年賀状の遅配に思う

平成17年1月14日(金)
今年の年賀状も例年と同じく遅れて配達されたり、年末に出しているのに7日!に着いたりと結構ばらつきが目立った。新聞の投書欄にもそのことを書いている人がいて、全国的にもかなり不備があると思われる。年賀状はまとめて配達できる上に、あらかじめ出しておくのでアルバイトを使って準備できるなど一枚あたりのコストがかなり節約できるため、その儲けたるや天文学的金額だという。にもかかわらずこのいい加減さはどうしたことだ。もともと郵便番号を7桁にした時も、国民に手間を強いるお役所的なやり方だと腹立たしかったが、毎年年賀状の季節になるとあらためて思い出し不快になるのである。
クロネコヤマトなら郵便番号などユーザーに手間をかけさせるようなことはせず配達もきちんとするだろうし、客の意見を聞いて一生懸命頑張ることだろう。なぜなら「民」はサービスが悪ければ会社は存続できずにつぶれてしまうだろうし、逆にうまくいけば利益が増えるから必死になるのもあたりまえというわけだから。さらに言うと、「官」はどんなにサービスが悪くてもつぶれないが、たとえ必死になって頑張っても給料が増えるわけではない。だから誰が考えてもこのようになるのは必然である。
律令の昔からこの問題はずっと言われて来たに違いない。でも、いまだに解決していないところを見ると、錬金術や永久機関のように決して解決できない問題なのではないだろうか。