令和元年7月19日
非常に残念なことであるが、開業前に6年間勤めていた中電病院が今年の4月からお産を一切やめた。産科病棟もなくなり妊娠に伴う入院はできなくなった。平成3年に医局人事で中電病院に来て、お産の多いことと外来の目の回るような忙しさに驚いたことを思い出す。当時は医師は部長と自分の2人だけで、年間600人のお産とたくさんの手術をこなしていた。夜の当直(産直)は2日に1回で、土日もお産や回診でほとんどつぶれる。あまりの激務に見かねた院長が医師を1人増やしてくれたので一息ついたが、長く続けるのは無理かもしれないと思っていた。昼間忙しいのは何ともないが、夜にお産で起こされ無事に生まれるまでの緊張とそれに伴う睡眠不足、翌日もやはり忙しい日々が続くのは、歳をとるほどこたえてくる。
自分は45歳になる直前に開業してお産から離れたけれど、現場の医師たちは大変だろうと思っていたし、しんどいお産を安全確実にしてくれて本当にありがたいと思っていた。このたび産婦人科の医師が足りないためにお産を止めざるを得なくなったことは実に残念ではあるけれど、最も悔しい思いをしているのは現場の医師と助産師たちスタッフだろう。お産をする施設は簡単にできるわけでなく、中電病院のようなすばらしい施設と人的伝統を作るためには長い努力・研鑽が必要であり、ふたたびお産を始めるのは至難の業である。世の流れとはいえ諸行無常である。