カテゴリー 日々是好日

自転車通勤

平成30年11月2日
通勤にアシスト自転車を使うようになって9年になる。昨年買い替えたので2代目パナソニックの楽チャリであるがこれがなかなかの優れもので、まったくストレスなく乗っている。楽チャリを使い始めた頃はまだあまり普及していなくて、たまに見かけるだけだったが最近は楽チャリだらけになってきた。朝の通勤の際に信号待ちをしている自転車軍団の中から信号が青に変わった瞬間、すーっと前に出てきて先頭を走っていくのはアシスト自転車たちである。脚力のなさそうな女性でもぐんぐん前に出てあっという間に行ってしまう。自分も使い始めた頃はこれが快感で、これみよがしに走っていたものであるが、この頃は金持ち喧嘩せずの心境でゆっくり走るようにしている。機械に頼っているくせに人より早く走る快感を持つのもなんだかなと思うからである。
これから寒くなるけれど、気分転換の意味もある自転車通勤はやめられない、もちろんアシスト自転車で。願わくば楽チャリが増えすぎて不測の事態が起きて楽チャリそのものが禁止にならないことを。

 

秋深き

平成30年10月18日
秋も深まってきて朝夕は冷えるようになった。この間まではエアコン、扇風機が必須だったのに季節の移ろいは早いものである。この頃とみに時間が過ぎるのが早く感じられるのは年取ったからだろう。以前にも書いたが、10歳の子供にとっての1年は今まで生きてきた10年のうちの1年だから一生の10分の1という感覚である。50歳の人の1年は50分の1、100歳なら100分の1なので、10歳の子供の1年の感覚と比べればそれぞれ5分の1と10分の1ということになる。歳を重ねるほど時の移ろいが早く感じられるわけである。開業して21年、ブログを書きだして15年、光陰矢の如しという言葉がぴったりする。初期の頃のブログを読み返してみると、その頃の心境と共に情景が思い出されてくるので日記、記録は必要なものだと改めて思う。
初期の頃のブログには、医療の矛盾やおかしいと感じることなどに対する思いを吐き出しているような感じがあったが、次第にすぐには伝わらないのであせらずゆっくり語っていこうと思うようになった。この思いはこれからも変わらないだろう。

夏の終わりに

平成30年8月31日
猛暑の8月も今日で終わり、特に朝夕は季節の移ろいが感じられる。自転車通勤していると日の暮れるのが早くなったことを実感する。通勤で最も時間のムダなのが信号待ちだけれどそれでも待ち時間に見る風景の微妙な変化も面白いし、10年以上同じコースを通っているとどこで待たねばならないか決まってしまう。平日と土日では信号の待ち時間などを変えていることもわかるし、イベントなどでも変えていることがわかる。月曜日の朝は通勤の人たちの表情が心なしか暗く、とげとげしく感じられることがある。学生さんたちは明日から新学期なのでさぞかし気が重いだろう。自分のことを思い出してもそうだったから、長い夏休みの後は大変だ。中学高校と部活はテニスで休みの日も練習に行ったり他のことで学校に行くことがよくあって、新学期の登校が久しぶりではなかったけれど、夏が終わったんだというもの哀しさを感じたものである。
季節の変わり目を迎えるたびに我が国の自然の素晴らしさ、四季があってよかったと思うのである。

「最後の講義」福岡伸一

平成30年8月24日
NHKBSの番組に「最後の講義」というのがある。これは米国の同名の番組をまねたもので、各界の著名人に人生最後の講義をすることになったらどんな講義をするかということで、実際に講義をしてもらったものを編集・解説し放映したものである。
今回は生物学者で「生物と無生物のあいだ」「動的平衡」などの著書でおなじみの福岡伸一氏が、現在教授をしている青山学院大学で講義したもので、解説は阿川佐和子氏だった。以前から福岡氏の著書を読んでそのユニークさと生物に対する理論への共感から注目していたので、興味を持って視聴した。まず、自分がなぜ生物学者になろうと思ったのかというところから語り始めて、京都大学時代に重要な遺伝子を欠損させたマウスを作ったけれど、外見も機能も寿命も全く変わらなかったという経験を経て、生命とは何かを一層考えるようになったと言う。そして生命とは動的平衡であるという結論に達したのである。生命の動きを的確に表現する手段として絵画があり、大好きなフェルメールの絵はその極致だろうと。
福岡氏の生物に対する考え方は、解説の阿川氏が「福岡先生は養老孟司先生と同じような印象がある」というように、的確に本質をついているのだと思う。脳死問題も氏が述べている通りだと思う。学生たちも真剣に聴講し質問も真摯なもので、面白く視聴させてもらった。

木曜日の午後

平成30年8月10日
木曜日の午後は休診なので、昼食は普段行けないところに行くようにしている。最近よく行くのは、「そば切り吟」と「サカナヤ」である。
そばは元々好きで、おいしい店があると聞けば試しに行ってみるようにしている。「はっぴ」「雪花山房」「翁」「ながお」「宮島達磨」「浅枝」「やぶそば」、どの店もそれぞれ特徴がありおいしいそばとつまみを味わうことができる。初めの4軒はいずれも高橋名人の店とその弟子・準弟子の店であるが、惜しいことに「雪花山房」と「翁」はなくなってしまった。「そば切り吟」はそば自体は名人のそばに似ておいしく、つゆもほどよい加減で、昼のあなごの天ぷらとのセットは優れものである。段原にあるので通いやすく、夜もたまに行って軽く飲んでそばを食べて(関東ではたぐって、というらしい)帰る。年越しそばはここのそばを予約して持ち帰り、家で茹でて食べる。
「さかなや」は佐伯区にあるゾーナイタリアの系列店で、ここのオイルパスタが好きである。ガーリックパンの少し辛めの塩加減がなんともいえず、前菜の白身魚のカルパッチョがうまい。この2軒はこのところ2か月に1~2回は行っている。

猛暑(続)

平成30年8月3日
このところ記録的猛暑が続いている。昨日は気温が40度に達した地域があったという。日中は外にいるだけで汗がふき出てくるので、エアコンの効いた室内にいるのが一番である。ところが昨日、待合室のエアコンが調子が悪くなって、冷気が入ってこない。業者の人に点検してもらったのだが、修理に2~3日かかるらしい。当院には7台のエアコンがあるが、待合室のエアコン以外は問題なく稼働している。急遽、扇風機を出したりして対応しているが、昨今の異常な暑さには難しいことである。
昨日、瀬野川のそばを車で通ったら洪水の後の修復の作業をしていたが、この猛暑の中頭の下がる思いがする。熱中症の対策はしっかりやっておかないと大変である。がれきを搬出するためのトラックもたくさん行き来している。ありがたいことである。
夏の高校野球が始まった。この猛暑の中、球児は大変である。いくら元気な高校生とはいえ、熱中症が多発する可能性が高い。そもそも暑い夏に大会を開く理由があるのだろうか。学校が夏休みという休暇を作ったのは、暑い夏はなるべく外に出ないでマイペースで行動しなさい、という意味だろう。それなのに、一番暑い日中に根性論のような練習や試合をさせるのはいかがなものか。自分も高校時代は夏の日中、部活でテニスをしていたが、今ほど暑くなかったような気がする。

袋町周辺

平成30年6月15日(金)
袋町小学校の向かいにクリニックを開いて20年になるが、周辺のビルや店の変遷は激しいものがある。今まであった建物が無くなり駐車場になったり新しいビルに建て替わったり、町全体が生きているように感じられる。この周辺は食べ物屋と美容院が多く、これらの店の興亡は特にダイナミックである。ほんのわずかの場所にも新しい店ができて商売を始めている。皆、夢を描いて頑張ろうとしている様子が伝わってくる。でも実際に見ていると、長く続いているところはそれほど多くなく、いつの間にか違う店になっているのが現実である。
戦後、長いこと親しまれていた2軒となりの食堂も閉められ、今新たなチェーン店ができている。まさに「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」である。自分が生まれ育った田舎は風景がほとんど変わっていないように見えるが、よく観察すれば少しずつ変わっていることがわかる。時間の流れがゆったりしているだけで、長い目で見れば同じなのだろう。早い変化を楽しむかゆったりがいいのかは、好みの問題だろう。今のところはダイナミックの方が面白いと思うけれど。

連休の谷間

平成30年5月2日(水)
今年も大型連休が始まった。土曜日が休みの職場なら5月1,2日を休みにすれば9連休になる。海外旅行も可能だろうが、この時期の旅行は皆が一斉に行うので混雑するし値段も高くなる。子供たちが小さいうちは国内だったけれど、せっせといろんなところへ連れて行ったものだが、今はそれぞれがその子供たち(孫)を連れて色々行っているようである。連休中はおいしいものを食べようと思っても、鮮魚系は連休中は市場が開いてないので行きつけの店は閉まっているし、広島がそうなら全国どこに行っても同じようなものだから期待できないだろう。
当院は暦どおりなので土曜日も、5月1,2日も診療している。医療施設の中には休診にしているところもあるが、このスタイルで20年間変わらず診療している。明日からフラワーフェスティバルでこの辺りは人であふれかえることだろう。なんでも160万人の来場を見込んでいるとか。この期間はできるだけ近付かないようにしようと思っている。

出会いと別れの新年度

平成30年4月13日
毎年この時期は卒業式・入学式・入社式などがあり、個人にとっても学校・会社にとっても大きな節目を迎えることになる。この出会いと別れの季節を象徴するのが一斉に咲いてあっという間に散っていく桜なのだと思う。まことに桜はこの時期の我々の心にピッタリの樹木であり、詩歌や小説・エッセイにも数多く取り上げられている。
当院を受診されている人たちの中にも、入学や就職・転勤で他県に行くことになったという人も少なからずおられる。今までの環境に別れを告げて、新しい生活に対する不安と期待を感じておられることだろうと思う。私事で恐縮だが、奇しくも近くに住んでいる長女の子供と、関東に住む次女の子供が同時に新1年生になった。大変めでたいことで喜んでいるが、長女一家は米国に行くことになっていて引っ越しの準備に大わらわだった。簡単に行き来できるわけではないので、しばらくは会えなくなってしまった。新しい環境になじんで無事に生活してほしいと祈らずにはいられない。入れ替わるように長男が広島に帰ってきたのはうれしいことである。これからも様々な出会いや別れがあると思うが、いさぎよく咲いて散る桜はこの時節にふさわしい風物である。
願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ(西行法師)

春爛漫

平成30年3月29日(木)
先週は桜の開花宣言が出たとはいえ雨模様で肌寒かったが、今週になって晴れの日が続き、桜も満開になりすっかり「春」になった。あの寒い冬はどこに行ってしまったのだろうかと思わせる陽気である。これだけ季節の変わり目がはっきりしているから、我々の気持ちも改まり、季節にまつわる文学・芸術が生まれてきたのだろう。比治山の桜も満開になっているが、週末はもう散り始めるに違いない。
昨日は比治山下の公園に夜桜見物にはちょうどいい場所があり、偶々帰省していた次女と孫たち、春から広島で働く息子も参加して夜桜酒飯としゃれこんだ。スカイウオークを使って山に登ってもいいのだけれど、すぐ近くにこんないい場所があるのなら使わない理由はない。大人たちがゆっくり酒を飲んでいる間、孫たちは遊具で遊んでいるので楽である。
毎年、この季節には一回はカミさんと酒飯を携えて夜桜見物をして「あと何回見ることができるのだろう」と話すのだけれど、今回は寒くもなくちょうどいい気温だった。こういうさりげない楽しみの積み重ねこそが人生で、このような普通の日常生活が過ごせるのはありがたいことだとしみじみ思ったことである。