夏の終わりに

平成16年8月30日(月)
とうとうオリンピックも終わった。8月ももう終わろうとしている。台風も近づき、一気に秋の気配が濃くなってきた。まさに「祭りのあと」である。
昔から夏の終わりには物悲しさを感じていたが、こんな風に感じるのは自分だけではないようで、洋の東西を問わず詩や小説などにたくさんでてくる。中には祭りのあとのさびしさが嫌いなあまり、「祭りのあと」などは存在せず、祭りが終わった瞬間につぎの祭りに向けて準備が始まるので「祭りのまえ」しかないのだとこじつける著名人もいたが、やはり感覚的にぴったりするのは「祭りのあと」であり、宴が終わった満足感の混じったさびしさであろう。そう思うのはやはり人間が死すべきものだからだ。人生で例えると祭りは夏の盛り、青春期からの15~20年ぐらいで、あとは秋、冬となっていく。人生は後戻りできない。季節は繰り返すが、人生は盛の夏が過ぎれば秋、冬と続き二度と春に戻ることはないのだ。むろん、豊饒の秋は実りの季節だし、寒い冬でもそれなりに風情があるが青春の夏にはかなわないだろう。
こういうことを考えるのも、夏が終わろうとしているからだろうか。