タバコについての考え

平成16年6月16日(水)
Fさんは妊娠がわかったけれどなかなかタバコが止められない。減らしたが完全には止められないようだ。もちろんタバコの胎児に与える影響を話し、やめるように言うのだがなかなか難しいようだ。
今はタバコに対する風当たりが強く、本人だけの問題なら「自己責任だから吸う」といわれればそれ以上は何も言えないが、「副流煙が他人に迷惑をかける」と言えばこれは正義だから非難できる。
もちろん私自身はタバコを止めたし、健康をそこなうものだと思っている。ただし、である。タバコには相応の歴史と文化がある。葉巻をくわえたチャーチルの貫禄や、パイプを咥えて日本に降り立ったマッカーサーの姿などは映像で見る機会がありそれはそれで風情があった。また、江戸時代の日本でも「一服つける」という言葉あるように、一休みする時はキセルをだしてきざみタバコをいれ、ひと時の休息をとっていたのである。悪いことばかりでなくいいこともいっぱいあるのがタバコである。そうでなければこれほど世界中に広がらなかっただろう。
それが「健康」中毒のアメリカが、タバコは体に悪いし他人にも迷惑をかけるからやめようと言い出すと、なんでもアメリカのまねをする日本も同じように言い出した。その理由は「本人の体によくないし、他人に迷惑をかける」ということである。でも本人の体は自己責任であるし、他人に迷惑をかけずに生きている人がいたら見せて欲しい。そんな人は神様以外にいるものか。キリストは「汝ら罪なき者、あの女を打て」と言った。誰もみずからを省みて、罪人といわれた女に石を投げることはできなかった。
いつも「その時代に正義といわれていること」を旗印にして他人を非難することは最も簡単だしだれからも文句をいわれず、正しいことをしていると胸をはれる。戦争中は「欲しがりません勝つまでは」と言って大いに戦争を支えて、戦争反対を言う人を「非国民」とののしった。今タバコを非難しないと同じことにな るかもしれない。
くわばらくわばら。