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カルテ庫の整理(年中行事)

令和3年6月11日
以前にも書いたがカルテ棚は受付の隣に5つあり、1つに1,000~1200くらい収納できる。新患が1000人増える度にカルテ棚を1つ空ける必要がある。いつもスタッフに何とかやりくりしてもらって空けるようにしているが、今回は初めからのカルテも見直して、5年以上来院していないものは処分することにした。また、しばらく来院していないものも奥のカルテ庫に移して新しい場所を確保するようにしている。電子カルテなら場所は必要ないので楽だと思うが、今さら変えようとは思わない。患者さんも医者がコンピュータ画面ばかり見て話すのは嫌だと思うし。紙カルテなら経過が一目でわかるうえに小さなメモも役に立つ。
1,000増えるごとにこのような作業を行っているが、検査報告書や紹介状の封筒など、様々な紙の多いことに毎回改めて感心している。電子化が進んでも紙はなくてはならないもので、ヒトの歴史とともにありこれからもあり続けるだろう。

薬の処方の要求

令和3年1月21日
患者さんに薬を処方する際「ついでに別の科で貰っている薬も処方してもらえませんか」といわれることが稀にある。その薬についてのきちんとした知識があり、自分でも処方したことがあれば受けることもあるが、基本的には処方しない。比較的多いのは漢方薬の処方希望である。当院では漢方薬は処方していないので断るのだが、強硬に要求する患者さんもいる。断ると来院しなくなる場合もあるが、自分が効果を認めていないものを処方するわけにはいかない。
日本人は薬好きだと言われるが、患者さんの薬手帳をみると多くの種類の薬を処方されている人がいる。いろいろな科でそれぞれ薬を処方されていると結構な量になるし、ついでに処方を頼みたくもなるのだろう。自分で本当に有効だと思わない薬は処方しないし、その理由をきちんと説明するとわかってくれる患者さんもいるし、そうでない場合もある。なかなか難しいことである。

コロナに振り回された1年

令和2年12月30日
今日30日は本来休診(暮れ・正月休み)なのだが、広島市の当番医ということで診療している。例年ならこの時期は広島市民病院が受け持ってくれていたので、広島市の産婦人科医(お産の施設を除く)はゆっくり休めたのだが、今年はコロナのために開業医が当番医を受け持つことになったのである。この時期以外の休日は開業医が順番に当番をしているので、希望する医師を募ってもだれも応じてくれない。それで医師会の世話人が担当することになったわけである。
今年は武漢コロナに始まって世界中に広がるコロナで終わった年になった。現在も感染者は増え続けていて、もう防ぐことはできない状況になっている。にもかかわらず政府は相変わらず「防ぐ方針」ばかり言い募って、経済・暮らし・人のつながりに大きなダメージが与えられている。若い人にはただの風邪なのだから、症状がある人だけをインフルのように治療すればいいし、重症化への対処もできるようになってきたので、犯人捜しのように感染者を探すのはやめにすれば社会も医療もなんとか耐えて行けるだろう。希望がなければ人は生きていけないのだから早く無駄なことはやめて冷静になって、コロナは5類感染症にすべきだと思う。
今年1年、コロナにもかかわらず患者さんの数は例年とほぼ同じでした。来年もまたよろしくお願いします。

開院23周年

令和2年9月11日
昨日の朝、クリニックに着いて日付のゴム印を変えた時に気付いた「そういえば23年前のこの日に開院したんだ」と。早速診療日誌を見たら、5年前に「開院18周年」の文章があった。つい最近「開院〇〇年」の文章を書いたように思っていたが、あれからもう5年経っていた。まことに月日の経つのは早いものだ。「仰げば尊し」の歌詞に「思えばいと疾(と)し この年月」というところがあるがまさにその通りである。5年どころか23年も一炊の夢で、月日が矢のように過ぎて行く。同時に記憶力が落ちてくるので余計にそう感じるのだろう。
尺八を置いて替わりに始めたフルートでは、高音部の音出しがなかなかスムーズにいかない。これも呼吸による代謝亢進を図りながら同時に行う指と頭の訓練だと思ってやっているが、始めてみると面白く時が経つのを忘れるくらいである。「アルルの女第2組曲」のメヌエットが吹けるようになりたいと思っているのだが。診療はもちろん、いろんなことをこれからもマイペースでやって行きたいものである。

人工妊娠中絶術と胼胝(たこ)

令和2年4月2日
人工妊娠中絶術を行う方法に、従来からの鉗子と鈍匙による方法と吸引による方法がある。前者は熟練者にとっては安全で確実な方法であり、後者は比較的やりやすく血液を吸引するのできれいにできる。自分は40年近く前から前者の方法で行っているが、短時間で確実にできるので愛用している。麻酔は短時間で確実に効いて早く覚めるようにしているが、術後は3時間程度休んでから帰宅してもらう。昼から食事もとれるし翌日から仕事もできるようになる。
産婦人科医の基本はお産を安全・確実にできるように修練することと、人工妊娠中絶術を確実に行うことだと大学医局に入った時に教わった。子宮筋腫、子宮癌、卵巣腫瘍、子宮外妊娠などの手術や不妊治療がきちんとできるようになることも必須であるけれど、基本は妊娠にかかわることである。勤務医の時は主にお産に携わっていたが、開業してからは人工妊娠中絶術を行っている。鉗子を使うので、鉗子をつかむ親指と薬指指にいつの間にか胼胝(たこ)ができてしまった。妊娠はうれしいことで女性は産みたいのはあたりまえだけれど、一方でどうしても産めないこともある。その狭間で悩む人にとってはつらいけれど仕方ないことだと思う。右手にできた胼胝(たこ)にはそういう思いが詰まっている。

照明器具の一新

令和2年3月21日
クリニックの照明を蛍光灯からLEDに替えた(ごく一部を除いて)。全部でほぼ40台の照明装置の取り換え工事には1日かかったが、院内は前より格段に明るくなった。待合室は明るくなり過ぎと感じるくらいでLEDはさすがである。
23年前に開業した当初は蛍光灯しかなく、当然寿命が来れば点かなくなる。照明器具1台に蛍光灯は2~3本ついているので合計すれば100本以上になる。これを取り替えるのが大変だった。脚立に登り天井の照明器具の覆いを外し、長い直管を付け替えるのは結構難しく正直、イヤだったが自分でやるしかない。今まで何回取り替えたことだろう。スタッフの「先生、どこそこの蛍光灯が切れています」という言葉を聞くのは本当にストレスだった。最近、蛍光灯を取り替えた時、器具も劣化していたのだろうかバネの具合が悪く、時間と労力がかかり大変だった。今回、LEDに替えたのはこれが原因である。もう脚立に登って無理な姿勢で蛍光灯を取り替えなくてもすむのは実にありがたいことである。

休み明け

平成30年8月17日
お盆休みが終わり8月16日から診療開始したが、木曜日なので午前中だけである。例年、休み明けは患者さんが多いけれど、今年は特に多くて終了時間が大幅に遅れた。休みモードから仕事モードへの変換が急激だったので、いささか疲れたが心地よい疲れである。
今年は孫たちも帰ってこないので、かねてより訪れてみたかった鎌倉・箱根へ行ってきた。鎌倉は紫陽花の季節がいいのだろうが、まとまった休みが今しか取れないから仕方ない。養老孟司先生のお住まいを拝見することは望むべくもないので、鶴岡八幡宮などをベタに観光した。隠れ家的鮨屋「和さび」が予約できたのはラッキーだった。結局、横浜に1泊、箱根に2泊したが、箱根はレンタカーで回ってみた。例年正月に行われる箱根駅伝のコースも通ってみたがテレビで見ている風景そのままなのが面白い。圧巻だったのは「彫刻の森」で、特に「密着」という作品にはしばらく足を止めて鑑賞した。残念だったのは海抜1327メートルの箱根駒ケ岳にロープウエイで登って富士山を見ようと思ったのだけれど、雲と霧で真っ白になり何も見えなかったことである。宿は居心地が良くて温泉も食事も良く、久しぶりのリフレッシュできる休暇であった。

猛暑(続)

平成30年8月3日
このところ記録的猛暑が続いている。昨日は気温が40度に達した地域があったという。日中は外にいるだけで汗がふき出てくるので、エアコンの効いた室内にいるのが一番である。ところが昨日、待合室のエアコンが調子が悪くなって、冷気が入ってこない。業者の人に点検してもらったのだが、修理に2~3日かかるらしい。当院には7台のエアコンがあるが、待合室のエアコン以外は問題なく稼働している。急遽、扇風機を出したりして対応しているが、昨今の異常な暑さには難しいことである。
昨日、瀬野川のそばを車で通ったら洪水の後の修復の作業をしていたが、この猛暑の中頭の下がる思いがする。熱中症の対策はしっかりやっておかないと大変である。がれきを搬出するためのトラックもたくさん行き来している。ありがたいことである。
夏の高校野球が始まった。この猛暑の中、球児は大変である。いくら元気な高校生とはいえ、熱中症が多発する可能性が高い。そもそも暑い夏に大会を開く理由があるのだろうか。学校が夏休みという休暇を作ったのは、暑い夏はなるべく外に出ないでマイペースで行動しなさい、という意味だろう。それなのに、一番暑い日中に根性論のような練習や試合をさせるのはいかがなものか。自分も高校時代は夏の日中、部活でテニスをしていたが、今ほど暑くなかったような気がする。

ピル発売中止の混乱

平成30年7月5日
日本のピルの歴史は欧米諸国にくらべるとまさに理不尽と紆余曲折を経ている。いまから30年前に低用量ピルの治験が遅ればせながら我が国で始まり、安全性に問題がないことが認められたにもかかわらず、発売OKにならず10年間据え置きとなっていた。そのあとでバイアグラという副作用の心配な薬がどういうわけか簡単に発売可になった際、やっとピルも解禁になったのである。その後20年の間ピルは生理痛の緩和、子宮内膜症の治療、過多月経の治療、生理不順の改善などに大いに有用だった。もちろん避妊に対しては絶対的な信頼があった。特に1相性のピル(オーソM21、マーベロン)は連続内服ができるので便利で治療にも適していたが、オーソM21が保険薬になってしまった。その後マーベロンの後発品のファボワールが発売され、使いやすいので普及していて当院でも多くの人に薦めていた。
そのファボワールが発売中止になったのである。メーカーの説明によれば、2年以上経つと成分が許容範囲を超えて変化する可能性があることがわかったからで、もちろん現在まで健康被害もなければ効果に問題もないが、万一のことがあってはならないので一旦発売を中止するという。急に言われても替わりのピルのマーベロンは製造量が少なく回ってこない。それで3相性のピル(こちらの方が我が国では普及量は多い)に変更してもらっている。ピルを使用中の人には申し訳なく思うが、メーカーもちゃんとしてほしいと切に願う次第である。

第4支部会

平成30年4月20日
広島市の医師会は地域ごとに分けて組織されているが、自分の所属しているのは中区第4(袋町東)支部で、最も施設数の多い支部である。年に2~3回、親睦を兼ねた支部会が開かれ日頃は顔を合わせることのない会員同士が情報交換をするわけである。自分が開業した頃は周りは年上の人ばかりで、緊張しながら出席したものであるが、20年も経つと若い人たちが増えて、いつの間にか年輩者の側になってしまった。初めの頃は参加人数も多く、欠席すればかえって目立つようだったが、最近は出席者の方が少なくなっている。今回も出席者は20人に満たなかったので会員の4割ぐらいということになる。
他のところでは出席率も高く、地域活動も積極的に行われている支部もあるようだが、第4支部はビル診の施設が多いので流動性もあり、「地域のお医者さん」的なところが弱いようである。「地域のお医者さん」は自分の土地に診療所を建てて長いスパンで診療をするし、何代も続いているところもあるが、第4支部では新たに土地を求めて開業するのは無理なのでビル診以外での開業は難しい。その代り競争が激しいのでレベルが上がり、人気のないところは存続できないということである。