平成18年10月11日(水)
現役の医師で作家の南木佳士の作品を愛読しているが、彼の作品に触れるたびに作家とはそうなるべく運命付けられた人だと思う。まず、ものを見る視点が違 う。そしてその視点は私自身が日頃忘れている、場合によっては無意識に考えないようにしていることがらを顕にし、日常生活の中で鈍磨した感覚を一時的にせ よ覚醒させてくれる。そうなんだ、自分もこういう感覚で世の中に相対していた頃があったんだとほろ苦い思いをよみがえらせてくれるのだ。さらに、作家は自 分の出自や思いを書かずにはいられない種類の人間である。どの作家もそうだろうが、生まれた環境と生い立ちは一人ひとり異なり、それゆえ一人の作家は広い 意味で一つの作品しか書けないしそれ以外は本物ではなく、それでいいのだと思う。
以前にも書いたが、下村湖人は戦前から戦後にかけて教育に携わったすぐれた仕事をした人であるが、やはり「次郎物語」に尽きるしこの作品は彼の全人生をか けた名著である。南木氏の作品もそれぞれのテーマは異なっているが底に流れる旋律は同じで、いつも静謐であたたかく、一方で繊細で危うさのある魂を感じさ せてくれる。優れた作家の作品に触れるのは幸せなことである。
カテゴリー 本
南木佳士氏の作品
磯田道史著「殿様の通信簿」
平成18年6月27日(火)
磯田道史著「殿様の通信簿」という本がある。ベストセラーとなった「武士の家計簿」の著者の作品であるが前作と同様に古文書をもとに江戸時代の各地の「お殿様」に対する幕府の評価と実際のところはどうだったのかなどを記していて面白い。
時代劇などで大奥で寝泊りして昼はあまりすることがないのでボーっとして過ごしている「バカ殿様」が描かれているが、それは事実だったらしい。無論全部の 殿様がそうではなく一部ではあったようだが、実際お家を存続させるためには「殿様」はお家の象徴であり、なまじ政治に口出したりせずそういうことは優秀な 部下たちにまかせて子作りに励んで習い事でもしておいたほうがよかったのである。だから「能」好きな殿様が実に多かったそうである。
考えてみれば「殿様」はあまり面白くなかったのではないだろうか。お家を創るまでは実力も運も必要で、うまく「お家」ができるのはまさに僥倖でありそれだ けに喜びも大きかっただろう。しかしひとたび「お家」が確立してしまえば「お家の存続」だけが必須となり、前記のようなことになるのである。これは武士の 世界に限らず商人の世界でも同じようで、「船場」のことを描いた山崎豊子の小説を読めば、戦前までの「老舗」の存続のさせ方は武家の「お家」の存続のさせ 方と実によく似ていると思うのである。
岩波明著「狂気の偽装」
平成18年5月31日(水)
早いものでもう5月も今日で終わりである。一ヶ月など瞬く間に過ぎ去ってゆく。
精神科医の書いた「狂気の偽装」という本によれば、「多重人格」「アダルトチルドレン」などの概念は北米を中心とした医学会の説であり、欧州では否定的見解も多いとのことである。さらに、PTSDは唱えられだした当初は「心的外傷症候群」だったのがいつのまにか「外傷症候群」と「心的」が抜けて本来の意味 からはずれたものをマスコミが使っていることなどを書いていて、なかなか興味深く読むことができた。また、フロイトの学説は疑問点が多いにもかかわらず、 いまだに精神医学の世界では影響力があることも述べられており、納得することが多かった。精神の領域は数値化も映像化もできないので、解明が難しい分野で ある。むしろ機械文明のない昔の方が精神については今よりもよくわかっていたのではないだろうか。
福田和也著「悪女の美食術」
平成18年5月17日(水)
このところ雨の日が続く。梅雨に入ったのかと錯覚しそうだが、気象庁は「プチ梅雨と思ってください」とのこと。いずれにせよ雨が続くとうっとうしい。
評論家福田和也氏の「悪女の美食術」を読むと、評論家という人種がいかに凝り性で興味のあるものに対してしつこく追求するのかがわかって面白い。福田氏は じつにりっぱな食いしん坊であり、食に対するこだわりを極限まで追求している。酒に関してもソムリエよりも知識と経験が豊富なようである。加えて「うつ わ」に対する造詣も深く、フランス料理、中華料理、日本料理などの文化的背景については評論家だけあって詳しい。世界中どこにでも食べに行く行動力もたい したもので、総合的に見て彼に対抗できる食通はなかなかいないのではなかろうか。
精神科のクリニックが増えた
平成18年4月25日(火)
昨日中区袋町東地区医師の集まりがあったが、あらためてこの狭い地区に50施設以上の医療機関がひしめいている凄さを実感した。多くは個人の開業医である がそれにしても医院超密集地区である。そしてこのなかに精神科のクリニックが4施設以上あり、これからもっと増えていくことが予想されるらしい。受診され る患者さんの多くはうつ病やうつ傾向だそうで、都市部に住んだり生活していくことがいかにストレスにさらされてるか想像される。
生きていく上で競争は必要だがあまりに効率にはしるとかえってよくない。最近話題になっている「国家の品格」という本で数学者の藤原正彦氏は欧米の、特にアメリカの効率主義の弱点や欺瞞性をするどくつき、日本は欧米に追随することをやめて我が国が昔からはぐくんできた繊細で高尚な精神世界をとりもどすべきだと説いているが、まことにそのとおりである。戦後あらゆる面でアメリカを手本にしてきたつけがまわってきているのだと思う。
黒鉄ヒロシ著「毎日クローがねえ」
平成18年4月19日(水)
診療日誌を始めてもう2年になる。このように長くなると、次第に書くネタに困るようになってくる。
昔、黒鉄ヒロシという漫画家の「毎日クローがねえ」という秀逸なエッセイ集に次のような話があった。「漫画を連載しているといつもアイデアを出すのに苦労 する。アイデアはいいものから順に、ダイヤモンド、金、銀、銅、石ころと称しているがプロなら最低でも銅でなければならない。でも時に石ころのことがあ り、これが続くと掲載中止になり生活の糧が絶たれ路頭に迷う。とはいえなかなかいいアイデアは浮かばず、さんざん苦労してやっと深夜に金だ!と思っても翌 日になってみるとせいぜい銅のことが多い。ただ長年やっていると銅のあり場所はだいたいわかっているので、いいアイデアが浮かばない時はそこへ行って取っ てくる」とのこと。
私の場合はプロでもないしこの日誌を見る人は少ないと思われるが、なんとなくその感覚がわかるような気がする。つまり、ネタがないときはあそこへ行けば何 かあるぞという場所が2年も書いているといくつか見つかっているのである。でもだれにも教えてやらない(だれも聞いてこないか)。
食のエッセイ
平成18年3月24日(金)
食のエッセイの名著といえば壇一雄の「美味放浪記」が好きであるが、最近見つけた著名なジャーナリストで作家の徳岡孝夫著「舌づくし」もすばらしい。食の評論家(最近ではフードジャーナリストと称しているらしい)の「どこそこの店がうまい」などの通り一遍の文章とは違って、その時々の作者の人生に深くかかわった食にまつわる話がなんとも秀逸である。人は食なくしては生きていけないのであり、それ故食をおろそかにすることは短い人生無駄にするに等しいのでは ないだろうか。自分の場合は単なる食いしん坊にすぎないのだけれど。
「甃のうへ」に寄せて
平成18年1月17日(火)
ここしばらく暖かい日が続いている。私自身もいつものペースに戻ってきた。
年末に文春新書から「わたしの詩歌」という本が発刊された。作家や評論家、俳優などが心に残る詩や歌を挙げてエッセイ風に書いたもので、中には私の好きな詩もあってなかなか面白かった。自分では三好達治の「甃のうへ」という詩が好きであった。高校の教科書に載っていた詩であるが、青春の息吹をまぶしく感じながら孤独な自分を見つめている、それでもなお春の明るさはかなさを味わっているところにひかれたものだ。あまりに気に入ったので、曲をつけて一緒に音楽をしていた同級生や音楽部の顧問に披露したことを思い出す。その後、多田武彦という作曲家が男声合唱曲にしていることを知り、聞いてみると実に快くさすがにプロはすばらしい(多田氏は本業は銀行家、作曲は余技であるが根強い人気がある)と思ったものである。
里見真三著「すきやばし次郎旬を握る」
平成17年12月17日(土)
今日は雪混じりの寒い日で道行く人も寒そうである。
若い頃は肉が好きで魚よりも肉、特に牛肉に対しては憧れに似た想いがあった。ところが次第に肉よりも魚が美味しいと思うようになり、今では鮨が大好物になってしまった。
今、手元に一冊の本がある。里見真三著の「すきやばし次郎 旬を握る」という江戸前鮨、日本の鮨のバイブルのような本であるが、内容がすばらしく何度読ん でも飽きない。現代の名工に選ばれた稀代の鮨職人である小野二郎の話と仕事ぶりを、今は故人となった食の評論家の著者がたっぷりの写真を使って紹介してい る、全国の鮨屋がこっそり買って読んでいるといわれている名著である。これを読むと魚介類の選び方捌き方、一貫の鮨になるまでどれくらい手がかかるかがわ かって、あらためて日本の職人芸のすごさを感じるのである。美味しい鮨が高価なのは仕方がないとも思ってしまう。このような繊細な和食の文化は世界中でも 稀なのではなかろうか。これを書いていると鮨が食べたくなってしまった。
本川達雄著「おまけの人生」
平成17年10月28日(金)
「ゾウの時間ネズミの時間」を読んで以来ファンになった生物学者、本川達雄氏の最新エッセイ集「おまけの人生」を見つけた。読んで共感を得る部分が多くますますファンになったのであるが、その中に著者が永平寺が主催した「道元フォーラム」に呼ばれて講義した内容が載っていた。これがすばらしいもので、時間についての著者の生物学的思考と道元の「正方眼蔵」に述べられた哲学との重なるところを解説しており、あらためて曹洞宗の開祖である道元は偉大な哲学者でもあったのだと思った次第である。
歴史に名を残すほどの人物はやはりすごい。さらにそれを自分の言葉で解説している著者もただものではない。世の中には我々凡人にははかり知れない巨人ともいうべき人がいっぱいいるものだと思った次第である。