米騒動

平成20年9月19日(金)
我が国の存在の根幹をなしてきた「米」について情けない事件が報道されている。
弥生時代に始まった米作は、農地改革まで政治・経済の基本をなしており、我が国の貨幣の代わりとなっていて、各地の経済、生活、文化は「米」なくしてはありえないものであった。特に江戸時代の各藩の力は収穫される米の量である「石」で表わされ、加賀百万石などと称されてその力の指標となっていた。日本人にとっては「米」は特別な存在であったといえる。その「米」も戦後はずいぶん軽んじられるようになり、農業の衰退とともに脇に追いやられてしまった。それでも「米」には特別の思い入れがある世代もまだまだ多いのではないか。
今回の事件の原因は、上から下まですべてにわたっての責任感のなさである。まず政府・農水省は国際的な取り決めで米の輸入を割り当てられたとしても、汚染米はつき返すよう交渉すべきである。ここが一番問題である。次に、輸入米をろくに調べもせず、はやく目の前から米をなくして責任をなくそうとして、「○○フーズ」という会社(だれが考えても食材を扱う業者であり、この会社に売るということは、食材として流通することは明らかではないか)に引き取らせてしまった。さらに業者も汚染米で儲けようとマネーロンダリングのようなインチキをくり返し、安全な米として末端の業者に転売した。結局被害を受けるたのは知らずに買った業者と、消費者である。
お上の無責任が最も問題であり罪万死に値し、お上の関わった責任者にはきちんと責任をとらせないとこの国はますますダメになると思う。