平成26年5月2日(金)
日曜日、岡山の友人夫妻が娘さん夫婦と孫2人を連れて我が家へ遊びに来てくれた。友人家族とは子供たちが小さい頃から毎年のように家族旅行をしていたので親戚のようなものである。次女が孫2人をつれて久しぶりに里帰りをしているので、皆で集まって旧交を温めようという算段である。近くに住む長女夫婦も2人の孫を連れてきて親・子・孫総勢15人、広くもない我が家は満杯である。6畳の和室2部屋のふすまを取っ払って子供や孫たちの宴会場所に。我々はダイニングルームでビール、ワイン、日本酒、昼前から夕方まで延々と談論風発。時々孫たちが歓声を上げて走りこんできたり、賑やかなひとときを過ごした。
友人一家と初めて一緒に旅行に行った時には子供たちはまだ小学生にもなっていなかったのに今は結婚してその当時と同じくらいの子供がいて宴会をしている。人生はくり返しくり返し過ぎていくというが、まさにそう思えるような感慨深い一日であった。
カテゴリー 日々是好日
賑やかな一日
すばらしい西条の酒
平成26年4月25日(金)
国賓としてオバマ米大統領が来日しているが、初日の夜は安部首相が以前この欄にも書いたミシュラン三ツ星の鮨店「すきやばし次郎」でもてなし、オバマ大統領をして「生涯最高の鮨だった」と言わしめたという。その際に供された日本酒は広島が誇る西条の酒、金の花びら入り「加茂鶴ゴールド」で、お土産は山口県の酒「獺祭」と江戸切子のグラスだった。
いい水といい米、受け継がれてきた酒造りの伝統技術のおかげで、日本の風土に合った日本酒が飲めるのは幸せなことである。どれもうまいが数ある酒の中から「加茂鶴」と「獺祭」が選ばれたことは、じつにうれしく名誉なことである。西条にはいい酒を造っている醸造元は他にもたくさんある。これからもいっそうおいしく飲めると思えば頬がゆるむ。
一瞬の桜吹雪
平成26年4月3日(木)
木曜日なので午後からは休診、暖かい花見日和に誘われて中央公園西の本川土手にみごとに咲いた桜の下でコンビニで仕入れた弁当とビール、対岸の桜もみごとで気持ちのいい時間を過ごすことができた。満開を過ぎた桜はもう散り始めており、春風が吹くと花びらが舞い下りてきて芝生に毛氈を敷いたようになってまことに風情がある。休日ではないので人も多くなく皆のんびりと最後の桜を楽しんでいた。ハトが寄ってきたのでつまみの枝豆を小さくくだいて撒いてやったら先を争ってついばむことしきり。そのうち豆がなくなったら一斉に飛び立ってどこかへ行ってしまった。
このようなおだやかな春の日をこれから何度も味わえるとは思えない。「今」を心から楽しむことができて良かったと引き上げて帰ったら夕方から雨になった。まさに一瞬の楽園であった。人生は常に「今」しかないのだと改めて思ったことである。
節酒のすすめ
平成26年3月28日(金)
元来、アルコールに弱いのに好きである。生来の食いしん坊なので、おいしく食べるためにアルコールをたしなむという面はあるが。1カ月前から下肢不快感があり、手術する前の静脈瘤の症状に似ていたので再発を疑った。アルコールを多めに飲んだ翌日に症状が起きるようなので、しばらくアルコールをひかえてみたが若干違和感があるようなので、4年前に下肢静脈瘤の手術をしていただいた逓信病院の杉山医師に診てもらうことにした。
最悪、深部静脈瘤→血栓症を覚悟していたが、下大静脈から両下肢の静脈までエコーで丁寧に調べても異常はないとのこと。とりあえず安堵したが完全に症状が消えているわけではない。やはりアルコールを控えるのがいいだろうと思う。歳と共にやめたり控えたりしなければならないことが増えてくるのは仕方がないことである。タバコは十数年まえに止めた。ゴルフは腰痛のためあきらめた。アルコールはこれから控えるつもりである。次はなんだろうか。
最近の尺八事情
平成26年2月28日(金)
昨年アステールプラザで行われた演奏会での「夕顔」の演奏を最後に、所属していた「吹康会」が活動を休止しているので、このところ尺八は気ままに吹いている。吹いていていつも思うのは、古典の曲は味わい深いことである。さすがに時代を超えて残っているものはすばらしい。
琴尺八の音楽で日頃から耳にしていたのは「春の海」ぐらいで、地唄などはその存在すら知らなかった。実際に聴いても吹いてみても、初めはちっともいいと思わなかった。ところが、何度も何度も吹いているうちに味わいが感じられるようになってきた。ちょうどビールは最初は苦いだけでおいしくないし、タバコも煙いばかりなのだがこれがいつのまにかおいしくなるのと同様である。
そういうわけで今は古典から現代曲まで気にいった曲を吹いている。時々師匠に修正してもらいながら、楽しく吹いている。レベルを上げるための訓練はしんどいし、いくら頑張ってもうまくならないのがつらいけれど、ある日突然進歩の実感があることがあり素直にうれしい。もっと早くから始めていたらと思うが、その頃は全く興味がなかったのだから仕方ない。いっそう精進したいものである。
メタボな日々
平成26年2月13日(木)
寒い日が続くが今がピークで一進一退しながら暖かくなっていくだろう。早く暖かくなってほしいものだ。腰痛が再発してからはほとんど運動をしていない。もっぱら歩くだけである。それでも昼の食事も夜の晩酌量も変わらないので、体重こそ増えてはいないが筋肉が脂肪に置き換わっているように感じる。まさにメタボである。
メタボ、高血圧といえば、東海大学医学部元教授の大櫛陽一氏による日本全国70万人の健診結果の分析から、血圧は年齢と共に上昇するのが正常であり、160/100mmHgまでの人は死亡率が最も低く、現在の基準値140/90mmHgまで下げると逆にリスクが上がる。治療が必要なのは180/110mmHgを超える場合で、それ以下で降圧剤を使うと脳梗塞のリスクが上がるので高齢者には原則として降圧剤を投与してはいけないそうである。
また、高脂血症でコレステロールを下げる必要があるのは、男性の家族性高脂血症の人(0.1%)だけで、それ以外の人は治療の必要がないとのことである。男性でも女性でも悪玉コレステロールと呼ばれるLDL-Cが高い方が脳卒中が減少し、死亡率が下がっている。さらに統計上、日本人はやせているより太っている人の方が長生きをしているという。このデータを知ればメタボも捨てたものではないと思うが、腹が出ているのはみっともないので少しでも減らしたいと思うものである。
二水会の講演
平成26年1月16日(木)
広島市を中心とした産婦人科医師の勉強会「二水会」で高知大学形成外科講師、栗山元根氏の講演があった。帝王切開などの手術の創部をきれいに縫合する技術の講演で、実際に豚の皮を使っての実演があり興味深く聞いた。
「二水会」は母校の大先輩が広島市民病院勤務の時に始めた勉強会で、毎月第2水曜日(第3水曜日のこともある)いくつかの病院が順番に当番幹事になって行われてきた。最近は2カ月に1回になっているが、今回で319回!という非常に長く続いてきた会である。興味深い話も聞けるし、講演の後の懇親会が情報交換、親睦を兼ねているのでできるだけ出席するようにしている。この会に参加してもう23年になるが、初めの頃は年上の医師が多かったのがいつの間にか自分が結構年配になってしまっている現実がある。まことに月日が経つのは早いものだと感じた次第である。
謹賀新年(平成26年)
平成26年1月4日(土)
毎年1月4日から診療スタートすることにしている(4日が日曜日なら5日から)。今日は土曜日、明日は休みだけれど本日から診療開始である。いつもながら休み明けは心技体が整うまでに時間を要する。それでも午前中には完全復活、矢でも鉄砲でも持ってこいという心境である。
元旦は護国神社へ初詣、おみくじは末吉。3日は故郷へ帰る途中、山陽道が通行止めのため2号線を迂回したが故障車のため大渋滞、いつもの倍時間がかかった。新春からあまり縁起が良くないのがいささか心配ではある。昨年からの腰痛は完治していないけれど気持ちをいれかえて納得の年にしたいものである。
腰痛再び
平成25年12月6日(金)
11月の初め頃の朝、イスから立ち上がろうとしたら腰に違和感がある。持病の腰痛を予感させる違和感、その日はとにかく腰に負担をかけないようにした。それから1カ月、日常生活に問題はないがスポーツは無理なので運動は歩くことだけである。情けないが仕方ない。
腰痛とのつきあいは長く、30代のぎっくり腰以来ゴルフが自分にとって最悪だったと思う。40代でゴルフの練習に熱中していた頃、コンペの最中に歩けなくなり仕事は這うようにしてなんとかこなしたが、治るのに半年かかった。ゴルフは二度とやらないと思っていたのに、のど元過ぎればなんとやらで数年後ちょっとやってみたが、やはり腰に違和感があったので一旦中止。遊びのテニスをやっていたが、このスポーツは無理をしない限り問題なかった。
一昨年、またもや懲りもせずゴルフを始めようと思い立ち、道具をそろえ練習をしコースに出ることにして半年後、うたた寝の姿勢が悪かったのか腰痛再発、ゴルフどころではなく仕事の合間はすべて横になって過ごさざるを得なくなった。自業自得である。心底ゴルフを始めたことを後悔して、生涯二度とゴルフはしないと誓ったが、もう遅いのかもしれない。神様も「おまえみたいな何度も凝りないアホはこらしめてやる」とばかり、腰痛という魔の手からのがれられなくなるのかもしれない。
現地同門会
平成25年11月22日(金)
岡山大学の平松教授を迎えてシェラトンホテルで産婦人科広島同門会が行われた。毎年、この時期に開催され、平松教授による大学での最近の話題などの講演がある。かつて岡大は中四国に関連病院をたくさん持っており、教室から医師を派遣していた。どの県にも多くの同門の医師がいて、広島県では広島市、福山市の2か所で現地同門会が行われていた。そのほか各県でもこの時期に会が開かれるので、教授は大変だっただろうと思う。現在も同じように開催されてはいるが、医局制度が変わり産婦人科の入局者数も減って、今までのように各地の病院に医師を派遣できなくなってしまった。その結果、若い医師が減って会員の高齢化が進んでいる。
広島市では広島市民病院、広島赤十字病院、逓信病院、中電病院は岡大から医師を派遣していた。今は広島市民病院と逓信病院だけになってしまった。これは時代の流れであるが、かつて自分が高知県、香川県、兵庫県などの病院に派遣され、貴重な経験ができたことが現在の診療につながっていることを思うと、医局制度を含めた体制のうつろいがさみしい。