令和3年2月17日
表題はハーバード・メディカルスクール第2の教育病院、プリガム・アンド・ウイメンズ病院のERに勤務する大内啓医師の著書である。新型コロナウイルス感染で運ばれてくる患者さんを受け入れているERの様子を淡々と描いているが、そのすさまじさは驚くばかりである。酸素飽和度の下がった患者にはマスクによる酸素投与、改善しなければ挿管を行うが、一度でうまく管が気管に入らない場合は死ぬ可能性が高いという緊張の中で、どんどん送られてくる患者さんの治療にあたるのは手に汗を握る心持である。仕事を終えて全身を完全に消毒して帰宅しても、家族とは接しない生活を続けている。
後半では大内氏がなぜアメリカで医師になったかを書いているが、父親の仕事の都合で小学校卒業後にアメリカに渡って英語も中途半端、劣等生だったが23歳で一念発起、30歳まで猛勉強をして医師になった。4年間のメディカルスクールの学費26万ドルは学費ローンで賄い、部屋代と生活費は親のすねをかじったという。医師になってからは内科と救急医療の専門医資格を取り、東日本大震災の時もDIMATの一員として石巻市で3週間医療活動を行った。
日本とアメリカの医療制度の違いも的確に書いていて、実に興味深く読ませてもらった。