「透析を止めた日」

令和7年1月14日
表題は広島生まれのノンフィクション作家、広島大学特別招聘教授、堀川恵子氏の近著である。氏は当時、広島のテレビ局でディレクターとして活躍しており、その頃から夫となったNHK渋谷放送局のプロデューサー、林新氏を知っていた。番組で賞をもらうたびに林氏は1等、自分は2等のことが多く、悔しい思いをしていたが、堀川氏がフリーのディレクターとして上京し最初に書いた番組企画書「ヒロシマ・戦禍の恋文~女優森下顕子の被爆」をNHKに提案し制作することになったプロデューサーが林新氏だった。仕事を通じて林氏の能力に惹かれ、尊敬し一緒に生活することになったが、林氏は多嚢胞腎のため腎不全になりすでに血液透析をしていた。
透析は週3回、4時間ずつかかり、その間は腕を動かせないし苦痛が強く、何より施設までの往復の時間も必要だ。でも透析をしなければ生きて行けない。毎日の生活も水分制限や食物の制限もありつらい耐える日々が続く。堀川氏は夫を全身全霊で支えながら生活、作家としての執筆を行う。夫は次第に弱っていき透析を受ける力もなくなっていく。足にできた壊疽の耐えがたい痛みに苦しみながら「透析患者には緩和医療が受けられない」との言葉に絶望的になる。最期を看取ってしばらく茫然自失の日が続くが、編集者の勧めもあり我が国の腎不全の患者、透析の実態など調べていくうちに、日本には腎不全に対してよい医療を提供している施設・医師がいることがわかってきて希望を持つようになった。その一つが腹膜透析である。介護施設・医療スタッフと力を合わせ患者は自宅で安らかに逝くことができるようになった地域・施設を取材し、紹介している。素晴らしい著作に巡り合ったと思う。