カテゴリー 本

近藤誠氏著「がん放置療法のすすめ」

平成24年8月24日(金)
慶応大学医学部放射線科の講師である著者の「患者よ、がんと闘うな」という本はベストセラーになり、これをきっかけにわが国の乳がんの手術が、乳房温存術という患者さんにとってQOLの高い方法に変わってきた。氏は世界中のデータと自身の診療経験をふまえ、がんについての合理的な理論を組み立て、「早期発見・早期治療」には根拠がないことを示した。これにきちんと反論できる医師は世界中にいないだろうが、医療経済の面からみると、この理論を認めてしまうと検診など医療経済が縮小されるので無視されるだろうと思っていたらやはりそうなっている。
さらに氏は健康診断(人間ドック)は寿命を延ばす効果はなく、むしろ無駄な検査や心配が増えて「百害あって一利なし」という。現在の医療は老化を病気にしているが、老化は治療できるものではないのでそのお金は介護に廻すべきだとも言う。そしてとうとう「がんは発生した時から他臓器に転移して治せないものと、一見がんのように見えるが転移しないものとがあるので、無駄な治療はせず経過を観察するだけの方が良い」という、がん放置療法を提言された。
氏はがんの治療のために侵襲の強い手術をしたり、抗がん剤を使うことによって患者さんが苦しむのをなんとか減らしたいと考えて、孤立を覚悟で提言しているのである。実際に氏の外来で経過を見てきたたくさんのがん患者のうちで「なにもせず経過だけ見てきた」150人のデータからみて、じつに説得力のある内容になっている。
氏は2014年には慶応大学病院を定年退職することになっていて、その後は診療には従事しないと決めておられるようだ。きっとあまりにわからず屋ばかりの医学会と、経済優先の業界周辺に嫌気がさしているのだろう。氏の提言・理論を全面的に肯定している自分としては、いつまでも発言を続けてもらいたいと切望するものである。

インフルエンザワクチンはいらない

平成24年7月27日(金)
表題は元国立公衆衛生院疫学部感症室長の母里啓子氏の著書の題名である。氏は医学部卒業後ウイルス学を修め、感染症の対策に一貫して携わってきた人である。現在B型肝炎の垂直感染を防ぐことができるようになったのは、母里氏たちの功績によるところが大きい。いわばワクチンのプロである。
氏によると、インフルエンザウイルスは変異が激しく流行に合わせたワクチンをつくることが難しいそうである。そもそも不活化ワクチンの外部に通ずる粘膜感染予防の効果は疑問視されているが、インフルエンザワクチンは不活化ワクチンである。一方、インフルエンザは高熱が出るとはいえただの「風邪」である。暖かくして安静にしておけば治る。一度かかると強力な抗体ができ、少々違う型のウイルスにも効果があり、流行があってもブースター効果でかえって抗体価が高くなる。インフルエンザのワクチンを打つ意味はない。まして副作用があるのである。母里氏は専門家として正しいことを発言しないのはよくないとの信念のもとに、逆風覚悟で発言しておられる。
日ごろからインフルエンザワクチンについて思っていたことと一致して、わが意を得たりという気持である。さらに氏は子宮頸がんワクチンについても、このワクチンは不活化ワクチンであり粘膜感染予防効果には疑問が残るとしている。もともとHPVは感染してもほとんどは消えてしまうウイルスであり、たとえ感染が持続して異形成となってもなんら害はなく、その後がん化しても早期発見すれば治療できるものなので、わざわざ高価なワクチンを打つ意味があるのかと述べられている。まさに的を射た提言で、医療者は傾聴すべきである。

フェルメール光の王国

平成24年7月13日(金)
17世紀のオランダの画家フェルメールは、現在世界中で最も人気のある画家ではないだろうか。かく言う私も本物を見たことはないが、光を巧みに表現した細部にわたって精緻な絵に惹かれていた。先年、東京で作品展が開かれたことがあったが、あまりの人気に行くのがためらわれた。作品の前でゆっくり観賞することなどできないだろうと思われた。ゆっくり見るためには作品が展示されている各国の美術館に行くしかないだろうと思っていた。フェルメールに関する本は多数出版されており、いくつかは読んでみたが内容がもう一つだと感じていた。
「生物と無生物のあいだ」「動的平衡」 などの著書で知られる生物学者福岡伸一氏の近著「フェルメール光の王国」は、4年間にわたってフェルメールの作品が所蔵されている美術館を訪ねてまわり、その地の歴史と合わせて考察・観賞した力作である。旅の後半で氏が生物学者になって以来、考え方のよりどころとなっている孤独な学者シェーンハイマーの生誕の地ドイツ(ワイマール共和国)を訪ね、新築されたベルリン国立絵画館でフェルメールの絵を鑑賞し同時に生前その業績が正当に評価されたとはいえない学者に思いを馳せる。
ここでは芸術と科学と哲学は混然一体となり、切っても切り離せないものだと納得させられる。ヨーロッパの歴史にはかなわないと感じるのも、氏の深い考察と筆力の賜物であると思う。

精神科医師の本

平成24年7月6日(金)
精神科セカンドオピニオン活動に携わり、自身でもクリニックをたちあげ薬を使わない治療に努めている医師、内海聡氏の近著「精神科は今日も、やりたい放題」は、精神科についての内部告発ともいうべき話が語られていて実に興味深い。
近年、精神科のクリニックが増え抗うつ薬が大量に処方されるようになったが、本当の意味での「うつ病」「そううつ病」「統合失調症(精神分裂病)」などが、こんなに高頻度に発病するはずがないと思っていたが、やはり欧米の巨大製薬会社の抗うつ薬、抗精神病薬の販売拡大との関連があったのかと納得した。抗うつ薬SSRIが国内で承認されて以来、売り上げはうなぎ昇りで同時に副作用も増えている。内海医師によると、これらの薬は効かないうえに副作用・依存性が強く、患者のためにならず製薬会社を利するだけだという。やや過激な発言であるが腑に落ちる部分もある。
そもそも精神疾患を薬で治すことが可能なのだろうか?先ごろ亡くなった北杜夫氏は自身の「そううつ病」を公表していたが、その状態になったらどうしようもなくなることがプロの作家の筆でくわしく描かれている。私も同様の病気の人を知っているが、一旦「そう状態」あるいは「うつ状態」になったらお手上げで、ひたすら普通の状態に戻るのを待つしかないことを痛感していた。本物の病気でもそうなのである。安易に薬を使わないようにするべきであろう。

ビッグファーマによるワクチンの普及

平成24年6月8日(金)
子宮頸がんのワクチン、インフルエンザワクチン、ヒブワクチンなど、近頃ワクチン接種を勧める報道が多くされている。毎年冬になると、マスコミはインフルエンザが大流行するという厚労省の発言を大きく報道し、結果多くの人がワクチンを接種するが流行せず掛け声だけに終わる。これらのワクチンは本当にメリットがあるのか疑問で、特に子宮頸がんのワクチンは値段が高価過ぎて問題外だと思っていた。
医師でグローバルに活躍している崎谷博征氏著「医療ビジネスの闇」は、近代医療がロスチャイルド財閥、ロックフェラー財閥が投資している巨大製薬企業(ビッグファーマ)によっていかに支配されてきたかをデータを示して述べている。この本は6章から成り、各章はそれだけで1冊の本が書けるくらいの内容があり、データの出典も明示した力作である。これを読むといままで疑問に思っていたことがほぼすべて氷解した。ロックフェラー財閥は第2次大戦後サンフランシスコに国際連合を創設し、下部組織のWHOやWTOを自身の石油と製薬の利益を拡大させる政治的道具として設立、配置した、とある。
WHOは中立的な機関だと思っていたがそうではないようである。バックに世界を支配してきた財閥がついているのであれば、いままでのWHOのふるまいも理解できる。たとえばWHOの唱える血圧の正常値の変遷やコレステロール値は、降圧剤・高脂血症薬の使用量を増やすためとしか思えない変更で、ビッグファーマの利益が増えることになる。また、その効果について疑問が出ている各種ワクチンもこれらの企業が製造し、世界中に販売を広げようとしている。わが国では子宮頸がんのワクチンは、まだメリット・デメリットが確定していないのに、厚労省が公費負担にして他国よりもはるかに高い値段で買っている。米国の忠犬ポチであるわが国は、ビッグファーマの戦略にうまく飲み込まれているのだろう。著書の内容をすべて鵜呑みにするわけではないが、腑に落ちることが多く医療関係者にも読んでもらいたい本である。

高見浩氏の名訳「羊たちの沈黙」

平成24年3月29日(木)
トマス・ハリスのサイコスリラー「羊たちの沈黙」は映画にもなった作品であり、その後に続く「ハンニバル」、「ハンニバル・ライジング」と合わせて読むと一層面白い。この本の前に書かれた「レッド・ドラゴン」を加えて4部作となってはいるが、モンスターと言うべきハンニバル・レクターが主人公になっているのは「羊たち…」以降の3作品である。
初めて「羊たち…」を読んだ時には、人物描写の巧みなことやその魅力、物語の流れなど実に面白かったが、翻訳の文章のこなれてない硬さが気になった。明らかに誤訳と思われる文章もあり、日本語としてもおかしなところがあった。その後しばらくして続編「ハンニバル」が発売されたがこれは気持ちよく読めた。翻訳者は前作とは異なっていて高見浩氏とのことであった。日本語としてもすばらしく、まさに名翻訳者であると思った。続いて出た「ハンニバル・ライジング」も同じく高見氏の翻訳で優れていて、連作なのに「羊たち…」だけが明らかに劣っているのが不満であった。
最近、高見氏の翻訳の「羊たちの沈黙」が出たので早速読んで見たが、素晴らしい翻訳で長年の不満が解消された。翻訳とは難しいもので、単に言葉を変えるだけでなく、その背景の宗教・文化・その国の社会常識・考え方などをふまえたうえで変えなければならない。さらにその国のアルファベットなどの文字を使った言葉・文字遊びやスラングも知っておく必要がある。そして最も大切なことは日本語の文章表現が的確にできなければならないことである。高見氏の翻訳はこれらをすべて備えた稀有な一級品であると思う。

中村仁一著「大往生したけりゃ医療とかかわるな」

平成24年2月23日(木)
著者の中村医師の父親は、医者になりたくて苦学していた20歳の時に、受診した眼科で目薬と消毒薬を間違えて点眼され失明したためあんまの技術を身につけてやっと一家を養っていたが、著者が高校生の時に心筋梗塞で亡くなった。それもあって著者は医者になろうと思い京都大学医学部に合格したが学費も生活費もなく、すべてアルバイトで頑張って卒業し医師になった。その後病院の院長を経て現在、特別養護老人ホームの医師をしている。市民グループ「自分の死を考える集い」を主宰して16年になるという。
著書の中で、「生、老、病、死」は避けられないことだから、さからわず受け入れていくことがすべてだという。生き物は繁殖し、繁殖を終えたら死ぬのはあたりまえで、それにさからうことは不可能である。ホームで何百人もの自然死を見ていると、病院で医療を受けつつ死ぬよりはるかにやすらかに逝けることがわかる。医療にかかわらない方がいいのである。死は怖くないことがわかれば死を正面から見つめることができ、だからこそ「今」を精一杯生きようとすることができる、とユーモアを込めて説く。
医療の限界を知ってしまった著者は、生きることと医療のかかわりをまことに的確に述べている。さらにこの書は「老化」を治療の対象にしている現代医療へのアンチテーゼでもある。感染症やけがなどは原因を取り除けば治癒するが、「老化」による変化は治療できるわけがない。それを「生活習慣病」と称して賽の河原の石を積むようなことをしている現代医療と、それを信じて従っている人々に警鐘を鳴らしているのである。なかなかユニークな正鵠を射た考え方であると思う。

ビートたけし著「達人に訊け!」

平成24年1月26日(木)
北野武(ビートたけし)の著書はどれも面白いのでほとんど全部読んでいるが、彼が各分野のトップと対談する一連のシリーズは特に興味深い話が満載である。その中でも「達人に訊け!」はマスコミへの露出度がそれほど多くない達人が登場するのでいっそう面白い。日曜日の朝のテレビ番組「がっちりマンデー」に登場する社長さん達の面白さと共通するように思う。いずれも「その道」で頑張って人よりすぐれた技術を身につけ、成果を上げた人たちである。その人たちの話が面白くないはずがない。
「虫の達人」をはじめ宇宙、麻雀、字幕、数学、日本語、寄生虫、香り、競馬、金型プレスのそれぞれのトップの人たちとたけし氏の絶妙な会話は、それぞれの分野のエッセンスともいうべき本音を引きだす。それもビートたけしという特異なキャラがあってこそである。あとがきで氏は「本当にやりたいことをやるためには、まず目の前の長いハシゴを上らないといけないね。運のない人は、その努力を惜しむんだ」と書いているが、そのとおりだと思う。だれでも目の前の長いハシゴをのぼることができれば、その後はわりと自由にいろんな所へ行けるようになるだろう。もちろんハシゴの長さはそれぞれの能力や環境で違うだろうけれど。

養老孟司著「解剖学教室へようこそ」

平成23年11月15日(火)
養老孟司氏の著書を久しぶりに読み返してみたが、改めてその面白さに感じ入った。氏の文章は、本当はとても難しいことや複雑なことを簡潔に分かりやすく示してくれるので、なんだか自分が賢くなったような気がするが、これが氏の能力のすごさであろう。
「解剖学教室へようこそ」は氏が東大の解剖学の教授だった56歳のときに出版された。それから2年後大学を退官し、その後の活躍は世間の知るところである。学生時代、基礎医学の解剖学や組織学、ウイルス学や寄生虫学などは自分には全然面白くなく、これをやらなければ大好きな臨床に進めないので無理して頑張ったが、当時この本があったら解剖学にも興味がわいたかもしれない。
人体のマクロからミクロへ、生老病死とDNAの連続性、心とからだの関係など興味深い内容をさらりと説明して最後は宗教書のようである。この本の解説を僧侶がしているが、相通ずるものがあるのだろう。

「最後の昼餐」に寄せて

平成23年7月30日(土)
先日、本屋で宮脇彩著「ごはんよければすべてよし」という本が目にとまり、あることがひらめいて手にとってみたら思った通りであった。宮脇彩氏は、私がファンだった建築家でエッセイストの宮脇檀氏の娘さんだったのだ。
宮脇氏は残念ながら亡くなられているが、名著「それでも建てたい家」には、そうだったのかと膝を打つ内容が一杯書かれていた。曰く「男には書斎などいらない」「リビングルームは実はほとんど使われない、ダイニングルームを充実させるべきだ」などわが家をリフォームする際にも役に立った。
宮脇氏が咽頭がんで亡くなる直前に書かれた「最後の昼餐」という非常にユニークな本は、離婚後娘さんを男手一つで育て嫁がせた後、料理好きの著者が心ゆくまで料理をつくって楽しめる環境を作り、それを記した2年余りの情景が、ガールフレンドのイラストでまとめられている。都会のオアシスともいうべき空間を作り、休日には二人で、あるいは人を招いて料理を作って楽しみ始めた矢先に、病気の前兆が現れてきたことが淡々とした筆致で書かれている。特に癌が再々発して慶応病院に入院中に書かれたあとがきには、これからまだまだ楽しもうという気持ちがあふれていて、その後数か月で亡くなった経過を思えば言葉もない。
でも、その娘さんが父親のような生き方や食べることを大切にしたエッセイを出版しているのを見ると、親の思いは受け継がれていくのだと思ったことである。