カテゴリー 本

本川達雄著「おまけの人生」

平成17年10月28日(金)
「ゾウの時間ネズミの時間」を読んで以来ファンになった生物学者、本川達雄氏の最新エッセイ集「おまけの人生」を見つけた。読んで共感を得る部分が多くますますファンになったのであるが、その中に著者が永平寺が主催した「道元フォーラム」に呼ばれて講義した内容が載っていた。これがすばらしいもので、時間についての著者の生物学的思考と道元の「正方眼蔵」に述べられた哲学との重なるところを解説しており、あらためて曹洞宗の開祖である道元は偉大な哲学者でもあったのだと思った次第である。
歴史に名を残すほどの人物はやはりすごい。さらにそれを自分の言葉で解説している著者もただものではない。世の中には我々凡人にははかり知れない巨人ともいうべき人がいっぱいいるものだと思った次第である。

「相対性理論の大嘘」

平成17年6月25日(土)
暑い日が続く。先日、入梅したのに雨が降らないと書いたが、一足飛びに夏になった感がある。水不足の地域もあると聞くが、野菜は安くなっているそうでなんのこっちゃ。
最近読んで面白かったのは「相対性理論の大嘘」というなんとも夢(?)のある本である。夜空にまたたく星は本当に何万光年も前の光なのかと疑問を呈し、も しそうなら我々はいつも過去の世界しか見られないことになり夢のない話ではないかというところからの考えである。ちょうど相対性理論発表百周年とのことで それを狙った意味もあるだろうが、直感的には思わず納得させられる内容であった。主観と客観の違いも突き詰めて考えればよくわからないし、時間が一定とは どうしても思えないなど色々と考えていた昔を思い出してしまった。

運命についての考察

平成17年5月13日(金)
固体発生は系統発生をくり返すというが、個人はどんなに高名な人物でも自分の育った環境から逃れることはできないようだ。この場合の環境とは、生まれた時代、場所、親子関係、周囲の状況、本人の資質などである。これらは自分ではどうすることもできない。それゆえ、運命なのである。
はじめにそう思ったのは「次郎物語」を読んだ時だった。作者の下村湖人は教育者として、思想家としてすばらしい仕事を積み重ねて来ており、さまざまな困難を乗り越えてきた「巨人」というのにふさわしい人物で、次郎物語を書き始めた時はもう六十を過ぎていたが、自分の生い立ちを通しての人間形成の過程を克明に物語の形で語ったのがこの物語である。その中で本人の性格を含め、生い立ちに必然的にまつわる処々の状況にどう対処し成長していったかを、小説の形で詳 しく記している。自分の分身である次郎が運命である環境をどう考え対処し、どのように苦闘しつつ幼年期、少年期、青年期を過ごしていったかを真摯な文章で記しているのである。
最近南木佳士の作品を読み、改めて人は生まれた環境、運命を死ぬまで引きずって生きていくのだと思ったことである。一人の人間の物語はその人にしかなく、 一人ひとりが物語を一つ描けるだけなのだ。これを神のような視点から見れば、一人ひとりが同じようなところで悩み、同じように成長して、同じように死んでいくと思えるのかもしれない。人間からアリの群れを見るとどのアリも同じようにしか見えない。一人の人間の成長も神の視点からは、系統発生のようなものでわずかな違いがあるだけではないだろうか。たとえそうであったとしても、人間の喜怒哀楽はそのわずかの違いの中にあると思うし、日々のささいなことから幸せを感じたりすることも事実で、人間はいとおしい存在だと思うのである。

津田秀敏著「医学者は公害事件で何をしてきたのか」

平成17年2月22日(火)
暖かい日が続いていたが、日曜日から寒さがぶり返してきた。ついにコートが必要になってしまった。まさに三寒四温である。
「医学者は公害事件で何をしてきたのか(津田敏秀著)」という本を読んだ。
この著者は私の母校の後輩であり同公衆衛生の講師であるが、その内容の緻密さと正確な論旨、正義感と学者としての真摯な姿勢など最近読んだ本の中では密度の濃いすばらしい著書であった。こういう人物がいるかぎり、まだまだ日本も捨てたものではないと思われた。著者はまず疫学から語り始め、水俣病は食中毒事件であると看破し、初期発動の時点で食中毒として処理しておれば法律に基づいてマニュアルに沿って対策がたてられ、被害は大きくくい止められただろうことを示したうえで、その後の水俣病に関するさまざまな学者の良心にもとるような、政府・企業を利する事実を捻じ曲げた学者の発言を実名を挙げてきちんと検証して論破している。
さらに「カネミ油症事件」も同じ構造でおこったものであるとして、薬害エイズ事件に至るまでなぜ同じことがくり返されるのかを考察している。そして、学者が本来の真理探究の姿勢を忘れてしまって、保身と自己栄達のために御用学者にならないように「学者ウオッチャー」を立ち上げたらどうかと提案している。一般人、ジャーナリスト、学者、企業人、行政官など立場を問わず発言の場を作り、討論し公開していく。それにより不誠実な学者は淘汰され、能力のある真摯な学者が残っていくのではと期待している。実際はそううまくは行かないだろうが、少なくとも今までよりは良くなるのではないだろうか。著者に満腔の賛意を表するものである。

本川達雄著「ゾウの時間ネズミの時間」

平成17年2月5日(土)
「ゾウの時間ネズミの時間」という本がある。著者は東工大の教授で生物学者であるが、1992年8月が初出版で好評らしく現在52版を重ねている。発売当 時から評判になっていたと記憶しているが残念ながらまだ読んでいなかった。今回初めて読んでみたが、実に面白い。もっと早く読んでおけばよかった。語り口 もわかりやすく、斬新な視点でとらえた新しい生物学だと感心している。たとえば、哺乳類ならヒトを含めどの動物も心拍数は20億回で寿命が尽きることや、大きい動物と小さい動物は総じて時間の流れるスピードが異なるなどの説を、なぜそうなのか事実をつみ重ねて丁寧に説明している。
こういう生物学なら面白いし中学生や高校生でも興味を持つのではないだろうか。従来の生物の授業は全然面白くなかったことを思い出してしまったが、学問に限らずなんでも面白くなければだれも本気で取り組まないし、発展もないだろう。医学も同じように、いろいろな視点から自由な発想で取り組んでいく必要があると思う。

国民衛生の動向

平成16年11月13日(土)
「国民衛生の動向」という本がある。厚生統計協会から毎年この季節に刊行されるのだがこれが実にすぐれもので、保健医療や生活環境などがよくわかる。たとえば「戦後における平均寿命の推移」という欄をみると、昭和22年の平均寿命は男50,06女53,96で10年後にはそれぞれ63,24と67,06さ らに10年後の昭和42年には68,91と74,15とすばらしい伸びを示している。前回書いた「人生わずか50年」はつい50年前までの話だったのである。ほかに離婚率の国際比較だとか人口動態職業別総覧だとか、よくぞここまでというほどなんでも統計を出している。手元に置いておくと結構便利だ。
土曜日なので夕方5時までであるが結構疲れた。まっすぐ帰ることにする。

食いたい放題

平成16年9月22日(火)
天高く馬肥ゆる秋である。ごはんがおいしい。体重の心配さえなければ飯をぐいぐい食ってみたい。現実には、ごはんにたどりつくまでにビールとつまみで八割方腹一杯になっている。そこで、茶漬けで一杯、漬物で一杯、いくらでも食べたいと思うがもう入らないのが実にくやしい。
色川武大という作家の著書に「食いたい放題」という秀逸な作品があったが、これを読むとこの作家は本当に食べることが好きなのだと思う。そして、その考えに共感する部分が多く、自分も同じ体質だと改めて思う。食いしん坊にとっては昼食は夕食を何にするか考えながら食べるので、その内容もそれによって決ま る。間食などすると夕ごはんが美味しくなくなるので、しない。当然体重が増えるだろうが秋である。美味しく食べられるうちが花だと思っている。

柳原和子著「がん患者学Ⅱ・Ⅲ」

平成16年7月22日(木)
「がん患者学Ⅱ・Ⅲ」を読了。作者の柳原和子氏は医療にも深い関心を持ってきたジャーナリストであるが、自ら母親が発症したのと同じ年(47歳)に母親と同じ卵巣がんになり、それも腹水や胸水がたまりほとんど絶望的な状態からよみがえり、渾身の力をこめて書き上げた作品である。
がんと宣告された時の気持ち、治療を始めてその苦しさと治療効果に一喜一憂する時、また医師との気持ちのつながり、代替医療にはしる思い、他の患者との交流、アメリカではどうなのかなど克明に記している。そしてその時々の心の動きを包み隠さず書いていて、読んでいると患者さんの思いは自分が想像していたのとは違うと感じることが多かった。みんな死と実際に向き合うまでは、そのことを考えずに生きていてそれが自然で健康なのであるが、一旦死が現実のものとなるとうろたえじたばたする。でも、死はすべての人に例外なく訪れる。今までに死んでいったすべての人は、一人一人さまざまな思いを抱えながら逝ったのだろう。
人は病気になった時に治してもらおうと医師にかかる。でも治らない病気もいっぱいある。特にがんは人を絶望的にする病気である。治らない、治る可能性がきわめて低いとわかった時、我々はどうしたらいいのだろうか。この著書で思ったことは、人は希望無しには生きられないということである。たとえ明日死ぬとわかっていても希望がなければならない。絶望的な病気の人に対して、おざなりでない希望を示すことができるのは、強さと深い人間愛がなければならないだろう。本当に難しいことである。著者は最近がんが再発したとあとがきに書いていた。私はただ祈るだけである。