カテゴリー 本

「犬と自然は生涯の友」

令和7年11月8日
表題は内科医院を営む傍ら、愛犬を愛し、自然を愛し、人生を深く楽しんで生きてきた永山巌医師が80歳を迎え、医院を息子に譲り(週1回の診察もやめて)完全隠居となったのを期に、自分の来し方をふり返った自伝である。偶然本屋で見つけ、面白そうなので購入して読んでみた。
著者は6人兄弟の5番目で、弟が1人と兄が3人、姉が1人いて弟と特に仲が良く兄も弟も優秀で羨ましく思っていた。著者が高校2年生の時、公務員の父が居眠りトラックにはねられて亡くなった。1浪して東北大学法学部に入学したが肺結核になり2年間休学、治ってから復学したあとは特別奨学金と家庭教師で仕送りなしの学生生活を送った。この時が人生で最も苦しかったそうだが、卒業後全日空に就職して仕事が面白くなった頃、知人の紹介で見合いをして最愛の妻を得る。子供たちも生まれ順風だったころ、医学生だった妻の兄が病気になり回復の難しい状態になった。栃木県で内科医院を営んでいる妻の親は、跡継ぎになってほしいと頼んできた。一度は断ったものの、熱意に負けて医学部に入学して医師になり、学位を取り義父と一緒に仕事を始めた。このころ養子になって永山家を継承することにした。
結婚して大好きだった犬を飼い始め、全日空時代に誘われて始めた山登りも再開した。また結核で入院していたころに本で始めた囲碁も頑張った。休日は渓流釣りに情熱を燃やし、山小屋を建てて渓流釣りの拠点にしたり、アウトドアと囲碁でバランスよく楽しんだ。猛禽類を撮影することにも情熱を傾けた。
75歳の時、永山医院を次男に継承して週1回だけ診察していたが、80歳になり完全引退、山登りと渓流釣りと囲碁は現役で続けている。素晴らしい人生で読んでいるだけで楽しい。まさに人生の達人である。

「石原家の兄弟」

令和7年10月31日
表題は石原慎太郎氏の4人の息子が両親の思い出をテーマを決めてそれぞれが綴った新刊書である。慎太郎氏は好きな作家で、大抵の著書は読んでいる。最後まで創作意欲は衰えていなくて感心していた。氏の息子たちもそれぞれが世に出てそれなりの地位を築いている。大人物の子供であってもひとかどの人物になるのは難しいと思うが、4人ともそれぞれちゃんとしていて凄いとしか言いようがない。
作品は11章からなり「母典子によせて」「父慎太郎が逝った日」「叔父裕次郎の思い出」「家」「海」「お正月」「教育」「仕事」「結婚」「介護」「相続」これらのテーマを伸晃・良純・宏高・延啓の4人の兄弟がそれぞれ3000字の原稿を書いていて、家族の貴重な写真も載せていて興味深い。自分が想像していたとおりのように感じたのは、慎太郎氏の著書やエッセイに親しんでいたからだろう。この本をもって慎太郎氏の幕は降りたのだと思う。

「アンクルトリス交遊録」

令和7年10月10日
表題は寿屋(現サントリーHD)の広告デザイナーで作家、柳原良平氏の著作である。1,976年初版で今回の文庫本はその復刻版である。半世紀以上前にはテレビコマーシャルで「赤玉ポートワイン」「トリスウイスキー」のアニメが流され、小学生だった自分はそれを見るたびに「飲んでみたい、きっとうまいんだろうな」と思っていた。あの独特なタッチのアンクルトリスの顔がウイスキーを飲むほどに赤くなっていく(カラーではないのにそう見える優れものである)様は今でも脳裏に浮かぶ。寿屋が発展していく大きな力になったのは事実である。後に直木賞作家になる山口瞳氏の「トリスを飲んでHawaiiへ行こう」のコピ-は一世を風靡した。芥川賞作家になる前の開高健氏も宣伝部で活躍していた。皆昭和ひとケタ生まれでほぼ全員が鬼籍に入ってしまったが懐かしいので思わず買ってしまった。
日本が戦後、素晴らしい勢いで回復し発展していく原動力を担った人たちの熱い思いが伝わってくる。終わりに著者と山口瞳氏の増補、サントリーHD会長の佐治信忠氏の特別寄稿文もあり、楽しく懐かしく読ませてもらった。

「日中外交秘録」

令和7年9月19日
表題は在中国大使として活躍していた垂秀夫(たるみひでお)氏の回顧録で、「中国が最も恐れる男」との帯がついた文芸春秋読者賞を受賞した著書である。垂氏は京都大学法学部を卒業後外務省に入り、チャイナスクールで一貫して中国・台湾にかかわってきた。2,023年退官後は立命館大学教授で活躍している。
これを読むまではチャイナスクールの人たちは中国に何を言われても言い返せない、弱腰ばかりだったり手なずけられたりなのかと思っていた。政治家も中国詣でをする人が多く、現在の中国は日本を不当に貶めてばかりしていることが大いに不満だった。垂氏の一貫した強い志と、中国の要人や裏要人などとの人脈をつくり、日本と中国が今後どのように付き合っていくかを歴史的に俯瞰して見据えながらの回顧録はじつに面白かった。目からうろこが何枚も落ちた。。
文章が滑らかで読みやすいのは聞き手・構成の城山英巳(しろやまひでみ)氏のおかげだろう。日本と中国は歴史的には日本にとって切っても切れない間柄である。今はいい関係ではないが、先のことはわからない。つねに先を見据えて戦略を立てて行かないと日本のためにならない。政治家には特に読んで欲しいと思った。

「散歩のとき何か食べたくなって」

令和7年9月5日
表題は池波正太郎氏の著作で、昭和52年発刊された。その後文庫化されて現在64刷になっている超ロングセラーである。池波氏の著作は鬼平犯科帳をはじめ、いまだに本屋の棚にはそろっていて、氏の死後35年経っているのに売れ続けているのはすごいことである。ベストセラー作家でも死後売れ続けるのはほんの一握りである。
内容は、氏の日常よく訪れる食べ物屋を記したものであるが、どれも食べてみたいと思わせる筆力で、店のあるじとのかかわりもさりげなく書いていて、心地よく読める。さらにコロナブックスからグラビアにしてそれらの食べ物屋を紹介した本も出ている。神田、浅草、銀座、渋谷、目黒などの店と写真、氏のエッセイを載せている。現在も残っている店もあればなくなった店もある。氏の「生きることは食べることだ」を感じさせるエッセイと共にこれらを見れば、自分がそれらの店に行っているように思える。
氏のファンの中には、本当に店をすべて回った人もいるという。そのような思いをさせる力のある作品である。

「たった一人の30年戦争」

令和7年8月28日
表題は昭和20年の終戦を知らず、フィリピンのルバング島で諜報活動と遊撃戦を続け、昭和49年に元上官の命令により武装解除し、フィリピン軍に投降しマルコス大統領を表敬した後帰国することになった陸軍少尉・小野田寛朗氏(平成26年死去)の著書である。文庫本化されたので読んでみたが非常に面白く、戦前までは軍人は文字通り命がけで戦っていたんだと思った。戦況が悪くなっても「特攻隊」など日本を守るために爆弾を抱えて敵の戦艦に突っ込んでいったのは、我々の親世代のことである。わずか80年前のことで今となっては遠い昔の話になっているが、この本を読むと小野田さんは軍の命令を受け、命令を忠実に守り、たった一人になっても最後まで戦うつもりでいたことがうかがえる。
小野田さんは51歳でジャングルを出て投降し帰国したが、上官の命令がなければ60歳までは戦いを続け、60歳を機に現地のレーダー基地に突入して最後の弾まで打ち尽くして果てるつもりでいた。それが日本から24歳の鈴木紀夫さんが小野田さんを探しに行き、単独で島の中にテントを張って何日も過ごして小野田さんに会え、その後上官であった谷口さんが命令書を伝え武装解除したのである。
小野田さんの著書を読むと文章の底に流れているのは「覚悟」である。命令を遂行するために常に命がけである。戦後の我々に最も欠けているのは「覚悟」ではないだろうか。今、我が国が衰えていくのはそれが原因ではないだろうか。心に響く著書であった。

「頼る力」

令和7年8月13日
表題はダチョウ倶楽部のリーダー肥後克広氏の新刊である。ダチョウ倶楽部といえば上島竜兵の「クルリンパッ」とか「熱湯風呂」「聞いてねーよ」とかのギャグを思い出すが、残念ながら上島氏が亡くなってしまったのでどうしているのかと思っていたが、しっかりと活動していることがわかった。
芸能界で40年生き続けることがどんなに難しいことかを想像すると、たいしたものだと思わざるを得ない。肥後氏の母親は奄美大島生まれで「キマい」人だったそうだ。「キマい」とは方言で「お転婆」のことで、口より早く手が出る、負けず嫌いでケンカっ早く、何でも1番にならなければ気が済まないひとだったそうだ。沖縄に渡って食堂をしながら子供たち3人を育てた母の影響が大きいことがわかる。
肥後氏の森本レオ氏の物まねは絶品で、本人が満点をつけて以来の親交があるそうだが、雰囲気もしゃべり方もそっくりだった。ともあれ、人生の総括ともいうべき著作は面白かったし、飾らない語り口は快く感じた。

「作家の酒」

令和7年8月8日
表題は2009年11月発刊の作家と酒を扱った写真集で、エピソードを含めそれぞれの作家の人となりが偲ばれる作りになっている。書庫を整理していたらたまたま見つけたので久しぶりに見たが、面白かったので一気に読んで(見て)しまった。
昭和の時代、作家は尊敬もされていたし、人目を引く魅力があり、オピニオンリーダーの一面もあった。本書に登場する作家は、井伏鱒二、山口瞳から始まり当時のそうそうたるメンバーが26人、それぞれの行きつけだっや店や仲間、好んだ料理などを紹介している。いずれもアルコールを多飲していて、様々なエピソードがあって面白い。やはり人類とアルコールは切っても切れない関係だと納得する。
流川周辺でも裏袋あたりでも、夕方になると居酒屋や料理屋が繁盛していて、若者から老人まで酒と料理を求めての人だらけである。アルコールが飲めるのは元気な証拠である。いつも飲みすぎないようにしているつもりだが、知らぬ間に飲んでしまっている。反省しながら「作家の酒」を読んだわけである。

「四十年の真実ー日航123便墜落事件」

令和7年7月17日
表題は以前にも紹介したノンフィクション作家・青山透子氏の集大成ともいうべき最新作である。氏の記述は証明できるものと事実のみを調べ、時系列に沿って記述し、その中で矛盾することがあれば徹底的に調べ、膨大な時間を使って真実を追求しようとしていることがわかる。この姿勢は故森永卓郎氏も絶賛していたが、これらはすべて日航123便に乗っていた客室乗務員時代の同僚と何の罪もない乗客合わせて520人の死への弔いのために青山氏が40年に渡って声を上げ続けている魂の書ともいうべき作品である。
日本航空は墜落した123便の生のヴォイスレコーダーを絶対に公表せず、事故調査委員会も相模湾に落ちた尾翼を探すこともしない。それらを調べれば真実はわかると思われるが決してせずうやむやにしているだけである。遺族は真実が知りたいのである。たとえどんなに理不尽なことが行われていても、真実を公表して謝るべきところは謝り、責任を取るべきところは責任をとることが人間として必須のことだろう。遺族の中にも納得できなくて最高裁まで追求した人もいたが、突然裁判官が変わり差し戻しになったこともあった。
この重大事故を明らかにしないままでは、信義を大切にしてきた日本は終わってしまうのではないだろうか。

「天路の旅人」

令和7年7月10日
表題は沢木耕太郎氏の作品で、第二次世界大戦の末期に中国大陸奥地まで密偵として潜入した西川一三氏の8年に渡る旅を克明に描いた力作である。
25年前に沢木氏は「秘境西域八年の潜行」を書いた西川氏に興味を持って、当時盛岡市で化粧店主として人生を全うしていた西川氏に会いに出かけた。そして淡々として生きている西川氏の人柄に惹かれ、毎月盛岡に行き夕方から3時間くらい酒を飲みながら語り合ったのである。それは1年以上続いてほぼ全行程を聞き終えたけれど、文章にするには何か踏ん切りがつかずそのままになっていた。ある日、週刊誌の「墓碑銘」の欄に「中国西域に特命潜行 西川一三さんの不撓不屈」という記事を見つけ、家族に連絡して線香ををあげに行くことにしていたが、いくつかの偶然が重なって会うことができなかった。それから数年後に家族に会うことができ、話を聞くことができた。西川氏の書いた生原稿も見つけることができたので、氏の話と照らし合わせながらその旅を克明に再現したのが「天路の旅人」である。
沢木氏の綿密な調べとわかりやすく魅力的な文章で一気に読ませてもらった。次はどうなるのだろうという、自分も旅をしているような気持にさせられる素晴らしい作品である。釜山から奉天、内蒙古から中国の西域、チベット、ネパール、インドまでヒマラヤ越えを何度も行い、ラマ僧に扮して旅を続けた。最後は同じように特命潜行していた人の密告(?)により日本へ強制送還されることになったが、氏はまだまだ旅を続けたかったと話していた。
沢木氏の作品はどれも素晴らしいが、特にこの作品は面白かった。