カテゴリー 本

中村仁一著「大往生したけりゃ医療とかかわるな」

平成24年2月23日(木)
著者の中村医師の父親は、医者になりたくて苦学していた20歳の時に、受診した眼科で目薬と消毒薬を間違えて点眼され失明したためあんまの技術を身につけてやっと一家を養っていたが、著者が高校生の時に心筋梗塞で亡くなった。それもあって著者は医者になろうと思い京都大学医学部に合格したが学費も生活費もなく、すべてアルバイトで頑張って卒業し医師になった。その後病院の院長を経て現在、特別養護老人ホームの医師をしている。市民グループ「自分の死を考える集い」を主宰して16年になるという。
著書の中で、「生、老、病、死」は避けられないことだから、さからわず受け入れていくことがすべてだという。生き物は繁殖し、繁殖を終えたら死ぬのはあたりまえで、それにさからうことは不可能である。ホームで何百人もの自然死を見ていると、病院で医療を受けつつ死ぬよりはるかにやすらかに逝けることがわかる。医療にかかわらない方がいいのである。死は怖くないことがわかれば死を正面から見つめることができ、だからこそ「今」を精一杯生きようとすることができる、とユーモアを込めて説く。
医療の限界を知ってしまった著者は、生きることと医療のかかわりをまことに的確に述べている。さらにこの書は「老化」を治療の対象にしている現代医療へのアンチテーゼでもある。感染症やけがなどは原因を取り除けば治癒するが、「老化」による変化は治療できるわけがない。それを「生活習慣病」と称して賽の河原の石を積むようなことをしている現代医療と、それを信じて従っている人々に警鐘を鳴らしているのである。なかなかユニークな正鵠を射た考え方であると思う。

ビートたけし著「達人に訊け!」

平成24年1月26日(木)
北野武(ビートたけし)の著書はどれも面白いのでほとんど全部読んでいるが、彼が各分野のトップと対談する一連のシリーズは特に興味深い話が満載である。その中でも「達人に訊け!」はマスコミへの露出度がそれほど多くない達人が登場するのでいっそう面白い。日曜日の朝のテレビ番組「がっちりマンデー」に登場する社長さん達の面白さと共通するように思う。いずれも「その道」で頑張って人よりすぐれた技術を身につけ、成果を上げた人たちである。その人たちの話が面白くないはずがない。
「虫の達人」をはじめ宇宙、麻雀、字幕、数学、日本語、寄生虫、香り、競馬、金型プレスのそれぞれのトップの人たちとたけし氏の絶妙な会話は、それぞれの分野のエッセンスともいうべき本音を引きだす。それもビートたけしという特異なキャラがあってこそである。あとがきで氏は「本当にやりたいことをやるためには、まず目の前の長いハシゴを上らないといけないね。運のない人は、その努力を惜しむんだ」と書いているが、そのとおりだと思う。だれでも目の前の長いハシゴをのぼることができれば、その後はわりと自由にいろんな所へ行けるようになるだろう。もちろんハシゴの長さはそれぞれの能力や環境で違うだろうけれど。

養老孟司著「解剖学教室へようこそ」

平成23年11月15日(火)
養老孟司氏の著書を久しぶりに読み返してみたが、改めてその面白さに感じ入った。氏の文章は、本当はとても難しいことや複雑なことを簡潔に分かりやすく示してくれるので、なんだか自分が賢くなったような気がするが、これが氏の能力のすごさであろう。
「解剖学教室へようこそ」は氏が東大の解剖学の教授だった56歳のときに出版された。それから2年後大学を退官し、その後の活躍は世間の知るところである。学生時代、基礎医学の解剖学や組織学、ウイルス学や寄生虫学などは自分には全然面白くなく、これをやらなければ大好きな臨床に進めないので無理して頑張ったが、当時この本があったら解剖学にも興味がわいたかもしれない。
人体のマクロからミクロへ、生老病死とDNAの連続性、心とからだの関係など興味深い内容をさらりと説明して最後は宗教書のようである。この本の解説を僧侶がしているが、相通ずるものがあるのだろう。

「最後の昼餐」に寄せて

平成23年7月30日(土)
先日、本屋で宮脇彩著「ごはんよければすべてよし」という本が目にとまり、あることがひらめいて手にとってみたら思った通りであった。宮脇彩氏は、私がファンだった建築家でエッセイストの宮脇檀氏の娘さんだったのだ。
宮脇氏は残念ながら亡くなられているが、名著「それでも建てたい家」には、そうだったのかと膝を打つ内容が一杯書かれていた。曰く「男には書斎などいらない」「リビングルームは実はほとんど使われない、ダイニングルームを充実させるべきだ」などわが家をリフォームする際にも役に立った。
宮脇氏が咽頭がんで亡くなる直前に書かれた「最後の昼餐」という非常にユニークな本は、離婚後娘さんを男手一つで育て嫁がせた後、料理好きの著者が心ゆくまで料理をつくって楽しめる環境を作り、それを記した2年余りの情景が、ガールフレンドのイラストでまとめられている。都会のオアシスともいうべき空間を作り、休日には二人で、あるいは人を招いて料理を作って楽しみ始めた矢先に、病気の前兆が現れてきたことが淡々とした筆致で書かれている。特に癌が再々発して慶応病院に入院中に書かれたあとがきには、これからまだまだ楽しもうという気持ちがあふれていて、その後数か月で亡くなった経過を思えば言葉もない。
でも、その娘さんが父親のような生き方や食べることを大切にしたエッセイを出版しているのを見ると、親の思いは受け継がれていくのだと思ったことである。

文芸春秋7月号

平成23年6月17日(金)
文芸春秋7月号の特集は「大研究 悔いなき死」である。その中で、大津秀一医師の「ホスピスで見た1千人の死、最後の言葉はありがとう」の文章は興味深い。
人は死期を悟ったら最後は従容として従うようである。その心境にいたるまでにどんな葛藤があったかは誰にもわからない。少しでも生の望みがあればどんな苦痛にも耐えて治そうとするだろう。がんを切除する手術、抗がん剤治療を受けることなどがそうである。それらが無効だとわかると、すべてをあきらめ次第に衰えていき、最後は穏やかな死を迎えるようにみえる。でも本人の心の中はだれにもわからない。生老病死は必然であり、死ぬときは一人である。だからこそ生きている間は人とつながりあって生きたいものなのである。

桃の節句

平成23年3月3日(木)
桃の節句。暖かい日が続いていたが、また寒さがぶり返してきた。これをあと2~3回くり返したら春になる。まことにわが国の季節のうつろいは風情がある。昔から季節の節目にささやかなお祝いをして寿いできた。あと数日で啓蟄である。
国会でも、相撲界でも、入試でもおかしなことが起こっているようだが、それらをすべて飲みこむように季節が過ぎて行く。きっと人生もそのように過ぎて行くのだろう。その場その場で懸命に生きているうちに、ふと振り返ると自分の来し方の概要が見えてくる。それをどう感じるかは人それぞれだろうが、どうであれ今この時が現実なのである。
青春期に愛読した「次郎物語」のなかに、やはり思春期の次郎が進むべき道について考える場面がある。人は生まれおちた時から進むべき道、到達点などすべて運命づけられているのではないか。そして「努力」というのは、運命づけられたわずかな道幅のなかの移動にすぎないのではないか、と。さらに、次のようにも考える。生まれた時を円の中心として到達点を円周とすると、考え方や努力などによってわずかな方向の違いでも、円周に到達したときには大きな違いがあるのではないか、と。また、円周に到達すれば、「運命」から解放されて自由になれるのではないか、と。
季節の移ろいを感じていたら、久しぶりに昔の頃のことを思い出した。そしてその考え方は今も変わっていないと思うのである。

妻の肖像

平成23年1月12日(水)
ジャーナリスト徳岡孝夫氏の「妻の肖像」という著書がある。45年間連れ添った奥様が、腎臓の腫瘍で数カ月で亡くなられたのを契機に、氏の人生、奥様との出会い、家族との生活、妻亡き後の想いなどが淡々としたためられていて心打たれる。
著書の中に「人間はこの世に生きて何をするか?私はまだ終わりきらない自己の人生を顧み、『死者を悼むこと。子を産むこと。それ以外はなにも大切なことはない』と感じる」とあるが、新聞記者として、ジャーナリストとして、作家としてすばらしい仕事をしてきた氏の言葉だけに、いっそう重みがある。また、妻との45年間の生活は一瞬のことだったと回想して「人の一生は邯鄲一炊の夢である」という。まさにその通りだと思う。そしてその中にこそ人生の喜びや悲しみがつまっているのである。自分が老いて死ぬときにはどんな心境になっているのだろうか。

夏の終わり

平成22年8月18日(水)
お盆も過ぎて心なしか日差しが柔らかくなったように感じるが、暑さは一層きびしくなっている。夏の終わりはもう始まっていて、秋の気配があることを本能が教えてくれている。子どもの頃、夏休みの終わりに感じていた物悲しさがよみがえってきたようだ。
数学者藤原正彦氏の対談集「日本人の矜持」を読んで、あまりに面白かったので「若き数学者のアメリカ」「遥かなるケンブリッジ」を読み返しているところである。これらを読むと、やはり日本に生まれて本当によかったと思う。昨今のわが国の自信のなさや、首相をはじめ政府首脳の近隣諸国への卑屈なまでの態度に怒りを超えて悲しみさえ覚えていたが、少しほっとしたところである。

山本七平氏の本

平成22年7月26日(月)
自宅の押し入れにしまっていた本を整理していたら、山本七平著「私の中の日本軍」が出てきた。かつて氏の著書「日本人とユダヤ人」に感心して以来、「ある異常体験者の偏見」「日本教について」など熱心に読んでファンになっていたが、ベストセラーになった「日本人とユダヤ人」について批評した浅見定雄著の「にせユダヤ人と日本人」も名著であると感服したことなどを思い出した。
「私の中の日本軍」はいま読み返してみても、よくこれだけ過去のことを覚えているものだと驚嘆する。同じ体験をしても、それをどのようにとらえているかは個人個人で違うとおもうが、山本氏のとらえ方はすごいものがある。さすがに一世を風靡しただけのことはあると、しみじみ思った次第である。

松本方哉氏の「妻が突然倒れたら」

平成22年3月9日(火)
今日は朝から雨が降っている。寒さがぶり返してみぞれ交じりになったようだ。明日は雪になるかもしれない。
少し前までフジテレビの「ニュースJAPAN」のキャスターだった松本方哉氏の「突然妻が倒れたら」という本を読んだ。最近テレビで見かけないなと思っていたが、奥さんが最重度のクモ膜下出血で看病、介護など大変だったことがわかった。核家族化が進んだ今の社会では、家族にこのような事態が起こったら、仕事をやめるか制限しないと介護はできないということがよくわかった。
病気にせよ事故にせよ、いつでも誰にでも起きることである。人ごとだと思ってはならない。だからといってどのような準備をしておけばいいのかわからない。これからも「介護」が最も必要な社会になっていくことは間違いないことだと思う。次の参議院選挙では介護をまじめに考えている人に投票しよう。