令和元年8月16日
今日から診療開始である。例年、休み明けは患者さんが多く、休みから仕事モードに移るのが結構しんどいのだけれど、今年はそれほどでもない。昨日は大型台風が広島県を縦断したが、本当に台風が来たのかと思うほど風雨は少なく、新幹線をはじめ在来線・バスなどすべて予定運休になったがその必要があったのかと思ってしまう。デパートも臨時休業になるし、甲子園も中止になった。羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹くということわざがぴったりではないか。
表題は工学博士で作家の森博嗣氏の著書である。氏の趣味の模型作りの一環として始めた「ジャイロモノレール」の試作と成果を発表したものである。この装置は100年以上前に開発・実用化されたが、その技術は長く忘れ去られ再現不可能とされていた。氏は理論的には可能と考え、実験と試作をくりかえしついに完成させた。理論については氏の丁寧な解説にも関わらず自分には難しくて理解できない部分もあるが、現に完成され一本のレールの上を安定して走らせているのだから素晴らしい。
あとがきで氏は「趣味」という言葉について、欧米でのhobbyの概念と日本のそれの違いについて語っているが、日本ではレジャーやスポーツは趣味に含まれるが欧米ではそうではないという。hobbyとは紳士の嗜みとして仕事より重視されるもので、品位を形成するものとされているそうである。定年になってあわてて「趣味」を探すようなものではないのだ。そうだとすれば自分にはhobbyはあるのだろうか。
カテゴリー 日々是好日
「ジャイロモノレール」
宇品の花火大会
令和元年8月2日
7月最後の土曜日に例年通り宇品港1万トンバース沖で花火大会が行われた。いつもは用事があったり面倒だったりで行かなかったのだが、今年はちょうど夕食も済んでほろ酔い気分でもあり、久しぶりに行ってみた。宇品港までは自宅から真南に2キロちょっとの距離であるが、周辺は人が多すぎるので海岸通りから見ることにした。1万発の花火が準備されていてこれを1時間であげるわけだが、夏の夜空を彩る音と光は百花繚乱の装いを呈していてこれほど素晴らしいものはあるまい。大きく広がる光と腹に響く音、火薬のにおい煙など五感を刺激して昔の夏の記憶をよみがえらせてくれる。学生時代から聞いていた男声合唱組曲「雪と花火」のなかの「花火」という曲がずっと頭の中を流れていた。北原白秋の東京景物詩のなかの「花火」に多田武彦が曲を付けたものである。
花火があがる 銀と緑の孔雀玉… パッとしだれてちりかかる
紺青の夜の薄あかり ほんにゆかしい歌麿の 舟のけしきにちりかかる
花火が消ゆる 薄紫の孔雀玉…紅くとろけてちりかかる
Tron…Tonton…Tron…Tonton 色とにほひがちりかかる
両国橋の水と空とにちりかかる
花火があがる 薄い光と汐風に 義理と情けの孔雀玉…涙しとしとちりかかる
涙しとしと爪弾きの 歌のこころにちりかかる
団扇片手のうしろつき つんとすませどあのように 舟のへさきにちりかかる
花火があがる 銀と緑の孔雀玉…パッとかなしくちりかかる
紺青の夜に大河に 夏の帽子にちりかかる
アイスクリームひえびえと ふくむ手つきにちりかかる
わかいこころの孔雀玉 ええなんとせう 消えかかる
分娩を止めた病院
令和元年7月19日
非常に残念なことであるが、開業前に6年間勤めていた中電病院が今年の4月からお産を一切やめた。産科病棟もなくなり妊娠に伴う入院はできなくなった。平成3年に医局人事で中電病院に来て、お産の多いことと外来の目の回るような忙しさに驚いたことを思い出す。当時は医師は部長と自分の2人だけで、年間600人のお産とたくさんの手術をこなしていた。夜の当直(産直)は2日に1回で、土日もお産や回診でほとんどつぶれる。あまりの激務に見かねた院長が医師を1人増やしてくれたので一息ついたが、長く続けるのは無理かもしれないと思っていた。昼間忙しいのは何ともないが、夜にお産で起こされ無事に生まれるまでの緊張とそれに伴う睡眠不足、翌日もやはり忙しい日々が続くのは、歳をとるほどこたえてくる。
自分は45歳になる直前に開業してお産から離れたけれど、現場の医師たちは大変だろうと思っていたし、しんどいお産を安全確実にしてくれて本当にありがたいと思っていた。このたび産婦人科の医師が足りないためにお産を止めざるを得なくなったことは実に残念ではあるけれど、最も悔しい思いをしているのは現場の医師と助産師たちスタッフだろう。お産をする施設は簡単にできるわけでなく、中電病院のようなすばらしい施設と人的伝統を作るためには長い努力・研鑽が必要であり、ふたたびお産を始めるのは至難の業である。世の流れとはいえ諸行無常である。
ストレス解消
令和元年6月28日
今年は例年になく遅かったけれどやっと梅雨入りした。日々是好日を楽しんでいたが、色々なストレスも起こりその解消のためにいろいろ試みている。やはり体を動かすのが一番で、日々の散歩は欠かせない。以前はテニスをしていたが、腰痛などもありもっぱら歩くことにしている。尺八を吹くのはストレス解消にもなるが、心に思い描く音を出せない自分の技術の未熟さにかえってストレスがたまることが多く、最近は吹いていない。美味しいものの食べ歩きや晩酌は最高のストレス解消になるが、つい飲み過ぎてしまうので控えなければと思うけれどなかなか難しい。
今は目の前のことを一つ一つこなしながら、ストレスの原因が過ぎ去るのを待つ以外にはないと思っている。限りある人生、気持ちよく過ごしていきたいものである。
食物日記
令和元年6月21日
平成23年から「食物日記」と称して昼食にどの店で何を食べたか記すことにした。夜は家で食べる場合もその内容とアルコールの種類・量、外なら店名と内容、誰と飲食したかなどである。初めの頃は断続的で、ある年などは1日だけだったりバラバラだった。それでも簡単なコメントなども記しておいたので、あとで見るとその当時のことが思い出されて面白いのでしっかり記すことにした。平成29年からはほぼ毎日記録するようにしたので、今日までは全部記録しているが自宅での夕食は特別な時だけ記録することにしている。店の場合は値段も書くようにしたので、外食にどれくらい使っているかわかるようになった。旅行の場合は朝からすべて記すようにしているので帰宅後書く時に、いつ何を食べたか思いだすのに苦労する。
時々読み返してみるが、実にいろいろなところで飲食しているものだと感心する。考えてみれば小さい頃から食には人一倍興味があり「世の中にこんなうまいものがあったのか」と感じることが何回も何回もあったので、この日記は続けていきたいと思うのだがどうなることやら。
梅雨入り前
令和元年6月14日
例年、「とうかさん」が終われば梅雨入りするが今年は晴天が続く。自転車通勤していると季節の移り変わりが肌で感じられていいものである。困るのは雨の日で、その時はさすがに自転車は使わない。この場所に開業して初めから自動車通勤は考えたことがなかった。クリニックの近くには駐車場が少なく、値段がとびきり高いうえにバスを使っても時間はあまり変わらない。病院勤務の時は病院の駐車場があるし、お産で何時呼ばれるかわからないので自動車通勤していたが、開業後はバス→自転車を使い特にアシストを使うようになってからはこれ以外は考えられなくなった。
歩道の広い平和大通りを自転車でゆっくり走るのは実に気持ちが良く、思わず口笛を吹きたくなる。今は暑くもなく寒くもなくちょうどよい気候で毎日快適に往復している。梅雨入りはできるだけ遅く梅雨明けは早くなってほしいものだが、それでは作物が育たない。農家出身の自分としては複雑な気分だけれど。
「めまい」の1週間
令和元年6月1日
今週はしんどい1週間だった。月曜日の夕方からフラフラ感があり血圧は上昇、寝ていればいいけれど起きるとめまいがする。果ては嘔吐、火曜日にビル内の内科と耳鼻科受診、高血圧を指摘され、めまいは「良性発作性頭位めまい」とのこと。数日で回復するだろうということであったが、念のため頭部MRIも撮った。幸いMRIでは特に異常はなかったが、血圧のフォローは必要だろう。この際だということでMRIに写っていた鼻ポリープも切除してもらった。ガタが来ていた体の点検・修理をしてもらったようでスッキリしている。めまいの起きた原因も実はわかっているが、久しぶりに会った友人と飲み過ぎてそれが原因の転倒による発症である。こんなことはいい歳をして恥ずかしくて言えないが事実だから仕方ない。
今までめまいを経験したことはなかったが、結構しんどいものである。周りがぐるぐる回るのは不快で気分が悪くなる。大型連休初日の尿管結石の痛みといい、このところ初めて経験する不調が多い。健康にはそこはかとない自信があったがやはり歳には勝てないことを実感した次第である。
令和元年
令和元年5月10日
連休が終わり「令和」の元号になっての診療が始まったが、つい「平成31年」と書いてしまいそうになる。訂正印をハンコ屋さんに注文しているが、「平成」と印刷してある書類もまだたくさんあるので当分の間は一々訂正しなければならない。
一番長く続いた元号は「昭和」、二番が「明治」だそうであるが、「平成」は四番目とのことで、こんなに長く元号を使った歴史のある国は世界中でもまれなことだという。学生の頃は西暦の方が各国との比較で使いやすいと思っていたが、歳をとるにつれて元号を使う方がしっくりすると感じられるようになった。ただ年齢を計算するには元号は難しく、一度元号を西暦に直して計算しなければならないので少々面倒である。今年は昭和94年、平成31年と記憶しておき、昭和40年生まれの人であれば誕生日に94-40で50歳、平成5年生まれの人なら誕生日で31-5で26歳ということになる。令和2年になれば、昭和95年、平成32年ということになる。当院ではさすがに「大正」生まれの人は来られないので「昭和」「平成」だけ覚えて置けばいいけれど。
「尿管結石」体験記
令和元年5月3日
大型連休の4月28日から、次女が住むことになった松本へ出発、家に2泊して長野に1泊、金沢に1拍することにしていた。家に着いて軽食直後から胃部不快感あり徐々に増悪、背部痛も起き耐え切れず当番医を受診、原因がはっきりせず夜間救急病院を確かめて帰宅した。横になったが痛みに耐えきれず、聞いていた「あいざわ病院」を受診した。ここはスピードスケートの小平奈緒選手をバックアップしている病院で、松本市内で3次救急を受けている地元で頼りになる病院だそうである。医師・スタッフ共に丁寧な対応で、CT,血液検査等スムーズに行い、結果待ちの間も次々に患者さんが来てまさにERの様相を呈していた。院内トリアージも行われているので、重症患者が待たされることもないようだ。
待つ間も痛みは一向に治まらず、「なんでもいいから痛みを取ってくれ」と叫びたくなっていた。待つこと暫しようやく呼ばれ「尿管結石」の診断を聞く。CTには5㎜ぐらいの石がはっきりと写っており尿管下部まで下りていた。あと少しで自然に膀胱まで下りるだろうからそれまで痛み止めで様子を見ることに。帰りの途中、突然背部痛が薄らいできた。まさにこの病気の経過通りで、なぜ初めからこれを疑わなかったのか恥ずかしい限りである。尤も当番医の内科のDr.も疑わなかったので典型例ではないのだろう。
翌日からは完全回復、スケジュール通りに旅ができたのは幸運だった。
懲りない日々
平成31年4月19日
この季節になるといつも胃の具合が今一になって、アルコールを控えるようになる。何かの会合でつい飲み過ぎてしまって普段なら何日か控えれば回復するのに、飲む機会が増えると飲んでしまって回復に時間がかかるようになる。今までに何度も繰り返しているのに今また同じになっている。春になると桜も咲いて気分が浮かれてつい飲み過ぎてしまうのである。毎度懲りないことである。
胃の具合が今一の時の定番は、昼食をうどんにすることである。いつも利用しているのが「讃岐屋」で、カレーうどん・特えび天うどん・天ざるうどんのどれかを食べる。「太閤うどん」にも行くが、ここではカルボナーラうどんしか食べないので調子が悪い時には行かない。ちなみにこれはカルボナーラとうどんのコラボでしっかり旨い。ここ10年ぐらい、だいたい年に1~2回は同じことをくりかえしている。元来、胃が悪くなったことはなかったのにこうなるのはアルコールのせいだと思うが、食事をおいしくするために欠かせないのもアルコールである。困ったものだ。