令和3年11月10日
コロナも落ち着き紅葉も始まったので久しぶりに弥山に登った。と言ってもロープウェイを往復利用したのだけれど。場合によっては下山は歩こうかと思っていたが、気力が萎えたのである。何しろ獅子岩から展望台に登るだけで大汗をかくくらいだから、急峻な登山道を降りるのは無理だとあきらめたわけである。それでも紅葉の始まりかけた景色は素晴らしく、展望台からは瀬戸内海の島々が望め、疲れが取れる気がした。楽しみはなんといっても弁当とビールである。炊き込みご飯のおむすびを用意して、セブンでつまみとビール、酒を仕入れて頂上で食べるのは実に気持よく美味しい。弥山に登る最大の楽しみと言ってもいいだろう。以前はふもとからリュックを背負って登ったこともあったが、この時のビールは一番うまかったと思う。
ともあれ久しぶりの弥山、良い休日になった。
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久しぶりの弥山
結婚式
令和3年10月27日
秋も深まった日曜日、シェラトンホテルで息子夫婦の結婚式が行われた。このご時世、果たして大丈夫かと思っていたが、幸い第5波がおさまっていたので滞りなく開催できたのはありがたいことだった。すべて息子夫婦(新婦)の企画なので我々は出席するだけでよかった。
初めは身内だけでとも考えていたようだが、やはり友人には祝ってもらいたいということで、コロナ第5波が猛威を振るい始める前に案内状を出したようである。出席できない友人たちもいたようだったが、第5波がおさまり禁酒令も解けていたのは幸いだった。
式の後半には、式場の中央にしつらえたグランドピアノやギター・サックス・ドラムを据えた舞台で、新郎とその仲間がジャズセッションを披露し、新婦と妹さんが本格的な連弾を披露したのは圧巻で、拍手喝采を浴びた。
最後に新郎父親(自分)のあいさつがあるのでアルコールを控えたのは残念だったが、暖かいいい結婚式だった。
日常生活
令和3年10月13日
緊急事態宣言が解除されて普通の日々に戻りつつある。禁酒令もなくなり、時短も段階的に解除されている。街を歩く人たちも心なしか表情が明るくなったように感じる。夜の街も少しずつ活気が戻ってきた。
それにしてもコロナ第5波は何だったのか、専門家はコロナ感染がどうして増えてなぜ終息したのかわからないという。わからないなら専門家の立場を返上すべきだ。今まで散々、三密は避けろだとか酒類は禁止だとか移動は控えろだとか言っておきながら、結局は自然に増えて自然に終息するウイルスの振る舞いには何の役にも立たなかったということである。
第6波もいずれ来るだろうが、インフルと同じように扱って、いずれ終息するだろうと大きく構えて、意味のない移動制限や時短営業、禁酒などはやめるべきである。そうはいっても保身に走る指導者たちはマスコミに煽られてまた同じことしかできないだろうが。
宣言解除
令和3年9月29日
非常事態宣言が解除されることになった。コロナ感染者が減ってきたことがその理由だが、感染者数の変化を見れば宣言による人流抑制したからではなく、ウイルスの都合によって減ってきたことがこれまでの流れから一目瞭然だ。専門家と称される人たちの言動を聞いていると、本当の意味で専門家かどうか疑われる。ここまでの世界的な発症者の変化を見れば、人流抑制はほとんど意味がないことは明白で、欧米ではそのようにし始めた国も増えてきている。我が国ではいまだに「禁酒令」も条件付きで残りそうだし、○○の一つ覚えとしか言いようのないお達しが残る。
ウイルスには一人一人の免疫力で立ち向かうしかないし、人類はそのようにして感染症に対処してきた。不幸にしてウイルスに負ける場合もあるだろうが仕方がないではないか。すべてこれまで通りの生活に戻すべきだと思う。
連休とは言え
令和3年9月22日
今週はシルバーウイーク、敬老の日・秋分の日など休みの多い週である。例年ならどこかに出かけていることだろうが、今年はおとなしくしている。コロナが怖いとはちっとも思わないが、無能な施政者たちが「緊急事態宣言」を出している以上身動きできない。過去の記事を見ると、京都や奈良など歴史の感じられるところに行って美味しいものを食べるという、まことにわかりやすい旅をしている記載がある。シルクドソレイユを見るために大阪へ一泊、ミシュランガイドの店で食事などしている。そういえばシルクドソレイユはコロナのせいで潰れたそうだ。コロナに対して世界中・日本がおこなったことの良否はいずれ歴史が証明してくれるだろうが、今は流れに身をゆだねるしかない、不本意ではあるが。
豊穣の秋
令和3年9月16日
9月になって朝夕は肌寒さも感じられるようになった。これから一年で一番いい季節「天高く馬肥ゆる秋」になる。田舎育ちの身にはこの季節の思い出がよみがえってくる。稲刈り、当時は鎌で刈り取っていたので、日曜日は朝から晩まで手伝うのが当たり前だった。中学3年まで作業していたが、そのころから刈り取る機械ができて手伝わなくてよくなったが農作業は結構大変だった。今はなくなったようだが村祭りも当時はあり、近所の神社に出店が並んでいて、玩具や綿あめを買ってもらって喜んでいた。村の若い衆がみこしを担いで家々を回る。鬼の面をつけて(田舎では「ひょんこ」と言った)棒を持って女子供を追いかけまわして怖がらせる。この日は家ではごちそうが出る、といってもちらし寿司・巻き寿司ぐらいだけれど、子供にとってはうれしい一日だった。
運動会も秋に(東京オリンピックが夏に行われたのは狂気の沙汰である)行われる。小学校の運動会と日曜日に行われる村民運動会。一等になればノートや鉛筆をもらえるので頑張って走ったものだ。まわりはみな農家だったので五穀豊穣を祝うことが大切だったのである。
全員集合(2)
令和3年8月11日
長女一家がアメリカから帰国し、2週間の待期が開けるのに合わせて信州から次女と孫たちが帰省し我が家は賑やかになった。隣市に住む長男夫婦も来て、久しぶりに全員集合になった。先週末から3日連続の夕食宴会である。毎日の参加人数は微妙に異なるけれど、ほぼ全員がいろいろな話をしながら食卓を囲むのは楽しいものだ。特に留学のために一家で米国に渡った後でコロナ禍に遭遇した長女一家が無事帰国できたことは、本当にありがたいことだと思う。5人の孫たちも元気いっぱいで、静かだった我が家は一変していた。信州から車で迎えに来てくれていた夫と共に昨日、次女一家は帰っていったので、今日からは今までの静かな日常に戻ったわけである。
こうして全員集合できることは今後そんなにはないだろう。それだけに今回の全員集合には感謝の気持ちで一杯である。
猛暑
令和3年8月6日
連日猛暑が続く。オリンピックもあとわずかになったけれど、昼間炎天下で競技する選手は本当に大変だろう。日本の夏、特にこの時期は一番暑いので秋に行うのならいいが、夏ならやるべきではなかったと思う。アトランタ五輪をルポした沢木耕太郎著「オリンピア1996冠コロナ(廃墟の光)」は2008年に出版された作品であるが、今読んでみると氏が予感したことが現実になって来ているのがわかる。氏はオリンピック発祥の地オリンピアにアテネからバスで訪れ、スタディオンと呼ばれる古代の競技場跡に立つ。氏のオリンピックへの思いはそこから始まるのである。古代オリンピックが1200年続いた後、一旦失われ近代オリンピックが1896年クーベルタン男爵の尽力によりアテネで始まったが、さまざまな問題が起きてくる。1984年のロサンゼルス大会がターニングポイントではないかと氏は語る。入場料、放送権料、スポンサード収入などにより利益を生むようになったからである。現在のオリンピックは開催時期も選手のためではなく欧米の放送権などで決められている。暑い日本の夏、しかもコロナ禍で開かれているのはどう考えてもおかしいのである。古代オリンピックが滅びたように近代オリンピックも滅びるのではないか。
金メダルラッシュ
令和3年7月30日
東京オリンピックが始まって1週間、柔道を中心にした金メダルラッシュが続く。選手たちの笑顔を見ると本当に良かったと思う。でも無観客の会場は選手にとって寂しい限りだろうし、我々も心から喜べない。無観客にしているのに東京ではコロナPCR陽性者が過去最多だという。重症者数はそれほど増えていないようであるが、また他の県にも緊急事態宣言を出すという。まったくムダなことはもうわかっているのに相変わらず○○の一つ覚えの対応しかしない。コロナは日本人にとって高齢者や基礎疾患のある人以外には「ただの風邪」なのだから、インフルエンザと同じようにすればいいのである。
まるで「健康診断・人間ドックをすれば長生きできる」「がん検診をすればがんが克服できる」と同じで、無理なことを言っても仕方ないだろう。マスコミも冷静に本質を踏まえた報道をしてほしいものである。
「コケちゃいました」
令和3年7月21日
毎日快適な自転車通勤をしているが一昨日の夕方、車道から歩道へ上がる際、段差が思ったよりあったうえに進入角度が浅かったので、自転車は車道に残り自身はそのまま歩道に飛んで行った。何しろスピードがそこそこ出ていたので、受け身をしたけれどそのまま滑って大きなゴミ箱の側面に頭から突っ込んで止まった。ズボンは膝のところがが大きく破れ肘は擦りむき頭にはコブができた。でもこれくらいで済んでよかったと思う。
実はアシスト自転車でコケたのはこれが3度目である。一度は雨の日の下り坂で対向してきた自転車をよけようとして滑って転倒。相手の自転車の前輪の向きを見ながら反対側をすれ違うのだが、急に前輪の向きが変わったので、思わず反対方向へハンドルを切って滑ったわけである。二度目は酔っていたにもかかわらず急坂を登ろうとして転倒、自業自得であるが、あとで耳石がはがれたことによるめまいが起こり、治るのに一週間かかった。考えてみれば本当にアホである。若い頃のように体が動いて反応すると考えているから平気で運転するのだろう。年なのだからスピードは抑えて安全運転をすると決めた…