冬の思い出

令和6年12月13日
厳冬の頃になると時々思い出すのが餅つきである。家は養鶏業が主体の農家だったので、小学時代から田植え、稲刈りなど手伝っていた。米は自分の家が必要なだけ作っていたが一部はもち米も植えていて、冬になるとそのもち米を使って餅つきをするのが恒例だった。当時は台所には「かまど」があり、マキを燃やして煮炊きをしていた。冬休みになると一家総出の餅つきが始まる。かまどで羽釜の湯を沸かし蒸籠に入れたもち米を蒸す。2段重ねで蒸した蒸籠のもち米を、物置にしまっていた石臼を取り出して入れて杵でつくわけである。それを丸めるのは子供たちの仕事、白い丸餅、餡子入り餅、大豆を入れた豆餅、正月用の鏡餅、それらを板の上に並べて冷ましてから餅箱に入れる。
正月前についた餅は1か月でなくなるので、1月の終わりごろに再度餅つきをする。田舎では旧正月の方が主体で、1月1日は新正月と言って、旧正月の方が正月気分だった。さらに2月の終わりごろに3回目の餅つきをする。冬の間はいつでも餅が食べられるわけである。つけ焼きにすればおやつにもなるし、餅は優れた食べ物であった。今でも餅は好きだけれど少しで腹一杯になるので、当時の食欲が懐かしい。何しろ8歳の元旦には雑煮の丸餅(田舎の餅は結構大きい)をおかわりして8個食べたのだから。