手術と大腸内視鏡をひたすら行ってきたそうである。
岡山県北の農家の三男として生まれ、親族には医療関係者は一人もいなくて医師の何たるかも知らず、朝9時出勤し夕方6時に帰宅するのが当たり前と思っていたところ、尊敬する院長から「T君、臨床の医者というものは、そういうことではいけんじゃろうが」とぼそりと言われた言葉が天啓となって以後、元日以外は年中無休で仕事をしてきたそうである。
自分もT先輩と同じく農家の三男として生まれ、親族に医療関係者はいないところまでは同じで、親しみを感じるが、その後の彼のぶれない生き方と努力には頭の下がる思いがする。
学生時代、マージャン牌の正しい(美しい)ツモり方を教えてくれたT先輩、おめでとうございました。
ファームノラ
平成23年10月17日(月)
昨日はクリニックの内装を完成することになっていたので待機するつもりでいたが、夕方までかかるということで天気もいいし津和野方面にドライブに出かけることにした。津和野は何度か訪れたことがあるが、この日は山口大学オーケストラの部員が5名来て野外ライブでバッハ、モーツアルトの4重奏などを演奏していた。考えてみれば息子と同じ年頃の学生たちが一生懸命演奏しているのである。思わず「よかったよ、これからも頑張って」と声をかけたが実際いい演奏であった。惜しむらくは駐車場の管理をしているオッサンが、手打ちそばの店を紹介したので行ってみたが最悪だったことである。これ以上まずくは作れないという代物だった。
帰りに191号線沿いにある「ファームノラ」というユニークなレストラン?で美味いピザとカレーを堪能して、まずいそばの仕返しをした。ここは自然のままの林の中に、手作りの丸太小屋のような建物をいくつか建て、屋外でも食べられるようになっている。結婚式も行われるそうである。入口で2匹の犬が友好的に迎えてくれるのも気持ちがいい。立木の間にロープでブランコがぶら下がっていて、ハイジのブランコのようだった。また行ってみたいと思ったことである。
回文
平成23年10月11日(火)
日本語は漢字、ひらがな、カタカナを自由に使って表現できる、習得は難しいけれど世界で最もすぐれた言葉だと思う。日本語の言葉遊びに、上から読んでも下から読んでも同じという「回文」がある。「たけやぶやけた」「談志が死んだ」などはよく聞くが、今まで聞いた中で傑作だと思う回文は「酢豚作りもりもり食ったブス(すぶたつくりもりもりくつたぶす)」である。文章がなめらかで無理がなく意味もはっきりしている。週刊誌で読者からの回文投稿のコーナーの作品を見ることがあるが、これをしのぐ回文を見たことがない。
高校時代、息子のクラスメートに岡君と長岡君がいたそうである。ある時クラスの一人が「できた!」と叫んで披露したのが「岡の顔が長岡の顔(おかのかおがながおかのかお)」という回文であった。実在の人物を使ったこの作品も傑作だと思うが、日本語はこういう言葉遊びもできるすばらしい言語である。
秋分の日
平成23年9月24日(土)
秋分の日の昨日、秋晴れの爽やかな一日に岡山から友人夫婦が次女の孫を見に我が家に来てくれた。友人の次男夫婦とその子供も伴って。娘たちにとっても、小さい頃から家族ぐるみで旅行に行ったりしているので親戚のようなものである。長女も娘を連れてきて大人9人、孫3人の宴会となった。
子供たちの年も同じくらいで同じ頃に結婚しているのでいっそう親しみが増すようである。友人の持参したワインを飲みながらわれわれジジババたちが談笑している間、子供たちや孫たちの笑い声が絶えなかった。一緒に旅行に行きはじめた20年前に、このような日が訪れることなど誰が予想できただろうか。うれしい一日であった。
伊勢・志摩
平成23年9月20日(火)
久しぶりの連休なので伊勢参りを兼ねて伊勢・志摩に行ってきた。伊勢参りは江戸時代より「おかげ参り」といわれ、めでたいことがあったことのお礼の意味で行われていたという。最盛期には年間450万人、当時の人口からいうと5人に1人がお参りしたほどのブームだったそうである。孫も無事に生まれたし、一度は行っておきたかったので思い立ったわけである。幸い、宿は前から泊まってみたいと思っていた志摩観光ホテルが予約できた。
伊勢神宮には外宮の豊受大神宮と内宮の皇大神宮の二つの神様が祭ってあり、御祭神は天照大神で御神体は三種の神器のひとつ、八咫鏡(やたのかがみ)である。参拝者は思ったよりもはるかに多く、特に内宮の門前町を擬したおかげ横丁は人また人で、まっすぐには歩けないくらいであった。内宮は山全体が聖地になっていて、苔むした木々の間を歩いていると、聖なる霊気に触れるような思いがする。わが国は仏教も強く根付いているが、古事記にもあるように大本は神々の国である。初詣に神社にお参りして祈るのは、我々の生活の一部になっている。その大本ともいうべき伊勢の聖地を訪ねることができたのはありがたいことであった。
ロバート・ショウ合唱団
平成23年9月12日(月)
久しぶりにロバート・ショウ合唱団のCDを聞いてみた。曲は黒人霊歌、フォスターの作品、シーシャンテなどであるが実にいい。ロバート・ショウ合唱団は、1949年アメリカで設立され、またたく間に全米屈指の合唱団として評判になり、その演奏のすばらしさをトスカニーニに認められたそうである。活動期間は短かったが、その時に録音した音源はいまでもCDとして売られ、根強い人気がある。
大学時代にこの合唱団のレコードを聞いてそのすばらしさにしびれていたが、その後も折に触れて聞くたびに、上記の曲をこれほどすばらしく演奏できる合唱団はもう二度と出ないのではないかと思ってしまう。人間の声ほど魅力のある楽器はないと思うが、その声を使ってこれほどすばらしい演奏を行ったのは奇跡に近いことだと思うのである。