カテゴリー 本

山崎豊子氏の作品

平成25年10月4日(金)
話題作を量産した作家、山崎豊子氏が亡くなった。氏の作品を初めて読んだのは高校時代、「白い巨塔」「続・白い巨塔」で、大阪大学をモデルにしたことがすぐにわかる「浪速大学」が舞台になっていて面白かったのだが、医学部を目指していた自分としては大学病院というのは怖いところだと思ったことである。話のポイントは財前教授が癌を見逃したために患者が亡くなるというところであるが、この点には疑問符がつくが細かい点がきちんと描かれていて今読んでも新鮮である。その後盗作問題などが話題となって、この作家に対して興味を失っていた。
十数年前、ふと本屋で見つけた吉本興業の創業者「吉本せい」をモデルにした「花のれん」を読んで面白さにはまって、文庫本になっている作品はほぼすべて読んだ。大阪商人でも特権階級といわれた「船場」で生まれた作者は、さすがにこの分野は詳しく思い入れもあり実に興味深く読ませてもらった。最も面白かったのは足袋問屋の後継ぎ息子の、家つき娘だった母、祖母たちとの葛藤を芯に、その成長と放蕩を描いた「ぼんち」で、この人でなければ書けない作品だろう。それにしても力のある作家だったと思う。合掌。

井川 樹著「ひろしま本通物語」

平成25年8月22日(木)
本通りの近くに開業して16年、いつも身近に感じていた「本通り」の本が出版された。著者は広島に住んで30年、広島一、中四国一の商店街でもある「本通り」を愛する一市民、消費者として著したという。
「本通り」は旧山陽道「西國海道」にほぼ重なっており、現存する最も古い赤松薬局は、広島城が築かれた1615年に現在の場所に店を構えている。浅野家の広島入府に従って、和歌山から大勢の商人が追随した。とらや、みたや、てんぐ、永井紙店、おくもと、などがそうである。当時から商業地として栄えており、明治、大正、昭和と次第に現在のような商店街になってきた。原爆による壊滅にもかかわらず、関係者をはじめ多くの人の努力により復活し、週末ともなると1日10万人が繰り出す繁華街になっている。クリニックの近くにある「アンデルセン」は本通りのランドマークとして、買い物、食事、会合などに重宝している。
他にも「本通ヒルズ誕生の秘密」「ひろしま夢プラザはなぜ成功したか」「裏袋から見た本通り」などの章があるが、興味深いのは本通りの商店を克明に記した地図が、「被爆前」「昭和32年頃」「平成12年」「現在」と時代別に掲載されており、商店そのものの変遷が一望できることである。開業したばかりの頃足繁く立ち寄っていた「丸善」もずいぶん前になくなった(最近、天満屋の跡に復活しているが)。この店は3階まである本屋だったが、2階には紳士用品の店と本通りを眺めながらうまいコーヒーの飲める喫茶室あり、よく利用したものだった。こんなことを思い出すことができたのも、この本のおかげである。

南木佳士の著書

平成25年7月19日(金)
医師であり芥川賞作家、南木佳士の著作は、受賞作「ダイヤモンドダスト」以来、ほとんど読んでいる。群馬県の寒村で生まれ、3歳の時に母親を結核で亡くし祖母に育てられた。中学2年の時に東京郊外の再婚した父親のアパートで孤独な日々を送りながら医師を目指して受験したが、不合格。1浪して秋田大学の医学部に進学、卒業後は郷里に近い長野県の佐久総合病院に勤める傍ら著作を始める。独特の視点ときめの細かい文章で、一定のファンを獲得している。年齢は私より1歳上で、共感を覚える部分が多く、特に精神的に落ち込んでいる時に読むと慰められるやさしさがある。
これらの著作を読んでいていつも思うのだが、優れた作家は書きたいものがあり書かずにいられないのである。それにしても著作だけで生活していく作家は、職業として成立させるのは難しいだろう。特に活字離れの進んだ現代では稀有な存在になっているのではなかろうか。

鮮やかに生きた昭和の100人

平成25年7月11日(木)
表題の本は文芸春秋90周年記念に5月臨時増刊号として発刊された。昭和の時代に活躍し、現在は亡くなられた100人の写真と紹介文を1冊にまとめたものである。昭和天皇をはじめ、作家、政治家、芸能人、スポーツ選手、財界人などいずれも昭和を代表する人たちである。写真を見ながら文章を読んでいると、その当時の生活の日々が思い出されて感慨深いものがあった。
もちろん、この人たち以外に優れた人は大勢いただろうし、無名でもすばらしい生き方をした人はもっとたくさんいただろう。それらの人たちの中でたまたまスポットライトがあたった100人というわけである。写真を見て共通していると思ったのは、どの人も姿かたちが良く加えてたたずまいに魅力があるということである。やはりどの分野であれ「魅力がある」ことが一番だと思ったことである。

超音波検査の安全性

平成25年6月21日(金)
慶応大学客員教授、名取道也氏による上記表題の講演があった。超音波検査は産婦人科、特に産科にとっては必要不可欠のもので、これがなかったら日本中の産科医療はストップしてしまう。自分が医者になった頃、非常に原始的な装置が開発されたが、当時の装置は使い物にならないくらい解像度が低いものだった。でもX線検査やCT検査のような被爆の心配もなく、大がかりな設備も不要で使いやすいことから特に産科領域で爆発的に発展してきた。
超音波の安全性に関しては今までなにも心配したことはなかった。以前と比べて最近の装置は非常にクリアに見えるようになっていて、技術の進歩は素晴らしいと感じていたがその分音波のエネルギーが増しているという。通常の使い方では全く問題はないが、パルスドップラー法は一点に圧が集中するのでかかりすぎないように注意した方がよいとのことである。確かに泌尿器科で使う結石の破砕装置は超音波を使うが、それぐらい強いエネルギーがあるということだ。最近の診断装置がよくなったのは圧を強くしているからだろう。もちろんそのために圧を示す表示があり、それを確認しておけば問題ないようになっているとのことであるが。
自分の所ではパルスドップラーを使っていないのでほっとしたが、新しい視点から超音波検査を考えるきっかけになった。

写真集「文豪の家」

平成25年6月14日(金)
明治から大正、昭和中期ごろまでの情報のメインは新聞と本(出版)だった。ラジオ、テレビ、インターネット・スマホが中心の現代からは想像のつかない時代だった。人々は出版物を通してしか世の中の流れを知ることができず、だから執筆者である作家たちがオピニオンリーダーであり、仰ぎ見る知的スターだったのだろう。人気作家の地位は今よりはるか上だったと思われる。
文芸評論家で早稲田大学の教授の高橋敏夫氏、同講師の田村景子氏らの写真集「文豪の家」は坪内逍遥、夏目漱石から松本清張、井上靖まで有名作家36人の住んでいた家(再現されたものも含む)の写真、見取り図、関連した写真などを詳しい説明文と共に掲載している。生まれ育った家はその人をかたちづくる最大の要素であり、一家をなした後に住む家もその人をあらわしている。
以前、週刊文春に「家の履歴書」という興味深い連載があったが、これは各界の著名人が自分が生まれ育った家やその後住んだ家を回想し、家の図を載せて解説するというものだった。「文豪の家」は写真集なので眺めていると想像がひろがり、いっそう興味深い。

「解剖学はじめの一歩」

平成25年4月3日(水)
表題は東大医学部の超人気講座をそのまま本にしたもので、13章で構成されており実にわかりやすく簡潔にまとめられたすぐれものである。たまたま見つけて読んでみたがその面白さと内容の深さに脱帽した。
著者は坂井建雄教授で、あの養老孟司教授のあとを引きついで東大医学部健康総合科学科で解剖学を教えて18年、他学部の学生まで聴きに来る超人気講義となり、請われて講義を録音してそのまま本にしたものである。人体の仕組みを簡潔にまとめているが、その背景には膨大な知識と研究成果が感じられ、優れた人は難しいことをわかりやすく説明できるものだと思ったことである。遥か昔、学生時代の解剖学の講義にこのような講座があったら、ちっとも面白くなかった解剖学が好きになっていただろう。人体の関するさまざまな知識の断片がみごとにつながり、人体が動き出すようなそんな気持ちになったに違いない。医療職をめざす人だけでなくそれ以外の人でも必携の書物である。

作家「団鬼六」と大崎善生著「赦す人」

平成25年2月6日(水)
NHKに「ファミリーヒストリー」という番組がある。著名人のルーツを調べ、映像にまとめて本人に見せて感想を聞くという趣向であるが、本人も知らなかった事実が発掘されたりして本人も驚くことがあり面白い番組である。
平成23年に亡くなった団鬼六氏は知る人ぞ知るSM作家であるが、将棋に精通しておりプロアマを問わず棋士たちとの交流を描いた秀逸なエッセイを数多く残している。氏のSM小説「花と蛇」は代表作と言われ映画化されてもいるが、私が興味を持ったのは氏のさまざまなジャンルの人たちとの交流を描いたエッセイ群である。ハチャメチャな父親とのさまざまなエピソード、大学時代のフランス語の教授との交流をはじめ、芸能人から裏社会の人まで相手を問わず面白く付き合っていく姿勢に、人間の大きさや懐の深さが感じられる。
氏が亡くなった翌年に、その生涯を描いた大崎善生著「赦す人」という優れたノンフィクション作品が出版された。著者の大崎氏は、広島出身の夭折した棋士村山聖氏の評伝、「聖の青春」で作家デビューした人である。大崎氏自身の作家になるまでの紆余曲折も興味深いが、なにより将棋を通じての団鬼六氏との交流があっての作品で、読んでいるとまさに「ファミリーヒストリー」を連想させる部分もあり実に面白い。大きな人間というものはまだまだ奥が深く、書かれていないこともたくさんあると思われるが、人の生きた軌跡は興味深いものだと思ったことである。

曽野綾子著「この世に恋して」

平成25年1月17日(木)
作家・曽野綾子氏は本人はきっとそう思っていないだろうが、わが国で最も著名なオピニオンリーダーである。氏は産経新聞に執筆枠を持っていて、エッセイ風にさまざまな意見を述べておられ、その地に足のついた的確な内容に共感することが多い。夫君の作家、三浦朱門氏は曽野氏と結婚した頃いつも「妻をめとらば曽野綾子」と言っていたそうだが、なるほど氏ほど「才たけて、見目麗しく情けある」という言葉が当てはまる人はいないように思われる。日頃から氏のファンゆえ色々な著書を読んでいたので、だいたいは知っているつもりでいたが、今回、表題の著書を読んでみて一層その人となりが感じられファン度が上昇した。
読んでいて思ったことは、氏のバックボーンはカトリック教への信仰と母親からの深い愛情としつけではないだろうかということである。それに加えて氏の聡明さとまじめさ、他に頼らない自立心などが核となり、世に出た後さまざまな経験を経て、もちろん夫君の大きな愛情に恵まれて今があるのだろう。私などが言うのもおこがましいが、世の中には多くの優れた人がおられるが、なかでも氏は最右翼のおひとりであろう。

四季の味

平成24年9月28日(金)
季刊誌「四季の味」は食の奥深さを教えてくれるので、春夏秋冬、それぞれの号を買ってクリニックに置いている。毎号面白い記事が満載であるが、その中で金沢の料理屋「銭屋」の主人のエッセイ「銭屋の勝手口」は軽妙かつ深みのある文章で、毎回楽しみにしている。
今回の話題は、28年前にパリの大学で日本文化を学んでいたパリゼンヌが「銭屋」に1カ月ホームステイしたところから始まる。日本酒の旨さに驚き、日本文化を知れば知るほどすっかり日本を好きになった彼女は、大学卒業後は日本企業で仕事を始め日本に定住してしまい、グラフィックデザイナーの岡達也氏と結婚して会社を立ち上げ、実業家として活躍しているそうである。和服にもはまって、とうとう「パリゼンヌの着物はじめ」という本まで出しているという。
その彼女が毎年「金沢おどり」の時期に、見事に和服を着こなして銭屋のカウンターで食事する姿を見るのが楽しみだという。人と人との縁というものの面白さを表した文章を読むにつけ、「銭屋」を訪れてみたいと思うようになっている。以前、金沢を訪れた時は「みつ川」「つる屋」に行ったが、次に行く機会があればぜひ「銭屋」のカウンターに座ってみたい。