産科医の危機

平成20年1月21日(月)
東京都は公立病院の産科のドクターの給料を年間300万円上げることにしたそうである。今のままではだれも産科医にならず、安全にお産ができなくなることに危機感を持ったためである。まことに泥縄政策で、今からではもう遅すぎるのではなかろうか。
私の場合は、10年前開業するにあたってお産をしないことを選択したのは、20年以上前からまさに現在の産科医のおかれた状況を体で受けとめていて、10年前にはこのまま産科医を続けると遠からぬうちに体をこわすだろうと本能的に感じたことが大きい。
私は大学の医局から、30歳の時に年間480のお産のある僻地の公立病院に赴任を命ぜられた。産婦人科の医師は私一人だけである。しかも小児科はなかった。一番近い県立病院は車で1時間の距離にある。赴任した最初の日曜日に、陣痛で入院していた患者さんの胎児の心拍数が下がってきたため、緊急帝王切開を行った。何しろまだ院内の状況がよくわからないため、自分で麻酔をかけ、たまたま病院に居合わせた耳鼻科のドクターに立ち会ってもらって赤ちゃんを取り上げた。幸い赤ちゃんは無事で事なきを得たが、羊水はかなり混濁しておりもう少しタイミングが遅かったらと思うとぞっとしたものである。
初めからストレスフルな状態であったが、夜は遠慮なく起こされ、昼は忙しくよく体がもったと思う。年間480のお産がある病院の産婦人科医師の数は、今なら4人が適正だといわれている。それをたった一人でよくやったものだと思う。当時は現在のように、うまくいかなかったらすぐ結果責任を追及される時代ではなかったからよかった。だからのびのびと自分の信じる医療ができた。そしてその方が、結果的に患者さんのためになったのである。